深層の中(15)

文字数 4,607文字

 ナミの声が周囲に響くのと同時に、タカシは口を大きく開いて腕に噛みついた黒犬の鼻っ柱に噛みつき返した。そして同時に右足を壁に打ち付けた。
 二匹とも霧状になる寸前だった。タカシは思い切り顎と足に力を込めて、噛み切り、壁に叩きつけた。黒犬たちはギャンと叫び声を上げながら実体化したまま後方へ飛び下がった。
 その黒犬たちと更にその後ろから飛び掛かってくる黒犬たちが、次々に球体になって床に落ちていった。
「あなた、もうちょっとやり方を考えてくれない。見てるこっちがはらはらするわ」
 タカシが振り返るとすぐ後ろにナミが立っていた。
「状況は著しく悪いわよ。私たちは完全に囲まれてしまった。更に敵は後から後から増えている。何が何でもここであなたを消すつもりみたい」
 彼は、口の中に残っていた黒犬の鼻っ柱の欠片をペッと吐き出してから、口の周りを袖で拭った。こんな所で足止めを喰らってる場合じゃない。
「強行突破しよう。もう時間がない。すぐに・・・」
「あなたバカなの?山崎リサの加護のない今の状況だと本当に死ぬわよ」
 通路の奥にいる黒犬の数が更に増えたようだった。また見える範囲でも黒い円盤が空中に点在しており、更にその数を増やしているようだった。
 タカシは通路を進んでホール入り口まで移動した。そしてホールを見渡した。確かに辺り一面黒い霧におおわれていた。ただ、その奥、上方へと続く通路入り口に山積みになっている機材があるのに気づいた。救急車両から捨てられた機材たちだった。よく見てみると、その中にボンベのような物がある。あれは酸素吸入に使う酸素ボンベだろうか?そう思うが早いかタカシは言った。
「ナミ、行こう!」
 言いつつ彼は、すでに充填が済んでいたHKIー500の銃口をそのボンベに向けた。
「何?」
 黒犬たちを警戒していたナミが声を発すると同時に、ホールで爆音が聞こえた。ただのエネルギー弾の破裂ではない音だった。爆発に伴う衝撃波と閃光を伴う爆音だった。
「何したの?」
 ナミが振り返ってそう叫ぶ時には、すでにタカシはホールに走り出していた。
「いいかげんにして!」
 そう言いながらあわてて飛び立ち、ホールに入った。ボンベの爆発に伴い、電子機器も破裂炎上したのだろう、辺りには濃く灰色の煙が立ち込めていた。また爆風で押しやられたのだろう、上方へと続く通路周辺にはケガレの存在は見られなかった。タカシは一直線にその通路に向かって走っていった。
「走ってその通路を上がるつもり?」
 ナミはすぐに追いつき、声を掛けながら彼の手首をつかんだ。後方から怒濤のように圧力が迫って来る感覚を覚えたが、振り返らずそのまま通路に飛び込んだ。
 ホールでは、黒犬も円盤も看守たちの体内に入り込んでいたケガレたちも、全てが霧状になり、一つの黒い固まりとなっていった。そしてそのまま彼らの後を追っていった。
 四角形に区切られた暗い空間がはるか先まで続いている。壁に埋め込まれたほのかな灯りによって、薄っすらと壁の在りかが分かる程度に照らされていた。
 ナミはかなりの速さで飛んでいた。今までにないほどの速度に耐えながらタカシは充填を済ませたHKIー500を自分の足元に迫るケガレに向けて放ってみた。エネルギー弾は迫りくるケガレの先頭に当たって破裂したが、ケガレはすぐにその破裂を呑み込み、また何もなかったかのように元の態に戻りながら迫ってきた。ケガレは通路いっぱいに広がって追ってきている。もしあの中に落ちたら、と思うと彼の背筋に冷たいものが走った。それに反して次第に足元から暖かい空気がせり上がってくるのを感じた。ケガレが熱を発している?次第々々にはっきりと感じられるようになった。
 少しずつ少しずつケガレが近づいていた。ナミの飛ぶ速度は落ちていない。徐々にケガレの追う速度が速くなっている。
“熱い”はっきりと感じられる程に熱風が彼の元まで迫っていた。するとナミがもぞもぞと動き始め、器用にコートの片方の袖を脱ぎ、続いてタカシの手を握っている手を持ち替えてもう片袖も脱いだ。コートは熱風に煽られて空中を右往左往と飛び回った。ナミは続けてサングラスを外して下に投げた。サングラスはケガレの元まで落ちて一瞬、燃えて消えた。コートも飛び回るうちに火がついて燃えて消えた。
“勢いが凄まじい。これほどとは、予想以上だわ”
 ケガレの勢いは更に増している。衰える様子は微塵も見せない。
「私の背中に回って腰をつかんでて!」
 空中を飛びながらなので困難ではあったが、タカシは即座にナミの指示通りに移動した。
 ナミはくるりと身体の向きを回転させて、後ろを向いた。
 背中方向へ飛びながら両手を前に突き出した。タカシはナミの腰に手を回し背中にしがみついている状態だったのでナミの脇腹辺りから迫りくるケガレの様子を凝視した。
 ケガレは通路の四方の壁を圧しながら向かってくる。
 この通路内全体に咆哮にも似た地響きが轟いている。
 ナミは自分たちに向かってくるケガレの一点に集中した。自分の霊力のすべてをつぎ込む勢いで集中した。
 こちらに向かってくるケガレの先端が渦巻き始め、小さな玉を形づくった。
 それは周囲のケガレも巻き込んで次第に大きくなっていった。
 その玉が自分たちの身体よりも大きくなった頃、後ろ向きに飛びつづけていて大丈夫なのか、心配になってタカシは後ろを振り返った。視線の先に曲がり角の存在が小さく認められた。
「道が曲がってる。もうすぐ左に曲がるぞ」
 すでにケガレの玉は通路いっぱいに広がっていた。壁を削りながら近づいて来ている。
「指示して、その通りに動くから」
 ナミは振り返らずに言う。振り返ったら集中が途切れてしまいそうだった。
 う、ぐ、く、とナミの口からうめき声が漏れた。自分の精神力のすべてを巨大な黒い玉に向けていた。黒い巨大な玉はなおも四方を削りながら進んでいる。それは少しずつ少しずつ移動速度を落としていく。
 そして停止した。
「左に曲がれ!」
 タカシが声を上げた。ナミはその声に応えるべく左方向に身体を傾けて曲がろうとした。速度的に鋭角に曲がることはできず、外側に振られたので瞬く間に壁が接近してきた。
 タカシは、ナミの身体から力が抜けていっているように感じた。だからとっさにナミの身体を引き寄せて自分の背中から壁に当たるように身体の向きを変えた。
 二人はかなりの速度で飛んでいた。だから二人分の重量を一身に受けて壁にぶつかれば怪我は避けられないと思われた。しかし、死ななければいい、タカシはとっさにそう思うより感じていた。
“当たる”彼がそう思った瞬間、彼の身体の周りが、薄っすらと、あけぼのの山際のようにほのかに光った。
 瞬間的に、背中に衝撃と激痛が走った。いったん上部の壁に当たると身体がはじかれて自分がどの方向に飛ばされているのか分からなくなった。そしてそのまま床に叩きつけられた。
 自分の身体が動きを止めた時、あまりの痛みに彼は動くことも声を出すこともできなかった。しばらくそのまま痛みに耐えるしかしょうがなかった。
「大丈夫?動ける?こっちにケガレが来ないように堰き止めてはみたけれど、それもいつまでもつか分からないわ。早く逃げないと」
 彼が横たわっているそばに、ナミが片膝を立てた状態で座っていた。どうやらナミは大丈夫だったようだ、そう思って彼は安心した。
「それにしてもあの速度で壁に当たってよく無事だったわね」
 ナミはそう言いながら彼の身体を眺めた。ほんのり背中辺りが光っていた。
「これは・・・」
 突然、ゴゴゴゴ、ゴゴゴゴ、という地を揺らす振動音が辺りに響き出した。
 彼らは音のする方に視線を向けた。彼らが来た方向だった。
 彼らは身じろぎもできず、ただ眺めていた。そのうち、先ほどナミが作った巨大な黒い玉が、せり上がるように姿を現した。
「立ちなさい!行くわよ」
 ナミが声を放つとほぼ同時に黒い玉が急に上方に移動して天井に激しくぶつかって衝撃音を辺りに轟かせた。
 彼はあわてて立ち上がり、ナミとともに走り出した。通路は少し横方向に伸びていたが、その先はまた上方に向けて伸びている。彼は隣で走るナミの顔をちらりと見た。いつもの無表情だったが、その中に薄っすらと疲労の影が見受けられた。無理をさせすぎている、そう思ったが、ナミの力がなければここからの脱出はまず不可能だった。
 背後から、どおん、どおん、という衝撃音が響いている。凄まじい力が彼らを目掛けて追ってきている。
「ナミ、すまない、頑張ってくれ」
 横道の端にたどり着く頃、思わず彼は言った。
「言われなくても頑張るわよ。あなたの魂を手に入れないといけないから、こんな所であなたに死なれたら困るのよ」
 ナミは再び彼の手を取った。その途端、背後で大きな破裂音とともに巨大黒い玉が崩壊した。その破裂に伴い、破片が二人の方にもすさまじい速さで飛んできた。ナミはとっさに飛び上がりその破片を回避した。すぐに二人の足元に熱風が襲い掛かってきた。更なる勢いでケガレが追いかけてくることが予想された。
 二人は直線的に上昇していく。しかし先ほどより速度は遅い。彼は下を向いた。ケガレの固まりが姿を現した。上を向くと遥か先が薄っすらと明るく見える。C地区入り口だろうか。足元が熱くなっていく。ケガレがどんどん迫ってくる。
「腰をつかんで!」
 ナミの声に従い、先ほどと同じような態勢となった。後ろ向きに飛び続けるナミは先ほどと同じように両手を身体の前に差し出し、迫りくるケガレに向けた。
 少しずつ少しずつ玉は大きくなっていく。飛ぶ速度が遅くなっていく。時折ナミがうめき声を上げる。黒い玉は少しずつ大きくなっていく。どんどん近づいてくる。
 やがて黒い玉は再び壁を削る程に巨大化した。
 とたんにナミの身体から力が抜けた。二人はそのまま落下して巨大な玉の上に身体を打ちつけた。黒い玉は壁を削っている。その下にあるのだろうケガレたちは構わず、その玉を押し上げている。次第に速度を速めながら。
 ナミは黒い玉の上に横たわっている。気を失って倒れている。
 表面は熱かった。でも耐えられない程ではなかった。ケガレの熱量をこの固形化した玉が緩和しているようだった。だから彼はナミをその上に横たえたままで、頭上に向かってHKIー500をエネルギー充填しながら構えた。出口は目前に迫っている。照準器の横にある充填の可否を知らせるライトが点灯した。彼は頭上にある天井に向かって引き金を引いた。
 破裂音、彼はナミの上におおいかぶさった。エスカレーター入り口にあった建造物の破片が降ってきた。大きな破片もあって彼は何度か激痛を背中に感じた。
 そして二人を乗せたまま黒い玉は地表へと放出された。
 黒玉は空中高く飛ばされた。その勢いのまま二人は投げ出された。彼はナミを腕に抱きかかえたまま、空を飛んだ。その目にはエスカレーター入り口に向かって一列に並ぶ兵士たちの姿が見えた。
「撃て!」
 黒玉につづいて大量のケガレが噴き出していた。ノスリの号令一下、兵士たちはそのケガレに向かって一斉にエネルギー弾を放った。
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