超克の中(7)

文字数 4,838文字

 中は一本の通路が奥に伸びているだけだった。すべてが白く輝いていた。壁も床も天井もすべて発光石でできていた。周囲のすべてが光っているので走っている彼女からは影の欠片も発生していなかった。
 少し前に三人の兵士たちが立ち止まっていた。ツグミはすぐに追いついた。そこには一面に発光石でできた見るからに厚く、重く、固そうな扉があった。
「どうやらこの扉は首脳部の人間と近衛委員の人間にしか開けられないようだ。だから現状から鑑みて内部にいる誰かに、扉の前まできてもらって、中から開けてもらうしかないだろう」
 ツグミが追いついてくるのを待ってレンカクが諭すように言った。
「そんなに簡単に開けてもらえるかしら?」
 ツグミの稚拙な質問に、レンカクは思わず苦笑した。
「だから、だまして開けてもらわないと。一つ案があるが、試してみるか?俺に任せるって言うんならやってみるが」
 ツグミは少しの間、自分の中のイカルに問いかけてみた。この状況でどうするのが最善の方法なのか、結果、ほぼレンカクの意見と同じだった。ただツグミは自分が、誰かをだましたり、うまく言葉で人を説得するイメージを持てなかった。行き当たりばったりに動いて状況を悪くするだけのような予感もする。結論として、ここはレンカクに任せるしか道はないような気がした。
「分かったわ。すべてあなたに任せる。頼んだわよ」
 先ほどのように、レンカクはトビにいつも策を進言しているのだろう。ツグミはただいつもイカルの側にいて、ただその策に従うばかりだった。同じ副官でありながら、そのあまりの違いを認めざるを得ない。また自分に足りないものを一つ発見した気がした。これからは、あたしももっとイカルに進言しよう、ツグミは心の中でそっとつぶやいた。ただイカルの立てる作戦以上のものを自分が進言できる自信は微塵もなかったが。
 レンカクは後方にいる二人の兵士に指示を出した。兵士たちは腰にぶら下げた手の平サイズのT字型の器具を手に取り、各突起を手で引き伸ばした。短い柄の先が、二方向に湾曲した刺又状になっている。
「お前たちは委員が出てきたら、すぐさまそいつで拘束して、こちら側に引き込むんだぞ。三人以上、委員がいたら俺が銃で威嚇する。ツグミは扉が閉まる前に中に入るんだ、いいな」
「分かった」兵士たちの、了解、という声に交じってツグミは答えた。
 レンカクは、三人の準備が完了していることを確認すると、左手首の通信器に向かって声を発した。
「こちら塔の警備の任にあたっております治安部隊トビ班の副官レンカク。近衛委員の皆様に報告です。塔入り口に襲来して、内部への侵入を試みておりましたケガレの一群を我ら撃滅、粉砕いたしました。また戦闘中、反逆者の一人を確保、拘束いたしました。ご確認願いたい。至急、どなたか適格なる方にご確認いただき、指示を仰ぎたい」
 レンカクたちは待った。返事がない。通信器の故障か、塔を包んでいるケガレの影響なのか、その場にいた誰もが焦りを覚えはじめた頃、通信器から声が聞こえた。
「了解した。少しの間、その場に待機しておけ」
 レンカクはすぐさま応えた。
「こちらには負傷者が多数います。人命優先の原則に従い、このままでは反逆者の身柄を放棄せざるを得なくなります。至急、どなたかお越しいただきたい」
 また少しの間が空いた。
「分かった。すぐ行く。待っていろ」
 了解、と言い終えてレンカクは通信を切った。四人は押し黙ったまま委員が来る時を待った。緊張が高まってこめかみから一筋の汗となって流れ落ちた。しかしいつまで経っても誰もこない。レンカクは不安にさいなまれ出した。自分の立てた作戦が空振りに終わってしまうかもしれない。もしかしたら内部にいる委員たちはこちらの動きを逐一監視していて、裏切り行為を事前に察知しているのかもしれない。レンカクはふーっと一息長く吐いた。今更じたばたしても仕方がない。もう後戻りはできない。自分の立てた作戦だ、自分だけでも成功を信じるしかない。でももし失敗したら、イカルを助けるっていうツグミの思いは空しく空回りするしかなくなってしまう。俺みたいな奴を信用したばっかりに。
 レンカクは急にツグミに向き直って口を開いた。
「ツグミ、お前、やっぱり俺のこと思い出せないんだろ」
 ツグミは一瞬たじろいだが、静かにうなずいた。
「そんな相手を、作戦の内容も聞かずに信用してもよかったのか」
 少しの間が空いた。ツグミは静かに言った。
「うん、信用するわ。あなたの立てた作戦なら大丈夫だと思うわ」
「なぜ?」
「そうね、勘かしら」
「勘って・・・お前、やっぱり変わってるな。変な奴だ」
 ツグミは少し不満そうな顔つきをした。あたしから見たらあなただって、いつも不機嫌な顔をしている変わり者よ。
「俺は、俺の班は、模擬戦で一度もお前たちの班に勝つことができなかった。トビも、けっこう俺の作戦を採用してくれてたのに勝たせてやることができなかった。そんな俺が立てた作戦だ。イカルが立てる作戦みたいにうまくはいかないかもしれないぞ。それでもいいのか」
 ツグミは明るく微笑んだ。
「イカルは特別よ。イカルに負けたからって気に病むことはないわ。それにあなたたちの班は、いつもうちの班に続いて二番目に優秀だったじゃない。他の班には勝てるんだから、それで充分立派よ」
 レンカクは苦笑した。話した相手が悪かった。ツグミの目には勝とうが負けようが、決してレンカクがイカルを上回るようには映らない。
 続けてレンカクが何か言おうとした。しかしその前に、唐突に目の前の扉が右端から左端に向かって静かに滑るように開かれた。
 二人の委員がそこに立っていた。扉の前に中腰姿勢で待ち構えていた二人の兵士が間髪いれずに拘束帯を差し出し、委員たちの胸下あたりに押し当て、手元のボタンを押した。刺又の先から帯が飛び出し委員たちをがっしりと拘束した。とたんに兵士たちは、後方に向けて自分たちの体重を移動し、声を上げる暇も与えぬように、委員たちを力ずくで引き込んだ。レンカクはうまく兵士と委員の身体を避けたが、ツグミは避けようとした方向に兵士の背中がずれてきたので、一瞬立ち止まってしまった。
「急げ閉まるぞ」
 レンカクの、抑えてはいるがしっかりと力強さを内包させた声が聞こえる。ツグミは小さな身体を更に小さくさせるように屈めながら、兵士と委員の脇を抜けて走った。レンカクは開いた扉に背を預けるようにして立っている。その横をツグミは走り抜けた。レンカクは背中に動きを感じた。扉が閉まりはじめた。とっさにレンカクはホールへと身体をひるがえした。その背後で扉が音もなく閉まった。
 しまった、とっさにこっち側に来ちまった、そう思った時には、レンカクは光り輝くホールの中でツグミのすぐ横に立っていた。高い天井も、円筒状の壁も、磨き抜かれた床も、このホールのすべてが、通路よりも尚一層、強く、白く、光り輝いていた。二人はあまりのまばゆさに目の上に手をかざして影をつくりながら、一瞬目を閉じた。
 パシュッ、と乾いた、何かを勢いよく放出するような複数の音が聞こえた。その音は班対抗の模擬戦の時に使用するセンサー銃の射撃音に似ていた。実際、センサーは無音で発射されるのだったが、実戦に使用するHKIー500の使用に近づけるために、わざと音が発する仕様にしていた。その音に似ていたためレンカクは瞬時に反応した。考えるよりも先に身体が動いていた。
 ツグミが目を開いた瞬間、目の前の場景が横にずれた。レンカクがツグミの身体を突き飛ばしていた。左の脇腹に、細く固い棒を強い力で打ち付けられたような痛みが走った。何が起きたのか、ツグミは横倒しに宙を飛びながらレンカクの姿を見た。その腹部と右フトモモと右胸に細い金属の棒が突き刺さる様子が見えた。目を見開いたままツグミは床に身体を打ちつけた。
 レンカクは自分の身体に何かがスッと突き刺さる感覚とそれに伴う鋭い衝撃を感じた。そしてそれが金属の細い棒で、自分の身体の三か所に突き立っていることを瞬時に確認した。身体の内側からじんわりとした違和感と沸き起こる熱ときしむような痛みを感じた。右足に力が入らず、膝が折れ、その場に座り込んだ。座りながらあわてて、HKIー500を持ち直した。
 ツグミは突然のことに声も出せなかった。レンカクは歯を食いしばって痛みに耐えている。歯の隙間から低いうめき声が漏れる。ツグミもレンカクも周囲を見渡す。どこから攻撃を受けたのか一刻も早く確認しないといけない。まだ光がまばゆい、目が慣れない。HKIー500を構えて視線と銃口を合わせて動かす。多数の足音がホールに響く。こっちに近づいてくる無数の足音、その歩調が微妙に変わった気がした。とっさに身に危険が迫ってくる気がしてツグミは腰を浮かしてすぐに横に移動した。脇腹に鋭い痛みが走った。痛みの下にある腰にべっとりとした感触、見なくても血で染まっていることが分かる。背後に空を切って何かが飛んでいく。床や壁に金属の当たる、甲高い音が辺りに響いた。ツグミはとっさに覚悟を決めた。相手は容赦なく殺しにきている。今、攻撃してきた敵のいる方向をあらかた見当をつけて狙いをつける間もなく、移動しながらエネルギー弾を発射した。エネルギー弾は壁に斜めの角度で当たって弾けた。ツグミはすぐさまエネルギー充填をはじめる。
「何をしている。早く殺せ」
 目が慣れてきた。ホールの奥に階段がある。
 壁際に左右から壁の中心に向かって階段が伸び、中央の踊り場で一つになり更に左右に分かれて上部に伸びている。その踊り場にこの委員たちの司令官、近衛委員長が立っていた。
 あの人が司令官ね、そう思った矢先に足音が左右から聞こえた。白い制服を着た委員が数人走りながらこちらに銃口を向けて狙いを定めている。
 背後でHKIー500の発砲音が聞こえた。エネルギー弾がツグミの横を通過していき、ツグミの前にいた委員たちの足元に着弾して破裂した。
「ツグミ、敵はお前を狙っている。逃げろ、囲まれるぞ」
 ツグミは委員たちが移動しようとしている場所の先にエネルギー弾を放った。委員たちの動きにためらいが生じた。ツグミは中腰の状態から立ち上がるために床に手を着いた。一瞬、床に波紋が広がったような気がした。エネルギー弾でも粉砕できないほどの硬い床が唐突に動いた気がした。そんなはずはない、彼女はHKIー500のエネルギーを充填させながら立ち上がり、走りはじめた。ただ一直線に、敵の司令官目指して。
「そいつを殺せ。早く殺せ」
 委員長のヒステリックに叫ぶ声が響いた。レンカクの放ったものであろう、ツグミの横でエネルギー弾の炸裂する音がホール中を震わせた。委員たちのうめく声が床を這う。ツグミの厚底の靴音、委員たちのゴム底の床を擦る軽快な靴音、委員たちが金属片を発射する音、金属片が床や壁に当たって跳ね返る音。目の前を金属片が横切った。手に構えたHKIー500に金属片が当たって跳ねて、回転しながら顔目掛けて飛んでくる、ツグミはとっさにのけ反ってよけた。金属片は額と前髪をかすめながら宙に飛んでいった。額に痛みを感じると同時に、底を浮かせていた左足が外の側面から床に着いて、拍子に足首が急速に折れ曲がった。グギッとという鈍い音がした。瞬時に捻挫した、と思った。それも程度の重い捻挫を。
 ツグミは倒れるように座り込んだ。床に手を着いた。再び床が動いた。波紋が広がっていく。
 あたしが触れれば床が動く、そう思うと同時に、再度の危険を察知した。細長い金属片が空気を裂きながらこっちに飛んでくる。とっさに彼女は床に着いた手を自分の頭上まで振り上げた。上に広がって、と思いながら。
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