邂逅の中(14)

文字数 5,349文字

 その時、アトリは一人、部屋の中で読書をしていたようです。それまでも保育棟施設内にある本を片っ端から読んでいた彼ですが、どこかしら大人びていたアトリは、その穏やかな人柄も手伝って、みんなから慕われていました。それが災いして、今までなかなか集中して本の世界に没頭するまとまった時間が得られなかったのだと思います。その時はその反動としてか、ずっと部屋に引きこもって雑多な本の世界に没頭していたようでした。
「読書の邪魔だったかな」
 本当にそうだったとしても、退出するつもりなどありませんでしたが、一応訊いてみました。
「いや、朝からずっと本を読んでいたから、ちょうど少し休憩しようと思っていたところだ」
「何か新発見があったかい?」僕はベットの上に腰掛けました。
「ああ」言いながら本を片付けるアトリの姿は、とても同い年とは思えません。落ち着いた雰囲気を振りまいています。
「地上の事、ケガレの事、お方様の事、まだまだ知らない、分からない事だらけだ。でも本を読んで、さらに色々調べてみると少しだけ分かったよ」
「何がだい?」
 アトリらしい難しい話になりそうだと思って、僕は身構えました。
「大人もみんな、はっきりとは分かっていないってことさ」
 アトリは普段、他の仲間にも、自分の知識や経験に基づく意見や情報を伝えることがよくありましたが、その際には極力相手に合わせて分かりやすく、そして多方面に渡って支障が起きないような言葉で伝えているようでした。でも時折、僕に向かって話す時、そんなフィルターを取り払って話そうとすることがありました。僕の思いすごしかもしれませんが、アトリ自身が情報を分析した結果、得られた結論を自分の言葉で話そうとする時がありました。今もその時だと思って、僕は更に身構えました。
「イカルは、この世界の立法と行政について、どういう仕組みになっているか知っているか?」
 そんなこと勉強の時間に何度も教わったことです。もちろん答えられます。
「知っているよ。お方様の判断されたことを首脳部の皆さんに告げて、そのお告げに従って首脳部から執行部である委員会に指示が下され、各委員会ごとに指示に従って実行に移す、ってことだろう」
 アトリはにやりと笑っていました。彼は、自分の知識を披露する場合に少し鼻につく笑い方をすることがあります。こんな笑い方をする時はたいてい、他の子どもたちが知らない情報を仕入れている時で、披露したくてたまらない、けど誰にでも話していい内容ではないし、獲物を捜しているところに、ちょうどいい相手が見つかった、という時でした。
「百点、といいたいとこだけど、現実に照らし合わせて見てみると、いいとこ五十点てところかな。残念、不合格だ」
「でも、そうやって習っただろ。それ以外にどんな答えがあるって言うんだよ」
 アトリは更にニヤリと笑っていました。いつもの事だったので特に不快に思うことはありませんでした。それよりどんな解答を与えてくれるのか、少し興味を持って耳を傾けていました。
「ブレーンコンピューターって知っているか」
「確か、お方様のお言葉を受け取る通信施設だろ」
「そう、お方様のお言葉や情動、状態を受信、計測して明確な言葉にして首脳部に伝える人口知能だって教わったよな。でも、これは噂の域を超えないんだけど、この地下世界に移住して五年間はちゃんとそのようにお方様の意思をついで伝達をしていた。しかし五年前、お方様にある問題が発生してそれを中断したらしい」
「お方様に問題?いったいどんな?」
 お方様はこの世界の意志であり、心であり、すべての源なのです。そのお方様に問題が発生したとしたら、この世界全体の存続に深く関わってきます。
「それは分からない。でも一説には、この地下世界を放棄しようとしたとか」
「そんなバカな。ここを放棄していったいどこに住むっていうんだ?・・・もしかして」
「そう、地上に戻ろうとしたんじゃないかな」
「そんなことあり得ない。それじゃ僕たちはどうなるんだ?お方様が僕たちを見捨てるわけがないだろ」
「そりゃそうだな。分からない事が多いから、何とも言えないし、どれも噂の域を超えないんだけど。とにかくお方様に問題が発生したと判断した首脳部が、お方様との通信を断った。そしてそれ以降ブレーンの指示に従ってこの世界を動かしているって言うんだ」
「そんな、じゃ、お方様の意思はまったく反映されていないってことか?」
「噂が本当ならね。まあ、もし本当だとしても、それで特に問題もなく、僕たちも普通に平穏に暮らせているから、何の問題としても表面化してこなかったんだろうね」
 何か釈然としない気持ちを抱えていました。お方様抜きでこの都市の運営が本当にうまくいくのだろうか?そのうち何かひずみのようなものが出てくるのではないだろうか?もちろんアトリの言うことをそのまま鵜呑みにするつもりはありませんでしたが、もし本当なら、この世界の運営が唯一無二として誰もが認める存在によるものではなく、一塊の人工知能の手によるものだとしたら、そう思うと、何か釈然としない、違和感を感じざるを得ませんでした。
「今、そんな首脳部の専横に対抗するべく、秘密裡に組織が作られているらしい」
「組織?」
「お方様の声を受け、お方様の意思によりこの都市を運営させようとする組織らしい。そしてその組織は地上への移住を最終目標にして活動しているらしい」
「そんな、むちゃな」
「むちゃ?なぜそんなことが言える?」
「だって地上ってケガレだらけなんだろう?人間の住むことなんてできない場所なんだろう?それに例え移住できたとして、大人はいいとして、俺たちはどうなる。地上に行けば溶けてなくなるんだろ?」
「なぜそんなことが言える?見たのか」
「見ちゃいないけど、そんなこと常識だろ」
「常識が正しいなんて考えない方がいい。そんなもの、ただ単に各人の生活の範疇から生じる人々の気分の集合体もしくはどこかの誰かに都合のいいように仕立てられた話にすぎない。人の生活から乖離した事柄を判断する指針には成り得ない」
「そんなこと言ったら、自分の目で見ていないことは何も言えないし、判断することもできないじゃないか」
「だから俺は地上に行く。いつか行く。自分の目で見て、自分で判断する。本当に住めないのか、住むようにするにはどうしたらいいのか」
「おい、でもそれって首脳部が禁止していることじゃないか。捕まるぞ。誰にも知られずにそんなことできるわけがないだろう。そもそも溶けてしまったらそれどころじゃない。この地下都市で充分幸せに暮らせているじゃないか。そんなバカなこと考えるのはやめろ」
「幸せ?こんな穴倉にこもっていることが?知らないってことはある意味幸せなのかもしれないな。でも知ってしまっては更に知りたいと思うものだ。俺は知りたいんだ。地上のことも、この世界のすべてを。だから俺はやる。いつかやる。もちろん一人でやろうなんて思っていない。その組織と連絡を取ることも考えている」
 アトリは言い出したら誰の意見も聞きません。自分の知識にもとづいた自分なりの行動指針を持っているからでしょう。僕は少しうらやましくもあり、親友の危うさを心配もしました。
「俺は、お前の言うことに喜んで同調することはできないな。そこに希望はあるのか?今の話からだと、そのうちお前が失望する顔しか見えてこないぞ」
「希望ならある」
「どこに?ケガレだらけの地上で、どうやって生きていく?ここでだって何不自由なく生活していける。いや、むしろ今、地上に移住するよりここのほうがよほど快適なんじゃないか」
「お前も聞いたことがあるだろう。選ばれし方様の話を」
 知っていました。でもそれはただのおとぎ話です。何のためかは分かりませんが、お方様が僕たちにお与えくださった、ただの物語です。
 そのお話は五年前のある日、突然、誰かの頭に宿りました。
 少しして、また他の誰かの頭に。そしてまた。
 不思議なことに、そのお話を宿した人たちは誰もが、それがお方様から与えられたお話だと、少しも疑うことなく信じました。
 だからその人たちはそれをとても大切なお話だと、他の人たちに伝え、伝えられた人たちが更に他の人に伝え、瞬く間にこの狭い地下空間に広がっていきました。
 そしてそのお話に登場する一人の男性、それが選ばれし方様です。
 お方様を救うために身を削り、ケガレに染まり、すべてを失いながらも進み続けたその男を、お方様は選ばれました。
 その選ばれし方様は、お方様に力を与え、お方様は力を使ってこの世界を更に明るくし、そして僕たち子どもを生み、今に続くまで生みつづけていると言われています。 
「それが本当にあったことだとしたらどうだ?」
 アトリの言うことがだんだんと怪しくなってきました。本の読みすぎで頭がおかしくなってしまったのでしょうか。
「アトリ、いいか。物を知らない俺だって、その話が作り話だってことくらい知っているぞ。大丈夫か?」
 アトリがジッと僕の顔を見ながらニヤリと笑いました。
「ある筋からの情報によると、五年前にお方様に起きた問題、それは選ばれし方様が原因らしい」
 僕はたぶん、かなりけげんな顔つきをしていたと思います。
「選ばれし方様とお方様が出会って、お方様は力を得られた。それで地上に戻ることを志向されたんだ。だから思考の伝達を中断させられた。この地下都市を存続させたい人たちによって、強制的にね」
 相槌を打つことも忘れていました。内容があまりにも、自分の常識とはかけ離れた次元の話に思えて、何と答えていいのか、分かりませんでした。
「選ばれし方様は存在する。どこかにいるはずなんだ。俺は見つける。そのためには地上に行くことも厭わない」
 この世界ではこんな思想はかなり危険視されます。お方様も不可侵、首脳部も不可侵、地上の話は厳禁、地上へ行くなんてもってのほか、それがこの世界の常識なのです。
「なんでそんな話を俺に」
「お前にだけは知っていてほしい、っていう俺のわがままだ。例え共感できなくても俺がどう思っているか、知っていてほしいんだ。それに基本、お前は口下手だからどんなにヤバい話でも他人にばらす心配がないだろ」
 そう言う親友の表情の中に、薄っすらと危うさとはかなさを見た気がしました。でも、その時の僕はまだ子どもでしかなく、彼の心の中に渦巻いている思いを察することなどできませんでした。

 アトリの部屋を出て、エレベーターに乗り込むと、少しためらった後、ツグミの名を唱えました。でもエレベーターは静かに停止したままでした。再びツグミの名を口にしました。しかし始動する気配はありませんでした。天井付近から音声が聞こえました。
「行き先を声に出してください。またはドアの横にある地図上の行き先に触れてください」
 ドア横の操作パネルを見てみると、大まかな周辺地図が映っていました。しかし目的地はもとから分からなかったので、もう一度、名前を呼んでみました。でも動きません。再び音声が流れはじめたので、あきらめて自室に戻ることにしました。
“あいつ、また何かしでかしたのか?名前を変えた?まあどうせまた明日会える。明日会ったら少し文句言ってやろうかな”
 少しだけ落ち着かない気持ちを抱えて、僕は自室に戻っていきました。 

 この地下世界は、もちろん照明がなければ昼夜を問わず真っ暗になります。だからあたしが目を覚ました時も、周りは真っ暗でした。そしてやっぱり、ひとりぼっちでした。
 何の解決策も用意されていない状況でした。あたしの元気は少しずつ、休むことなく、身体のどこかから漏れていくように思われました。
 のどが渇いていました。お腹がすいていました。でも、どうしようもありませんでした。だからなるべく生きることを制限するしかありませんでした。なるべく動かないように、なるべく何も考えないように。でも、時々悪い予感が頭の中をよぎります。そんな予感がつのると気分が悪くなりました。しかたなく我慢の限界に達した時、部屋の隅だろう場所に這っていき、吐きました。と言っても空腹だし、のども乾いていたので、大した量をもどしたわけではなく、少し胃液のようなものを吐き出しただけでした。ただ、口からのどにかけて、言いようもなく不快な味が染みつき、しばらく残っていました。その味が、更にあたしの気分を落ち込ませたことを覚えています。
 とてもみじめな気分でした。このままあたしは、誰にも知られずに死ぬことになるのかもしれない。死んで腐りかけた頃に発見されて、その腐臭と醜い身体を人目にさらすことになるのかもしれない。 
 自分の生命力の低下を感じていました。怖かった。このまま誰もこなかったら、そう思うと怖くてたまりませんでした。ここで死ぬの?そう思うとごく自然にイカルの顔が脳裏に浮かんできました。
「助けてよ、イカル、助けてよ」
 その夜も泣きながら眠りにつきました。
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