蠢動の中(3)

文字数 4,611文字

 しばらくしてセキレイの通信器に連絡が入った。
 内容を聞いた後、セキレイは、その場にいる全員に向けて言った。
「オケラ三号から連絡だ。モグラが西八号非常口下を通過した。計画が始動する。我々も移動するぞ」
 非常出口付近の細い横道に展開して待った。すでに六時を過ぎていた。
 今、イカルたちのいるB4区画の西側に位置するD地区の北側に拘置所は存在している。タカシを移送する一団は、そこからエスカレーターでセントラルホールまで移動し、そこから更にD地区最南端の外壁に向かい、そこにある乗り場から深層牢獄直通のエレベーターに乗り換える予定だった。
 イカルたちのいる場所は、拘置所とセントラルホールのちょうど中間地点にあたる場所だった。選ばれし方様を連行した一団が時間通りに移動している場合、間もなく通過するはずだった。
 どれだけの時間が流れたのだろう。かなり長い時間が経った気がした。そこにいる誰もが気忙しく感じられてしょうがなかった。そんな彼らの気持ちとは裏腹に、周囲は静かだった。ここが騒擾の場となる気配など微塵も感じられない静寂に包まれていた。
 しばらくしてセキレイも訝しんだのだろう、通信器でどこかへ通信をはじめた。
「こちらミミズ。狼煙はまだか。モグラは今、どこだ?」
 その小声への応答はなかった。マズイな、イカルは思った。計画通りに事が進んでいないようだ。ここは無理をせず、いったん後退したほうがいい。そうセキレイに進言しようとした、その時、背後に人の気配を感じた。咄嗟に銃を構えつつ振り返った。そこにはこの薄闇でもはっきりと目立つ、白服に身を包んだ委員たちの姿があった。ぱっと見でも十四、五人はいるようだ。大きな白い固まりのように一団となってすぐそこまで移動してきていた。そのすべての手にはHKIー500、銃口はすべて彼らに向いていた。
「抵抗するな。今すぐ銃を地面に置いて、両手を上げて投降しろ」
 恐らくその中で一番の上官であろう委員が言った。
「隠れろ!」
 セキレイが咄嗟に叫んだ。付近に点在していたアントの構成員たちは、元から身を隠せる場所にいたために、ほぼ動かずに済んだ。イカルやセキレイも身近な家屋の陰に身を隠した。
「お前たちの別動隊はすでに捕まえた。ちなみに今、通路を移動している人物は選ばれし方ではない、偽物だ。お前たちの努力は徒労に終わったのだ。諦めて投降しろ」
 イカルのいる場所からセキレイの姿が見えた。歯を食いしばりながらも何とか打開策を打ち出そうと、苦慮しているようだった。しかし委員側はすっかりこちらの動きを察知していたような口振りだ。それなら逃げられないように要所に配置を忘れてはいないだろう。ここで抵抗をすれば犠牲が出る可能性が高い。
「投降するわ」
 急にマヒワが立ち上がり声を上げた。地面に銃を置き、両手を上げて、委員たちに姿が見えるように、道の中央に立った。
「マヒワ、やめろ。早まるな」
 セキレイが声を掛ける。
「みんな、もう囲まれたわ。無駄な抵抗をして犠牲者を出すことはないわ。ここは投降して再起を図るのよ」
 マヒワは言いながら委員たちに向かって歩き出した。セキレイをはじめアントの構成員たちは躊躇した。マヒワの言うことも、もっともだ。しかしここで捕まってしまえば、おそらく深層牢獄行き。そこは特別な凶悪犯罪者もしくは政治犯が送られる場所。そこに投獄されると言うことは、その存在を抹殺されるということ。二度とこの都市には戻ってはこられない。再起など先ず無理な話にしか思えない。
「大丈夫よ。ここで投降すれば、私たちはまだ事件を起こしていない。未遂だから酌量の余地はあるわ。だからみんな投降しましょう」
 言いながらどんどん遠ざかっていく。誰もマヒワの後に続く者はいなかった。やがてマヒワは委員たちのもとに辿り着いた。マヒワは目前にいる、身体の線が細くひょろりと背の高い情報委員長に向かって、ごく小さな声で言った。
「約束よ。みんなを傷つけないで」
 分かっている。キレ長の細い目でマヒワを見下ろしながら、委員長はそう小声で答えた。続けて他の委員に、連れていけ、と命じてから、イカルたちに向かって落ち着いた声を上げた。
「さあ、お前たちはどうするのだ。投降するなら命は助けてやる。抵抗するなら全員射殺する」
 マヒワは他所に連れて行こうとする委員の手を振り解いた。ここに残って顛末を見届けないといけない気が、無性にしていた。
 少しの沈黙の時間が過ぎた。委員長はため息を短く吐いてから周囲にいる部下に向かって、無感情な声で淡々と命じた。
「射撃用意・・・・撃て」
 いっせいにエネルギー弾が放たれた。イカルたちがいる横道沿いに建っている家屋の壁や塀が次々に破裂した。発砲した委員たちは、すぐにエネルギーを充填して次に備えた。
 周囲の家屋の住人たちが目を覚ましたようで、家の中の灯りが点いて、何事かと窓や扉から外を窺う様子が見て取れた。
 委員長が横にいる委員に耳打ちした。その委員は承知して、周囲に響くように声を張り上げた。
「委員長権限によりこの地域に戒厳令を発令する。住民の皆様は決して戸外に出ないように。現在我々は反社会勢力と交戦中である。灯りを消し、窓から離れて戸外に出ないようにお願いする」
 周囲の家々の灯りがたちまち消えた。それを確認して委員長はちょっと微笑んでから言った。
「次、撃て」
 充填が済んだ委員から発砲した。一人のアント構成員のいるすぐ近くでエネルギー弾が破裂した。その拍子に、その構成員は、飛ばされて通路に姿を現わした。すぐに立ち上がり、再び身を隠そうとしたが、たまたま委員の放った弾が、その構成員の左肩に当たった。弾はすぐに破裂してその構成員の腕・肩を吹き飛ばし、左胸をえぐるように粉砕した。横倒しに構成員は地に伏した。すでに息はしていなかった。
 委員長が胸の横で両手のひらを上に向けながら顔だけマヒワに向けて言った。
「これは事故だな」
 マヒワは思わず叫び声を上げた。そしてその構成員の名前を呼んだ。しかしピクリとも動かない。
 セキレイは、委員たちが、自分たちを殺すつもりはあっても逃すつもりはないことを、はっきりと悟った。彼はイカルの方へ首を巡らせて言った。
「俺が委員たちに向かって行く。君は反対方向へ逃げろ」
「そんな、僕も一緒に行きます」
「バカ言うな。これは俺たちアントの戦いだ。君は部外者なんだ。部外者を巻き込んで死なせたとあってはアントの名折れになる。君は逃げろ。生き延びろ」
 厳しい顔つきだった。イカルはその表情に言葉を失った。セキレイが懐中から片手にあまる程度の大きさの、白く丸い塊を取り出し、イカルに向かって投げ渡した。
「発光弾だ。殺傷能力はないが、目潰しにはなる。上のピンを外して相手に向けて投げろ。俺は君が数少ないこの世界の希望になると思っている。ツグミ君と一緒に生きて、必ず生き延びて、この世界を救ってくれ。頼む」
 イカルは受け取った白い塊をただ見つめた。どういう構造かは分からなかったが、表面は布をノリで固めたような感じで思ったほど固くなく、見た目より重かった。
 彼は何も言えなかった。セキレイの覚悟に見合うような言葉が見当たらなかった。今まで何度も会っていたが、不信感が先に立ってあまり馴染むこともなかった。今はただ、それが悔やまれる気がした。
「お前たちもイカル君と一緒に行け。必ず生き残って再起を図ってくれ。お方様と選ばれし方様のこと、よろしく頼むぞ」
 他の二人の構成員へ向けてセキレイが言った。返答はなかった。彼らもセキレイの覚悟に見合う言葉を持ち合わせていなかったのだろう。
「そろそろ観念してもいいんじゃないか。先ほどは事故で一人犠牲者が出てしまったが、これ以上かくれんぼしていると、いつまた事故が起こるかもしれない。もう終わりにしよう。早く出ておいで」
 動きはなかった。委員長はまた短くため息を吐いてから命じた。
「次、撃て」
 横道脇に並ぶ家々は、破壊の度合いを増していった。時折、押し殺した悲鳴が家の中から聞こえた。一通り銃撃が終わってからセキレイが口を開いた。
「いいかみんな、脱出できたらE地区に向かえ。そしてドクターカラカラに会いに行け。彼は、E地区最奥部の廃屋のような家にいる。俺に言われてきたと言えば、きっと悪いようにはしない、はずだ。ドクターカラカラは一見、偏屈なジイさんなんだけど、話してみるとただの頑固ジジイだ。それでもかつてはお方様の側近中の側近だった方だ。いつもお方様の身近に侍り、お方様を助け、慰め、元気づけていた。だからきっと、お方様の助けになることなら、協力してくれる、と思う」
 セキレイは少しの間、黙った。自分の中の覚悟を育てているかのような真顔だった。
「誰でもいい。生き残った者はこの世界を救ってくれ。そして地上に出ることが出来たら、俺の代わりに外の空気をたっぷり味わってくれ」
 次ー、撃てと委員長が言おうとした矢先、セキレイが通路に姿を現わして、委員たちの前に全身を晒した。そして銃を小脇に抱えたまま委員たちの方へ近づいた。
「セキレイ、銃を下ろして。投降して」
 セキレイが、声が聞こえた方を向くと、そこにマヒワがいた。懇願するような目をしていた。自分のせいで死なないでと語っているようだった。その目を見てセキレイはあらかたを察した。計画が漏れないように細心の注意を払っていたはずだった。漏れるにしてもここまで正確に、ここまで詳細に渡って漏れるはずがない。考えられるのは内部に裏切者がいる可能性。まさかマヒワがね・・・。
「マヒワー」
「えっ?」
「幸せになれよ」
「何を言っているのよ。早く銃を下ろして投降して」
 セキレイは少しの間、微笑んだ。そして再び真顔になって委員長に向き直った。
「俺たちはお方様のご意志に従う。賢人たちやブレーンコンピューターの指示には従わない。お方様のご意志を聴くために、選ばれし方様の存在が必要だ。だから選ばれし方様を深層牢獄に連行することには断固反対する」
 毅然とした姿勢でセキレイは前に進んだ。委員長は短くため息を吐いた。
「次」
 イカル行くぞ、残ったアント構成員が言いながらセキレイが進んだ方向とは反対方向に横道を駆け出した。はい、と言い、後ろ髪を引かれる思いを抱えながらイカルも立ち上がり、走り出した。
 やめてー!マヒワが辺りに響き渡るほどに叫んだ。
「撃て」
 背後で爆発音が鳴り響いて周囲に閃光が広がった。イカルは咄嗟に振り返った。もうそこにセキレイの姿はなかった。彼は歯を食いしばりながら走り続けた。
「嘘つき、誰も殺さないって言ったのに」
 マヒワは委員長に憤怒の表情を向けていた。委員が両脇から抑えていたがそうでなかったらすぐさま殴り掛かっていきそうな雰囲気だった。
「事故ですよ、事故。あなたは約束通り解放します。また有力な情報がありましたら、ご提供よろしくお願いします」
 マヒワの横にいる委員に、この方をセントラルホールまでお送りしなさい、と指令を出してから、通信器に向かって委員長が声を放った。
「三名逃げた。殺してもかまわない。逃がさないように」
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