廃墟の中(4)

文字数 4,281文字

 その人物は、辺りをしばらくうかがって、警戒している様子を見せた後、路上に全身をさらした。そしてすぐさまタカシたちから遠ざかる方向へ走っていった。
 ナミが、行くわよ、と言うのと、タカシが、追いかけよう、と言うのがほぼ同時だった。二人は続けざまに路上に走り出て、その人物を追い掛けた。
「いい、ここは現実世界とは違うの。相手が突然襲ってくることもあり得るわ。だから慎重に、状況を見極めてから、どう対応するか決めるのよ」
「分かった」言いながらタカシはどんどん速度を増していった。
 前方で相手の姿が右側の路地に消えた。急いで二人は追いかけていった。
 今、二人がいる通りより、少し幅が狭いその路地への曲がり角に到達して、その先をのぞいてみる。誰もいなかった。少し細くなっているせいか、ほんのり薄暗く感じられる路地に、タカシは足を踏み入れた。後方から、空中に浮かびながらナミがついてきた。
 ゆっくりと路地を進んだ。追いかけていた相手が、追跡に気づいて、警戒して隠れているかもしれない。どこかに待ち伏せして急に襲いかかるつもりかもしれない。そう思うと、タカシは自然と前傾姿勢になり、その足取りはゆっくりとしたものにならざるを得なかった。
 その路地もいくつもの横道と接していた。彼はその横道のすべてにも気を配りながら、そろりそろりと前進した。
 何本もの横道を通りすぎた後、ふと人の気配を感じて横を向いた。建物と建物との狭間に人の背中が見えた。その服、その体格、その髪色、先ほど追いかけていた相手で間違いないようだった。
 近づいてみた。座り込んでいる相手は、かなり近づいてみてもこちらに気づく様子がなかった。背を丸めて顔を下に向けて何やらぶつぶつとつぶやいているように見えた。
「すいません。ちょっといいですか」
 そうタカシが声を掛けると、目の前の背中がビクッと波打った。
「少し訊きたいことがあるんですが」
 なるべく相手に警戒心を与えないように柔らかい口調で、丁寧に声を掛けたつもりだった。
「・・・」
 背中は動かず、返事もなかった。彼らの間に間延びした数秒間がすぎて消えた。
 突然、背中を向けていた相手がすくっと立ち上がった。その、さほど高くない背と後ろ姿の様子から推察するに、先ほど苦悶の表情を浮かべながら絶命した少年と、年齢は変わらないくらいではないかと思われた。
 その少年は急に両手を上げて、両耳をふさいだ。
 タカシは相手の予想外の行動にとまどった。話をすることをここまで拒絶されるとは思ってもいなかった。
「あの、少し話を・・・」
 彼の言葉の途中で、いきなり後ろ姿の少年は前方へ駆け出した。
 更なる予想外の拒絶反応にタカシは困惑した。少し精神が錯乱しているコなのだろうか、とも思った。だから追うべきかどうか少し迷った。しかし相手が数歩駆けただけですぐに転んでしまった姿を見て、とりあえずもう一度、接触してみようと思い、歩み寄った。
「驚かせて申し訳ない。俺は凪瀬タカシ。少し訊きたいことがあるんだけど、今、少しいいかな」
 うつ伏せに倒れたままその少年は動かなかった。
「あの、大丈夫かい?」
 少年はうつ伏せのまま、ゆっくりと首を巡らせて、彼の方を見た。その時、ちょうどナミがタカシの背後に近寄った。その少年からはタカシの背中越しに一人の女性が空中をただよっている姿が見えた。
 ひゃぁ、と小さな叫び声が上がった。腰でも抜けたのだろうか、少年はうつ伏せの体制のまま、何かの虫のような動きで逃走しようとした。
「大丈夫、俺たちは君に危害を加えたりはしない。安心していい。この女の人も空は飛ぶし、目つきは悪いけど、害はないから」
 ナミは地表に降り立ちながら、タカシの背に一瞥を与えたが、タカシは気づかなかった。
「大丈夫だ、安心してくれ」
 タカシは再度言った。少年は胸の下で両手を地面につけ、首を巡らし、タカシの顔を恐る恐る見上げた。
「あなた、たちは、人間、なんですか?ケガレでは、なく」
「ああ、俺は、人間だよ」ケガレとは何だ?と思いつつタカシは言った。
 少年の表情から少しずつおびえた色が消えていった。そしてそのままタカシの顔を凝視していた。
「あれ?」
 少年は素っ頓狂な声を上げた。そして身体の向きを変えながら上着のポケットに押し込んでいた紙切れを取り出して、自身の目の前に広げた。その紙切れはタカシの似顔絵が描かれた“地下で待ってます!”ポスターだった。
「あな、あな、あな」
 少年の目には驚きに交じって感激が少々きらめいていた。
「穴?」
 タカシは少年の変化をいぶかしんだ。
「あな、あな、あなたは、選ばれし方様ですよね」
 目の前の少年が突如豹変して、好奇心の塊みたいな目を向けてきたことにタカシはとまどった。
「あな、あなたは、お方様の唯一お選びになられた、選ばれし方様ですよね?どうしてここに?そもそもどこからここに?もしかしてずっと地上にいたのですか?」
 少年、ごめん、そんな初めて聞いた呼称で呼ばれても、はいっ僕です、とは応えられないよ。先ずは固有名詞の確認からしていこうか。じゃないと話が先に進まない。
「すまないが、少し訊いてもいいかな。お方様って誰なんだい?俺はその方の何に選ばれたんだい?」
 その言葉に目の前の少年は、えっ知らないの?という先ほどとは違う驚きの表情を見せた。そして更に確認のためだろう、タカシの顔をしげしげと眺め、何度かポスターの似顔絵と見比べた。
 人違い?少年は自分の早とちりかもしれない可能性を思索してみた。
 目の前の男性はポスターの似顔絵によく似ている。しかし写真ではなく似顔絵なのだ。ただ単に似ているというだけかもしれない。しかしこの地上にいる。人が住めなくなったこの地上世界にいる。それだけでも普通ではない。それだけでも目の前の二人が特別な存在の証と言えるだろう。そして選ばれし方様も特別に選ばれた存在のはずなのだ。
「お方様は、この世界を生み出した存在であり、この世界の中心であり、すべての生命の源なんです。そしてそのお方様に唯一ともに生きる者として選ばれたのが選ばれし方様と言われています」
 その少年の言葉を聞いても自分が、選ばれし方、だという実感はないし、初めてきたばかりのこの世界で、自分が特別扱いされるような覚えも、もちろんない。だから彼は重ねて訊いてみた。
「君は、山崎リサって女の人を知らないか?」
「山崎リサ?」
 少年はあからさまにキョトンとした顔つきをした。
「年は二十代半ば、背は君と同じくらい。色白で・・・」
 タカシは言いながら自分の語彙のなさでは、ちゃんとリサの姿を形容することができそうにないと、次第に諦観を抱きはじめた。
「つまり見た目、こんなコよ」
 タカシの言葉を聞き逃さないようにと、真剣な表情で耳を傾けていた少年に向かって、ナミが自分の手のひらの上に、山崎リサの全身の立体画像を浮かび上がらせて言った。
「このコのこと知ってる?」
 少年はジッと画像を眺めてから言った。
「いえ、今までお会いしたことはないと思います」
 冷静な少年の口調から、ナミは少年に信頼感を覚えた。
「よく見て。この世界を創ったいわば創造主よ。きっとこの世界の中心的な存在になっているはず。このコが、あなたの言う、お方様じゃないかしら」
 少年は少しの間、黙考してから言った。
「この世界の中心と言えばお方様ですが、実際見たことも、お会いしたこともないので、その人がお方様なのかどうかは分かりません」
「あ、そう。でもたぶん、そのお方様って人で間違いないわね。今その人はどこにいるの?」
「知ってどうするんですか?」
 眼前の、得体の知れない女性を、少し警戒するような目で少年は見た。ナミはそんな事は一向に構っていないように見えた。
「もちろん会いに行くのよ」
「それは無理でしょう。お方様には、私たちがいくら望んでも面会することはかないません。会えるのは首脳部の中でもごく一部だけだと聞いています。突然行って面会することは先ず無理でしょうし、時間を掛けたからといって会える保証はどこにもありません。逆に会えなくて当然、くらいに考えていただいた方がいいと思います」
「忠告ありがとう。でも居場所さえ教えてくれればいいから。後のことはあなたには関わりのないことよ。どこにいるの、そのお方様は?」
 少年が少しむっとしたように見えた。
 彼は今、自分が捜していた選ばれし方かもしれない存在と空中に浮かぶことができる特異な人物とともにいる。この二人のことがもっとよく知りたかった。好奇心が、脳内から口へと流れてあふれ出しそうになっている。訊きたいことが山ほどあった。それなのに自分には関係ない、みたいなことを言われて心外なことこの上なかった。提供できる情報なら山ほどある、その情報と交換にもっと二人のことを知りたくてしょうがなかった。だから少年は立ち上がり背筋を伸ばして言った。
「僕はアトリ。アントという団体に所属している者です。僕はあなたたちが必要としている情報を可能な限り提供します。その代わり、僕にも質問させてください。情報の等価交換を要求します」
「分かったわ。構わないわよ」
「では先ず、あなたはどうやって飛んでたんですか?浮遊するための装置を装着していたとか?でも質量の問題がありますよね?反重力の技術によるものですか?それとももっと根源的な作用なのでしょうか?どの程度の時間、浮遊することができるんですか?」
 そう一気に質問を羅列するアトリは、その間、きらきらと輝く大きく見開いた目でじっとナミの姿を見ていた。ナミはさえぎらなければずっと質問が続きそうだったので、質問の途中で口をはさんだ。
「私は霊体なの。実体がないから質量なんて関係ないのよ」
「霊体ですって?実体がない?そんなにはっきりと存在しているのに?体組織の密度を測らせてもらえませんか?あ、でもここじゃ計測なんてできない。早く戻ってどうにか計測できるようにします。どうやったら正確に測れるだろう?」
 アトリは生き生きとした顔つきをしていたが、そこまで言うと、どうやらまばたきをするのを忘れていたようで、急に目をきつく閉じてからしばたかせた。
「私の身体は霊力の固まりよ。密度なんて霊力の多寡でそのつど変わるわよ」
 そう言うナミの左耳辺りが、ほのかに白く光り出した。
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