秘匿の中(13)

文字数 5,011文字

 ナミは、大ミミズたちの醜悪な姿に思わず目を背けた。
 その水槽は地表から三メートルほどの深さがあった。その中にいた大ミミズの個体数を数えればおそらく百はくだらない程度はいたであろう。その群れが一気に地表へと這い出してきた。
 大ミミズはその嗅覚を駆使して獲物の存在を捜した。そしてすぐさま倒れた兵士のいる場所とタカシたちが移動した家屋に向けて、身体をくねらせながら移動をはじめた。
 もとキビタキだった兵士は、大ミミズの群れに向けてエネルギー弾を発砲した。大ミミズの大量の肉片と体液が辺りに飛び散った。ナミは空中からタカシたちの方へ移動していく大ミミズを続けざまに球体にしていった。しかし数が多すぎて、そのすべてを処理しつくせない。
「そっちに大ミミズが行くわ。逃げて」
 そんなナミの声が響く中、タカシは、建物入り口でカラカラを抱えてうずくまっていた。カラカラの傷口に手を当てて止血しようとこころみたが、傷が大きすぎて意味がない。血が後から後から流れ出てくる。まずい、どうにかしないと。
「選ばれし方様、見ての通り・・もう、私は助かりません。・・ここに置いて逃げてください。こんな老体では・・すぐに食べつくされてしまって、少しの足止めにも・・ならないかもしれませんが、移動する・・時間くらいは、稼げるはずです。・・その間に、あちらの扉の奥に、工場の入り口があります。そこから入って、中に製造中の、人体の部位が、置かれてますので・・それをすべて、大ミミズに与えてください。・・大ミミズは食事中・・無防備に、なりますので、その間に、入り口、左側の・・壁に掛けてある、ナタであいつらを切ってください。工場入り口、のパスコードは・・RISA0504・・です」
 タカシはカラカラの身体を引きずりながらも、よくその話を聴いていた。
 すぐに作業場兼書斎の西側壁にある、立てつけの悪い扉に達して開いた。すると廊下を挟んだすぐ目の前に鉄の扉があった。
 タカシはいったんカラカラの身体を廊下に横たわらせて、鉄扉横の操作パネルにコードを入力した。
 一度聞いたら忘れないコード。忘れるわけがない組み合わせだった。セキュリティ―的にどうなのかと思うくらい分かりやすくて覚えやすいコードだった。“RISA”はもちろんリサのこと、0504は彼女の誕生日だった。
 コードを入力し終えて、鉄扉が開くタイミングと合わせたように、背後から強いうめき声が響いてきた。タカシが振り返るとカラカラの足に何匹もの大ミミズが噛みついていた。そして次々にその丸い口に合わせて円状に配列された鋭い歯を大きく開きながら飛び掛かってきていた。
 タカシはあわててカラカラの白衣のえり首をつかんで鉄扉の中に引きずっていった。
 その間も大ミミズたちは、光沢とぬめり感満載の身体をくねらせながら次々に彼らに襲い掛かってきた。タカシはその何匹かを手で払いのけた。ズシリとした重量感が腕に伝わる。
 部屋の中に入ると十数匹、カラカラの身体に食いついていた。鉄扉がこすれる音を立てながら閉まっていく。何匹かの大ミミズが閉まる扉に身体を裁断された。三匹ほど、彼らのすぐ後に続いて入ってきた大ミミズが、タカシに向かって襲い掛かってきた。
 彼はいったんカラカラの身体を置いて、扉の横に走った。その壁に緊急時に使用するためだろう、バールとナタと手斧が掛けられていた。彼はバールを手に取り、襲い掛かってくる大ミミズをなぎ払った。頭や身体をつぶされた大ミミズが辺りに飛び散る。続いて彼はナタを手に取り、カラカラを捕食している大ミミズたちの身体を次々に切り刻んでいった。頭だけ残した状態で、カラカラに噛みついていた大ミミズをすべて取り除いた。頭のない大ミミズの身体が、しきりにバタバタとのたうち回って床に身体を叩きつけている。やっとカラカラの全身が現れた。しかし、もうすでに息をしていなかった。
 タカシは少しの間、目を閉じた。目の前で息絶えた老人の思いを、しっかりと胸の中に刻んだ。そして目を開けて、部屋の中を見渡した。
 思いのほか広かった。外からは分からなかったが、壁に接している部分が奥まで掘り広げられていた。部屋は昼白色に照らされ、室温は低め、無機質な感じの壁や床に囲まれている。
 部屋中に整然と機械類が設置されていた。そして中央部分のケースには何体もの人の肉体が並べられていた。その奥側に、何かの液体の中に浮かぶ、腕や足や胴体の入った、筒状の透明なケースが並んでいた。そこはまさに製造工場だった。大量に人間が生産されていく。あくまで機械的に。
 外側から、鉄扉をドンドンと叩く音が聞こえる。おそらく大ミミズが鉄扉を開こうと体当たりをしているのだろう。鉄扉に視線を移すと、少しずつ下の方が変形しているのが分かる。
 彼はカラカラの言葉を思い出し、再びバールを手に取った。そして近くの人体の並びに近づいた。さすがに形として完成している身体を使う気にはなれなかった。だから部位ごとに分かれている身体を使うことにした。
 溶液のつまったケースには操作パネルが付属しており、恐らくそれを操作することによって中身が取り出せるようになるのだろうが、いくら彼が操作しても何の反応もなかった。仕方なく彼はバールを振り上げて溶液の入った筒状の透明ケースを打った。しかし割れない。手がしびれた。何度もためしてみた。すると何度目かで小さなヒビが入った。またくり返す。ヒビが大きくなっていく。そして割れた。中のドロリとした溶液とともに何本かのコードにつながれた足が床に流れてきた。タカシは引き続きケースの破壊に掛かった。次は胴体だった。骨ばった少年の胸から腰下にいたる部位だった。
 彼はその足と胴体を鉄扉の前に置き、ナタを手に取り、扉横の操作パネルに近づいた。そして再びコードを入力して扉を開けた。
 大ミミズの群れがなだれ込んできた。その多くがそばに置かれている足と胴体に食らいついた。あぶれた何匹かがタカシに向かって襲い掛かってきた。その頭をナタで払う。それから足や胴体に食らいついてまったく彼に気を向けていない大ミミズたちを一匹ずつ切り捨てていった。柔らかいが弾力があった。身体を切ると中からドロリと体液が流れ出てくる。むっとする嘔吐物のような悪臭があたりにただよっている。それでも手を休めず切り続けた。人間を食べる生き物など根絶やしにしてやる、彼の脳裏では目の前で人が殺された衝撃から、どうしてもそのような思考に偏らざるを得なかった。
 あらかた室内に侵入してきた大ミミズは駆除できた。肩で息をしながらカラカラだった肉体のもとまで歩いていった。自分たちがここに来なければ死ぬこともなかったのに、申し訳ない思いが胸中に満ちていく。彼はヒザを着いて薄く開かれていたカラカラの目をそっと閉じた。
「大丈夫なの?」
 背後からナミの声が聞こえた。
「うん、でもまた人が死んだ。俺が来たから死んでしまった」
「あなたバカ?何度も言っているようにあなたがどうにかしないとこの世界は崩壊するの。どっちみちその人は死んでいたのよ。人の死を悔やむくらいなら、これ以上、人が死なないように考えた方が生産的よ」
「そうだね。ドクターカラカラのためにも、その思いに報いるようにリサを救って、この世界の人たちも救わないと・・・」
 彼は静かに立ち上がった。

 ツグミとウレンとタミンは、E地区入り口付近でコリンの撤退を待っていた。敵襲を予想して、各家屋の屋根や物陰に分身たちが身を潜めていた。入り口の扉はどのような力が加わったのか完全に壊れて変形していた。敵が来ても扉で防ぐことはできそうになかった。
 緊張感ただようひと時が流れたが、間もなくコリンとその分身たちが姿を現した。どうやら誰も欠けずに戻ってこられたようだった。
「コリン、ご苦労だった」
 ウレンがコリンに駆け寄った。
「やっぱりあなたは殺しても死なないの。しぶといの」
 タミンとツグミも嬉しそうに駆け寄った。
「誰かが白い人間たちの後方から、援護射撃をしてくれたんで助かった。それじゃなきゃ今頃、泥沼に足を踏み入れていただろうな」
 コリンが不満そうな表情をしてツグミに視線を向けた。
「無事で良かったわ」
 ツグミが柔らかい笑顔を向けた。コリンがその笑みに叩きつけるように思念を送った。
「いいか、これだけは覚えておけよ。今、俺たちの司令官はお前だ。でもな、こいつらはどうか知らないが、俺は味方の命よりも敵の命を優先する奴を信用できない。そんな奴の命令は聞けない。いいな」
「コリン、やめなさい」
「またひどいことを言っているの。ツグミちゃんだって考えがあるの」
 ツグミはうつむいて黙り込んだ。何を言っていいのか分からなかった。コリンの言うことの方が正しい気もするが、かといって自分の判断がまったく間違っているかというとそうも思えない。自分ではっきりとした答えが出せていない以上、今、ここで答えようがなかった。
「なんだよ、けっきょく俺が悪者かよ。いつもいつもなんでもかんでも俺が悪いんだな。分かったよ。もう言わねえよ。何も言わずに命令聞いて、大人しく死んでいきゃいいんだろ」
「そういうことを言っているわけではない。本当に君はすぐにへそを曲げる。嘆かわしい」
「すぐにすねるのはやめるの。みんなで協力して、力を合わせてこの状況を乗り切るの」
 三匹ともに思念の中に不快感をただよわせていた。
「コリンは悪くないわ。悪いのはあたし。あたしがちゃんと決めることができないからみんなに嫌な思いをさせてしまうの。あたしは頭が悪いし、常識がないからちゃんと正しく判断することができないの。あたしが司令官になるなんてお門違いもはなはだしいわ。あたしなんかが口を出せばみんなが不快になるだけよ」
 ツグミはうつむいたままだった。ああ、まただ。またあたしは人を不快にさせている。
 タミンがするすると足元から肩まで上ってきた。そして優しくツグミの髪をなではじめた。
「大丈夫なの。みんなで助けるの。だから安心するの」
 ウレンも反対側の肩にするすると上った。
「我々はお方様の感情から生まれました。お方様の気持ちを鼓舞するはずの存在でした。ですが、お方様は塔の中に閉じこもってしまわれた。我々は塔の中に入れない。だから我々は存在する意味を失ってしまったのです。我々はこの十年間ただ数を増やすだけ、存在するだけだったのです。でも我々はあなたに出会った。あなたを助けることがお方様のためにもなる、なぜかそう思われて仕方ないのです。我々はあなたに出会って、この世にいる意義を再び取り戻すことができたのです。あなたとは今日あったばかりです。でも、ずっとあなたのような方と出会うこと待ち望んでいたのです。だから安心してください。私はあなたをお守りいたします。この命を懸けて」
 ありがとう、とツグミは両肩につぶやいた。両肩に乗ったコガレたちは、ほらあなたも、というような視線でコリンを見下ろした。
「俺だってお前を助けたいと思っている。思っているから、間違っていると思った時は隠さず言うし、おま・・ツグミのためにならないと思った時は遠慮なく言う。それでいいな」 
 うん、ありがとう、ツグミは足元に向かってつぶやいた。
「さあ、これからいかがいたしましょう。侵入してくる敵をここで待ち受けて迎撃しましょうか。もしくは選ばれし方様たちと合流して、隠し通路を通って直接、白い塔に向かいましょうか。ここで敵を迎え撃てば、向後、襲撃される可能性が少なくなるメリットはあります。しかし多少の犠牲は覚悟せねばなりません。また、選ばれし方様と合流して隠し通路から逃走する場合は、白い人間たちがこちらに向かっているならば、背後から襲撃される可能性がありますので、極力迅速に行動する必要があります」
「犠牲が出ない方がいいわ」
「分かりました。では選ばれし方様たちと合流しましょう。みんな、これからE地区に戻る。周囲への警戒をおこたらず、速やかに移動する。では、出発」
 コガレたちは移動を始めた。彼らの足は速い。音もなく流れるように移動する。ツグミはついて行くだけで精一杯だった。
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