深層の中(11)

文字数 4,338文字

 ルイス・バーネットはいったん山崎リサの自我を出て、その魂の核に移動した。茫漠とした乳白色の世界。何の音もしない。空気の流れもない。ただの穏やかで静かな世界。
 自分の霊力の残量が心もとなかったので中継地点を設けたが、自身の状態から、どうやらこのまま本部まで帰っても大丈夫そうだと判断し、彼はすぐに本部に戻ろうとした。
 しかしふと、何かの気配を感じた。彼のよく知っている気配だった。それはこの魂の中、どこか遠くにあるような気がした。
 彼は捜した。自分の感覚だけを頼りに、さまようように。そして見つけた。
「久しぶりだね、アザミ」
 唐突に背後から声が聞こえた。とっさに振り返ったナミの視線のすぐ先にルイス・バーネットが立っていた。
「とても気が落ち込んでいる様子だったから、そっとしておこうかとも思ったんだけど・・・」
 ナミは身体を反転させると同時に左手のひらで相手の横っ面を力の限りに打った。一瞬、乾いた高い音が辺りを震わせた。
「久しぶりに会ったのに、とんだご挨拶・・・」
 強制的に横向きにされた顔を再びナミの方へ向けると、目の前にナミの左の拳が見えた。ルイス・バーネットは瞬時に頭を動かしてその攻撃を避けた。拳は彼の頬を少しかすって通過した。
「いきなりグーパンチかよ」
 相手のそういう言葉を無視してナミが言った。
「あなたは凪瀬タカシ、私の契約者に何てことしてくれたのよ」
 ナミは正面からジッと睨みつけていた。ルイス・バーネットはその視線にひるまずに応じた。
「君の方こそ、僕の担当する人間と、守護霊である僕の了解も得ずに何勝手に契約してるんだ」
「人間との契約に守護霊の許可が必要だなんて初耳だわ。いつからそんな決まりができたのよ」
「決まりなんてないけど、僕と君との間で一言の相談もないなんて、水臭いにもほどがあるじゃないか」
「何言ってんのよ。あなたと私の関係なんて、ただの幼馴染なだけ。それ以外にはストーカーとその被害者っていう関係だけでしょ」
「ストーカーだって?誰が?僕が?いつそんなことした?」
「いつもよ。あなたずーっと私につきまとってたじゃない。ほら今も」
「心外なことこの上ないね。別につきまとってたわけじゃないだろ。ただ単に僕たちは仲が良いから一緒にいたってだけだろ」
「誰と誰が仲良しだって?それこそ心外なこと極まりないわ」
「何を言っているんだよ、アザミ」
「生前の名前の使用は禁止されているでしょ。通称で呼んで」
「大丈夫、本名を使用したからって支障はないよ。ただ単に生前の記憶を思い出して鬱になって霊力が下がってしまうかもしれない、と心配されて禁止になっているだけさ。君は鬱になんて絶対ならないタイプだから心配ないよ」
「何分かったような口利いてんのよ。あなたに私の何が分かるって言うの」
「君のことなら分からないことを捜す方が大変だよ」
「あなたのそういうところが無性にイラッとするのよ。お願いだからもう私につきまとわないで」
「はいはい、分かったよ。そんなことより君は凪瀬タカシとの契約を解消したみたいじゃないか」
「よく言うわね。全部あなたのせいでしょ。あんなに強くつながっていた二人の絆を断ってしまうなんて、あんな酷いこと、よくできたわよね」
「僕も心が痛んだよ。でも君のためなんだ。仕方がなかったんだよ」
「私のため?私がいつそんなこと頼んだのかしら」
「頼まれていないよ。でも君のためだったんだ」
「勝手なこと言わないで」
「考えてもみなよ。凪瀬タカシとの契約は、山崎リサの分裂した自我を魂の核に再融合させて初めて成立する。死ぬと決まっている山崎リサの運命にあらがって、言うなれば蘇生させて初めて成立するんだ。そんなこと今までなかったことだ。前例のないことだ。できるはずがない。まず失敗してしまうだろう。失敗してしまえば、君の評価は著しく低下してしまうことだろう。それでもいいのか」
「あなたバカなの?前例がない、なんて何かをしないため、何かをさせないための一番稚拙な言い訳よ。前例なんてものは作るためにあるのよ」
「君が何も考えずに契約するとは思えないが、確実な勝算があるようにも思えない。何を根拠に君は契約しようとしたんだ」
「買いかぶらないで。ただの勘よ。何かあの二人なら私たちが考えもつかないような前例を作ってくれそうな気がしたの。ただ、それだけ」
「それだけ?・・・君の言っていることがよく分からない。君はそんな不確かな理由を基に行動するほど浅はかではないはずだ。何か他に理由があるんだろう?もちろん予定外の契約を得られれば、大量のポイントを獲得できるだろう。でも結果的に契約不履行ということになれば、今まで身を粉にして必死に貯めてきたポイントの多くを失うことになるんだぞ。それでもいいのか。そうならないように、今のうちに契約自体なかったことにした方がいいんだよ。君なら分かるだろう」
「・・・分かっているわよ。でも大丈夫。きっと大丈夫よ」
「何が大丈夫なんだ?」
「きっとあたしは再度、凪瀬タカシと契約を結ぶことになるわ」
「・・・何をバカなことを。僕の言霊の縛りを人間ごときが解除できるわけがないだろう」
「そうよ、その縛りが厄介なのよ。・・・でも、ええ、そうよ、あの二人ならどうにかしてくれそうな気がするわ。どうにかなるんじゃないか、そんな気がするのよ。そもそもあなたはいつもそうやって人の意思を無視して適当なこと言って縛りつけて、それでいいと思っているの?人の最期くらい納得して終わらせてあげようとか思わないの」
「アザミも分かっているんだろ。誰にとっても死を受け入れるのは苦痛でしかない。自分の意識は確かに存在しているのに、死んでいることを受け入れなければならない。最期の最後に苦しみを与えて消滅させることに何の意味がある。どうせ消えてしまうなら苦しませずに消してやった方がいいだろ」
「あたしはどんなに悲しくても、どんなにつらくても、それを受け止めて、受け入れて、納得して死んで行きたいわ」
「君はいつもそうやって理想ばかりを口にする。そして一番厄介なのは、君がその理想を周囲を巻き込んで実現しようとすることだよ。・・・とはいえ君の言い分は分かったよ。それをどうこう言うのはやめよう。でも一つ忠告しておくよ。今回の事は無理なんだ。僕の言霊を破るには言霊を上書きするしかない。まったく新しい言霊か、否定の言霊を僕が発しない限り縛りが解けることは決してない。そして僕は君のために絶対にそれはしない。君の希望的観測はどうあっても実現することはない。君の期待は淡雪が溶けるようにはかなく消え去っていくんだ。どうあがこうと無理なんだ。それだけは確実なんだ・・・」
 ナミはそう言われて、無表情を装っていたものの、内心、不安にじわりじわりとさいなまれはじめていた。

「タカシ様、ようやく会えました。良かった、本当にご無事で良かった」
 ツグミはほっとして全身から蒸発するように力が抜けていく気がした。そして実際に、ひざが無意識のうちに折れていき、タカシの目の前に両ひざを着いた。
 ノスリが言っていたけど、本当に何かの抜け殻のようね。目の前の男からは生きるための気力の欠片も感じられなかった。ただ座った状態で壁にもたれかかり、時折うめくことで、かろうじて生きていることが分かる、そんな有り様だった。
「タカシ様、大丈夫ですか?どこかケガをされてますか?動けるなら移動します。ここは危険です。この牢獄の入り口に救急車両を待機させてます。そこまでどうにか移動してほしいのですが・・・」
 タカシに動く気配はなかった。こちらの言うことが聞こえないのかしら?ツグミはそう思って少し声量を上げてみた。
「タカシ様、すぐにお方様の所に行きましょう」
 タカシの身体が少し動いた。わずかながらでも反応があったので、ツグミは尚もつづけた。
「お方様が今、大変なことになっているんです。タカシ様がお方様の所に行けば、お方様は助かるってお方様が言ってたんです。それにイカルを目覚めさせるためにもタカシ様にお方様の所に行ってもらわないといけないんです。イカルとお方様を助けるために、お願いします」
 タカシの身体が小刻みに震えはじめた。
「お方様とあたし、お話したんです。お方様はタカシ様に会いたがっていました。本当に会いたがっていました。お方様は待っています。だから、だから会いにいってあげてください」
 ツグミはタカシの反応を祈るような気持ちで待った。愛する人のもとに向かうために立ち上がってくれる、その時を期待を込めて待っていた。
 タカシのうめき声が大きくなった。両手で頭を抱えて横に振りはじめた。
 お方様、お方様、うるさいな。その名前を出すなよ。頭が割れるように痛む。気分が悪くなる。自分が急いでしなければいけない大切な何かを忘れている気がして妙に胸騒ぎがする。タカシは目の前の少女に対して無性にイラついた。だから急に視線を少女に向けて言い放った。
「いい加減にしろ!俺はもうリサとは関係ないんだ。今までがどうにかしていたんだ。だから俺に期待するなよ。君の彼氏のことは気の毒だとは思うけど、俺に命がけで彼のことを助けろって言うのは無茶だろ。必死に頑張っても助かるかどうかも分からないんだろう。そんなことにまだ会って間もない俺を巻き込むのはやめてくれ。俺は俺のいるべき場所に帰るんだ。俺の人生を生きるんだよ」
 タカシの思わぬ言葉に声が出なかった。本当にどうしてしまったの?タカシ様しっかりして、かろうじて目でそう語り掛けた。
「そもそも君たちはリサが頭の中で作り出したもの。ただの幻想だ。君たちは生きていない。ただの想像の産物だ。もちろんリサが死んだら、君たちも消える。君たちどころかこの世界自体が消滅してしまう。ある日、突然、何の前触れもなく消えてなくなるんだ。どんなにあがいても止められない。いつか必ず無になる。何も残らない。君たちの生きた形跡は欠片さえ残らない。だから、もう、あきらめろ。何をしても無駄だ。無意味だ。君たちの命に意味なんてない・・・」
 俺は何を言っているんだ?やめろ、そんなこと言うつもりはない。そんなこと思ってない。タカシは自分の口からあふれ出てくる言葉にとまどった。頭で考えている言葉じゃない。思っている言葉でもない。胸にぽっかり空いた空洞、その奥底の暗闇から吹きすさぶ、ただの風の音だった。タカシは頭を抱えたくなった。俺はおかしくなっちまった・・・。もう自分で自分が分からない・・・
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み