秘匿の中(7)

文字数 4,279文字

 二人の賢人と近衛委員長は、塔三階のエレベーター乗降口に到着した。
「では下の階に委員たちが待っております。彼らがご自宅までお送りいたします。手続きが済みますまでご自宅で待機していてください。外出は基本的に認められませんので、悪しからずご了承ください」
 四の賢人が言い終わるとほぼ同時にエレベーターが下降をはじめた。このエレベーターには正面の扉がない。だから少し下りた所で一の賢人が見上げると、四の賢人が自分を見下ろしている姿が見えた。ニヤリと笑っていた。一の賢人は思わず目を閉じた。
 すぐにエレベーターは二階に到着した。外に出るにはここでいったん降りて更に階段を下りなければならない。一の賢人は目を開いた。
 そこには近衛委員がずらりと並んでいた。その手には銃が握られている。
 この国で一番出回っている銃はHKIー500である。治安部の兵士や情報委員などの公的に銃を使用する立場の者は、全員HKI―500を使用していた。しかし近衛委員だけは別の銃をあてがわれていた。
 その銃は拳銃を一回り大きくして銃身をやや長くした形をしていた。HKI―500は元々ケガレ対策として開発されたものであり、ケガレに対抗するためにエネルギー弾を発射するが、近衛委員の使用する銃は細長い針を発射する。その針弾は中心が細い管になっていたのでちょうど太い注射針のような弾だった。
 近衛委員は主に首脳部の賢人たちを護衛する。そして白い塔の内部の警備を受け持っている。
 白い塔ではHKIー500は使用出来ない。塔を傷つけないという意味もあったが、より実際的な理由として、破裂する銃弾の使用は適さなかった。
 この都市全体に供給するエネルギーは発光石の塊である塔から抽出されていた。そして塔の二階に大量に貯蔵していた。これはこの都市のエネルギーを一番消費するのがブレーンであることが理由であったが塔の外に貯蔵するより塔内部の方が安全性が高いという理由もあった。そういった訳で、ブレーンの心臓部である塔の三階と都市全体のエネルギー貯蔵庫である二階は膨大なエネルギーに満たされ、精密機械で埋め尽くされていた。
 そんな場所でエネルギー弾など使用してしまったら破裂が誘発されて塔自体はおろかこの都市全体が崩壊しかねなかった。それがため近衛委員は破裂しない銃弾を使用することになっていた。
 また小さな銃弾では精密機械やエネルギー貯蔵庫の壁を貫通してしまう恐れがあったが、彼らの使用する弾はその可能性は低かった。それに何よりこの弾は相手の動きを抑制する。人の身体に刺さると線として身体に残るので敵の動きを抑制出来る。またその管の先からは血を外に排出させる効果もあった。
 そんな銃弾を発する銃口がいくつも自分の方に向いている。これは尋常ではなかった。すでに実質、その地位から転がり落ちているとはいえ、この世界の最高権力者だった者に対して考えられない待遇だ。まるで反逆者に対するよう。
「私は逃げはしない。銃は必要ない」
 一の賢人はそう言って一歩前に出た。自分の前にいる委員がさっと身体を横にずらして道を譲る、と思った。しかし委員たちは誰一人として動かなかった。一の賢人の鼓動が瞬間的に速くなった。まさか、と思った。しかし目の前に広がる場景から感じられる雰囲気は不穏以外の何ものでもない。ここで処分するつもりか、人知れずこんな所で、そう思った瞬間、一の賢人は身を翻して左側に走り出した。この階の機械類の開発すべてに何らかの形で関わっていたのだ。その配置も全部頭に入っている。複雑に入り組んだ機械類の群れを目指して走った。委員たちは特に慌てなかった。一の賢人が武器を持っていないことは端から知っていたし、完全にこの階の出入り口は封鎖してある。どうあっても逃げられる可能性はない。ただ面倒な仕事の手間が増えただけ、と不快に思っただけだった。
 委員たちは散開して追い掛けた。その間に四の賢人と近衛委員長がエレベーターで降りてきた。委員たちは、一の賢人の姿を捜す手間を省くために、その姿を見失わないように、と思ったが、それはただの杞憂に終わった。一の賢人はエレベーターの背後にあるエネルギー貯蔵タンクから伸びるコードの一つに躓いた。その拍子にコードが、繋がっている機械から抜けて、空中をのたうち回るようにその先の端子を激しく振り回した。
 手を着いて四つん這いになった一の賢人は思わず、あっと叫んだ。自分の頭上からコードの端子が、その先から電流をほとばしらせながら落ちてきていた。逃げようがない。猛烈な速さで落ちてくる。そして一瞬にして意識が消えた・・・
 委員たちは絶命しただろう一の賢人の周囲に集まった。あまりに惨めな死に方だった。惨め過ぎて哀れに感じられて誰一人声を出すことが出来なかった。
「バカな死に方をしたものだ。ブレーンに歯向かった報いだな」
 委員たちの背後で四の賢人の声がした。委員たちは道を空けた。
 四の賢人は前に進み出て、すでに動かなくなった一の賢人の姿を見下ろした。
 一の賢人は彼が賢人になる前から、すでに高名でこの世界の中心だった。知識、名声、人格、何をとっても比類なき賢人と呼ぶに相応しい人物だった。
 自分もかつて憧れていた。一の賢人のようになりたい、そう思って賢人になって、その後ろ姿を追った。しかしいつしか一の賢人の中に自分にないものを見出した。それは人の魅力とでも言うものだろうか。どんなに努力して、一の賢人に認められても、周囲の人たちはそれを正当に認めていない気がした。常に一の賢人の評価が上だった。理不尽に感じられた。いつまでも一の賢人に近づけない。いつしか一の賢人は彼にとって越えられない壁でしかなくなった。
「この都市の最高権力者も死に様は惨めなものですね」
 四の賢人の背後で委員長が言った。彼はこれまで常に一の賢人に付き添い、従ってきた。それが一番の身の保全になると思ったから。でも四の賢人に話を持ち掛けられ、この国の最高権力の在所が遷り変る可能性を感じると、すぐに四の賢人に従うことを決めた。そういう男だった。
 四の賢人はふと我に返って身震いした。冷気が身体の芯まで達していた。
 この部屋は機械類の熱暴走を防ぐために過度なほどに冷却されていた。ここなら死体が腐ることもないだろう、と思われた。
「その死体を処理しておけ」委員長が背後にいる委員に向かって指示を出した。
「待て。死体はそのままにしておけ。我々が処理してしまうと、いらぬ疑いを掛けられるかもしれん。他の委員に処理させよう。そのコードが抜けたことで何処か配電に不具合が出てくるだろう。それにより総務委員あたりが原因を捜し回って、すぐにこの塔に辿り着くだろうから、その時、まったく知らぬ態でここまで案内してやればいい。あくまで事故として処理させるのだ」
 四の賢人は頭の回転が早く、細部にまでよく気がつく。そう、委員長は思いながら、気の許せない相手に、少し息苦しさを感じた。しかしそれも自分の保身のためなのだ。些末なことにはかかずらってはいられない。
「とりあえず、これからどうするべきか、ブレーンの指示を仰いでくる」
 四の賢人は、様々な感情が湧いて渦巻いている胸中を持て余すように、足早にその場を立ち去った。

 イカルは隠し通路を抜けてB地区に辿り着いた。
 彼は今、B4区画の南端、今日の未明にセキレイたちと遭遇した高台広場にいた。そこから北方向に移動しながら様子を見て回った。
 B地区にはあらゆる所に監視カメラが設置されている。防犯のためという名目で、その実、住民の監視という意味合いが強いカメラだった。そのカメラは治安本部の管轄だったので、その映像を本部のモニターで確認することが出来る。通常は、各委員には各個提供されることはなかったが、正当な理由で申請すればその映像を共有することが出来た。だからもし自分の姿が映されれば委員たちに居場所を知られることになるかもしれない。
 イカルは自分の姿がカメラの視界に入らないように暗がりを通り、カメラの向いていない方向を選んで移動した。
 イカルの班は基本的に宮殿周辺の警備に当たっていたので、あまりB地区に赴くことはなかった。ただ監視カメラの設置や修理も治安部隊の管理する事柄だったので、人手の足りない時に、たまに駆り出されることがあった。だからだいたい何処にどの向きのカメラが設置されているのか、見当がついた。それにもし姿を撮影されたとしても視認されないように暗がり以外はごく短時間で移動するように心掛けていた。
 非常事態宣言が発令されているためであろう、街の中はシンと静まり返っていた。その静寂を打ち破るように委員たちの走る足音や話し声が辺りにこだましていた。
“情報委員だな”イカルは彼らの胸に着いた小さなマークを見て思った。
 各委員会は、他と識別するために制服の胸部分に印を付けていた。例えば保育委員は自分たちの主な勤務地である保育塔を模した卵型のマークを付けていたし、司法委員は天秤のマークを同じく胸に付けていた。唯一、マークを付けていないのが近衛委員だったが、委員の中でも最高位に位置づけられる彼らはマークがないのがマークと見なされていた。
 情報委員のマークは横にギザギザに走る線だった。それは“電”を表していた。“電”波などの情報を管理し、“電”流のように速やかに仕事を片付けるという意味合いらしかった。
 そんなギザギザマークを胸に付けた委員のひとりが通信器で誰かと連絡を取っていた。イカルは物陰に隠れながらなんとかその内容が聞こえないか近づいてみた。
「B4区画はすべて捜索し終わりました。残りはB5区画です」

 そう報告を受けた情報委員長はただ静かに、分かった、捜索を続けよ、と返答した。
 委員長は見た目、特に変化がなく冷静そうに見えた。しかしその実、その胸中は煮えくり返るように怒りに沸き立っていた。稚拙な策に乗せられて、まんまと逃げられた。この私が。何という失態。何という屈辱。しかし逃がしはしない。B5地区をしらみつぶしに捜索したら後はE地区だけだ。それ以外の地区に行く通路には完璧に監視の目を光らせている。気づかれずに抜け出されることはまずない。そしてE地区はB5区画との出入り口さえ固めてしまえば袋小路と同じく、他に行き場はない。焦らずジワリジワリと追い込んでいけばいい・・・
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