超克の中(13)

文字数 4,578文字

 一の賢人はらせん状の通路を下の階に降りていった。その胸中には、いろんな感情が複雑に渦巻いていた。
 今までは、ほぼすべてが自分の思い通りになっていた。何不自由なく暮らすことができていたし、住民もそんな生活ができるように首脳部で知恵を出し合って、この都市のシステムを構築したはずだった。人々からの羨望と称賛と尊敬の視線を常に浴びていた。
 しかし今、この世界の未来は自分たちの手から離れてしまった。幼い女性兵士が一人でやってきて、この世界の未来を、彼らの手から奪い去ってしまった。
 腹立たしさがないわけではなかった。今まで自分たちが、智慧の限りを尽くして作り上げてきたシステムも、彼らの存在も、すべて無視して未来へと駆け抜けていこうとする。今まで、自分たちがしてきたことのすべてを否定されたような気さえする。しかしその反面、おそらく自分たちでは不可能だろう、ケガレに侵略されている現状を打破する、その場景を見ることができるのかもしれない、というおぼろげな期待も胸の内に、かすかに存在していた。
 いったいこれからこの世界はどうなるのだろうか。あのコたちは、これからどのようにしてこの世界を救うのだろうか。彼女たちの手によってどんな未来が目の前に開けるのか、それを確かめたい気持ちもはっきりとあった。自分たちが作り上げたこの都市、この世界。これからどうなろうとも最後までしっかりと見届ける、そんな責務がある気もしていた。
 とにかく今、自分たちができることはないのかもしれない。何かをすることが、逆に彼女たちの邪魔になってしまいそうな気さえする。それならしっかりと見届けよう、自分たちが作り上げた世界がどう変貌していくのかを、しっかりと確かめながら。
 一の賢人は通路を降り、マザーコンピューターのデータ蓄積室であり、膨大なデータを計算処理する機器が立ち並ぶ、冷え切った広い部屋の中で立ち止まった。視線の先には四の賢人が、ブラックボックスのかたわらで、必死の形相で操作していた。
「四の賢人、いやヨウム博士」
 四の賢人は作業に夢中で、一の賢人が近づいてきたことに気づいていなかった。だからとっさに振り返って驚きの声を上げた。
「は、は、ハシマギ博士」
 あわてていた。自分は間接的にではあるが、目の前に立っている男を死に追いやってしまいそうになった。実際に絶命したと思っていた。結果的には一命を取り止めたが、自分が、攻撃する意思を持って襲撃したことは、相手にもはっきりと分かっていることだろう。だから、きっと復讐に来たのだと思った。自分の正義を貫くためとはいえ、人の命を奪いかけた自分に、制裁を加えるためにやってきたのだと四の賢人は思った。
「申し訳ない。我々が作り上げた人工知能は破壊されてしまった。ブレーンの意思は消滅してしまった。ここに蓄積されたデータは大丈夫かな」
 一の賢人の口から発せられた予想外な言葉に、四の賢人は少しの間、呆気にとられていた。
「ええ、データはほぼ完全な状態で保存されていますし、取り出すことも可能です。それに回路もほぼ無傷なので、意思さえ与えてやれば、可動に支障はありません」
「それは不幸中の幸いだ。今までのデータが消えていたら、住民の混乱に拍車を掛けてしまうところだった。とにかくこの塔を包んでいるケガレが駆除できたら、すぐに修復に取り掛かろう。住民の生活は待ってはくれないからな。市井の人々は、少しずつでも改善しているところを見せないと、すぐに不満を募らせるものだ。今までも忙しかったが、これからはさらに忙しくなるぞ」
 四の賢人の胸中には、いたたまれない思いが込み上げていた。もう我慢しきれなくなっていた。だからその思いを声に出した。
「ハシマギ博士、私はけっしてあなたを殺そうとしたわけじゃないんです。私はあの時、委員たちに発砲を禁止していた。ただ、あなたに目を覚ましてほしかっただけなんです。あなたは、確かに最高レベルに有能な科学者だ。人格的にも非の打ちどころのないすばらしい方だ。しかし・・・。そんなあなたを、私は、死の淵に、追いやった。あなたはそれを責めようとはしないのですか。あなたの思考の所在が分からない。あなたが何をもって私に罰を与えようとしているのか、私には分からない」
 四の賢人は、それまで怯えたように一の賢人に視線を向けず、身体も向けていなかったが、観念したように正対して、じっと一の賢人を見つめた。
「もちろん、君の行ったことに関しては、事が落ち着いたら告発して、しかるべき場所で裁いてもらうつもりだ。ただ、今はその時ではないようだ。・・・今、若い者たちがこの世界をケガレから救うべく立ち上がり行動している。この世界に新しい息吹が強く吹きつけている。今となっては、我々は、その吹きつける変化を見守るしかないのではないか。そして変化がこの世界の新しい形となりはじめたら、我々の力をみんなが必要とするだろう。それを待とうではないか」
「ブレーンの意思がなくなって、どうやって国民を導くのですか。愚かな住民どもを、どうやって思慮深い智慧の恩恵のもと、何不自由なく生活させてやることができるのですか」
「そうだな。人間という生き物は基本、愚かな生き物だ。だから私たちはブレーンに頼った。頼りすぎて、すべての責任を押しつけてしまったのかもしれない。ブレーンには本当に悪いことをした。しかし、今は、私たちが住民を導いてやる必要もないのかもしれない。若い者たちが必死に自分たちでどうにかしようともがいているのだ。もしかしたら、彼らは地上へ移住することを望んでいるのかもしれない。その望みが叶うかどうかは分からない。あとはお方様の意志次第だろう。選ばれし方を得たお方様の」
「地上に移住するですって?そんなこと・・・」
「できるかできないか、するかしないかは若者たち次第だろう。ただ現状、私たちはだたのモグラと同じだ。もし果実を得ようとするなら地上に出なければならない。今がその時なのかもしれない。地上でも、愚かな人間はブレーンに頼るようになるだろう。また首脳部のみんなでシステムの構築をしていこう。そしてその陣頭指揮は君にお願いしたい。君にしかできないことだ」
「ハシマギ博士・・・まだ私を信用しているんですか。それは、とても、人がよい、よすぎですよ」
「もちろん、私は君を信用なんてしていない。何せ殺されかけたのだからね。しかし君の功績が大きすぎて、今、君をのぞくことなんて考えられない」
 四の賢人は言葉に詰まっていた。
「私や二の賢人ももう歳だ。我々もそろそろ引退を考えないといけないだろう。その後、この世界をどうするのか、君たちには、しっかりと考えてもらわないといけない。その道筋をしっかりと住民に示すことができるのならば、今回のことなどさほど大したことではない」
 四の賢人は自らの足元に視線を落とした。そして自分がやってきたことに対する後悔の念にさいなまれた。
「ハシマギ博士、浅はかな私の考えで、博士には大変ひどいことをしてしまいました。何と言ってお詫びすればいいのでしょう。どうすれば贖罪になるのでしょうか」
「ヨウム博士、それはまた今度ゆっくり話をしよう。とりあえずこの塔はケガレに包囲されている。今すぐに退去しなさい」
 四の賢人はふと顔を上げて一の賢人を見た。
「ハシマギ博士はどうされるのですか」
「私はお方様がこの場から離れられない限り、ここに残らねばならない」
 その目には覚悟の色が濃く見て取れた。四の賢人もその目を同じ色に染めながら言った。
「私も、この状況でブレーンから離れるわけにいきません。ここに残ります」
 一の賢人は微笑んだ。四の賢人は自分の信じるものに固執する向きがある。そのためには度を超えて頑固になる。もう何を言っても聞きはしないだろう。
「分かった。我々はここで今、できることをしよう」
「そうですね」
 二人ともに珍しく意見が一致したと思った。そして自分たちには、お互いにゆっくりと話す機会が、あまりにも足りなかったのだと気がついた。お互いに多忙を極めていたこともあったが、自分の意見をあまり聞き入れない相手と話すことに抵抗を感じて、話し合いが必要だとは思っていたが、知らず知らずのうちに相手を避けていたのだ。
 この場を生き抜くことができれば、これからはもっとうまくいく。二人ともそう感じていた。

 ツグミは出口に向かって来た道を逆行しながら、タカシ奪還の方法を考えた。 
“イカルならしっかりと道筋を立ててから行動するわ。しっかり考えなさい。普段使っていないんだから、たっぷり休ませてあげてたんだから、たまには役に立ってよね、あたしの頭”
 タカシは深層牢獄に閉じ込められている。そこは今、ツグミがいる場所より更に地下深くにある。そこに行くにはエレベーターを使用するしかない。でも、ケガレの出現している現状、エレベーターも停まっているだろう。おまけにブレーンを破壊してしまってもいたので、動かす術はまったくない。そもそもツグミ一人では、エレベーターは反応してくれないかもしれないし、反応しても途中で停まってしまうかもしれない。なら他の方法で行くしかない。人力で行くのは先ず無理だろう。そんな生易しい深さではない、と聞いている。なら方法は一つ。救急車両ならどこにでも行けるはず。でも救急車両の運転は救急隊員に限られている。その資格を持っていなければ車両は動き出さない。
 ツグミは必死に記憶をたどった。救急隊員に知り合いがいないかどうか。いるはずがなかった。元から友達もしくは知り合いが少ないのだ。知り合う機会を自分から拒絶してきたのだ。
 ツグミは苦渋の表情を浮かべた。
 こうなったら走っている救急車両に飛び乗って、運転している救急隊員を脅して言うことを聞かせる以外にない。説得する時間などない、そうする他ない、そう考えを巡らしている時、ふと思い出した。
“アビがいる”
 アビは、衛生兵用の研修を受けた時に、ついでに救急隊員の資格を取った、と言っていた気がする。確かに衛生兵で救急隊員の資格を持っている人は多いらしい。救急隊員だった人が治安部隊に転職して、衛生兵になったこともあったとかなかったとか。とにかくアビに協力してもらおう、そう結論づけた。
 アビの人好きのする笑顔が脳裏に浮かんだ。あのコのことは苦手。あたしより遥かにいいコだってことは分かっている。分かっているから余計に苦手。だけど選り好みはしていられない。何がなんでも協力してもらうの。どんな手を使ってでも。
 途中、ブレ―ンが破壊されたせいだろうか、らせん通路の下にあるガラス壁の扉は開放されたままだった。そこを抜けると、賢人たちの姿を見掛けた。仲良さげにしていたところを邪魔した形になったが、銃口に物を言わせてエレベーターの操作をお願いした。賢人たちは思いの外、すんなりと言うことを聞いてくれた。
 一階と二階には委員たちがまだいたが、委員長が逃げたせいか戦意はもう喪失しているようだった。それぞれの階で発光石を溶かして解き放ってやった。
 やがてツグミは、発光石の光を抜けて開けた外界に到達した。
 すぐそこには一つの集団が存在していた。それが兵士たちであることは明白だった。
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