廃墟の中(5)

文字数 4,043文字

 ナミは髪をかき上げて、左の耳を表に出した。真珠だろうか、白い装飾のピアスが耳たぶについている。ナミはそのピアスにふれてから、右の手のひらを上向きにして、自らの目の前に上げた。ピアスから出る声に耳を傾け、手のひらに映し出された画像を確認しているように見えた。
「分かった。すぐに行く」というナミの声に連なるようにアトリが声を上げた。
「その画像はどこから投影されているのですか?見たところ、何もそれらしきものがない。もしかして体内に埋め込まれているとか?」
 ナミはアトリの声には応えず、再びピアスに触れてから、タカシを見た。その目はまた以前の無機質な視線に戻っていた。
「また現実世界で人が死ぬ。私はすぐに行って送り霊としての仕事をしないといけない。あまりにも心配だから、あなたを連れて行きたいところだけど、これ以上あなたを他人の魂に紛れ込ませるわけにもいかない。だからここに置き去りにするしかない。あなたがおとなしく自分の魂に戻ればそれが一番なんだけど、そんなことあなたが聞くわけもないわね」
 自分の魂に戻れと言われても帰り道が分かりませんが、とタカシは思った。
 ナミは諦観に満ちた様子で言った。
「用が済んだらまたここに戻ってくるけど、くれぐれもそれまで死なないでね。いったん私がこの世界から出たら、もうあたしを呼ぶ術はない。私が戻ってくるのを待ってもらうしかないの。くれぐれも慎重に、頼むわよ」
 彼は少しの困惑と少しの寂寥感にさいなまれた。好むと好まざるとに関わらずナミは、この世界の唯一の指針となっていた。ともに行動する仲間意識も芽生えていた。それがいなくなる。いきなり初めての世界に一人難題を抱えてさまよわないといけなくなる。・・・しかし仕事なら仕方ない。快く送り出してあげるべきだと思った。
「俺のことは気にせず、安心して行ってくれ」
 彼はそう言いながら微笑みかけたが、ナミの視線は彼の後方に向けられていた。彼は後ろを振り返った。何もなかった。
「黒猫だ」
 ナミの言葉に、彼は再び振り返り、更に周囲を見渡した。しかし黒猫はおろか動くものの欠片も見出せない。
「私たちの周りを回っている。何か霊的な息づかいを感じる」
 再び周囲を見渡す。何もいない。
「いないよ。気のせいじゃないか?」
「近づいている。回りながら次第にその輪を縮めて近づいている」
「大丈夫だ。猫は猫だ。もし目の前に出てきても仲良くしておくから」
 ナミは彼の目に視線を向けた。
「分かったわ。もう行かなければならないから行くわ。くれぐれも用心してね」
 言うが早いかナミは静かに浮いて、すぐに消えた。飛んで行ったのか、瞬間的に移動したのか判別できなかったが、跡を濁さずその姿を消した。
 それまで黙って二人の話を聴いていたアトリが、えっ、と声を上げた。
「消えた。消えましたね。今、目の前で。どんなトリックですか?移動速度が異常に速い?瞬間移動?どういう作用でそんなことが?ふむ、興味深い」
 後半は自分に問いかけるようにつぶやいていた。
「そういえば、さっき他にも一人少年に会ったけど、君の知り合いだろうか?」
 そう言ってから、先ほど黒い円盤に襲われて絶命した少年の特徴をアトリに語った。
「それは僕の仲間です。彼は今どこに?」
「死んだ。黒い円盤に襲われて、苦しそうに死んでいった」
「そうですか・・・。彼は年下でしたが、優しくて、人を思いやれることができる男だったのに、残念です」
「そうか、残念だった。俺も助けようとしたけど間に合わなかった」
「それは仕方ありません。ケガレ相手には、それなりの武器を持って対抗しないとまったく歯が立ちません」
「ケガレ?あの黒い円盤のことかい?」
「はい。ただケガレは円盤型の時もあれば人型の場合もあります。その他にも四足歩行型だったという報告もあります」
「四足歩行する型には遭ってないけど、人型にはさっき遭ったよ。黒い服を着ていた。気持ちの悪い表情をして襲いかかってきたよ」
「人型に遭ったですって?それで襲われて、どうやって助かったんですか?なぜ逃げられたんですか?」
「いやナミが、さっき消えた女性が強くてね。相手に手のひらを差し出したら、その相手が渦を巻いて小さな丸い球になってしまうんだ。それでそのケガレ?円盤型も人型もほとんどを倒してくれたよ。ただ少しだけ俺も倒すことができた」
「どうやって?」
「いや、何をしたわけでもないんだ。相手が、人型のケガレが襲い掛かってきたけど、俺にふれる寸前で消滅した。何体も」
 アトリは口を大きく開けつつ、満面の笑みを彼に向けた。
「やっぱりあなたは選ばれし方様だ。あなたなら私たちを救うことができる。あなたならこの世界を、お方様を救うことができます」
 そんなことを言われても、タカシは、単にとまどうだけだった。
「どういうことだい?そもそもケガレって何なんだい?」
「ケガレとは、お方様の負の感情の塊です。お方様の気を枯れさせる存在だから気枯れ(けがれ)と呼ばれています。その力はあまりに強大で、お方様でも対抗できなかった。だからお方様はケガレの充満している地上を捨て、人々を連れて地下空間に逃れたのです」
「地下?リサは地下にいるのか?」
「ええ、私たちも地下からやってきました。あなたを捜すために」
 タカシは少年たちが持ってきて、おそらく貼ったのだろうポスターに記された文言を思い出した。
“地下世界で待っています”
「それなら今すぐ地下世界に連れて行ってくれ。案内してくれ」
「もちろんです。それが私たちの望みですから。ただ・・・」
「ただ?」
「地下に通ずる入り口は、過去に封鎖されてしまいました。それを今回、我々が新しく掘り直して、仲間と三人で地上に出てきたんです。でも、出てきた当初に円盤に襲われて、ばらばらに散らばって逃げたんです。私も地上にきたのは初めてですし、逃げるのに必死だったので、今、自分がどの辺りにいるのか、まったく分かりません。つまりどの方向にあるかも分からない地下への入り口を、今から捜さないといけないんです」
 アトリは申し訳なさそうに笑っていた。
 先ほどナミに腕を引かれて、空を飛びながら俯瞰したところ、この街は空中から全体を把握できないほど広くはないようだった。おおよその見当をつけていけば、それほど迷うことなく目的地にいけそうな気がした。
 とにかくジッとしていてもらちが明かない。アトリにおおよそどっちの方向から来たのか、目的地付近に目印になるような建物や地形などがないのか確認したところ、街の端にある高台の麓に入り口が隠されているとのことだった。それがどの方向の端なのかが問題だったが、アトリの話を総合すると、どうやら飛んできた方向を戻り、左側に進んで行くとたどり着けるようだった。
 彼らは早速、彼ら以外の人の息吹のすっかり消失している、ホコリの積もった街を歩きはじめた。おおよその見当で移動しているが、近くまで行ってシラミつぶしに道を捜せば着けるだろう。今までは暗中模索の感覚だったが、やっと指先に手掛かりの突起がふれた気がしていた。
 とりあえずいつケガレが襲来してくるか分からないので、周囲を警戒しつつ、大通りに出た。その瞬間、前方からこちらをうかがう視線を感じて、タカシはその方に視線を向けた。
「黒猫だ」
 彼の前方、大通りを挟んで建つビルの下、積み上がっている瓦礫の上に、すくっと四肢を伸ばし、長い尻尾を天空に向けてピンと伸ばしつつ立っている黒猫の姿があった。気のせいかその表情は柔らかく、少し微笑んでいるように見えた。
 彼は普通に猫が好きだが、今は遊んでいる状況ではない。しかしこの世界にきて初めて動物を目にしたことはひとえに吉兆と感じられた。だからその黒猫が瓦礫の上から降りて、彼に向かって道を横断してくるのを見て、素直に喜ばしく感じられた。
「あれは何ですか?黒い、ケガレかも」警戒心を乗せたアトリの声が聞こえた。
 この世界には猫がいないのだろうか?もしかしたら、この世界には動物という概念がないのだろうか。
「ケガレじゃないと思う。ただの猫だよ。猫を見たことがないのかい?」
「ええ、私がいた地下世界にはあんな生き物はいません。気味が悪いですね」
「地下には動物がいないのかい?」
「いえ、ミミズやオケラやモグラならいます」
 そっちの方が気味が悪いと思うけど、と思いながら、そうか、とだけタカシは言った。
 黒猫は悠然と歩を進めていた。鼻先をやや空に向け、気取った軽い足取りでリズミカルに、尻尾を細かく揺らせながら彼らの方へ向かってきていた。
 猫は人が近づいていくと、相手がよほど親しい場合をのぞき、基本的に逃げるものだろう。だから彼らは黒猫が近づくのを待っていた。
 黒猫は他に目もくれず、ただ彼に向かって歩みを進めた。しかし道を半分ほど渡った時、異変を察知した。とっさに身を屈めて横を向いた。そこには黒い円盤状の物体が三つばかり音もなく飛んできていた。思わず黒猫は舌打ちをした。
 黒猫の視線の先を見て、彼らも円盤の飛来を知った。タカシは瞬時に黒猫に向かって手を振りながら叫んだ。
「逃げろ!行けっ!」
 その円盤たちは彼を目掛けて飛んできていることが予想された。だから彼はアトリに、逃げろ、と声を掛けつつ黒猫とは逆の方向に走り、一番近くのビルの中に走り込んでいった。アトリがあわてて後を追った。
 黒猫はとっさにタカシを追おうとしたが、後から次々に円盤が飛んできて、そのいくつかが目の前で停止した。黒猫は更に身をかがめて臨戦態勢を見せた。するとその時、その首の下部分がほのかに白く光った。黒猫は今一度舌打ちをした。
 急に黒猫の身体が白く輝き出した。タカシもアトリも逃げることに必死で、そのことには気づかなかった。
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