廃墟の中(1)

文字数 3,351文字

 乾いた砂と小石の感触。所々に生えている、生命力が衰えて枯れかけている小さな草が指にふれる。
 彼は足元から視線を上げた。
 視界に入るもの、すべてが乾いていた。砂と岩が緩やかな起伏を作り出している。
 生命を育むつもりは微塵もなさそうな風景。時折、風が地をなで砂が舞い上がる。宙を舞う砂の上には全面に、何層にも渡って濃い灰色の雲を宿したやる気のなさそうな空が、陰鬱におおいかぶさっている。
 荒涼、という言葉がそのまま風景となって彼の目の前に広がっているかのようだった。
 彼は立ち上がった。
“この荒れ果てた場所が、リサの自我なのか”
 身体中にとまどいと緊張感が流れ込んできた。
 彼が抱くリサの印象とあまりに乖離した風景だった。もしかしたら間違って他の場所に連れてこられたんじゃないか?彼はそばにいるはずの女性の姿を捜した。
「何?」彼の真横にいた死神は、冷たい流し目で彼を見やりながら言った。
 その姿はいつの間に着替えたのか、先ほどまでのダークスーツではなく、いきなり黒いショートブーツとミリタリーパンツ、グレーのニットの上に、カーキ色の薄手モッズコートを羽織った出で立ちになっていた。そして明るい色合いの長い髪が背中を豊かにおおっていた。
「ここがリサの自我なのか?」
 彼はというと、この世界に入る時のままのジーンズとグレーの襟なしコットンシャツと黒いジャケット、それに白いウォーキングシューズのままだった。
「そうよ。かなり荒んだ世界ね。どうやらこの自我は、彼女の自我の中でも特に抑圧されて荒れ果ててしまったものみたいね」
 抑圧された自我・・・彼女は自分の何をそんなに抑圧してきたのだろう。察しがつくようなつかないような。
「あっちの方向に街があるわね」
 彼女が指さす方角を見ると、いくつかの岩の隆起の奥に小さな人工建造物の群れがたたずんでいた。
「おそらく、あそこに山崎リサはいるわね。とにかく彼女に会わないことには何もはじまらないわ。行くわよ」
 言うが早いか彼女は歩きはじめた。そこら辺中、小石だらけだったが、それを踏みしめる音も立てず、足跡も残さずに。
「すまないな」あわてて後を追いながら彼は言った。高い空に鳥が一羽飛んでいた。
「何が?」振り向きもせずに言う。
 彼らの頭上には、一点の小さな影があった。濃厚な灰色の雲の中にあって、ただ真っ黒い点として浮かんでいた。彼はそれが鳥だろうと思った。しかし動かない。べったりと空に貼りついているように見える、その鳥の影を見ながら彼は言った。
「俺のために手間を掛けているから。実際ここがどんなところか、これから何が起きるのか、何も分かっていないから、助かっている」
 じっと見ていても一向に動く気配がない。本当にあの影は鳥なのだろうか。
「私にもここがどんな世界なのか、これから何が起きるのか分からないわよ。自我なんて人それぞれだからね。それと私は別にあなたのために一緒に来たわけじゃないわ。ただ単に結んだ契約を守るためよ。それ以上でもそれ以下でもないわ」一向に振り向く様子もなく言う。
 彼女の歩く速度は速い。地面の起伏や石や枯れ枝などの障害物をまったく問題にせず同じ速度で進む、彼はかなりの速足でついていかなければならなかった。
「それと事前に言っておくけど、私はあなたばかりにかかずらっているわけにもいかないから。これからあなたたちと一緒にバスに乗っていた人達が次々に死んでいくわ。私はその人達の何人かを送らないといけないし、それ以外にも担当している人がいるわ。いつ呼び出されるか分からないの。あなたは私がいない間にくれぐれも死なないようにして。いいわね」
 感情のこもっていない声だったが、断固とした、反論異論は許さないといった口調だった。
 彼女の背中をじっと見た。歩調に合わせて少しく揺れているが、その服の中にさえ温もりが存在するのか疑いたくなる冷たさが見えた。その冷気にあらがわないといけない。今はただ彼女に頼るしかない。
「そういえば、君のことを何て呼べばいいんだ?」
 彼女はかすかに振り向いて、つぶやくように言った。
「呼ぶ必要はない。あなたが私に対していつ何を言いたいのか、私には明確に分かるから」
 あらがわないといけない。この事務的な会話は少し息がつまる。名前でもあだ名でも呼び掛ける名があれば、少しは改善するような気がする。
「そうかもしれないけど、それでは声が掛けづらい。あなたは仲間になんて呼ばれているんだ?」
 今度は歩みを止めてしっかりと振り向いた。そして、何でそんな非合理的なことを、無意味でしかないことをこの人は言うのかな、という目を彼に向けた。
「呼び名は、識別するためのもの。あなたはあたしを識別する必要はない。私は私。他に私はいない。でもあなたがどうしてもあたしを特定の名で呼びたいのなら、私は通常“七十三番”って呼ばれているから、そう呼んだら」
「七十三番?あなたは仲間に数字で呼ばれているのか?なんで七十三?」
 彼女は軽く一息吐いた。
「あたしたちのような魂を送る霊魂も、自ら望むか一定期間が経てば、他の魂と同じように別の命に入るの。だからその分、定期的に補充されるわ。この世界で新たに生じた霊の中で、あたしがその時期に、たまたま七十三番目に生じた霊だったから七十三と呼ばれているのよ」
 彼は、少し考える風な顔つきをした。
「じゃ七と三で、ナミにしよう。いいだろ」
 彼女は彼を見つつ、長いまつ毛で風が起こるくらいに、立て続けに激しく三度まばたきをした。
「勝手にすれば」
 ナミはそういうと前を向いてまた歩きはじめた。少し歩く速度が速くなった気がする。彼はあわてて後を追った。
 しばらくして、街がすぐそこまで近づいた頃、彼は一度大きく息を吐いて再び空を見上げた。鳥の影が大きくなっていた。いまだに動いてはいなかったが先ほどの倍以上の大きさになっていた。
 次第に、それが鳥ではないような気がしてきた。それははっきりとした黒色をしていた。影ではなくそれそのものの色が黒く見える。そして、そのしっかりとした色の割に形はぼやけていた。流動的に形を変えているように見えた。
 なんだろう、彼は歩き続けながらその影をジッと見ていた。
 すると何かが落ちてきた。丸い何かがその影から一つ二つと重力のままに落下してきた。
「伏せて!」
 突然、ナミが言った。彼は反射的にその声に従った。
 彼は伏せながらもその落下物を視線で追った。彼らと街のちょうど中間くらいの場所にそれは落ちて行くようだった。
 フリスビーくらいの大きさの丸いそれは、地上すれすれまで落下してほぼ直角に方向を急変させ、落下した速度そのままに街へと次々に飛んでいった。
「どうやら行ったみたいね」
 ひとに伏せろと言ったナミは、横で落ち着いた様子でたたずんでいた。
「あなたはいつ攻撃されるか分からないんだから気を抜かないで」
 そう言いながら、ナミはまた歩きはじめた。
「君は攻撃されることはないのか?」
 彼はまた、速足で後を追いながら訊いた。
「私たちは仕事柄、どこの誰の魂にもフリーパスで行き来できるの。こちらから敵対する姿勢を見せない限り、まず攻撃されることはないし、もし攻撃されても自分の身を守るくらいの能力は持ち合わせているわ」
「そうか。それは心強いね。俺には分からないことだらけだし、何か能力があるわけでもない。君に従うしかない。頼りにしている」
 彼はだいぶ目の前の死神の存在に慣れてきたようだった。つい思ったことを口にしていた。
「勘違いしないでよ。この件の主体はあくまであなた。私はサポート役でしかないのよ。すべては山崎リサとあなたの問題。どうしたいのか、どう動くのかは、あなたが決めるの。そうしないとおそらく何も解決しないわよ」
 確かにそうだ。これはリサと自分との問題だ。自分がどうありたいのか、どうしたいのか、ちゃんと決めないといけない。
「分かった。とにかくリサがどこにいるのか情報がほしい。街で人に訊いてみよう」
「そうね」
 二人がそんなことを話している間に、街に辿り着いた。
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