秘匿の中(14)

文字数 5,557文字

 情報委員長は、腕を組み、背筋を伸ばして立っていた。その姿勢のまま、次々にもたらされる報告を聴いていた。そのどれもが、かんばしくない報告だった。
 自分たちの背後から発砲してきた兵士は、逃げ場のないはずの高台で忽然と姿を消した。E地区に向かっていた仲間を襲撃した、女性兵士と正体不明な生物の集団もどこかに姿を消している。いずれも逃走したのかもしれないし、どこかに潜伏して自分たちが移動するのを待っているのかもしれない。敵の動きも位置もつかめない状況でどんなワナが待っているかもしれず、動くに動けない状況だった。だから後方で偵察を続けていた委員から、
「兵士たちの集団、約三十名がB4区画を移動中。間もなくそちらに向かいます」という報告を受けた時は、秘かに喜んだ。
 委員長は急ぎ、防犯カメラの映像から、近づいてくる兵士たちの所属や氏名や役職を特定した。その兵士たちの中で班長が三人いる。委員長は急ぎ治安部隊本部に連絡を取り、その三班が自分の指揮下に入るように指令を出させるべく依頼した。
 間もなくノスリの通信器に本部からの連絡が入った。
「首脳部指令。これよりノスリ班、エナガ班、イスカ班は情報委員長指揮下に入れ。B5区画に指令部を置く情報委員と合流し、その指令を受けよ」
 現在、治安部隊本部を占拠している八の賢人をはじめ委員たちは、本部占拠の混乱もあったので、まだ各班に通達や指令をするまでにいたっていなかった。またノスリたちが委員たちとは別に、イカルを捜索していることを知らなかったこともあり、現時点まで放置したままだった。だからノスリもエナガもイスカもまだモズが捕縛されたことも本部を占拠されたことも知らなかった。そこに突然、普段とは違う指令が、しかも委員の統制下に入る指令が入って、正直わけが分からない思いだった。ノスリは通信の内容をエナガとイスカに伝えた。
「どういうことだよ。首脳部指令なんて、しかも委員の指揮下に入るなんて。イカルの捜索はどうすんだ?」
 エナガに訊かれてもノスリは自分自身状況がつかめていなかったので、分からない、指令に従うしかない、と答えることしかできなかった。そのうち先発の班員から情報委員たちの指令部の在所を知らせる連絡が入った。彼らはそのままその指令部を目指して進んでいった。
 委員たちと合流すると、すぐにうながされて、三人の班長は委員長のもとに向かった。
 お互いに手短な挨拶を済ませると、そのまま委員長は本題に入った。
「これから君たちには反社会的行為に問われている四名の捜索及び捕縛に向かってもらう。四名のうち二名は、ともに氏名、認識番号不明の男女だ。男の方は自称、選ばれし方様だそうだ。女の方はまったく不明。男の画像を送っておく。通信器で確認しておくように。また残り二人は君たちの仲間だった者だ。通称イカル、そしてツグミだ。こちらは画像送付の必要はないな」
 ほぼ抑揚もなく淡々とした口調が話し手の冷淡さを表しているようだった。
 ノスリは、ツグミの名前が出てきたことに驚いた。いったいどうなってんだ。
「恐らく逃亡者たちは現在E地区に潜伏しているものと思われる。君たちも急行してくれ。発見次第、捕縛するように。その際、抵抗した者は遠慮なく射殺してもよい。以上である」
 切れ長の細い目を向けられて三人は居心地の悪さを感じた。特別鋭い目つきでもなく、背は高いが威圧感が人一倍強いというわけでもない。しかしその眼光は、何を考えているのか分からない不気味さを、見る者に感じさせた。
 三人は敬礼をしてから班員たちのもとに戻った。そして告げられた指令の内容を共有した。反逆者の中に兵士が二人もいるということにノスリ班以外の班員は驚いていた。元イカル班の班員、現ノスリ班の班員たちはツグミがイカルと一緒にいることを驚きはしなかった。充分、予想の範疇の内だった。ただ今まで班長と副官として親しんできた二人を捕縛しなければならない、もしかしたら銃口を向けないといけないかもしれない、と思うと心中複雑だった。
 そんな班員たちの中で、アビだけは人一倍やる気に満ちていた。誰よりも先輩を先に見つけて、説得して、あたしが捕まえないと。誰にも先輩を傷つけさせたりはしない。絶対に・・・。

「ドクターを撃った奴はどうなった?」
 ナミがここにいるということは、すでにこの世にいない可能性しかない気がしたが、一応訊いてみた。
「大ミミズに襲われてたわ。最初は抵抗していたけど、もう動かないから息絶えたと思うわ」
「そうか、とりあえず外に出よう」
 その工場は屋外より室温が低く設定されているようだ。外に移動させるより遺体の腐敗を抑えることができるだろう。タカシはそう思って、カラカラだった肉体をその場に残して、ナミと連れ立って建物の外に出ていった。
 外に向かう間、タカシはカラカラをどのように弔うのがいいのか考えた。やはりあらゆる点でこの都市の功労者だけに公葬という形をとるのがふさわしいだろう。それにリサが参列できればカラカラも尚のこと、喜ぶだろう。それにはやはりまずリサに会わなければならない・・・。

 イカルは廃棄物処理場に達するまでも、達してからもほぼ全速力で駆けていた。妙な胸騒ぎが時間の経過とともに激しく渦巻いて、落ち着かない。とりあえず、またすぐにこの廃棄物処理場の隠し通路から脱出することを考えて、扉は開いたままにした。
 この扉は操作して開くまでに多少の時間が掛かる。もしかしたらその数秒間が命取りになるかもしれない。操作パネルの中にそれらしきボタンがあったので押してみると、果たして扉は開いたままになった。
 なぜB5区画にツグミがいたのか、何かあって自分を捜しに来たのだろうか?その間、扉から侵入者はいなかったのか、とにかく選ばれし方様に会って安全を確認しなければ。焦る気持ちが更に彼の足を後押しして、呼吸が追いつかなくなってきた。限界を感じて速度がゆるまりはじめた頃、カラカラの家屋の敷地を視界の先にとらえることができた。
「タカシ様!」
 イカルは思わず叫んでいた。そこにタカシとナミの姿があった。はっきりとそれと分かった。安堵のあまり身体中の筋肉が弛緩する気がした。そのまま彼は二人のもとに駆け寄った。しかし近づくほどに再び緊張感が体内に沸き起こってきた。目前の二人の周囲の場景が先ほどとは明らかに違う。血や何かの生き物の体液や小さく砕かれた身体の部位などが広範囲に渡って散らばっていた。そして艶やかなぬめり感をもった、ピンク掛かったオレンジ色の手の平に少し余るくらいの小さな球体が数えきれないほど辺りに散乱していた。
「タカシ様、ナミさん、いったい何があったんですか?大丈夫ですか?」
「ああ、イカル君」
 イカルの早口にタカシは静かに答えていた。明るさのかけらもない声だった。何が起こったのかイカルは気になってしょうがなかった。その思いをくんでナミが状況説明を始めた。
「兵士が一人、ここまでやって来たの。その兵士はケガレに身体を乗っ取られていたみたい。人としての生気が感じられなかったから。その兵士がドクターカラカラに発砲して彼は息絶えたわ。更にその兵士が銃を発砲して、その流れ弾が大ミミズの水槽に当たって、そこら中、大ミミズであふれていたわ。その兵士も大ミミズに襲われて、たぶんもうその姿は骨しか残っていないと思うわ。這い出ていたミミズはみんな退治した。残りはいないと思うから安心して」
 イカルは周囲を見渡してからナミとタカシの姿を改めて見た。ナミは特に服装も乱れておらず、返り血の一滴も浴びていないようだった。恐らく空中に飛んだ状態で大ミミズの駆除をしたのだろう。それに対してタカシは全身に、大ミミズの血や体液を浴びたのだろうシミが見受けられた。
「よくぞご無事で」
 イカルの声は震えていた。こんな所で選ばれし方様を死なせてしまっては、死んでいったアトリやドクターカラカラに申し訳ない。
「とりあえず襲撃してきた兵士の死亡を確認します。それから隠し通路に向かいましょう。まだ警備も追尾の手もゆるむことはないとは思いますが、ナミさんもおられることですし、どうにかなると思います。最悪、ナミさんにタカシ様を連れて飛んでいってもらえば、どうにかなる気もします」
「バカね。そんなことしたら、とにかく目立って、射撃のいい標的になるじゃない」
「いえ、時間を選べば、かなり近くまで行けると思います。私たちには飛んで移動するという概念がありません。だから、まさか空中から飛来してくるとは誰も思わないと思います。一つの手として検討の余地はあるかと思います。その時は私が地上で注意を引き付けます」
 そんなことを言いながら三人は進んだ。あそこよ、とナミが指さした。そこは他の場所より更に凄惨な様子だった。引きちぎられ砕かれた大ミミズの無数の残骸が幾重にも飛び散り、層になって一面を埋め尽くしていた。
 その方に向けて、銃を構えながら進んでいくイカルの姿をツグミは認めた。
 イカルが戻って来ている、そう思って一瞬足が軽くなったような気がしたが、その反面、持ち場を離れた自分に対してイカルが怒っているのではないか、という思いも沸き起こり、一転して足取りが重くなった。
 今の彼女にとっては、他の誰のどんな言葉も特に気になるものではなかった。今まで、自分に向けて発せられたあらゆる言葉に自分の心のあり様を左右されてきたが、ある時ふと気がついた。
 イカル以外の人の発する言葉なんて、あたしには関係ない。あたしはイカルがいればそれで充分満たされているし、それ以外を望む気もなければ必要もない。だからイカル以外の人の言葉なんて、あたしにとっては何の価値も、意味もないもの。逆に、イカルの言葉はその一言々々が重要な意味を持っている。あたしの行動指針としてこの世で一番、価値のあるもの。その内容が正しいかそうでないかなんて、どうでもいい。重要なのはイカルが言った言葉かそうでないかだけ。
 そんな感じだったので、ツグミは、イカルに責められると何より辛かった。それは何より怖く、彼女を落ち込ませることだった。イカルが言うことはまずないが、彼女の存在を否定するようなことを言われたら、彼女はごく簡単に絶望に身を浸してしまうだろう。しかし、それでもないよりかはましだった。どんなことを言われても、そばにいられることが何より重要だった。
 イカルが銃を構えて、何かを警戒しながらゆっくり歩を進めている。何があるのかしら?とにかくそばにいないと、あたしがイカルを守らないと、ツグミは意識して気分を高ぶらせながら歩を進めた。
 イカルの視線の先には動くものはない。もう兵士の跡形もなくなったのだろう。大丈夫そうだ。そう思っていると、ふと自分の横から何かが近づいてくる気配が感じられた。イカルは首を巡らせて、コガレたちの集団を先導にしてこちらに向かって進んでくるツグミの姿を見つけた。
 ツグミも無事のようだな、それにしてもあいつはあの小さいケガレたちをすっかり手なずけているな、最初は危険かとも思ったけど、そっちもどうやら安心そうだ。
 彼は、なぜ持ち場を離れているのか後でしっかり問いただそうと思いつつも、とりあえず今は、犠牲があったとはいえ、ツグミもタカシ様もナミさんも無事なことを喜びたい気がしていた。
 だからツグミの方に身体を向けて微笑んだ。
 すると突然、何の前触れもなく、ごく唐突に、イカルの立っている場所のすぐ横の地面が盛り上がり、そこから何かが飛び出してきた。
 瞬間的にツグミの表情が凍りついた。
「イカル!」
 イカルはとっさに自分の横を向いた。見えたのは大量の血と肉片の塊の中にある黒い牙。その牙は彼の方に向いてはいなかった。彼の後ろ、タカシのいる方向に襲い掛かろうとしていた。
 ツグミが、自らの脳裏に発生した、非常事態を告げる警報を感じた瞬間、コリンは走力を全速に上げた。同時にタミンも、続いてウレンも、自らの分身たちとともに全速で駆けた。そして彼らよりも早く、ツグミは反応してこれ以上ないくらいに全速力で駆けた。何も考えていない、ただイカルを助ける、その思いしかなかった。
 イカルはとっさに手に持った銃の後部で、その黒い牙が生えている人の顔らしき場所を目掛けて殴りつけた。そのとたん、どこからか黒い腕のようなものが伸びてきて彼の銃に巻きついた。イカルは銃から手を離し、後ろにいたタカシの身体を手で突き飛ばしてから、身体ごとその雑多なものの塊に飛び掛かった。
 タカシは急なことに抵抗もできずに突き飛ばされて、背後にいたナミの身体にぶつかった。ナミもいきなりの状況変化に対応がかなわず、ただタカシの身体を受け止めることしかできなかった。
 イカルはかろうじて人の形をしている塊を、横倒しに倒してその動きを封じようとした。しかし塊を押すと、べろりとその表面がはがれて動かせない。中から白い骨が現れていた。それでも塊は動きを止めようとしない。イカルは必死に身体を動かして塊の動きを抑えようとした。塊の足だろう部分がもげ、腕だろう部分が飛んだ。イカルは、正対した状態で上からのし掛かられた。身体を離そうと塊の顔だろう部分を手で押す。するとその表面が大きくはがれて目の前に骸骨と眼球が現れた。そして白い歯の並び。その間から霧状の黒い固まりが見えた。イカルはあわてて、その相手の頭の部分を横に払おうとした。しかしそれよりも早くその黒い霧の固まりが勢いよく噴出して、彼の口から身体の中に、流れ込んでいった。
「イカルー!」
 ツグミのこの上なく悲痛な叫びが、周囲を鋭く切り裂いた。
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