感応の中(8)

文字数 3,130文字

「ちょっと、待ちなさい」
 立て続けに三匹の黒犬を退治しながら、ナミは低空で飛びつつタカシのすぐ横に追いついた。
「あそこにリサがいる」
「どこ?」
「あそこだ、塔の上の方、白く光っている」
 タカシは右手を上げて、一点を指差した。ナミの目には特別光っている場所などない。タカシの顔を見る。塔の一点を凝視している。その場所以外には目に入っていない。ただその場所に行くことしか考えていない。
 ナミはその差し出された手首をつかんで飛び上がった。
「えっ、おいっ、何を」
「行くのよ、山崎リサの所に。このままじゃらちが明かないわ。直接あなたを山崎リサの所に連れていけば、この状況を打開することができるかもしれないわ」
 二人はそのまま一直線に白い塔に向かって飛び上がった。
 とたんに黒い渦が盛り上がり、巨大な塊となって二人に襲い掛かってきた。その姿は、赤い双眸の下に大きく割けた巨大な口が広がっていた。
 ノスリは、ナミとタカシが飛び上がっていく姿に気がついた。更に人の顔のようなケガレの塊が彼らに襲い掛かろうとしていることにも。だからとっさに叫んだ。
「全員、あの飛んでる二人を守れ!ケガレに邪魔させるな!全てを引き換えにしてでもあの二人を守れ!」
 ナミは進行を躊躇した。こちらに向かってくるケガレがあまりに巨大なのでナミの圧縮能力では太刀打ちできそうになかったから。
 巨大な顔がその口を更に大きく開いた。目を開けていられないほどの熱風が二人を襲った。ひとまず後退を、そうナミが思った瞬間、盛り上がった巨大な顔にいくつかの小さな爆発が起こった。地上から放たれたエネルギー弾によるものだった。タカシとナミは地上を見た。兵士たちが次々にエネルギーを充填して巨大な顔に向けて放っている。彼らが上方向に意識を集中した、その隙ができたところに黒犬や黒衣の者が襲い掛かり、数人の兵士が苦悶の表情を浮かべた。
 タカシは苦悩を抱いて目をつぶった。ナミは再び飛び上がろうとした。しかし巨大な顔のすぐ横側から巨大な手が彼らの方へと伸びてきた。
 ナミが更なる回避行動を取らなければと思った刹那、地上から小さな青い塊が飛び上がり、一直線に巨大な顔の鼻先をかすめるように上空高く飛んでいった。
 それが何なのか、ナミだけには、すぐに分かった。
 ケガレにとってみればあまりに彼我の大小に差があったので、その存在には気づいたが、さして気にも留めず、更にタカシたちに襲い掛かろうとした。その矢先、上空高く、青い塊が飛んでいった先がパッと小さく光った。
 その光に巨大な顔は一瞬、動きを鈍らせた。その鼻先に上空から黒い塊が落ちてきた。
 ナミは見なくても分かっていたが、タカシはその物体が落ちてくるに従って夜会服を着たルイス・バーネットであることに気がついた。その顔と片手以外が着ている服も含めて至極ぼやけているように見えた。
 ルイス・バーネットは落下しながらぼやけていない方の片手をケガレの本体に向けた。そして一言“動くな!”と一喝した。
 巨大な顔と手の動きが止まった。
「ヒフミ!」
 ナミは、遠ざかっていくルイス・バーネットの背中に向けて思わず叫んでいた。
 ルイス・バーネットは彼女たちに背を向けたまま、片手を上げた。そしてパッと白い光に包まれた。
 ルイス・バーネットが何に変化したのか分からなかった。分からないほど小さな生き物に変化したのだろう。本当にバカなんだから、無茶ばかりして。ナミはそう思いながら、そのまま上空高く飛び上がった。
 すぐに塔の中ほどの高さに達した。
 上に行けば行くほど黒い渦は温度を上げていた。それはただの黒い炎に見えた。
「あそこだ」
 タカシが一点を指さして叫んだ。
 その燃え立つ黒炎の中でその一点だけがほのかに、ごくかすかに白く光っているようにタカシには見えた。内部の光が薄っすら透けて見えているようだった。
 ナミはそのまま近づいていった。凄まじい熱風が二人を襲った。放射熱でじりじりとあぶられているようだった。
 ナミはとっさに空中で停止した。これ以上、近づけない。ここまで来たものの、もうなす術がない。どうする、どうすればいい?そう、考えあぐねている彼女の足元から声がした。
「投げてくれ」
 襲いくる熱に耐えながらナミはタカシの顔を見下ろした。
「投げるって何を?」
「俺を、リサのいる場所に、投げてくれ」
「あんたバカ?本当に死ぬわよ」
 ナミはタカシの手をつかんだ方の腕を上げて、彼の顔がよく見える高さまで持ち上げた。
「そんな悠長なこと言ってられない。あの中でリサが耐えている。苦しんでる。俺を待ってる。だから行かなきゃならない。頼む、投げてくれ」
 正直、熱の塊になっている黒い渦に近づくのは怖かった。しかしその恐怖を上回る憤怒の感情が彼の胸の中で沸き起こっていた。あまりの惨状続きに怖気づいている自分に、すでに覚悟を決めたはずなのに臆面もなく縮み上がろうとしている自分自身に、心の底から悪態を吐いていた。
 もうリサにとってもこの世界にとっても消滅に対して猶予がないことは彼にもよくよく分かっていた。今、この瞬間、徹底的に覚悟を決めるしかない。
 ナミは感情の籠った鋭い視線をタカシの目に向けた。
「いい、これだけは覚えておいて。あなたには能力がある。自らを害するものに抵抗するあなたの能力は、もちろん山崎リサの力によるものだけど、実際あなたが持っている能力でもあるの。必ずその能力を使いなさい。絶対に、自分の命をあきらめないで。いい?」
「分かった」
 タカシのその声が耳に届いたとたん、ナミはいったん下降して、流れ弾となって上空に飛んでいたエネルギー弾をひとつ圧縮して、その球に近づき、片手に持つと、また上昇して、そのエネルギー弾を、タカシが指し示す黒い渦の一点に向かって、投げつけた。狙った通りの場所が破裂した。
 続けてすぐさま、タカシの手をつかんでいる左手を後方に、自分の背中の後ろまで大きく振り、勢いをつけて、そのままその破裂して少し穴状になった場所に向けて、思いっ切り投げつけた。
 タカシは、ナミと出会って以来、何度も浮遊したり飛行したりして、そういった感覚にも慣れてきていた。しかし今回は浮遊や飛行というより落下している感覚だった。しかも目の前には不気味に燃え盛る黒く巨大な炎。心臓が縮み上がっている。意識がふっととぎれてしまいそうになる。必死に一点、リサがいるだろうほのかな白い光だけを凝視する、集中する。ただリサのことだけを努めて考える。リサと会える喜びだけを胸に抱いていく。
 飛べば飛ぶほど、リサの方へ向かえば向かうほど、熱は容赦なく彼を襲った。黒い炎が意思を持っているかのように彼に向かって伸びてきた。腕と足を折りたたみ顔と身体の前面を守った。それでも頬や耳が焼けた。服に火が点いた。髪が燃えた。熱気を吸って喉が焼けた。息ができない。
 もう耐えられない。こんなこと無茶だったんだ。やめときゃ良かった。もうやめたい。逃げ出したい。帰りたい。熱い。痛い。苦しい。死ぬ。死んでしまう。怖い。死ぬのが怖い。

 でも

“リサに、会いたい”

 瞬間的に、彼の全身が微かに白く輝いた。その光が身体を包む膜となった。その膜が少しだけ、熱を防いだ。服に点いていた火を消した。少しだけ息を吸うことができた。
“いいかげん、リサに会わせろ!”
 吠えながら、顔の前で交差させた腕の間から眼前の白い光を見る。次第に大きくなってくる。もうほのかではない。はっきりとした白。柔らかい光、もうすぐ、出口だ・・・
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