蠢動の中(6)

文字数 4,916文字

 アビは、とりあえず詳細を聞かないと、と思い、声を出そうとして一度つばを呑み込んだ。その時、扉の向こうから、失礼します、と声がした。
「入りなさい」モズだけは落ち着いた姿勢を崩さないでいた。扉が開き、ノスリが入室してきた。
 班員たちの前にくるようにモズから促されて、ノスリはツグミの横に並んで立った。そして、ちらりとツグミの横顔に視線を向けた。はっきりと顔色が悪いと分かる。イカルが反逆者になってしまったことが、とにかくショックだったのだろう。無理もない。俺だって衝撃を受けた。やっぱりあの選ばれし方と名乗るペテン野郎のせいだ。あの男に関わるとろくなことがない。
「あの、私たちの班長は、イカル班長はどうなるんですか」
 アビが気を取り直してモズに向かって訊いた。
「分からん。首脳部の考え次第だが、恐らく捕縛されれば深層牢獄行きになるだろう。もしくは抵抗すれば射殺されるかもしれん。とにかく反社会的組織と関わりを持った時点で、この部隊からは除名される。詳細待ちだがとりあえず君たちの班長はいなくなった。イカル班は消滅したということだ」
「そんな」というアビの声を聞きながら、もうやめて、そんなこと聞きたくない、とツグミは心の中で叫んでいた。彼女の短い人生の中で、紆余曲折の末に辿り着いた安住の生活が、目の前から吹き飛ばされて儚く消え去ってしまう、そんな光景を見せつけられている気分だった。
「そこでだ。君たちの班長職を、このノスリ君に引き継いでもらおうと思う」
 班員の視線が一斉にノスリに向かった。ツグミもゆっくりと首を巡らせ、見開いた目をノスリに向けた。
「そういうことだ、よろしく頼む」
 ノスリはツグミに視線を向け、少し微笑んで言った。何を言っているの?この人は?この班はイカルの班なのに・・・。
「ツグミ、お前は引き続き副官となって、俺をサポートして・・・」
 ノスリの言葉に重ねてアビが声を発した。
「ちょっと待ってください。我が班には副官でありますツグミ隊員がいます。そのまま昇格して班長になっていただいたらよろしいのではないでしょうか」
 室内にいたアビ以外全員が怪訝な表情をした。ツグミに班長としての資質があるとは思えない、それはツグミを含めて、アビ以外の全員に一致した見解だった。
「これは決定事項である。異論は受け付けない。それにツグミ隊員は昨日の審判の場での不適切な行為により、謹慎処分を言い渡さなくてはならない。ツグミ隊員、君は本日より三日間自宅謹慎を言い渡す。謹慎中は緊急時以外、自室からの外出は出来なくなる。分かったな」
 ツグミは自分の処分などはどうでもよかった。ただ、はい、とだけ答えた。
「では一時間後の〇八三〇より処分を実施する。それまでに自室に戻るように」
 ツグミは黙ったまま、きびすを返して部屋を出ていった。ノスリとアビが咄嗟に声を掛けようとしたが、その背中が一切の声を拒否していたので、けっきょく誰も何も言えないまま、ツグミは退室していった。
「早速だが、君たちに任務を与える。今すぐエナガ班、イスカ班とともに反逆者たるイカル元隊員の捜索に向かえ。見つけ次第、私の所まで連れてこい。もちろん生きたままでだ。いいな」
 了解しました、と言いつつ全員が敬礼した。モズが軽く頷くと、ノスリが、よし行くぞ、と新たに自分の配下となった班員たちに言った。班員たちは違和感を胸の中に抱きながらも従った。アビは足取りの重さを感じた。ああ、なんかおもしろくない。
 班員たちの後ろ姿を見ながら、モズはもどかしさを感じていた。自分が立ち上がり、先頭に立って陣頭指揮を執れればどれほど気が楽だろう。ウトウほどではないにせよ、彼も現場に出たい方だった。しかし今は彼が表に出る訳にはいかない。この件では彼は極力姿を見せず、関係ないことを強調していかなければならない。ただでさえ、委員たちからは目をつけられているのに、これ以上、疑いを持たれては不測の事態が起こらないとも限らない。
 冷静に現状を見渡せば、治安部隊にせよアントにせよ所属している若者たちをモズは見守っている状態だった。彼がいなければ、それらの団体自体がどうなるか分からない脆さを内包していた。けっきょく団体としてのアントは消滅してしまったが、まだその残党が残っている。彼らの居場所を確保する意味でも今、彼は軽挙妄動することは差し控えなければならなかった。
 ウトウがいれば・・・本来なら、彼のような信頼出来るベテランに任せたかった。しかしもういない。今更ながら戦友を失った事実をモズは噛みしめていた。
 突然、扉が開き、本部職員が走り込んできて、叫ぶように言った。
「首脳部より、非常事態宣言が発令されました」
 
 ツグミはとにかく急いでいた。モズの執務室を出た途端、走り出した。気ばかり焦っていたが、銃保管室に行って、手入れをするからという理由で銃を持ち出すことは忘れなかった。
 普段、HKIー500の手入れとしては、使用が終わるごとに装填したバッテリーを外して、軽く清掃する程度でよかったが、長期で使用しない場合は、銃身に残っているエネルギーのカスを取り除くために分解して清掃する決まりになっていた。あまり意味はない決まりだったが、ごく稀なケースとして昔、あまりに放置した銃の筒内に、カスがこびりついて、銃本体が使用出来なくなったことがあったため、そうすることに決められていた。
 三日、来れ、ない、ので、とツグミは言い訳して、入室の許可をとった。調べられても本当のことなので自分ながらいい言い訳だと思った。
 本部職員の目を盗んで満タンに充電されたバッテリーも一緒に持ち出した。
“非常事態宣言発令、住民の皆様は外出を控えてください。非常事態宣言発令、住民の皆様は外出を控えてください”
 ツグミが本部建物から外に出ると、街中に耳をつんざくようなサイレン音が鳴り響き、続いてアナウンスが繰り返し流されていた。塔周辺には元から人があまりいないのでそこまでの混乱の様子は見て取れないが、他の地区では恐らく人々は慌てて自宅なのか、職場なのか、とにかく屋内に向けて散るように移動しているだろう。
 何か、ツグミの胸中の不安を反映したかのように、都市全体に不穏な空気が流れはじめていた。

「もういいわよ」
 イカルは、そう言われて目を開き、息を吸った。そこはB4区画、先ほどまで彼がいて情報委員たちに襲撃された場所だった。
 周囲を見渡す。委員たちの姿は見えない。
「あなたを追っていたヤツらは、白い塔の方に向かったようね」
 すぐ横で発せられたナミの言葉で、イカルはおぼろげながらも状況とナミの計略の概要を察した。
「もしかして、少しずつ私がA地区に向けて移動しているように見せかけて、委員たちを誘導していったのですか?」
「そうね、あいつらは確かにあなたを標的にして追っているようだったし、白い塔は彼らにとっても重要な場所だろうから。それにしても思いの他、簡単に引っ掛かったわね」
「どうやって・・・それよりなぜここに戻ってきたのですか。ここは警戒されていると思うのですが」
「だから人数を他に割かせるようにしたのよ。凪瀬タカシ、あなたたちの言う選ばれし方様は今、拘置所に閉じ込められているわ。そこに入って彼を奪うことはそれほど難しくはないんだけど、私、人込みが嫌いなの。拘置所の中は人だらけで、ちょっと人に酔いそうだったから、彼が連行されるのをここで待つのよ」
「しかしいつ連行されるか分からないんじゃ・・・」
「もうすぐ拘置所を出発するはず。そのくらいの情報は掴んでいるわ」
 イカルは目の前の得体の知れない女性を、さすが選ばれし方様のお連れの方だと思った。自分が想像だにできない能力を持ち、頭も切れ、仕事の手際もいい。とにかく選ばれし方様が信用されている方だ。もちろん信用していい方なのだろう。
 ナミはイカルの様子を眺めながら、どうやら大丈夫そうだと安心した。
 彼女たちは、今までこの自我の中と外との瞬間移動を繰り返していた。これはほとんどの死神が通常有する能力だった。ただ、自我の中の存在をその自我から出したのは、ナミもこれが初めてだった。
 基本的に自我の中の存在は、その自我から出ると消滅してしまう。だから咄嗟に息を止めて目と口を閉じるように指示した。そうすれば外の世界を体内に取り込まないので、消滅まではしないのではないかと瞬時に思ったのだった。人間が息を止めれば水中でも存在出来るように。そして極力短い時間の移動になるようにした。繰り返しの移動にはなったが、どうやら予想に反することはなく、特に影響はないようだった。
 ナミは、手のひらに浮かぶ画像を眺めながら、無感情に聞こえる声を発した。
「さあ、凪瀬タカシが移動をはじめたわよ。彼を奪うことは、私一人でも難しくはないけれど、あなたはどうするの。一緒に行くの、それともここに残る?」
 ナミはイカルに視線を向けた。イカルはジッとその冷たい目に視線を向けていた。彼も一本気な性格のようね、とナミは胸の中で呟いた。自分が正しいと思う、ただ一つのことを、どんなに時間が掛かったとしても、どんなに遠回りだとしても、必死に叶えようという意志の籠った真っ直ぐな視線。いつも、リサ、リサ、リサ、リサと、うるさいくらいに言ってばかりの男に、よく似た目をしていた。
「もちろん行きます。この都市のことはあなたより私の方がよく知っている。足手まといにはなりません。きっと役に立ちます」
 ナミの視線が一瞬柔らかくなったような気がした。ただすぐに感情の見えない冷え切った目に戻っていた。気のせい?とイカルは思った。
「そう。今、凪瀬タカシはここを移動しているわ。この通路はどんな形状をしていて、ここから行くにはどう行けばいいのかしら」
 ナミが手のひらに広がっている地図を、イカルに見せながら言った。
「それは地下を通るエスカレーター歩道です。この地域では地面の下を通っています。四角い形状で広さは場所によって違いがありますが、この辺は比較的広くて人が四人横並びに立てるくらいです。近い所では、ここと、ここが通常の出入り口です。それと、ここと、ここと、ここは非常用の脱出口になっていて通路に降りて行く事ができます」
 イカルが画像を指さしながら言った。
「それなら、ここを彼らが通過した頃に、ここから降りて、背後から襲撃したら簡単に凪瀬タカシを奪還出来そうね」
 ナミも画像の上で指を動かしながら言った。
「そうですね。ただ、セントラルホールまでの経路は全面封鎖されていて、一般の出入りが制限されていることと思います。おそらく歩道の上に降り立ってしまうと感知されます。最悪、遮蔽壁が閉まって、選ばれし方様は隔離されてしまいます」
「そうなのね。なら私が飛んで行って、凪瀬タカシをさらってくればいいってことね」
「ただ、情報委員が移送を受け持っています。彼らも私たちと同じ銃を携行しています。銃を使用せず、ただ見過ごすような真似はしないと思います」
「それはまず私が、凪瀬タカシを連行しているヤツらを倒してしまえばいいだけの話よね」
 イカルの表情が一瞬、訊きづらそうな色を浮かべた。
「それは、委員たちを殺してしまう可能性も、あるってことですか?」
「もちろんよ。抵抗してくるなら手加減するいわれはないわ。何か問題でも?」
 少しの間を空けてからイカルは答えた。
「この都市空間は、とても狭くて小さい世界なんです。いろんな立場の人がいて、恵まれた人もいれば、そうでない人もいます。でも何らかの形で、必ずみんながみんなに関わっている、そんな世界なんです。みんなが助け合わないと維持することさえ難しい世界なんです。だからなるべく考えが違うから、立場が違うからという理由だけで、殺してしまいたくないんです」
 やれやれ、こんな甘々なところまで山崎リサ狂いのあの男に似ているわ、そうナミは思った。
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