感応の中(9)

文字数 4,656文字

“大丈夫。僕はきっと君を見つける。たとえ君がどこにいても、どんなに離れていても、僕は君を捜しつづける。だから安心して。君は自分の言いたいことを言えばいいし、自分がしたいと思ったことをしてほしい。僕は君のすべてを受け止める。どんな時も、どんなことがあっても。いつも、僕は、君の味方だから”
 いつか聞いた声だった。思い出す度に心が落ち着いていく。自分がするべきだと思った事をしていいんだ、言いたい事を言っていいんだ、そう、思い出すたびに思えた。
 彼とは五年前に初めて会った。それからずっとあたしに語り掛けてくれた。ずっとあたしに寄り添ってくれた。たとえどんなに離れていても、たとえどんなことがあっても。そして本当のあたしを捜し出してくれた。とてもつらいことも苦しいことも乗り越えて、あたしを見つけ出してくれた。
 今、また彼は、私のもとに向かってきている。
 外は闇におおわれている。とても暗くて、熱くて、危険な闇。それが自分の生み出したものだと思えば思うほど申し訳なく感じてしょうがない。自分が弱いから、自分の考え方が間違っているから、自分が浅はかだから、みんなが傷つき、犠牲になっていく。もうやめてほしい。もうあたしに関わらないでほしい。もうひとが傷つくのを見るのはうんざりなの・・・でも、そんなあたしの思いなんてまったく考えずにタカシはあたしを捜す。どんな時も、けっしてあきらめようとしない。どんな状況でも、どんなに危険でも、たとえ命懸けでも、すべてを乗り越えて、私に会うことだけを志向して進もうとする。
 そんな彼のために、あたしは何ができる?何も思いつかない。どうすればいいのか分からない。ただ、ひたすらにこう思う。
“あたしも、タカシに、会いたい”
 会いたくて、会いたくて、たまらない。そう思うと自然と声が漏れ出した。心の底から滲み出るように、自分に言い聞かせるように。
「信じてる。きっと、来てくれる。きっと、彼なら・・・」

“リサーッ!”
 自分の名前を呼ぶ声がした。とっさに顔を上げた。発光石の壁の向こう、周りを取り囲んでいる黒炎の中に人の姿が浮かび上がっていた。彼女にははっきりとその姿が見えていた。そして瞬時に認識した。
“タカシだわ”
 視線の先に、自分に向かって、重力に身を任せて飛んできているひとの姿。
「タカシッ!」
 リサの身体中から白い霧が瞬間的に発せられ、彼に向かって一つの塊となって飛んでいった。そして彼の全身を包み込んだ。
 すると急にその落下速度が緩やかになった。
 タカシを包んだ白い塊はそのまま発光石の壁をすり抜けて彼女に向けてゆっくりと落下していった。
 彼は全身にやけどを負っていた。髪はほぼ焼けて消えて、服も焼けて肌に貼りついていた。白い霧は部屋の中を落下する、その短い時間で彼の傷ついた肌を修復し、髪やまゆ毛やまつ毛を復元した。
 彼女は手を伸ばした。彼も彼女に手を差し伸べた。指先が触れた。指に、手に、腕に、肩に。
「やっと会えた。やっと君に会えた」
 彼はいつの間にか全身真っ白い服を着ていた。その服以外はすっかり従前に戻っていたが、彼の全身にはやけどやケガレに襲われた傷の痛みが残っていた。しかしそんな全身に満ちあふれる痛みを凌駕する喜びを、彼は全身で感じていた。これまで一心に思いつづけ、そのために行動しつづけてきた一つの願いが叶った喜びで、全身が満たされていた。
 人は感情が高ぶると痛みを忘れるようだ。彼は熱に焼けた痛む喉から枯れた声を発した。
「待たせたね。途中でいろいろあったんだ」
 すぐ目の前にいる彼女の宝石のように輝く瞳がうるんで、目尻から一筋の涙が流れ出る様子を見て、声が詰まりそうだった。
「ありがとう。来てくれてありがとう」
 そう言う彼女を抱きしめたかった。感情に身を任せて嬉し涙を遠慮なく流してしまいたかった。でも彼にはまだしなければならないことが残っていた。だから自分の目にしっかりと意志を乗せて彼女を、その瞳を見つめた。
「リサ、みんなを助けたい。この世界のみんなが戦っている。みんなを助けたいんだ。俺は何をすればいい。教えてくれ。何をすればみんなを助けることができる?」
 彼女の目尻からは次々に涙が流れ出ていた。流れ出るままに彼女は微笑んだ。
「大丈夫。あたしが何とかするわ」
 彼はいぶかしんだ。いったいどうやってみんなを、この世界を救うというのだろう?
「心配しないで。私、あなたがいれば強くなれるのよ」
 彼女は大きく口角を横に広げて笑った。心の底からの喜びを表現していた。
「ただお願い、手をつないでいて。そうしたら私、何でもできる。何にでもなれるの」
 彼も微笑んだ。微笑みながら、分かった、と言って、指を絡めながら手を握った。彼女は握った手を上げて、彼の手を自分の頬にそっと当てた。彼の手を握っている彼女の手に力が入った。彼もそれに応えるように、手に力を込めた。







 真っ白い光







 彼女の身体から、全方位に向けて、放たれた。

 それは、限りなく純粋で、混じり気のない、ひたすらに強く輝く、一点の曇りもない真っ白い色の光だった。
 白い光は、すべての影を払い、取り除きながら、すべてのものを貫き、通り抜けて、この地下空間の隅々にまで行き渡り、輝き照らした。
 いつまでも、その白い光は、輝きつづけた。
 やがて塔を構成している発光石が小さく分離をはじめ、指先ほどの大きさになると白い光に乗ってゆっくりと上空へと昇っていった。
 それこそ数え切れないほどの発光石の欠片が、静かに浮かんでいた。天井付近まで昇り切ると、きらきらとそれぞれが光を放ちながらゆっくりと下降していった。そのどれもが地上にたどり着くまでに、ただよっているケガレをその内に吸着、吸収しながら静かに落ちていった。ケガレは発光石の欠片とともに地面に落ち、そのまま消えていった。
 いつまでも降りつづく発光石の欠片によって、この地下空間のすべては、祓い、清められていった。
 
 塔の周囲でまだ生き残っていた兵士たちは、ケガレの本体が、ルイス・バーネットが掛けた呪縛が解けて再び動き出したとたんに、白い光に包まれ、苦悶の表情を浮かべて激しい咆哮を放ちながら消えていく様を、あっけにとられてただ眺めていた。状況が呑み込めなかった。自分たちの周囲にいた黒犬や黒衣の者たちもうめきながら消えていった。やがて再び姿を現した塔が、ゆっくりと分離しはじめた。
 兵士たちは小さな発光石がきらきらと輝きながら舞い降りる様を、たた見惚れたように眺めていた。そしてわずかに残っていた黒い炎が少しずつ鎮火していく様を眺めて、ようやく災いが遠のいていく予感を得ることができた。自分たちがどうやら生き延びることができそうだ、と安堵すると同時に全身から力が抜けていった。

 ブレーンコンピュータ―の心臓部である機械室にいた一の賢人と四の賢人は、部屋全体がふわりと浮き上がる感覚を全身で感じた。何が起きているのかまったく状況がつかめなかった。自分たちの命が助かるのか、ブレーンのデータや室内にある精密機械が大丈夫なのか、不安に駆られてながらも、動きが収まるのをただ待つしかなかった。
 床の下に大量の発光石の欠片が集まってその部屋を浮上させていた。それはゆっくりと地表へと降りていった。
 一の賢人も四の賢人も自分たちが部屋ごと地表へと降りていく様をガラス壁を通して視認していた。空中を浮いている、どうしてそうなったかは分からなかったが、このまま無事、地表へと降り立つことができれば、自分たちもデータも精密機器も無事であろうと予想した。固唾を呑んで、祈るような思いでその時を待った。
 そして優しく着地した。
 二人はほっと安堵の息を漏らし、顔を見合せてうなずき合った。

 舞い落ちる発光石の欠片を縫うように、三つの黒い霧状の塊が静かに飛んでいた。力強さはほのかにもなく、心もとなげにフラフラと、寄り添うように飛んでいた。それらはただ塔があった場所に向かって飛んでいた。そしてその跡に着くと何度か旋回してから地に降りていった。そこには横たわるツグミの姿があった。
 まったく動く様子もなく横たわるツグミに近寄ると、三つともにすっとツグミの口からその体内へと侵入した。塊たちはそのままツグミの脳内へと向けて進んでいった。
「おい、いつまで寝てんだよ。早く起きろよ。お前の目的はまだ達成されてないだろ。こんな所で寝てる場合じゃないだろ」
「早く起きるの。あなたの望みはもうすぐ叶うの。さあ、立つの。イカルに会いに行くの」
「残念ながら私たちがお手伝いできるのは、ここまでです。最期にあなたにほんの少しだけ、力を授けます。現状から立ち上がり、一歩踏み出す、それだけの力です。そこからはあなた自身があなたの足で歩き、あなたの目で確かめてください。私たちは、あなたの幸せを祈っています。いつまでも、そう、いつまでも」
「けっ、しみったれてやがんな。お前、俺たちがこんなに助けてやったんだから幸せにならなかったら化けて出てやるからな。覚えてろよ」
「ツグミちゃん、あなたはよく頑張ったの。だからきっと幸せになるの。大丈夫なの。これでさようならだけど、あなたは自分で未来を切り開くことができるの。あなたの、明るい未来を、いつまでも、祈っているの」
 塊たちはツグミの脳内に優しく溶け込んでいった。
「きっと、きっとお幸せに」
 そして塊たちは姿を消した。

 一面真っ暗だった。何も見えない、何も聞こえない、何も感じられない。
 ただの“無”だった。
 その何もない場景の中に、小さな赤い点が六つ、小さくぼんやりと現れた。赤い点は宙をただよいながら、ゆっくりと遠ざかっていった。そよ風に吹かれているように静かに、ゆっくりと、遠くへ。
“待って!”
 ツグミは心の中でそう叫びながら目を開いた。ハッと息を吸った。少しの間、息が止まっていたのだろう、しばらくの間、激しく呼吸をくり返した。
「先輩!先輩、生きてたんですね。良かった。息してなかったから死んだかと思いました。本当に良かった」
 ツグミは荒い呼吸をくり返しながら横を向いた。瞳を潤ませたアビが自分の横の地面に座っていた。ツグミは上体を起こした。
 さっき頭の中に何かが入ってきた。あたしを元気づけてくれた。あたしに力を与えてくれた。六つの赤い光、三組の赤い目。ツグミは目を閉じて、そして心の中で静かに語り掛けた。
“みんな、ありがとう、本当に、本当にありがとう”
 それからすぐにツグミは立ち上がった。アビが制止しようとしたが、聞く気はまったくなかった。みんなの思いを無駄にできない。あたしは、あたしの幸せのために動くだけ。自分の足で歩いて、自分の目で確かめるの。あたしの願いが叶えられたのかどうか。
 ツグミはとにかく走った。
 時々、足が動きを止める。部分ごとにいきなり力が入らなくなる。自分の意思とは無関係に活動を止めようとする。
 そんな身体の部分、部分、あちこちをまだ自分の意思で動かせる部分の力で補いながら無理矢理動かしていく。気が急いていた。
「先輩、あんまり無理しないで。もう身体はボロボロなんですよ。あんまり無理すると本当に動けなくなりますよ」
 アビが横について手を貸してくれていた。
 ツグミはそんな言葉をありがたいとは思ったが、聞く気にはならなかった。無性に心が騒がしかった。イカルが目覚めたのかどうなのか、今すぐ確かめたい、もう、それしか考えられなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み