思惑の中(1)

文字数 5,052文字

 平行式エスカレーターを降りると、そこは周囲にビルの立ち並ぶ、無数の灯明に照らされた広場だった。
 このB1区画は、この都市の立法・行政・司法それぞれの中心となる施設が揃っており、公式な式典会場や会議場も大小いくつも設けられている場所だった。おまけにこの都市の、通常の移動手段である平行式エスカレーターとエレベーターのすべての路線の起点となる場所でもあった。だから普段から人の往来は多かった。ただそれも、よほど大規模な式典の開催や、政治的に大きな変更が行われて混乱が生じた場合を除き、通常は過密になることはまずなかった。
 しかしタカシたちが到着した時は、明らかに過密な状態が眼前に広がっていた。
 何百、いや千を超える人々がそこかしこで移動し、うめき、座り込み、泣き、横たわり、叫んでいた。更には無数にあるエスカレーターやエレベーターの降り口から、後から後から綿々と人々が流れ着いていた。
“あの大岩のせいだろうか”
 タカシは、そう思いながらただ立ち止まって人々の姿を眺めていた。脳裏には先ほど遠望した、崩壊した街の様子が鮮明に思い出されていた。
「タカシ様、私から離れないようにお願いします」
 イカルはそう言うと、少し先行している班員に手信号で指示を出し、移動をはじめた。
 先行の班員は、通ります、道を開けてください、と行く手に座り込んでいる人々に声を掛けながら少しずつ進んだ。イカルたちもその速度に合わせて歩を進めた。
 目指す先には周囲と比べて、ひときわ大きなビルの威容が建っていた。
 白い石造りのビルだった。センタービルと呼ばれるそれは、地下空間に存在するため高さは二十階建てほどだったが、横幅があり、全体的にビル自体が白く光っていた。
「このビルは何でこんなに光っているんだ?」
 タカシが誰に訊くでもなしに声を上げた。
 その声に応えるべきか、先ほどの事もあるので、ツグミは少しためらっていたが、イカルが雑踏とも言える周囲の状況に意識を集中しているようなので、代理として応えたほうが良い気がして、答えた。
「センタービルは、発光石で、できて、いるんです」
 あくまで事務的な声だった。加えて小さな声だった。しかしこの雑踏の中でも不思議とツグミの声はタカシの耳に聞き取りやすかった。
「発光石?石が光っているの?」
 彼の常識では石は光らない。光るとしたら身体を光らせる特性を持つ微生物の作用か、ヒカリゴケでもついているのか、最悪、放射性物質か。
「ええ、この石は、それ自体で、光っています。そしてこの石は、光るだけではなく、膨大なエネルギーを、含有しています。この地下都市の、ほぼ、すべての電力を、供給して、います」
 それってやっぱり放射性物質?そう思うと、光るビルに近づく事に、ためらいをタカシは感じざるを得なかった。
 そんなことをタカシが思っているとは露知らず、ツグミはやっぱりタカシと話していると安心感を得られる、楽しい気持ちになってくる、と心中独白しながら、更に話をしたい欲求に抗えずに、言葉を継いだ。
「この地下都市は、発光石の、層の中に、造られて、います。この地下都市は、発光石に、包まれて、いるんです。発光石は、お方様の喜びや、希望の感情から、作られて、いる、らしいです。その力は、とても強い。だから、今までケガレは、この地下都市に、入り込む、ことが、できなかった、らしいです」
 そういえば人型のケガレは、地表からにじみ出るように現れていた。それならこの地下世界にも自由に出入りできそうなものだけど、そういう理由があったんだ、とタカシは納得した。
「選ばれし方様は、お方様と、五年前、何かありました?」
 五年前?よく思い出せば色々あったのだろうけれど、とにかく自分の人生で大きく衝撃的で運命的な出来事と言えば、リサと初めて出会ったことだ。
「五年前というと、君たちが言うお方様と、初めて出会った頃だよ」
 普段、不愛想な印象を周囲に与えるコでも、他人の恋の馴れ初めには本能的に興味があるのか、ツグミの目の輝きが増した気がした。
「やっぱり。全体が、発光石で、できている、建物は、このセンタービルと、お方様のおられる、白い塔だけ、なんですけど、五年前、その白い塔が、急に大きくなったんです。ある日、突然です。上に伸びあがって、天井に届く、くらいまで大きくなった、らしいんです。選ばれし方様と、出会って、お方様は、よっぽど、嬉しかったん、ですね」
 ツグミがまた笑った。またリサと重なる笑みだった。思わずタカシはハッとして見惚れた。ツグミはまたタカシと心安く話していることに気づいて、あわてて笑みを消して前を向いた。
「選ばれし方様」
 イカルが唐突に振り返って言った。その表情は真剣そのものだった。
「今のお話、僕にも詳しく聴かせてもらえないですか」
 自分とリサの恋の馴れ初めに、イカルが興味を持っているとは、甚だ意外だった。そういう年頃ということなのだろうか。しかし若いコたちを満足させるようなエピソードが、その頃の自分たちにあったかどうか、思い当たる節もなかった。
「詳しくも何も、ただ出会っただけだよ。しかもスーパーの店員とお客という立場で。話した言葉も、ありがとう、だけだったし」
「スーパー?」
 ツグミの声がした。イカルはツグミの声を無視して続けた。
「そうなんですか。でもその出会いがきっとお方様にとって、自分自身を変えるきっかけになったんだと思います」
「スーパーっていうのは日用品をたくさん扱っているお店のことだよ。スーパーマーケットの略だね。この都市にはないの?それから五年前にリサに会ったのはほんの二回だけだよ。ほぼ何も話していないし、名前すら知らなかった。彼女を変えるきっかけだなんて大袈裟な出会いじゃないんだよ」
「スーパー、マーケット?たくさん、日用品が、置いてあるって、見ている、だけで、楽しそう。選ばれし方様は、そこで、働いて、いたんですか?」
 ツグミがまた笑顔になっていた。その笑顔をずっと向けられていると、本当にリサと一緒にいるような気分になってくる。
「でも、五年前、確かにこの世界は変わったんです。それはお方様が変わられたから。きっと選ばれし方様のお力です」
「スーパーで働いていたのはリサの方だよ。アルバイト店員としてね。それと俺の力も何も、俺は何にもしてないから。どうにかその時、リサと話の一つや二つしたいと思ったけど、できなかった。俺に勇気がなかったから」
「えっ、お方様が、働いて、いたんですか?」
 ツグミが急に驚いた顔つきになった。
「でもその出会いが、お方様に影響して変化が起こったのは間違いないと思います。何か魂が出会った瞬間に化学反応を起こしたような・・・。それはそうとお方様が働いていたんですって?」
 イカルも同じように驚いていた。驚きのあまり立ち止まった。
 あぁ、そうか、この世界ではリサは創造主だった。
 リサがこの世界にどのように君臨しているのかは知らないが、存在としてはきっと全知全能の神に近い、いやむしろ同義なのだろう。
 タカシは改めて、この世界でのリサの立ち位置を思い出した。それならあまり生活感あふれる日常的な話は控えた方が良いのだろうな、リサの立場ってものもあるだろうし。タカシはそう思いもしたが、もう遅かった。イカルもツグミも好奇心の塊のように、目を輝かせてタカシの次の話を待っている。おまけに彼らが立ち止まったせいで、後方を警備していた二人の兵士たちも背後まで近づいており、何の話かと聞き耳を立てていた。
「あぁ、うん。そうだね。働いていたね」
 タカシは自分が嘘をつけない性分なのは自覚していた。だから、どうにか話を変えて、やり過ごそうと考えた。
「でも、俺がリサと一緒にいられるようになったのはつい最近なんだ。君たちは生まれてこの方、ずっとリサと一緒にいたんだろう。リサのことは俺より詳しいんじゃないかな。逆にこっちがいろいろと教えてほしいんだけど」
 この話は僕たちにとって大変重要なことなんです、とイカルの目が訴えていた。はぐらかされたくない意思の現れにも見えた。
「いえ、私たちもお方様の事はほとんど分かっていません。現在、我々はお方様のおられるA地区の警備を担っておりますが、それでもお方様について、私たちが知っていることといったら、幼い頃の勉強時間に習ったことくらいです。お方様は白い塔に住まわれていること、以前は仲間と一緒に地上に住んでおられたこと、ケガレの襲撃に備えてこの地下都市を建設されたこと、およそ十年前、大量のケガレに襲撃されたことにより、たくさんの仲間をつれてこの地下空間に移住されたこと、そして僕たちをお作りになったこと、それくらいです」
「君たちを作った?リサが?どうやって」
「あたしたちは、お方様が、もっと、若い力が、必要だって、考えられて、発光石に、魔法をかけて、ポンポンポンと、生み出した、らしいです」
 話しをつづけるほどにツグミは無邪気になっていく。イカルの眉間に一瞬シワが寄ったように見えた。
「いえ、発光石にお方様が息吹をお与えになって、僕たちが生み出されたと聞いています。誰も見た人がいないので詳細は分かりかねますが、そうやって毎年、お方様は多くの子どもたちを生み出されています。そして僕たちは五年前、お方様と選ばれし方様が初めて出会った頃に、最初に生み出された子どもなんです」
 そりゃ、俺たちの出会いがどんなものだったか、気になるのもしょうがない、何せ自分たちの出生と関係があるかも知れないんだから。
 それにしても十年前、この世界には大きな異変があったようだ。ということは現実世界で何かリサに大きな異変があったということだろう。大量のケガレが発生し、おそらく多くの人が死んで、地下に潜って、そのまま引き籠ってしまうくらいの。その引き金となった現実世界の出来事は、この世界に起きたことから想像すると間違いなく、明るい出来事ではないようだ。
 十年前、何が起きたのだろう。タカシはちらりとナミを見た。この中で十年前リサに何が起きたのかを知っているのはナミだけだ。しかし個人情報云々と言ってたぶん教えてくれないんだろうな、とタカシは思った。
 タカシの視線にナミが気づいた。
「十年前、山崎リサに何が起きたのか、私が言わなくても、あなたが山崎リサの自我をさまよううちに、きっと知る時がくるわよ」
「まだ何も言ってないけど。というか何で俺が考えてることが分かったんだ?」
「あなたの思考は単純だから、すぐに分かるわよ。特に山崎リサに関する事柄の場合は、とても分かりやすいわ」
「あぁ、そう」
 言われれば確かにそうかもしれない。タカシは二の句が継げなかった。
 タカシとナミが話している間に、イカルがふと左手首に装着していた通信機器に目をやった。その機器は戦闘時でも使用できるように、着信時には装着している本人にしか分からない程度の微弱な電流が流れる。通話が可能な状況であればその機器の横に付いているセンサーに触れれば通信が可能になる。
 イカルはまだタカシと話を続けたかったが、機器に映し出された発信者が先行しているイスカだったので、前方の状況を知るためにも通信しないといけないと思い直してセンサーに触れた。
「イスカ、どうした?」
 イカルは言いながら、左耳の上に固定されているイヤホンを下げて耳に装着した。イヤホンからイスカの声が聞こえた。
「イカル、ダメだ。センタービルの入り口周辺は、負傷者であふれていて通れなくなっている」
「どうにか避けてもらって少し道を作れないのか」
「それが難しいんだ。班員と一緒に負傷者を説得して移動させようとしたんだけど、ヒゲの先生が出てきて負傷者を動かすな、って一喝されて。どうにもできない状況なんだ」
「そこにクマゲラ先生がいるのか?分かったすぐにそっちに向かう。待機しててくれ」
 通信を切るとイカルはタカシとナミ、そして自分の班員に再度進むことを伝えた。
「ツグミ、ヒゲの先生がセンタービルの前にいて進行を妨害しているらしい。イスカが手を焼いているみたいだから、お前、説得してきてくれ」
 ツグミは何とも言えない微妙な顔つきになっていた。
「う、うん。がんばって、みるわ・・・」
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