蠢動の中(9)

文字数 5,410文字

「俺はお方様を守りたい。何より大切に思っているから守りたいんだ。君たちにも大切な人がいるだろう。守りたい人がいるだろう。俺がお方様を守るってことは、君たちの大切な人を守ることと同じことなんだ。君たちの大切な人のためにも俺に協力してくれ」
 タカシの後方にいる委員たちは、自分の脳裏に自分の大切な人の姿を思い浮かべていた。そして一様にタカシの言葉を不快に思った。くだらない、こいつの言うことは全部でたらめだ、そんなはずはない。その不快の念を振り払うように自分にそう言い聞かせていた。
 すると急に上官の委員が振り返って、手に持った銃の銃床で、タカシの腹部を殴りつけた。
 ぐう、とタカシは呻き声を上げながら上体を折り曲げた。その拍子に拘束帯が締まり、タカシは身体を捩りながら更に呻き声を上げた。
「黙ってろ、と言っただろ。くだらない話ばかりしやがって。次にバカげた話をしやがったら殴るだけじゃ済まないからな」
 ごくごく冷たい声だったが、興奮を宿してもいた。その剣幕に他の委員は何も言えず、行動もしなかった。
「現実から目を背けるな。この世界が崩壊してから後悔しても遅いんだぞ。俺をお方様に会わせる、それだけでいいんだ。それだけで・・・」
 苦痛に顔を歪めながらも言った。まだ言うのか、委員たちの顔に少しの驚きが浮かんだ。何がこの男をここまで必死にさせているのだろうか。
「会ったらどうなるんだ?」
 上官が振り返り、今度は拳を振りかぶって、今にもタカシに向けて振り下ろそうとした時、タカシの斜め後ろにいた委員が思わず声を発していた。
「それは・・・」
 タカシは言い淀んだ。会ったらどうにかなるとは思ったが、会ってどうなるかは皆目見当もついていなかった。
「どうなるって言うんだよ。はっきり言えよ」
 他の委員が強い口調で言った。
「それは、正直分からない・・・。でも俺だけなんだ。この世界を救えるのは」
「なんでそんなことが分かるんだ。いい加減なこと言いやがって」
 委員たちはほっとしていた。タカシの言うことが、なんの根拠もない世迷言だということが分かったのだ。これで仕事に集中できる。もしかしたらと、自分や自分の大切な人たちの姿を思い浮かべて胸をざわつかせる必要もない。
 タカシは分かりやすく説得力のある言葉を捜した。しかし元来話すのが得意ではない。加えて彼自身、分からないことだらけなのだ。焦れば焦るほどいい言葉が浮かんでこなかった。
「いいか。首脳部からお前が抵抗したら射殺してもいいと言われている。これ以上、無駄話をするようなら本当に撃つからな。これは脅しではない。警告だ」
 そう言う上官の言葉に、タカシは更に口を開きづらくなった。静寂に包まれた通路内で、平行式エスカレーターは、ただ、じっと立つ彼らを、運んでいった。

「今、この下を通過したわよ」
 手のひらに浮かぶ画像を見ながらナミが伝えた。
 石造りの家が立ち並ぶ、その間の細い路地裏に彼らはいた。マンホールに取っ手が着いた形の扉に、地面にヒザを着いたイカルが手を掛けて上に開いた。この扉のセンサーはアントによって解除されているはずだった。実際、扉を開いても何の反応もなかった。
「さあ、行きましょう」
 イカルが入り口の中に頭を突っ込んで、中を確認した上で、ナミに顔を向けた。
 ナミは静かにイカルの背後に回って背負っているバックパックに手を掛けた。そしてゆっくり浮上した。イカルは、わきに置いていたHKIー500を手に取り、次第に浮上していく感覚を味わった。
 最後につま先が地面から離れた時、イカルは思わず、ほんの少しだけ声を漏らした。ここは地下世界である。飛行機をはじめ飛行をするための機器などないし、必要だと考慮されることもなかった。特に地底生まれの子どもたちにとっては飛行する、という概念さえなかった。だから人生で初めて浮上してみてその気持ちの悪さ、心許なさにイカルは戸惑った。しかも続けて、非常口からゆっくり中に入っていく時には中は真っ暗だし、下まで高いしで全身が不安の塊になっていた。イカルは慌ててHKIー500に付属したライトを点け、足下を照らし出した。
「ちゃんと足を折り曲げて、下に着かないように自分で調整してね。私はそこまで面倒みきれないわよ」
「分かりました。もうすぐ通路に出ます。降りたら左側に向かってください」
 イカルは足を畳みながら言った。二人はそのまま通路空間にいたった。
 無音。HKIー500のライト以外は灯りもない。周囲を照らしてみる。タカシたちが通過していった通路の先は、少し右に曲がっていたので、もうその姿は視認できなかった。それでもイカルは相手に察知されないように、ライトの灯りを足元にだけ向けた。
「さあ、行くわよ。覚悟はいい?」
 ナミの抑揚のない声にイカルは小声で答えた。
「はい、大丈夫です」
 イカルの言葉が途切れた途端、ナミが前方に向けて放たれた矢のように鋭く飛行した。イカルはヒザを曲げていることが出来ず、彼の足はすぐに伸び切った。それでも下にさがることはなかった。それだけの速さでナミは飛んでいた。イカルの身体は伸び切ったが、その毛穴という毛穴はあまりの恐怖に収縮した。飛ぶということがここまで怖ろしいことだとは、イカルは吹きつけてくる風に目を細めながら前方だけを注視した。すぐに通路前方の灯りを視認した。イカルはライトを消した。タカシたちはもう目の前だった。しかしナミは一向に速度を落とすつもりはないようだった。彼らはそのままタカシと委員たちの群れに突っ込んでいった。

「最後に一つだけ言わせてくれないか」
 警告を受けたとはいえ、諦めきれないタカシは何とか食い下がろうとした。相手は銃を持っているし、身体つきも屈強だった。恐ろしさはもちろんある。不安もある。声も震えるし、鼓動も早い。でもここで退き下がってはいけない。リサのためにも、自分のためにも。
「ダメだ。黙ってろ」
 上官の断固とした声。更に怯えを抱いている自分を感じた。しかしもう退き下がれない。
「昨日の地震で至る所に亀裂ができて、地上のケガレがこの国にやってきている。俺は地上でケガレに遭遇している。強大な力の塊だ。このままこの世界にケガレの流入を許せば、多くの人が死ぬ。防ぐにはお方様の力が必要だ。その力を生み出すには俺が必要なんだ。俺は選ばれし方だ。きっとこの国を救ってみせる、だから信用してくれ」
「黙っていろと言っている。本当に射殺するぞ」
 上官はタカシの方を見もしなかった。他の委員たちも、また根拠のないことを、と思ってただ黙っていた。それにしてもこの状況でまだ発言しようとするとは、よほどこの男は思いつめているのだろう。ただの精神錯乱なのかもしれない。それにしても何をそんなに信じているのだろうか。自分の思い込みを?自分が選ばれし方様であるということを?
 選ばれし方様、もちろんその人物が登場する物語の存在は委員たちも知っている。幼い頃に誰もが一度は触れている物語だ。その中ではお方様に次いでこの世界にとって大切な人物だと記されている。ただお方様は現実に存在する。しかし選ばれし方様は物語の中の人物だ。よほどの幼児以外は誰も現実に存在するとは思わなかった。思っていなかった。それが今、自分のすぐそばに、その人物を名乗る男がいる。もしかしたら、そう思うと委員たちは身震いを感じた。しかしすぐに胸の中でそれを打ち消した。そんなはずがない。存在するはずがない。
「ケガレは情け容赦ない。ただ黙々と人を殺す。君たちでは太刀打ちできない。俺はお方様から力をもらっている。だからケガレに対抗することができる。このまま俺を幽閉してしまったら、この世界を誰が救うんだ。誰がリサを守るんだ」
 次第に声が大きくなっていった。最後の方は、なりふり構わず叫ぶように言った。
 この声を聞きながら上官は、仕方がない、と思った。自分は警告した。それを聞かないこの男が悪いのだ。それに、ケガレのことなど首脳部からもブレーンからも何の通達もない。この男の言うことはまったくの妄想だ。頭のおかしいこの男が選ばれし方様であるはずがない。この男はただの反社会的な危険分子なのだ。そんな男に制裁を加えたとしても、それは仕方がないことなのだ。
 上官は、HKIー500を振りかぶりながら身体ごとタカシの方へ振り返った。その目の中に憐憫の色と敵対心とが浮かんでいた。こいつは俺の言うことを聞かない、抵抗した。だから制裁を加えられても仕方がないんだ。
 そんな上官の網膜に、自分たちが今までたどってきた通路の奥から何かがこちらに向かってくる様子が映った。それはほんの小さな点だったが、上官がその存在の何たるかを確認しようと目を細める頃には見る見る迫ってきて、すぐにそれが、人が空中を飛びながらこちらにやってきている姿だと確認できた。
「襲撃だーっ」
 上官の叫びとともに委員たちが振り返った時には、すでにナミとイカルはそこにいた。ナミは一切速度を落とさずに彼らの目の前に現れた。そしてその勢いのままイカルのバックパックから手を離した。
 イカルは咄嗟に身体を縮めて、銃を身体の前に盾にするように持って、委員たちの群れに突っ込んでいった。イカルは三人の委員たちを巻き添えに、通路に落下した。何とか身体を避けたタカシの頭上を、ナミが飛び過ぎていった。ナミは通り過ぎてすぐに、速度を落とさずに反転して、再びタカシに向けて飛んできた。
「凪瀬タカシ!」
 ナミが叫びながら左手をタカシの方へ差し出した。彼も手を伸ばしたかったが拘束帯が邪魔で手が出せない。そんな彼の前で上官がナミに向かってエネルギー充填が済んだ銃を構えた。タカシは咄嗟に上官の背後に肩から体当たりした。拘束帯が締まる。タカシが呻き声を上げる。この、と言いつつ上官が振り返りかけた。ナミが片ヒザを曲げて、空中を通り過ぎる際に、その曲げたヒザで上官の横顔を突き刺した。
 上官の身体が宙を飛んだ。そしてそのまま旋回しながら床に叩きつけられた。
 タカシの横側で、イカルは床に這いつくばっていた。身体中から痛みを感じたが自分が下敷きにした委員たちの身体がクッションになったお蔭で特にケガもないようで、何とか立ち上がることが出来た。周囲を見渡す。委員たちは残り二人、他は気を失っている。残りの二人ともに銃のエネルギーを慌てて充填している。イカルは立ち上がり顔の横に銃を構えて、残った委員たちの近くまで駆け寄りながら険しい声で言った。
「銃を下ろせ。今すぐ。銃を床に下ろして両手を上げろ」
 委員たちは観念した。ここで抵抗しても自分たちではこの空飛ぶ襲撃者たちに敵う気がしなかった。委員たちは言われた通りに降伏した。
「そのまま後ろに下がれ」
 委員たちが言われた通りにするとイカルは彼らを警戒しつつ、彼らが持っていた銃を回収した。
 タカシのかたわらにナミが降り立った。
「あなた今度は何をしたの?あたしが目を離す度に立場を悪くしている気がするんだけど」
「俺は別に何もしたつもりはないんだけど。とにかく来てくれてありがとう。やっぱり君は頼りになるよ」
「バカね。少しは自分でどうにかしなさい」
「そうしたいのは山々なんですが」
「とにかくまたそんな拘束具つけられて。また取ってあげるから向こうむいて」
「いや、いいよ。彼らにお願いしてみる」
 タカシは昨日の痛みを思い出して遠慮した。そしてそのままイカルが警戒している委員たちに近づいていった。委員たちに話しかける前にイカルに、ありがとう、助かったよ、と言ってから委員たちに向き直った。
「君たち、この拘束帯を外したいんだ。どうにか出来ないかな」
 二人は少しの間、言い淀んでいたが、イカルに、答えろ、と促されたこともあり、一人が口を開いた。
「あなたは本当に選ばれし方様なんですか」
 全然見当違いの答えだったが、それがイカルたちが登場する前の話の流れなのかもと思い、タカシはそのまま答えてみた。
「ああ、俺も昨日知ったばかりだけど、どうやらそうらしい」
「あなたは本当にこの世界を救ってくれるんですか」
「ああ、そのためだけに俺はここまで来たんだ」
「・・・・分かりました。少しだけあなたを信用してみたくなりました」
 その委員は言い終わるとタカシの背後に回って小さな操作パネルにコードを打ち込んで拘束帯を解除した。案外とあっさりこちらの要求通りにしてくれたのでタカシは拍子抜けした気がしていた。そんなタカシにその委員は正対して言った。
「実は俺、お方様と選ばれし方様の物語、前から好きだったんです。あなたが本当に選ばれし方様なら・・・・・・お味方することが出来ず、申し訳ありません・・・」
 タカシのかたわらにいる、イカルとその委員という立場の違う二人。片や自分の立場をかなぐり捨てて自分が大切だと思う事柄のために動く者、片や自分の立場にしがみつき自分が築き上げた地位を守ろうとする者、どちらが正しい訳ではない。見方を少し変えるだけで善悪はすぐに逆転してしまう。本当に人間ってめんどくさいものね、若い二人の姿を眺めつつナミは思った。
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