秘匿の中(4)

文字数 4,890文字

 白い塔の四階には通信室があった。
 ここはかつてブレーンコンピューターを通じて、首脳部の賢人たちがお方様と連絡を取り合う場所だった。しかし現在は単にブレーンと交信する場となっていた。
 発光石に囲まれて部屋中が光り輝いている。奥の壁には一面にいくつものモニターが並んでいる。一の賢人はそのモニターに向かって話し掛けていた。
「シティに落ちた大岩のために街は壊滅状態だ。復興することは難しいだろう。それにこの地下都市に初めてケガレが発生した。何とか地上連絡通路入り口からの侵入は防いだが、治安部隊の分隊が一つ消滅した。またいつ襲撃されるかも分からない。予断を許さない状況だ」
 モニターの奥から落ち着いた女性の声が聞こえてきた。
「今回の岩石崩落で住居を失った住民にはC3区画射撃演習場に仮設住宅を築いて収容しましょう。そして速やかに計画進行中だったD地区居住区域拡張工事を進めて、そちらに移住させるようにするといいわ。ケガレについては地上連絡通路入り口の扉はそのために強固に作られている。けっして中に入ることは出来ない。治安部隊員も配置していることだし心配は必要ない。それから自称、選ばれし方とその仲間は現在どこに潜伏しているのか。反社会組織の反乱はどうなった。まだ残党捕獲の報を受けていないが」
「シティ住民の移住については了解した。その方向で進めるとしよう。またケガレについてはまだ不安な点が多い。更なる対処を考慮するべきだ。また逃亡している者たちに関しては現在、情報委員を中心とした捜索隊を編成して捜索中である」
「その逃亡者たちはこの世界の存亡に関わる存在である。特に選ばれし方と名乗る男は必ずこの世界に災厄をもたらす。必ずその存在を削除するように。この都市にとどめないように」
「そのことなんだが、ケガレについても選ばれし方のことに関しても、この世界にとってあまりにも重大な事柄だ。我々だけの考えで決めてよい事柄にも思えないのだが。いっそ、お方様のご意見をお伺いしてみてはどうだろう。お方様ならどうにか出来ることもあるかもしれないし、お方様の決めたことなら我々も納得せざるを得ない。だから再度、お方様に通信を繋げて、お伺いを立ててみないか」
「博士、その申し出は指令DCR00283に反するために受け付け出来ない」
「ではその指令の解除手続きを行う」
「博士、待ちなさい。私の判断に疑義を差し挟むつもり?私のことが信じられないということ?」
 いつからだろう。自分たちの生み出したこの人工知能が、あまりにも人間っぽくなってきたのは。
 確かに当初は自分たちもそれを望んでいた。単に計算上だけではなく、人間の好悪や倫理観といったものも加味して判断が下せるように、人の感情を理解することも出来る知能を目指していた。しかし最近になってその危うさに一の賢人は気づきはじめた。何しろ、人間の好悪や倫理観は不変のものとして規定することが出来ない。時と場所によって変化するかもしれないもの、というより変化すべきものなのかもしれない。その変化の方向性によっては、下される判断が著しく不適当なものになってしまうかもしれない。そんな危うさ。
 最近、ブレーンは頑なに自分の意見を曲げようとしない。一度下した判断は何よりも重要な事項として、反対意見を決して認めようとしない。その頑な態度の裏に薄っすら破綻の影が差しているように感じられてならない。
「我らが生み出した史上最高の知能よ。お前の判断はいつも正確で的確だ。しかし技術は進歩し、人間も変化し、世の状況も刻一刻と変化する。お前も更に正確で的確な判断を下せるように進化していかなければならない。もちろん我らがともにお前と歩み、その進化を支えて行こう。古い指令も状況によって訂正、修正を加えていかなければならない」
 少しの間が空いた。最近、この人工知能は間を使うようになった。自分の意思を表すために。
「博士、古い指令を訂正するよりも前に、今、あなたが提示した意見を訂正しなければならない。私を生み出したのはあなた方だが主に四の賢人によるものだ。よって私の生みの親は四の賢人だと既定している。また四の賢人により定期的にアップデートしているので、あなたがたの手による更新は必要ない。私は常に正確で的確な判断を下してきたし、これからもそれは疑義を差し挟む余地もなく確実に施行されることだ。あなたの心配はまったくの杞憂でしかない」
 ブレーンコンピューターの開発は当初、一の賢人と二の賢人とが中心となって行っていた。しかし他にもやらなければならないことが山ほどあったし、おおよその目処が立ったこともあり、後を四の賢人に任せたのだった。任せた後も気に掛けていたし、口を出すこともあった。だからブレーンの開発に深く携わってきた自負は持っていたのだが。
 一の賢人の日々は多忙である。地下に暮らすというだけであらゆる問題が生じる。それが毎日のように彼のもとにもたらされる。それを解決するべく分刻みで対応していく。それでも定期的にブレーンとは意見交換をしてきたつもりだった。しかしそれがあまりにも無駄なことだったと思い知らされた。
「それから逃亡者の中に認識番号0502253、通称ツグミがいるわね。このコの存在は私には認められない。何度もデータを削除したはずなのだが、その都度、新たに書き直されている。なぜだ」
 ツグミ?一の賢人は記憶を辿った。その途中で一人の女性兵士の姿が浮かんだ。
「この都市に確かに存在している以上、データを入力しない訳にはいかない。おまけに彼女は特異体質で、ケガレに対する生まれ持った抗体を有している。重要な被験体として、実験を繰り返しデータを収集した対象だ。そういった観点からもデータを消す訳にはいかない。そもそもなぜ彼女の存在が認められないのだ。その理由が何も明示されていない」
「これは私の根源にあるお方様の判断よ」
「どういうことだ?」
「私は最初、お方様のご意思を具現化するために生み出され、そのように作動してきた。その中でお方様は常に自分という存在を否定されていたわ。なるべく消失させたい、そうご意思を示されていた。だから私はその意思を尊重した。五年前、お方様の意思に変化が生じた時も、私の中ではお方様の根源の意思が優先事項として発動された。現時点までその意思は継続して維持されている。だから認識番号0502253は否定された。これはお方様の意思である」
「ちょっと待つんだ。お方様とその兵士がどうして繋がるんだ。お方様がご自身を否定されることとその兵士のデータを削除する理由がなぜ繋がる」
 少しの間が空いた。
「分からない。分からないが、お方様と認識番号0502253は繋がっている。同質である。そう私の中では認識している」
「どういうことだ?少しも明瞭な返答になっていない。繋がりとはどんな繋がりだ。同質であるとは何がどのように同質なのか?」
「その質問に対する返答は出来ない。別の質問をどうぞ」
「そんなバカな。明確な理由もなく人のデータを消すなどあり得ない」
 やや感情的に声を発した途端、背後に人の気配を感じた。振り返るとそこに四の賢人と近衛委員長が立っていた。
「私のかわいいブレーンをそんなに困らせないでもらいたいですな」
「困らせている訳ではない。私はただ不明確な・・・」
 一の賢人の返答にブレーンの声が重なった。
「ヨウム博士、ご機嫌はいかが」
「快調だよ。君も調子良さそうだね」
「あなたのお蔭よ。いつもメンテナンスしてもらっているから」
 ヨウムこと四の賢人は一の賢人を、微笑みを湛えたまま見詰めていた。
「ハシマギ博士、少し外で話をしませんか」
 ハシマギこと一の賢人は頷いて、先導する四の賢人の後を近衛委員長と並び立ちながら通信室を出ていった。
 螺旋状の、緩やかに壁に沿って下っていく通路を歩いていく。
「ハシマギ博士、ブレーンに対してあまり軽々に意見されると彼女が迷ってしまうといけません。お気をつけいただきたい」
 四の賢人は顔だけ後ろに向けている。
「その心配はないだろう。現状、彼女は君以外の意見をあまり聴く気はないようだ」
 四の賢人が少し笑ったような気がした。
「現在、この世界はブレーンによって運営されている。そこにお方様の意思はなく、我々の知恵も必要のないくらいに完璧に運営されている。そうですね」
「完璧かどうかはともかく、運営はされている」
「完璧という表現に語弊があれば、最良と言ってもよいかと。とにかく今となってはブレーンのないこの都市など考えられない。ブレーンがこの世界の意思そのものなのです。あなたなら分かっていただけると思いますが」
「いや、分からない。この都市はここに生きる人々によって成り立つべきだ。人工知能はあくまで人に使われる従の立場であるべきで、けっして主になってはならない」
「それは理想論でしかありません。人民などという、不確かな感情を有する存在の集合体にこの都市を任せれば、意見はまとまらず、何も決められず、問題の解決も出来ず、ただ衰退を待つばかりになります。我々に必要なのはただ一つの指針なのです。その指針を示すのはただ一つの存在だけでいい。我々にとってはそれがブレーンなのです」
「それこそ理想論ではないかね。ブレーンが判断を誤る可能性を考慮していない。手間が掛かっても、多様な意見を出し合い、議論を交わしながら一つの方向性を指向することが必要なのではないだろうか。もちろんこの都市にブレーンは必要だ。しかし定まった方向性を実際に施行する場合に必要とするべきだ。あくまで実務の段階だ」
「意見を出し合う?議論を交わす?そんなこと争いの種になるだけですぞ。雑多な意見を擦り合わせて一つにしたところで、そんな継ぎはぎが最良な訳がないじゃないですか。そんな妥協、打算の産物など、世間に対する体裁を取り繕うだけの、ただの欺瞞でしかない」
「確かに欺瞞かもしれない。しかしそれを繰り返して少しずつでも最良に近づけていく、それが人間というものではないのかね」
 四の賢人は前を向いて長くため息を吐いた。
「残念です。あなたほどの方なら分かっていただけると思っていたのですが・・・。ブレーンがあなたの首脳部解任を望んでいます。先ほど他の賢人の方々にも了解を得ました。最後にあなたを説得出来ればと思っていたのですが、どうやら無理なようですね。本当に残念です。私はあなたのことを尊敬していたので、このような形で退任していただかざるを得ないとは」
 予想だにしなかったことを言われて、一の賢人は正直驚いていた。自分ほどこの都市の開発と運営に関わってきた人間はいない、そういう自負があった。だから自分が首脳部を解任される日がくるとは思ってもいなかった。
「待ってくれ。なぜそんなことになっているのか。ブレーンに確認してみる。何かの間違いに違いない」
 一の賢人は振り返り、再びブレーンのもとに向かおうとした。しかしその目の前に近衛委員長が立ちはだかった。
「戻ることは出来ません。先にお進みください」
 冷たい目だった。昨日までは自分を護衛する立場だった眼前の、無印の白い制服を着た男が、今はこんなに冷めた目で自分を見ている。一の賢人は、自分の立場の変化を、はっきりと示された気がした。
「申し訳ございません。手続きはまだこれからですが、不測の事態が起こるといけませんのでブレーンへの面会は制限させていただきます」
 間もなく下の階に着く。一の賢人は自分が抵抗することも出来ずに上手くはめられたことに歯噛みする思いだった。
「クーデターか」
 口から言葉が漏れ出した。
「そんな大したものではありませんよ。ただの意思です。ブレーンの、そしてこの世界の、ただの意思ですよ」
 四の賢人は、振り返りながら、一の賢人に憐れむような、蔑むような笑みを向けた。
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