深層の中(6)

文字数 4,386文字

 指令が下ってから、HKIー500のバッテリーを入るだけポケットに詰め込んで、ツグミは本部を後にした。
 その間、トビはモズに対して進言していた。
「A地区からB地区にかけて、委員たちがまだ警備に当たっている地点があります。現状、通信器での連絡は難しいので、直接、投降を勧告しなければなりません。ツグミ隊員をB3区画まで無事送り届けるためにも私の班とエナガの班がB地区に向かうことをお許しください」
 意図的にレンカクの口調を真似てみた。
 モズは少しの間、黙って考えた。そう言われてみれば、B地区にはまだ委員たちの残党が、現存する兵士たちの総数よりも多く残っていることが推察された。そのすべてが集結して、塔や治安本部の奪還を試みようとした場合、かなり面倒なことになりそうな気がする。その可能性は決して高くはないとは思われたが、かすかにでも可能性があるのなら、その芽を摘んでおくことも決して無駄にはならないだろう。
 モズは事務室の壁掛け時計に視線を向けた。いつの間にか日が改まっていた。間もなく丑三つ時を迎える時分だった。
「君たちは朝からずっと過酷な状況に身を置いてきたのだろう。少し休め。B地区には他の班を行かせよう」
 モズのその言葉に、エナガは少しほっとしたが、続いて発せられたトビの言葉に思わずため息がもれた。
「お言葉ですが、現状、非常事態です。そんなことは言っていられないかと思います。我々は兵士です。一日二日休みなく働いても何の支障もありません。それに仲間が休まず働いている時に、自分たちだけ休息をいただくわけにもいきません。今すぐB地区に向かいたいと思います。ご許可を、お願いします」
 このコは、こんなコだったかな?とモズが思うくらいに、普段のトビとは違って断固とした意志を満たした視線を、目の前の指揮官に向けていた。まっすぐな視線、まっすぐな言葉、まっすぐな思い、若さゆえの恐れを知らぬ曲がらない光のような意思を、人の上に立つ者としてモズはさえぎってはならない気がした。
 今、本部内には、トビ班とエナガ班以外の兵士と職員を合わせると三十人を超える人数がいた。タゲリ班と合流すれば四十人余りとなる。更に、各地区に分散している班も今後、集結してくるだろう。現状、この二班が抜けても塔警護の手はかろうじて足りそうだ。モズは目の前にいる兵士たち全員の顔を見渡した。どの顔も、少しの間見ないうちに、何となく精悍になったような気がした。
「うむ、許可する。トビ班、エナガ班はこれよりツグミ隊員とともにB地区に向かいノスリ班、イスカ班と合流の後、選ばれし方様の奪還ならびにB地区に残る委員たちの粛清に当たれ。投降した委員たちは拘置所に送れ。抵抗するなら銃の使用を認める」
 兵士たちはすぐさま、了解、と答えて、急いで準備を整えて本部を後にした。
 
 普段通りに仕事を終えて、ナミは、リサの魂の核が存在する場所に戻ってきた。
 今まで何百何千と見てきた魂の核だった。
 暗闇にただようただの白い固まりだった。
 ナミはその核に近づいて、その中に入るように志向した。
 すると核は瞬く間に膨れ上がり、ナミの周囲を白く染めた。
 今まで毎日々々飽くこともせず眺めてきた光景。
 何も変わることはない。
 今、凪瀬タカシのいる自我が崩壊してしまえば、当然のこととしてそこに彼はとどまることができない。山崎リサの残りの自我も連鎖的に次々と崩壊して消滅するだろう。そうなればルイス・バーネットがすぐに彼の意識を本来いるべき魂へと帰してしまうだろう。
 そして山崎リサの意識は、この核に戻ってくる。
 不確定要素としての凪瀬タカシがいなくなれば、山崎リサの意識はここに戻ってくる。 
 私はいつも通りにその意識に事情を説明して、この核を次の命へと送る・・・。
 いつものこと。
 いつもやっていること。
 どれだけその意識が現世に未練を残していても。
 どれだけ最期に、誰かに別れを告げたいと思っていても。
 どれだけ愛する人を現世に残していたとしても。
 私はいつも通りに魂の核を次の命に・・・。
 先ほど送った死者の姿が、脳裏に浮かび上がってきた。
 幼い子どもの母親だった。夫と三人でバスに乗っていた。
 その意識は、必死に彼女に向かって懇願していた。
「このまま消さないで。お願いだから、一目でいいから最期にあの子に会わせて」
 大量の涙におおわれながら、その目は必死に訴えていた。でも彼女はいつも通りに無感情な目を向けて、その母親に宣告した。
「あなたと一緒にいた、あなたの子どもはもうこの世にはいないわ。私がすでに新しい命に送ったの。だからあなたはもうその子には会うことができない」
 少しの間、母親の顔はただ絶望の表情におおわれていた。やがて諦観が色濃くにじみ出てきた。そして新しい魂に送られることに承諾した。
 ナミはただ無表情のまま立っていた。その感情のない目にさっきまで母親であった意識が訊いた。
「あの子は、寂しがっていませんでしたか。あの子とても寂しがり屋で、あたしがいないとすぐに泣き出してしまうんです。あの子は、あの子は泣いてませんでしたか。泣いてあたしを呼んでいませんでしたか」
 ナミはスッと目を閉じた。そして再び開くと、静かに言った。
「いいえ、少しとまどっているようでしたが、安らかに新しい命に向かってくれました」
 実際は、母親の予想通り、その子どもは泣き叫んでいた。辺り構わず泣き叫びながら母親を何度も何度も呼びつづけた。彼女の言うことにも一切耳を貸そうとはしなかった。だから彼女は言った。あっちに行って新しい命に生まれ変わればお母さんに会えるわよ、と。それを聞いた子どもは、やがて落ち着きを取り戻して、彼女の導きのままに、新しい命へと旅立っていった。
 ナミは嘘を吐いたつもりはなかった。その子どもが新しい命に生まれ変われば、新たにその命を産んだ母親に会うことができるだろう。もうどうやってもその子どもが思い描ている母親に会うことはかなわない。なら新しい母親に会わせてあげた方が・・・。
 その母親だった意識は、目を閉じて、しばらくの間、はらはらと泣いていた。しゃくり上げながら泣いていた。そして目を開いて立ち上がり、ナミを見て言った。
「ありがとう」
 そのまま母親だった魂は、新しい命へと送られていった。
 その姿をナミは、ただ静かに見送った。
“あたしはいつからこんなに感情を失くしてしまったんだろう”
 そう思いながら。
 少しの間、目を閉じた。再び目を開いて、山崎リサの乳白色の魂を見渡した。その視界が急にぼやけはじめた。瞳の下からあふれるものがあった。
“あれ?”
 ナミは自分の目の下に指をあてた。
 小刻みに震える唇を開いて、はぁ、と息を吐いた。
 彼女が死んだ時、マスターがやってきて言った。
「君のことをずっと見守ってきた。君には送り霊の素質がある。君はこのままではただ消えるだけだ。何の生き物に生まれ変わるか分からない。君さえ良ければ送り霊にしてあげる。送り霊になって実力と努力によっては、君は望む場所で望む生き物に生まれ変わることができる。決して簡単なことではないが、特典として今の記憶のヒントを一つだけ持っていけるんだ。どうだい、やってみるかい?」
 その時から彼女は送り霊になった。どうしても、なるべく早く人間に生まれ変わりたい、その一心で。それからというもの休むことも忘れて魂を送りつづけた。最初のうちは、とにかく感情を揺さぶられつづけた。鬱に近い状態で日々をすごしていた。
 担当した魂たちに死の宣告をする。すると皆一様に驚きの表情を見せる。中には自分が望んだことだと安堵する者もいたが、たいていはその顔をしばらくの間、曇らせた。人によっては泣き叫び哀願したが、その多くは泣き叫ばないまでも必死に、それこそ必死に自分が死にたくない、死ねない理由を切々と彼女に訴えた。
 感情を著しく揺さぶられる。
 自分の存在の一切が消滅してしまうことへの恐怖、愛する人に二度と会えなくなる悲哀、よりによって自分が死ななければならないことへの憤怒、そんな色濃い感情の込められた目を見つめつづける。その視線に自分の感情を射抜かれる。彼女の瞳にあったはずの感情の色が削られて、削られつづけていつしか消えた。彼女の目は、ただ、目の前の事象を視認するだけの器官でしかなくなった。
 周囲にいたはずの同業者たちは次々に消えていった。その目、その視線に耐えきれずに自ら送られることを望んで、新しい命へと生まれ変わっていった。
 送り霊に選ばれるような者は生前、何らかの苦悩や苦痛を抱え、それに耐えつづけた人たちだった。自分の感情をコントロールして耐え抜くことができる、そんな人だけが、他人の苦悩や精神的苦痛による感情の表出に耐え、業務を遂行することができた。彼女も自分の感情を押し殺し、他人の泣く様、怒る様、恐れる様を眺め、有無を言わせぬように理路整然と説得し、ごく事務的に新しい命へとその魂を送っていった。毎日々々同じことの繰り返しだった。やがて彼女の感情は、その存在を自分でも忘れるほど薄っぺらで、無味乾燥な様に変化していった。その方が都合の良い日常だった。そうでなければ、やりきれない毎日だった。
 そんな日々の中で、彼女は凪瀬タカシに出会った。
 最初から不確定要素だった。予想外の出会いだった。関わることのないはずの存在だった。自分が想定できる範囲を逸脱する事象ばかり起こす存在だった。自分の日常とは異質な時間の流れがそこにはあった。いつしか彼女の心に驚きの明かりが小さくともった。それは次々にともっていき、自分ですら忘れかけていた感情のありかを、暗闇の中に置き忘れていたその存在を、彼女の目の前にぼうっと浮かび上がらせた。自分の今、唯一存在する意義である業務を遂行することに著しく不要でしかない感情が湧き起こってくる。その感覚を胸の奥でとまどいながら感じていた。
 なんで私は、契約破棄に応じてしまったのだろう。一度交わされた契約は一方の申し出だけでは破棄できない。私が了承しない限り破棄はできなかったのに。凪瀬タカシがルイス・バーネットの言霊に操られているのは明白だった。なのになぜ、あんなに彼の言葉に反応してしまったのだろう。言われるがままに契約破棄を承諾してしまったのだろう。分からない、分からない。
 このままこの核を送ってしまっていいの?
 このまま二人を離してしまっていいの?
 このまま終わってしまうのは、何か、とても、寂しい・・・。
 ナミはただ核の中心で立ち尽くしていた。いつまでも、ただ静かに。
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