深層の中(13)

文字数 5,105文字

 ナミは仕方ないわね、という顔つきをして懐から契約書を取り出した。
「契約内容は前と同じ感じでいいわね?」
 彼がうなずいた。
「念のために内容確認する?」
 ナミは、いつの間に書かれていたのか、すでに内容が記されている契約書をタカシに見えるように差し出した。
「いや、いいよ。信用しているから」
 そう言うと彼の親指から流れ出ている血のほんの一部が契約書の上で、サインになった。前回より濃く大きい字で。
 お人好しもほどほどにしないとすぐ人にだまされるわよ、そう思いながらナミは契約書の文面に視線を向けた。
“二、乙は、甲が山崎リサの自我に存在する
  限り、甲からの要請並びに自らの判断に
  基づき、甲の生存及び行動に対し必要
  充分な補助を行うこととする。”
 彼に黙って書き換えた箇所だった。ナミはその内容について彼に告知するべきだとも思ったが、ただ単にタカシの意思の有無如何に関わらず、ナミが彼を助けることができるという内容で、内容が変わったからと言って特段お互いにすることが変わるわけではないなと思い直し、そのまま黙っていることにした。
 タカシは、その場にそのままにしていくわけにもいかないので、気を失ったままのツグミを両腕に抱えて独房を出て、通路を走った。ナミは宙を浮いた状態でついていった。
 通路の先から破裂音が聞こえてくる。戦闘が行われているようだった。彼らはとにかく音のする方へ向かって進んだ。すでにケガレの姿はなかった。彼らは難なく進む事ができた。しばらく行くと音が大きくなってきた。間違いなくHKIー500のエネルギー弾が物に当たって炸裂する音だった。
 もうすぐこの牢獄の入り口に当たるホールに達する。通路の先に数人の兵士がいた。全員ホールに意識を向けている。タカシたちの接近には気づいていない。
 タカシはいったん手前の部屋に入った。そこは医務室なのだろう。白いシーツに包まれたベットと事務机と薬瓶が並ぶ棚が目に入った。タカシはまだ気を失ったままのツグミをベットにそっと横たえた。このコのお蔭で正気を取り戻すことができた。そう思うと言い知れぬ感謝の念が湧きおこってきた。この恩に報いるためにも、リサに会って、イカルを助けてやらなければ。タカシは更に覚悟の度合いを深めていった。
 再び通路に出たタカシとナミは、通路の端で、壁に背中をつけて敵の様子をうかがっている数人の兵士たちに走り寄った。
「君たち、状況を教えてくれ」
 突然、意識を向けていなかった方向から声を掛けられて兵士たちはとっさに振り返った。
「あっ、選ばれし方様だ。ノスリ、おいっ、ノスリ、来たぞ。選ばれし方様だ」
 すぐそばにいたエナガが道を挟んで前にある部屋に向かって叫んだ。その部屋の窓から相手をうかがっていたノスリはあわてて姿勢を低くしたまま部屋を出てきた。
「あんた・・・」
 タカシの姿を見てノスリの口から声が漏れた。
「ちょっと待ってくれ」
 ノスリを制しながらタカシは周囲を見渡した。自分の背後にある部屋の中で負傷者の手当てをしているアビの姿があった。
「アビ、そこの医務室にツグミがいる。気を失っているんだ。すまないが看てやってくれないか」
 アビは振り返ってタカシを見て、あっ選ばれし方様、という顔をした後すぐに、了解と応じて、ちょうど今、看ていた負傷者の手当が済んだこともあって、屈んだ状態で立ち上がり、部屋から出てきた。
「選ばれし方様、よく戻って来てくださいました。どうかこの都市を、みんなを助けてください」
 アビは屈んだまま頭を下げた。みんなが俺に期待してくれている。単に自分の心からの要求に従ってここまで来たが、それがこの世界の人々の願いと合致していることを再認識した思いだった。俺はリサを守りたい、みんなはこの世界を守りたい。それはどこまでも同義であり、合致することだった。ただ、自分の思いだけではなく、この世界のみんなの思いも背負っている自覚が、彼の背筋を真っ直ぐに伸ばしていく。
「もちろんだ。俺に任せろ」
 アビは笑顔を彼に向けて、少し頭を下げてから通路の奥に向かって走っていった。
「あ、あの・・・」
 アビと入れ替わりにノスリが横にやってきて声を出した。この少年が自分に対して好感を持っていないだろうことは、地上連絡通路から出たばかりの時や審判の場での証言で、確信していた。でも今はそんなことにこだわっている場合ではない。それに今は、こうして自分の脱出に尽力してくれているようでもある。だから表面上だけでも友好的にしておかないと、そう思いながらタカシは言った。
「あまり状況は良くないみたいだね。敵はケガレなのかい。君たちと同じ武器を使用しているみたいだけど」
「相手は看守たちです。彼らも日頃からHKIー500を使用しています。どうやらみんなケガレに支配されているみたいです。他にも投獄されていた受刑者たちもある程度含まれているようで、人数ははっきりと判明しませんが、こちらの倍はいるかと思われます。他に四つ足と円盤型のケガレが無数に向かってきています・・・それと、あの・・・」
 タカシはノスリの方を見た。ノスリも初めて彼の方を向いて視線を合わせた。そしてすぐに視線をそらしながら言った。
「今まで、すみませんでした。・・・俺、俺、仲間が目の前で死んで、班長なのに助けることができなくて、情けなくて、そんな自分の不甲斐なさをあなたのせいにして、あなたがケガレを連れてきたって、あなたを責めてしまった。本当に情けない。本当は、あなたが俺たちを助けてくれているって分かっていたんです。分かってて・・・」
 大きな身体を縮めてボソボソとつぶやくように言った。普段から自信に満ちあふれて人に謝ることなど今までしたことがない、そんな雰囲気を日頃から醸し出しているノスリが頭を下げている。タカシはこの少年が、今から更に良いリーダーになっていくことだろうと感じた。
「頭を上げてくれ。実際、俺はケガレをおびき寄せているみたいだから、君の言うことは間違いじゃない。でも、これだけは言っておく。目の前で人が殺されて、俺だって腹が立っている。俺に力がないばっかりに、大勢の人が死んだ。俺だって自分が情けない。自分にもっと力があれば助けられた命もあったのに。悔しいよ。だから、だからケガレをみんなブッ倒してやりたいって思っている。それは君も同じだろ?」
 ノスリはタカシの目を見た。そして力強くうなずいた。

 アビは急いで先ほどいた部屋の隣の隣にある医務室に向かった。はたしてそこに意識を失って横たわっているツグミの姿を発見した。
「先輩、大丈夫ですか?」
 ツグミは半開きの目をアビに向けた。
「あぁ、アビ。何しているの」
「タカシ様から聞いて、先輩の救助にきたんですよ」
「タカシ様?あっ!」
 ツグミは目を見開いて起き上がろうとした。しかし少し動いただけで、苦痛に顔をゆがめながらまた横たわった。
「ダメですよ、動いたら。先輩の身体はもう限界を超えてしまっています。しばらくここでおとなしくして、みんなが突破口を開いたら脱出しましょう」
「そんな、のん気なこと言っている場合じゃないのよ。行かなきゃ、タカシ様をお方様の所に連れて行かないと・・・」
 ツグミは歯を食いしばり、顔をゆがめながらなんとか上体を起こそうとした。
「大丈夫です。タカシ様はノスリ隊員たちと合流しています。これからみんなでお方様の所にきっと向かってくれます」
 ツグミは眉間にしわを寄せて険しい顔をしながらアビを見た。その表情が苦痛のためだと分かっていたが、アビは少し後ずさりしそうになった。
「アビ、あなた誰かを、誰か男の人を好きになったことはある?」
 こんな時に何を言い出すんだろう?と思った。そしてちょっと恨めしそうな視線をツグミに向けた。このまま答えたくない気がしていたが、応えないと叱責されそうな気がしてアビは答えた。
「いえ、ないです」
 ツグミの表情が少しゆるんだ気がした。
「あのね、人を好きになったら、落ち着かなくなるの。その人が今、何をしているのか、何を考えているのか、すごく気になってしょうがなくなるの。ましてその人が苦しんでいたり、困っていたら居ても立ってもいられないのよ。たとえ自分が何をしても役に立たないって分かっていても、どうしようもなく落ち着かないの。ジッとしているなんて苦しいの、おかしくなりそうなのよ」
 ツグミの真剣すぎるほどの表情にアビは思わず笑った。この人はいつもそう、人の意見なんて聞きやしない。自分がこうするって言ったら必ずそうする。いつも割を食うのは私の役目。まぁそれはいつも班長に関することだったから班員としてはその意見を聞き流すわけにもいかないんだけど。
 アビは救急医療用品袋から一本の注射器を取り出してツグミの目の前に差し出した。
「鎮痛剤です。これを打てばしばらくは動けます。ですが、効き目が切れたら今の数倍の痛みに襲われます。聞いた話では死んだ方がましと思うくらいの痛みに襲われるそうです。打ちますか?」
 ツグミはアビをじっと見ながら、はっきりとうなずいた。
 アビはツグミの左腕を手に取ると袖を捲し上げてからヒジの裏をすばやく消毒して、注射器を突き立てた。
 一連の流れるような動きにツグミは止める間もなく薬剤を注入された。
「ちょっと、もう少し優しく射せないの」
 元から注射は好きではない。それなのにこんなに太い針の注射をあんなに乱暴に突き立てて。
「こんなに全身傷だらけなのに、今更何を気にしているんですか」
 アビは笑いながら注射針を腕から抜いてすばやく消毒した。
 アビ、覚えていなさいよ、と思いつつ、ツグミはそれまで間断なく訴えていた全身からの痛みがやわらいでいく感覚を覚えた。
「さぁ、もたもたしてたら薬剤の効き目が切れてしまいます。肩を貸しますから行きましょう」
 注射を打った左腕は避けて、アビはツグミの右側に回ってから屈みこみ、腕を取って自分の肩に掛けた。まだ多少痛みは感じたが、ツグミはアビが腰を伸ばす動作に合わせて何とか上体を起こしベットから降りた。
「歩けますか?」
 アビが試しに進むのに合わせてツグミも足を出した。歩けないほどの痛みは感じられない。痛みに耐えるために緊張していた身体中の部位という部位が次第に弛緩していく。だんだん気分が楽になってきた。こうして後輩と肩を組んで歩いていることが楽しくなり出していた。
「アビ、あなたにはいつも迷惑掛けているわね。いつも助かっているわ。ありがとう」
 アビは驚いてツグミの顔を見た。きっと鎮痛剤のせい、そうは思ったが、初めてツグミから、ありがとう、と言われて素直に嬉しかった。心が軽やかに踊り出すような気がした。
「そんな、改まって、やめてくださいよ」
 二人は一歩二歩と歩を進めた。次第に速度が速まっていった。
 嬉しさのあまり自然とアビの口は軽くなっていった。
「先輩すごくかっこよかったです。みんな先輩は何考えているか分かんないって言うけど、あたしもよく、いえ、たまにそう思うけど、でも班長のことになると絶対にブレない、すごく分かりやすくなる。班長のためならどんな困難な事でも、どんな怖い事にも負けない。班長を守るって意志を必死になって貫く。周りがどう思うかなんて、周りの空気を読むことなんて気にもせず、自分がどう見られているかなんて考えもせず、ただ班長を守るって意志を貫こうとする。とってもかっこいいと思います」
 あたし今、褒められているんだよね?少し府に落ちない気がしたが、ツグミは構わず歩きつづけた。
「あたし先輩の事が大好きです。あたしいつか先輩みたいになりたいです」
 このコがそんな風に思っていたなんて、ツグミは正直くすぐったいような気がしつつも嬉しかった。
「やめなさい。あなたがあたしの真似をするようになったら、周りの男たちからあたしが恨まれるから」
 そんなことないですよ、と言うアビとこんな風に話すことができて良かったとツグミは思った。たまにはイカル以外の人と一緒に歩くのも悪くないのかもしれない。
「それにしても先輩って、見た目小さくて細く見えますけど、けっこう身体がっしりしているんですね。そのせいか、けっこう重いですね」
 ツグミは、顔を赤らめて嬉しそうに話すアビの横顔を見ながら、アビ、覚えていなさいよ、と心の中でつぶやいた。
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