邂逅の中(4)

文字数 4,181文字

 そこにいる少年少女は誰もリサのことを知らなかった。
 しかしこの世界の創造主であるお方様のことだと説明すると、すぐに理解してくれた。そしてリサ、すなわちお方様は、この都市の北側地区にある白い塔にいると教えてくれた。
 リサの居場所が分かっただけで、タカシは言いようもなく安心感を得た。リサに会いさえすれば、気持ちの悪い黒い霧の存在も、崩壊しはじめたこの都市のこともどうにかなるはず。楽観的気分が彼を包み、その身体も軽くなったような気がした。その軽い気分のままで、忘れないうちにと彼はナミに向かって口を開いた。
「そういえば君がいなかった間、地上からここにくる途中で変な男に会ったんだ」
「変な男?」
 ナミはけげんな表情をしていたが、大して興味はなさそうだった。
「あぁ、君が地上で黒猫がいるって言ってただろう。その黒猫が君がいなくなってから現れてきて人間に変身したんだ。全身黒い服で、山高帽被って、見るからに紳士といった格好をしていたよ。名前はルイス・バーネットと名乗ってた」
 タカシの言葉が唇から離れるごとにナミの表情がみるみる険しくなっていく。ナミがこれほど感情を顔に出すのを見るのは初めてだ、と思うくらいに。
「あいつがあなたの所に来た?なぜ」
 強い口調だった。一目で分かるほどの狼狽の色が目に浮かんでいた。タカシは思わぬナミの反応にとまどった。
「あの男が言うには、彼が俺の送り霊で守護霊なんだって。それで俺を連れ帰るために来たって言っていた」
「あなたの担当があいつだって?なんてこと。あの蛇男、あたしが契約した魂を取り戻そうって魂胆ね。そうは行かないわ。あなた、私と契約して良かったわね。あの男は、自分の格好ばかり気にして送り霊としての仕事なんていい加減なんだから。自分は動きもせず、ただ言霊で魂を操って送るだけよ。送られる魂は自分が死んだことも分からず、消滅することに納得することもなく、ただ別の命に生まれ変わるのよ。そんなやり方、絶対認められないわ」
 明らかに不機嫌そうな表情をしていた。ただ、目線が一定せず、いたる所を泳いでいた。
 蛇男?と思いながらタカシは訊いた。
「君はあの男と何かあったのか?かなりよく知っている間柄みたいだけど」
 一瞬、ナミの頬が紅を差したように見えた。
「バカなことを言わないで。あんな奴と何にもないわよ。関わることさえごめんだわ。縁もゆかりもないただの他人。それだけ」
 もうこの話は打ち切り、そういった口調でナミは言った。ただふと思いついたように訊いた。
「それにしても、あなたはどうやってあの蛇男から逃げ出せたの?あいつに睨まれたら逃げることは困難なはずだけど」
「リサが助けてくれたんだ」
 タカシは思い出して胸の中にほんのり温もりを感じた。確かにリサだった。姿を見たわけでも、声を聞いたわけでもないけれど、あれは、あのあたたかさは確かにリサのものだった。黒い霧を払い除ける力もそうだけど、リサは確かに助けてくれようとしている、力を貸してくれようとしている。一緒にいなくても常につながっている、そう確信してタカシは微笑んだ。ナミは不審げな顔つきをしながらタカシを眺めた。
 それからタカシはナミに、手短に自分が救われた経緯を説明した。
「あなたもこの世界の創造主からそんな助けをもらえるんなら、さっさと問題解決してくれないかしら。私もまたいつ呼び出されるか分からないんだから」
「そんなこと言ったって、どうやったら問題を解決できるか分からないんだからどうしようもないだろう。君もリサの担当霊なんだったら問題解決の糸口の一つや二つ手に入れてきてくれてもいいんじゃないか?」
「なに甘えたこと言ってんのよ。さっきも言ったでしょ?私はあくまでサポート役なの。主体はあくまでもあなたなのよ。答えはあなたが見つけるの。答え合わせくらいは協力してあげてもいいけど」
 二人がそんな話をしている間、イカルは自分の元に集まったエナガとイスカと短く打ち合わせをして、自らの班員を集めて指示を出していた。
「選ばれし方様、お待たせいたしました。これからセントラルホールにあります首脳部にお連れ致します。我々が護衛を務めさせていただきますのでご安心ください。お連れの方もどうぞご一緒にお越しください」
 護衛?また大袈裟な、と思いはしたが、これから行く場所ももちろん初めて行く場所なので周囲が賑やかな方が心強い気もする。
「分かった。よろしく頼む」
 さあ、こちらへどうぞ、と言いつつイカルは、タカシとナミを先導して移動をはじめた。進みはじめて思い出したようにイカルは振り返ってタカシに訊いた。
「選ばれし方様、アトリはまだ地上にいるんですか?あいつは地上で何をしてたんですか?」
 タカシは一瞬言い淀んだ。その口調や態度からイカルとアトリの仲の良さが見て取れたから。しかし逆に隠すべきことではないとも思った。だから言った。
「アトリ君から君に、伝言があるんだ」

 イカルは、エナガ班に地上連絡通路入り口付近の警護をまかせ、自らはツグミとともにタカシとナミのかたわらに付き添い、周囲に自分の班員を配置した。またイスカ班を二つに分け、片方を先行させ、残りを後方警備に向けた。
 地上連絡通路入り口から少し歩いた場所にあった、普段は閉鎖されている乗り場から平行式エスカレーターに乗って移動した。
 この平行式エスカレーターは人が三人並んでもゆったり余裕がある程度の通路を進んでいた。照明はあったが、街中に比べてその数が少ないために、少し薄暗く感じた。
 タカシはナミと並んで立ち、その斜め前にイカルが先導する形で立っていた。イカルの後ろにツグミが立っていたのでほぼタカシやナミと三人並んでいる形になっていた。彼らの前後には四人ずつイカル班の兵士が配置されていた。
 イカルの耳奥にタカシの声がこだましていた。
“彼は、ケガレに襲われても笑って死んでいく、その事実を君に伝えてくれと言っていた。アトリ君は確かに笑ったまま死んでいったよ”
 アトリが死んだ事実を受け入れられなかった。ここ数か月会っていなかった。だから実感が湧かなかった。どこからか唐突に現れてまた新たに仕入れてきた知識を語り出しそうな気がしていた。仕事に集中しないといけない、と思いつつも今はもうこの世にいないのだろうアトリのことに意識が向いてしまう。おそらくアトリは、アントの活動の一環として地上に行ったのだろう。そのせいで死んだ。俺がアントを紹介したから・・・イカルは固く歯を食いしばった。
 ツグミは、アトリの存在を喪失した事実に一抹の寂寥感を抱いていた。アトリには何度も助けられてきた。きっとアトリは、イカルの親友でなければ、あたしと関わることなんてまったくなかったのだろう。だけど、たぶんアトリがいてくれたお蔭で、イカルとあたしは今一緒にいられる。そう思うと、今までアトリにお礼の一つも言ったことがない事実に後悔のシミが広がっていった。でも、あたしよりイカルはもっとつらいはず。だから今はあたしがしっかりしないと、ツグミはひとまずアトリのことを考えるのをやめて、選ばれし方様を無事安全に、失礼がないように護送することに集中した。
 イカル班の班員たちは、これまでも首脳部の要人を警護したことがあるが、その時とは比べものにならないほどイカルが厳しく険しい顔つきをしていたために、周囲はピンと張りつめた空気に支配されていた。
 しわぶき一つ聞こえない。平行式エスカレーターの微かな稼働音だけが周囲に響いていた。タカシは少し息苦しくなったので言った。
「この動く歩道はどこまで続いているんだい?」
 乗ってから今までけっこうな時間が経っていた。最初の内はナミと少し話をしていたが、周囲の緊張感に言葉がつづかなくなった。そして無言のまま、またどこかに連れて行かれている。
「動く、歩道?選ばれし方様の、いた所では、そう呼んで、いるんですか?ここでは、主要な歩道は、動きますから、ただ単に、歩道って、呼んでます。この歩道は、このまま、この都市の、端まで、続いています。お望みなら、端から、端まで、行けます」
 すぐそばにいたツグミが答えた。
 このコはとっつきにくい印象だったけど、意外と気安く交流してくれるんだな、表情に硬さはあるけど、親しんでくれているようだ。タカシは少しほっとしていた。
 イカルは、自分に対する場合以外は、コミュニケーション能力、もしくは社交性が欠如していると思っていたツグミが、積極的に会話をしていることに驚いた。自分が感じるのと同じ親しみをこの男性に感じているのだろうか。やはり選ばれし方様はただ者ではないようだ。
「そうなんだ。今度ゆっくり行ってみるよ」タカシは素直に希望を口に出した。
 正直、この都市の全体像がどんなものか、それはすなわちリサの自我の姿そのものなのだろうから、かなり興味があった。そんな機会があるかどうかは分からないが、機会があればぜひ行ってみたいと思った。
「ええ、ぜひ。その時は、あたしたちが、ご案内、いたします」
 イカルはちらりと後ろを振り返った。何か少し違和感を感じていた。ツグミが何かおかしい。いや、おかしくなったわけではない。その逆だ。まともになっている。普通に人と話している。少し顔つきも明るくなっているような気もする。俺以外の人にあんな顔つきをするなんて、ツグミらしくない。普段なら喜ぶべきことなのかもしれないが、こんな時に、という思いもあった。要人警護の仕事中だし、何より俺の親友であるアトリの死を知ったすぐ後なのに。ツグミももちろんアトリのことは知っている。知っているだけではなく、仲間としてともに何年も過ごしてきたのだ。すぐさまそんな雑念は振り払ったが、少しだけみぞおち周辺に、普段は感じない異質な息苦しさを感じた。
 タカシもツグミの顔を見た。少し微笑んでいるように見えた。だから笑顔を返した。
「よろしく頼むよ」
「はい、了解しました」
 今度は確実に、笑みがツグミの顔に現れた。その途端、タカシははっとした。ツグミの笑顔がリサのそれにそっくり、いや、それそのものに見えたから。
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