思惑の中(7)

文字数 4,531文字

 音もなく扉が開かれた。イカルは扉のすぐ横にいるツグミに気づいて、入室しながら声を掛けた。
「何か変わったことはないか?」
「特に、何も」
 そう言いながらツグミの片手は、タカシたちから見えない位置で、イカルの上着のすそをつかんでいた。
 イカルは、人前で、とは思ったが、いつものことでもあり、下手に振り解いたりした方が気づかれる可能性が高いとも思い、そのままでタカシとナミのいる方へ視線を移した。
「状況はどうなの?」
 無感情なナミの声が聞こえてくる。
「お二人ともお待たせして申し訳ございません。状況に変化はありません。間もなく迎えがくることと思います」
 イカルは直立不動の姿勢で答えた。
「それにしても時間が掛かっているね。俺たちはすぐにでもリサの所に行きたいんだ。あまり物事を大きくしてしまうと、逆に動きづらくなってしまいそうで心配なんだけど」
 タカシは、あまり焦っている風でもなく、落ち着いてはいたが現状に満足はしていなかった。とにかく物事の解決のために動き出したくてうずうずしていた。
「申し訳ありません。突然のことで、お迎えする準備に手間が掛かっているのでしょう。もうしばらくお待ちください」
「別に責めている訳じゃないよ。ただあまり時間が掛かるようだと、こちらは独自に動かざるを得ないということだけは分かってほしいんだ」
「分かりました。迎えがあとどのくらいでくるのか訊いてまいりましょう」
 イカルはそっとツグミの手を自分の上着から引きはがしながら扉を出て、そこにいた兵士の一人に指示を出した。指示された兵士はどこかに駆けていった。
 現状を鑑みてナミは、このまましばらくイカルたちにタカシを任せてもよさそうな気がしていた。
 もちろん、この世界の崩壊が今後どの程度の速度で進むのか分からないし、現状、タカシも自分の身体から意識を分離してこの世界にいる以上、時間の経過が彼に何らかの影響を与える可能性も否定できない。早めに行動するに越したことはなかった。
 しかし実際、この地下都市のことをまだ何も分かっていないので、少し調べてみたいという気がしていたし、時間が許せば本来の仕事も一つ二つ片づけられれば、と思っていた。そして何より、先ほどの戦闘で霊力を使用した分、その補充をしておきたかった。霊力はナミのような霊体にとっては唯一の糧であり、肉体そのものだった。霊力は時間の経過とともに少しずつ回復してくるが、その回復途中でまた霊力の必要な事態が起こった場合、霊体を保持する上で困難にさらされてしまう可能性があった。だからまだ余裕はあるもののナミは言った。
「凪瀬タカシ。現状、予断の許さない状況でもないから、私、少し出てくるわね。またすぐに戻ってくるけど、おとなしくしていられるかしら」
「ああ、分かった。でもいつ状況が変わるか分からないから、なるべく早めに帰ってきてくれ」
 ええ、そうするわ、と言うが早いかナミは消えた。
 えっ、とイカルは声を上げた。ジッとナミを見ていたわけではないが、視界の端から急にひとが一人消えたことに気がついた。驚かざるを得なかった。
 ツグミはナミが消えた瞬間を見てはいなかったようだが、イカルの声にナミがいなくなったことだけは分かったようで、しきりにきょろきょろと辺りにナミの姿を捜していた。
「あれ、お連れの方は?」
 イカルが訊いた。タカシは、ナミが周囲の目をあまり、というかまったく、気にしない質であることに気づきはじめていた。
「ちょっと用事があって出て行ったよ。またすぐ戻ってくるよ」
「出ていったって、どうやって出ていったんですか?」
「まあ、戻ってきたら実演してもらえばいいんじゃないかな。ちょっと口で説明するのは難しくって」
「そうですか・・・」
 扉の外で声がした。先ほど指令を受けて駆けていった兵士の声だった。
「お迎えの方がお越しになられました」
「お通ししろ」
 イカルが言って、ツグミが扉を開いた。
 そこには銃を手に抱えた三人の白い制服を着た委員がいた。ズボンはタイトに作ってあったが伸縮性に優れた素材を使用しており、えりがなく、丈の短い上着も同じく伸縮性に優れた素材を使用し、ポケットも目立たないようにいくつか作られていた。動きやすさと実用性を考えてデザインされた制服であるようだった。
 近衛委員だ、なぜ、彼らが迎えにきたのだろう、イカルはいぶかしんだ。本来ならこのセンタービルを管轄する施設管理委員か総務委員などの部署が当たるものだと思っていた。
 近衛委員は塔内部の警備と首脳部の賢人たちの警護をするために存在する。そのため治安部隊の兵士たちと同等かそれ以上に戦闘訓練を受けており、特に格闘術に関して特化していると聞かされたことがある。
 大柄の委員を先頭に三人の近衛委員は室内に入ってきた。シミ一つない真っ白い制服の色が目に染みる。
 委員はこの地下都市における特権階級だった。首脳部の決めた大まかな政策を実行に移す者たちだった。その際、細かな規定は自分たちで決める権限を有していた。国民の実生活につながるこまごまとした取り決めを、自分たちで変更することが可能だった。だから大多数の国民は委員たちに歯向かうことはできなかったし、そんなことを考えもしなかった。彼らはその権限を誇示するように目立つ制服を着用していた。
 近衛委員に関しては警護を主な業務としており、それに付随して戦闘をする可能性もあるので、制服がその目立つ色ではマズイのではないかという意見も出て、一度変更が試みられたが、彼らが主に業務につくセンタービルや白い塔の内部は、常に発光石の光で白く輝いており、逆に白い制服の方が保護色になって目立たないから良いのでは、と考え直されて現在に至っている。
「選ばれし方様。お待たせいたしました。どうぞこちらへ」
 委員の一人が口を開いた。委員たちは素早く周囲を見渡していた。
「もう、おひと方おられると聞いておりましたが」
 別の委員が言った。
「彼女はちょっと用があって出ていったんだ。すぐに戻ってくると思うけど、気にしないでいいよ」
 タカシは委員たちの厳格さただよう威圧感に気圧されながらも近づいていった。
「どういうことだ?」
 大柄の委員がイカルに鋭い視線を向けながら訊いた。
「あ、いえ、我々が気づかないうちに外出をされたようで・・・」
 イカルとしては説明のしようがなく、言い淀むしかなかった。
「何をしてたんだ、この役立たずが」
 大柄の委員が吐き捨てるように言った。ツグミがイカルの前面に出ようと歩を進める。その目が鋭く目の前の委員を睨んでいることは見なくても分かる。イカルが身体をずらしてツグミの進行を妨げた。
「俺一人でもいいだろう。二人一緒でなければいけないと言うのなら、待ってもらうしかないが」
 タカシのその言葉に、大柄の委員たちは、彼の方へ視線を向けた。
「分かりました。お一人でお越しください。どうぞ」
 大柄の委員が促した。その背後にタカシが続き、イカルとツグミがその後につづいて部屋を出ようとした。
「お前たちはここまでだ。来る必要はない」
 委員の一人が言いながらイカルたちの進行を妨害した。
「いえ、私たちは選ばれし方様の警護を・・・」
「必要ない。警護は我々が受け持つ」
「しかし我々は治安部隊から出向しています。本部から解任の旨、いまだ発令されていません」
「これは治安部隊をはじめ、すべての委員に今しがた通達済みである。選ばれし方の身柄は近衛委員が連行する」
 身柄?連行?委員の口に出す語句が頭の端々に引っ掛かった。どうも貴賓待遇をするようには聞こえない。少し考えてから、急にイカルは事の成り行きを察した。
「待ってください。それってもしかして選ばれし方様を拘束するということですか」
「お前たちが関与することではない。早々に自分の部署に戻れ」
 自分の背後で言い合いが起こっているので、タカシは気になり振り返った。
「止まるな」
 大柄の委員が銃口をタカシに向けていた。先ほどまで事の進み具合を楽観視していたタカシは、全身緊張感に包まれ思わず後ずさった。
「進め」
 タカシの後ろにいた委員も銃口を彼に向けていた。
 別に歓待されることを期待していたわけではないが、自分が犯罪容疑者なみの扱いを受けるとも思っていなかったので、タカシはとまどった。しかしとまどいつつも状況的に従うしかないように思われた。
「待ってください。このまま行かせるわけにはいきません」
 イカルの叫びにも似た声が広い室内に響いた。銃を持つ両手に力が入っていた。今にも銃口を委員たちに向けそうだった。ツグミがイカルの名を小声で呼びながらその上着のすそを片手でつかんだ。
「何を言っているんだ、お前は。邪魔をするなら委員の業務執行権限によりお前を射殺することもできるんだぞ」
 イカルの前にいた委員の持つ銃が、彼の方に向かった。
「本部に確認を取ってみます。それまでお待ちください」
 イカルが言葉を発するとほぼ同じタイミングで、通信器が着信を知らせた。
 目の前の委員から目を逸らさないままで、通信を始めた。
「首脳部通達により、選ばれし方様と同行の一名を近衛委員に引き渡してください。選ばれし方様は連行後、審判の場にて審理を受けていただくとのことです。部隊長より、審判の場には治安部からイカル班長と班員一名出席するように、との指令です。審理は一六〇〇よりセンタービル審判室において開催されます」
 イカル以外には通信の内容は聞こえていないはずだったが、さも内容が分かっているかのように、委員はイカルを眺めながらニヤついていた。どうやらこの委員たちは治安部隊への通達がなされたと同時にここまで来たのだろう。彼らが対策を打つ前に選ばれし方とその連れを連行するために。
 委員たちはそのままタカシを連行していった。タカシは訳が分からなかったが、これから先が決して楽観視できる状況ではないことだけは、雰囲気から察することができた。
 それにしても何を審判されるのだろう、タカシに心当たりはない。イカルを見た。イカルもタカシを見ていた。その目には止めるに止められない事情がにじみ出ていた。タカシは少し微笑みを見せて、そのまま連行されていった。
 イカルとツグミは貴賓室に取り残された。ツグミはイカルが委員たちと争うことなく場が収束したことに安堵を覚えていた。イカルは、状況が自分の予想外に展開してしまったことで、自分の考えの至らなさを悔いていた。
 イカルはしばらく黙ったまま立ちつくした。しかし突然、顔を上げ自分のかたわらにいるツグミに声を掛けた。
「これから審判の場に行くぞ。制服に着替えないといけない。すぐに部屋に戻る。急げ、あまり時間がない」
 どういう思惑かは知らないが首脳部はどうやら治安部隊を排除しようとしたようだ。それなら排除されないようにしがみつくしかない。イカルは前を向いて貴賓室を後にした。ツグミは慌ててその後についていった。
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