混迷の中(11)

文字数 3,228文字

 そこにはバッテリーの交換に二人の兵士が後退してきていた。そのうち一人はキビタキだった。キビタキは黒い霧が負傷者の体内に侵入する様を目の当たりにした。彼にはそれがどういう意味を持つのか、この短い時間で思い知らされていた。今まで仲間だった目の前の兵士たちが仲間でなくなってしまう。それどころか人間でさえもなくなる。ただのケガレに成り下がってしまう。キビタキは、うめき声を上げながら起き上がろうとする負傷者たちに銃を向けた。これは仕方がないことなんだ、そう自分に言い聞かせながら。
 タカシは、空中にただよう黒衣の者が変化した霧の固まりを次々に霧散させていた。視線の先でキビタキが足元に横たわる負傷者に向けてエネルギー弾を放った。その横にいる負傷者にも、更に別の健常な兵士も加わって負傷者を次々に、まだ横たわったまま起き上がる気配もない負傷者を含めて破裂させていった。
「待て、やめろ」
 とっさにタカシは走り出し、まだ残る負傷者とキビタキたちの間に割って入ろうとした。状況からして負傷者が全員、乗っ取られたとは思えない。同士討ちを座視するわけにいかない。しかし到達する寸前で再び負傷者が破裂した。彼はその爆風と飛び散る血肉にたじろぎ一瞬、足を止めた。
 タカシはキビタキの姿に視線を向けた。目が血走っている。瞬きもせず一点を凝視している。見るからに正気を失っていると分かる形相をしている。
 マズイ、止めないと、力ずくでも、そうタカシは思いながら再び駆け出した。そこら辺中に散らばっている血や内臓に足をとられる。キビタキは次の負傷者に銃口を向けている。やめろ!足を滑らせながらその銃身に飛びつく。
「邪魔をするな!」
 キビタキは一喝すると同時にタカシの手を振り払い、その勢いのまま、銃床でタカシの横っ面を殴りつけた。
 タカシの身体は横向きに空中を飛ばされて、そのまま頭から床に落下した。飛ばされている間、それはほんの一瞬の間だったが、彼には妙に長い時間に感じた。そして床に頭を打ち付けた瞬間から、彼は全身の力が抜けていく感覚を抱いた。身体のどこかに穴でも空いて、そこから力が漏れていく感覚。まるで自分のことではないかのように意識が俯瞰で状況を眺めている。意識が遠のいていく。彼に痛みは感じられなかった。薄れゆく意識の中で最後に見えたのは、キビタキが唯一残っていた負傷者に向けて銃口を向けているところだった。彼の意識は真っ黒な世界に閉ざされた。
 キビタキは、前方に意識を失って倒れている負傷者に向けて、銃の引き金を引いた。その間際、負傷者の目がカッと見開かれた。その目には白目がなく全体が真っ黒に彩られていた。
 銃口からエネルギー弾が発せられた。それと同時に負傷者の口から黒い霧が噴射された。空中でエネルギー弾と黒い霧が交差した。負傷者が破裂すると同時にキビタキの口や鼻や耳から黒い霧が体内に侵入した。
 そこにいたもう一人の兵士は、キビタキの身体に大量の黒い霧が瞬時に入っていく様を目の当たりにしていた。だからすぐにキビタキに向けて発砲しようとした。しかし先ほど発砲した後、そのままにしていて、まだエネルギーの充填がはじまってもいなかった。キビタキの閉ざされていた目が見開かれた。その目は黒かった。一点の別もなく黒かった。
 兵士はあわてて充填をはじめた。しかしそれが済む前にキビタキが動いた。速い、兵士は思った。何の迷いもなく自分に突進してくるキビタキの身体が、あっと言う間もなくすぐ目の前に接近した。そして兵士は空中を飛ばされ、そのまま壁に激突した。痛みに耐えながら目を開いた時、キビタキは銃を構えていた。どうやらすでに充填は済んでいるようだった。
「やめてくれ・・・」
 かすかに出された声をかき消すように爆発音が辺りに響いた。確実な相手の絶命を視認すると、急にキビタキの身体が、スイッチを切られたかのように床に倒れて動かなくなった。
 ナミは前面の敵に集中しながらも背後の喧騒が気になってしょうがなかった。いつの間にかタカシの姿も消えている。やむなくナミは後方を振り返った。視線の先に大量の血や肉片が飛び散っていた。どんな惨状なの、そう思ったナミの視界に横たわっているタカシの姿が映った。ナミはとっさに床すれすれに飛んでタカシのいる場所まで移動した。
「おい、お前、どこに行く、ちょっと待て」
 ノスリが思わず叫んだ。現状、ナミが一番の戦力なのは明白だった。あの女がいなければここは持ちこたえられない、しかしここを死守しない限りはどちらにしても全滅は避けられない。ノスリは横にいるミサゴに視線を移した。
 ミサゴはちょうど襲い掛かってきていた黒犬に蹴りを喰らわせているところだった。黒犬は、土煙や黒霧で視界の悪い前方から、突然走り寄ってくる。だから銃の照準を合わせるのが難しかった。ミサゴは頭上から襲来してくる円盤を撃ち落としたり、避けたりしながら、黒犬を蹴って殴って撃退していた。
 エネルギー弾の飛来はますますその数を減らしていた。黒衣の者に憑依された兵士たちもあらかた撃ち倒していた。しかし円盤や黒犬の襲撃はやむ気配を見せない。衰える様子もなく次から次へと新手が襲い掛かってくる。
「・・ブ・・ブ・・聞こえ・・ブ・・こちら・・治安部隊本部、聞こえるか・・」
 突然、ノスリの左耳に着けたイヤホンに通信がつながった。
「こちらウトウ隊ノスリ。地上連絡通路入り口ホールにおいてケガレと交戦中、至急救援を乞う。至急援軍を寄越してくれ!死傷者多数。扉が開かない。撤退できない。至急扉を開けてくれ!」
 ノスリはまくし立てるように早口で一気に言った。相手に通じているのかどうか不安でしかたなかった。
「・・・現在、救援部隊がそちらに向かっている。救援部隊到着次第、扉を開ける。それまで身元不明者の身柄を確保、護衛しつつ持ちこたえてくれ」
 あいつらを護衛する余裕なんてないし、あいつらにその必要もない、とは思ったが、とりあえず撤退が出来そうで安心した。
「ミサゴ、撤退するぞ。援軍が来る。扉が開くぞ」
 ミサゴは自分の軍靴の爪先部分に噛みついている黒犬を足を高く上げてから床に叩きつけ、更に銃床で力の限り打ちつけて粉砕してからノスリに目だけを向けて、了解、と怒鳴るように言った。
 その刹那、横にいた兵士の一人が破裂した。ミサゴは視線を前方に向け直した。
 そこにはウトウの姿があった。失くしたはずの片足は黒い霧が濃く真っ黒に足の形に固まって代用しているようだった。バランスが悪いのか大きく左右に身体を傾けながらもウトウだった肉体は彼らの方に近づいてきていた。銃のエネルギー充填をはじめながら。
 ノスリはウトウに銃口を向けて引き金を引こうとした。しかしその瞬間、黒犬が獰猛な口を大きく開いて彼に飛び掛かってきた。ノスリは身体を大きく横にずらしてながら銃身で黒犬の横顔を払った。
 ミサゴの姿を見る。彼女も同じようにもう一匹黒犬を撃退し、そしてウトウに向けてHKIー500の銃口を向けたところだった。
 ウトウも銃を構えていた。歩みを止める気配はない。充分射程距離内に入っていた。
「隊長・・・」
 ミサゴはほんの一瞬、引き金を引くことをためらった。
「ミサゴ、撃て!」
 ノスリの声がミサゴに届くとほぼ同時にミサゴは引き金を引いた。しかしそれと同時に前方からもエネルギー弾がミサゴに向けて放たれた。
 エネルギー弾が近づいてくる。ミサゴはそれを認識していた。思ったよりゆっくりと近づいてくる。でも自分の身体もゆっくりとしか動いてくれない。よけられない、ミサゴは悟った。だからあきらめた。あきらめて、目だけをノスリに向けた。
 ノスリは一瞬、ミサゴが笑った気がした。それは、とても、悲しそうに。
 次の瞬間、ミサゴの身体が破裂した。
「ミサゴ!」
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