超克の中(8)

文字数 6,047文字

 彼女をおおうように床がせり上がった。金属片が次々に壁になった床に突き刺さり、その先端が彼女に触れる寸前で止まった。やがてその壁は一瞬にして溶解して崩れ落ち、元の床に戻った。金属片が床に落ちる甲高い音が軽く響いた。
 背後に気配を感じた。彼女はとっさに片手を床に着け、そのまま振り返り、手とともに移動する床を勢いをつけて委員たちのいる方向に押しやった。
 床は波濤となって委員たちに襲いかかっていく。
 彼女は確信していた。あたしはお方様と魂を共有しているらしい。同じ魂だから感情も共感することができる。ケガレも発光石もお方様の感情の産物だ。ケガレの一種であるコガレたちと話せたのと同じように、あたしは発光石も動かすことができる。お方様の感情をコントロールすることができる。
 委員たちは、動くはずのない硬い床が波立って自分たちに向かって襲いかかってくる様に、ただ驚愕するしかなかった。彼らは逃げる間もなく波に呑まれた。ツグミはホール中にいる委員たちのもとにいくつもの波を襲いかからせた。床は委員たちを呑み込むとすぐにもとの床に戻る。委員たちは床に呑み込まれ、ほぼ全員が身体の一部を床に埋めている状態になった。足首までの者もいれば、膝までの者もいる。腰まで沈んでいる者もいれば首から上部分と腕だけ床上に出している者もいる。誰もその場から動けない状態だった。
「武器を捨てて。あたしはこの部屋の発光石を動かすことができるわ。床も壁も天井も、この部屋のすべてを動かせるわ。あたしが動かさない限りあなたたちはずっとその場から動くことができないわよ」
 少しの間ツグミは待った。その間に、委員たちの中で武器を持っていた者はみな自分の足元へ放棄した。ツグミは屈んで床に手を着き、動け、と念じた。すると彼女の手を中心に波紋が広がり、低い波が四方の壁に向かって流れ、床の上にあった銃をすべて呑み込んだ。
「レンカク、大丈夫」
 ツグミは横たわっているレンカクの側に駆け寄りながら言った。レンカクの口からは細々とした声が漏れた。
「初めて、俺の名前を、呼んだな」
「ごめんね。あたしのために、あたしのせいで」
「別に・・お前のためじゃねえよ。自分の・・立てた作戦が、結果的に失敗にならないように、行動しただけだ。相手は、俺たちの動きを察知していた・・みたいだな。俺の作戦もバレバレだっ・・たみたいだけど、お前さえ生きていれば、作戦は、成功だろ、なあ」
 レンカクの口角から止め処もなく血があふれ出ていた。ツグミははっきりとうなずいた。
「なぁ、ツグミ。俺の事・・覚えていてくれよ。それで・・・この世界を救うために・・お方様を守る・・ために俺は、死んでいった、って・・みんなに言ってくれ。じゃないとまるで俺、お前のために・・死ぬみたいだ。みんなにそんな風に思われるのも、嫌だからな」
 レンカクの目は力なく、ぼんやりと、かすかに光っているだけだった。
「あたし、あなたの事、忘れない、絶対に」
 レンカクの頬が震えながら微笑みを形作った。
「なんだか、痛みが・・・消えてきたな。頭がぼーっと・・する」
 顔から表情が消えた。筋肉が力なく弛緩していく。視力ももう何の姿も捉えていないようだった。
「レンカク、しっかりして。あなた、イカルに模擬戦で勝つんでしょ」
 目にほんのかすかだが光が戻ったように見えた。
「ああ、そうだ、そうだった。・・・なあ、あんた、トビに伝えてくれないか。模擬戦で・・イカル班と対戦することになったら、思いっ切り・・イカルを挑発しろって。方法はいろいろ、考えて、あるけど、とにかく、イカルを個人的に、挑発しろ。そんなことで・・・イカルは乗ってこないだろうけど、ツグミが・・・必ず、乗ってくる。そしてツグミは、必ず、イカルの側にいる。ツグミが乗ってくれば、イカルの居場所が・・・突き止められる。居場所さえ、分かれば、あとは簡単だ。・・・きっとこれで勝てるよ。そう・・・トビに伝えてくれ・・・」
 瞳孔が開いた。呼吸が止まった。紡ぎつづけた生命という時の流れが今、この時、ふっと途切れた。
 歯を食いしばり、両の拳を固く握りしめてじっとただ耐えた。涙があふれないように固く瞼を閉じた。そしてツグミはゆっくりと立ち上がり、目を開いてさっきまでレンカクだった肉体を眺めてつぶやいた。
「レンカク、ごめんね。今はまだ泣けないの。・・・ごめんね」
 ツグミは努めて感情の色を消した視線を階段の踊り場に向けた。近衛委員長の姿はなかった。どうやら階上に逃げたようだった。
 ツグミは階段に向かって進んだ。左足が激しく痛んだ。もしかしたら骨でも折れているんじゃないかしら、と思うくらいに。また左の脇腹からも鈍い痛みが間断なく彼女を責め立てていた。恐らく委員が放った金属片が刺さったのだろう。手で触れても金属片の感触はないので貫通しているようだったし、皮膚を貫いただけで内臓は傷ついていないようだったし、出血も落ち着いているようだったが、ただ痛みがひどかった。また、出血はにじむ程度だったが、額にも傷ができておりズキズキとした痛みが脈打っていた。
「おい、助けてくれ」
「ここから出してくれ」
「武器は捨てました。もう邪魔しないから助けてください」
 脇腹を手で押さえながら、左足を引きずって、目の前を通りすぎていくツグミに向かって委員たちが口々に訴えた。ツグミは何も応えず歩を進めた。委員たちは自分たちが見捨てられる恐れを感じて更に声を大にして嘆願した。ツグミは階段の下に到着して振り返った。
「あたしがここに戻ってきたら、みんなを解放してあげる。だからみんな、あたしが無事に帰ってこられるように祈ってて」
 そのままツグミは階上へと向かって進んだ。階段には人影は見えなかったが上り切った所で待ち伏せされているように思われた。一段々々上がる度に緊張感がいやが上にも増幅させられていく。上り切った所に扉があった。見た目、大きくはないが境内入口に設置された白い扉と同じように見えた。それならHKIー500でも破壊することは不可能だ。だからツグミは扉横の発光石の壁に手を触れた。
 扉の周囲は発光石の壁になっていた。その壁が溶けていくように、扉の周りから放射状に広がりながら移動していった。扉は全体がむき出しの状態となり、付属していたコードや機器を道連れに奥へ向かって倒れていった。
 その時、ツグミは発光石に触れている指先に人の気配を感じた。扉の向こう側に数人の人がいる。そしてその人たちの発する殺気も。あわててツグミは銃を構えて発砲した。
 重い扉が床に叩きつけられて、バーンッ、という衝撃音が辺りに響いた。その衝撃音に紛れて、パシュッという乾いた音がかすかに聞こえた。それと同時に倒れた扉の上でエネルギー弾が炸裂し、その爆風によって委員たちの放った金属片が方向を変えて飛び去った。
 ツグミはHKIー500を肩にぶら下げた状態にして、壁に飛びつき発光石を引き伸ばして自らの身体に巻きつけた。そしてそのまま二階フロアに飛び出した。
 委員たちは立てつづけに銃を撃った。HKIー500と違って委員たちの銃は連射ができる。次々に鋭い光を放ちながら委員たちの放った弾が飛んでくる。
 ツグミの周囲に巻きついた発光石は委員たちの放った金属片をすべて防いでいた。ツグミは委員たちが弾を撃ち尽くし、弾倉を入れ替えている間に、右腕を横から前に勢いよく振って、身にまとった発光石を委員たちに向けて投げつけた。不足した発光石はすぐさま床からせり上がり彼女の周囲に充填されていった。
 投げつけられた発光石は、委員たちの身体に取り付き、すぐさま元の床材に戻った。足を固められた者はその場に固定され、銃ごと両手を固められた者は瞬間的に増した石の重量に耐え切れず地に伏す態勢になった。
 その場にいた委員の半数を戦闘不能な状態にした。残った委員はあわててフロアの奥に逃げ出した。ツグミは左足を引きずりながらも全速力でその後を追った。委員たちはフロアの奥に唯一ある扉を急いで開けて、その中に入っていく。委員たちにつづいて、ツグミも扉が閉まらないうちにあわてて中に駆け込んだ。
 背後で静かに扉が閉まった。ツグミは目の前を、奥に向けて走っていく委員の足元に発光石を投げつけた。委員は足を取られてその場にうつ伏せに、走っていた勢いのままに倒れ込んだ。その時には他の委員の姿は消えていた。ツグミは周囲を警戒しながら見渡した。
 薄暗かった。そして極度に寒かった。吐く息が濃い白に着色されて大気をただよう。広い部屋だったが、そのほとんどの場所に恐らく精密機械が入っているであろう黒いボックスが置かれていた。至る所から作動音が間断なく聞こえていた。発光石が見当たらない。床にはリノリウムが敷かれ、壁は建材パネルが並び、天井はコンクリートがむき出しとなっており、数えきれないほどの配管が縦横に伸びていた。
 発光石はエネルギーを発する。そのため直に発光石の上に機器を設置すると誤作動を起こす可能性があるので、緩衝材として他の建材が使われていたが、ツグミにとってはそんなことはどうでもよく、ただ発光石がないこの場では、身にまとっている発光石を使ってしまったら、そのうちなくなってしまう。その不安が先に立っていた。
 ツグミはHKIー500を構え直し、ボックスの間にある細い通路に身を忍び込ませてから、中央の通路に倒れている委員に向けて訊いた。
「この部屋は何の部屋なの?」
「撃たないでくれ」
 倒れた委員は倒れた時に、どこか打ったのだろう、うめきながら言った。
「あなたは撃たないから訊いたことに答えて」
「ここは発電室だ。だからここで銃を撃つなよ」
「あなたは撃たないってば」
「いや、俺にだけじゃなく、ここで銃を使用するのはやめろ。ここはブレーンをはじめ都市の全体に供給される、電力を作り出す発電室だ。発光石からエネルギーを抽出して発電している。大容量のエネルギーがここに集められている。その銃を撃ったらその破裂に誘発されて大規模な爆発が起こるかもしれない。この塔自体が吹き飛ぶかもしれない」
「そんな、嘘つかないで」
「嘘なもんか。俺たちだって、ここでは銃を使えない。ボックスに刺さったら爆発してしまうかもしれないから」
 そういうこともあるかもしれない、機械に関することは不得意でしかない分野だったので、そう言われるとそんなものかと思ってしまう。身にまとった発光石の成形を維持するのも時間とともに難しくなってきたが、まだ少しはもつようだ。どちらにしても大した妨害もなく方を付けられればHKIー500を使用する必要もないし、自分の目的を達成できないならこの塔が存在を維持しようが消滅しようがどうでもよいことなのよ、という脅しに使えるかもしれないのでそのままHKIー500を身に帯びて行くことにした。
「二つ教えてくれないかしら。一つはお方様に会いに行くにはどうしたら良いの?それとここの委員の指揮を執っているのは誰?どこにいるの?」
 視線の先に倒れている委員は急に黙り込んだ。意識はあるのだろうが、答えにくい質問だったのだろう、少し待っても答えはなかった。
「いいの?あたしはお方様に話があるの。お方様に話をして仲間を救ってもらうの。それが叶わないのなら、この世界がどうなろうと、ここの機械がどうなろうと、この塔が爆発しようがどうでもいいの。あなたが答えないっていうんならそこら辺に適当に発砲するわよ」
 ツグミが有無を言わせない口調で言った。しかし委員からの答えはなかった。やっぱりあたしの脅しじゃ効き目がないみたい。それなら支障のない所に一発撃ってみようかしら、とは思ったものの、どこら辺に撃ったら支障がないのか皆目見当がつかなかった。彼女が迷っているとどこからかひたひたと近づいてくる足音が聞こえた。
 足音が止んだ。倒れている委員の向こうに、一回り大柄な委員が片手にナイフを持って立っていた。まさに、俺が相手をしてやる、と言っているような仁王立ちだった。
 イカルなら、相手の力量も分からないのに、一対一の戦闘などに臨もうとしないだろう。そんな一か八かなんて不確かな争いは、ならべく避けるのがイカルの戦闘に臨む姿勢だったし、処世術でもあった。しかし今はそんなこと言っている余裕はない。この人を倒して、必ずお方様のいる場所への行き方を聞き出すの。ツグミはHKIー500を肩から下ろし、ホルダーの留め具を外してナイフを抜き出した。
 目の前の大柄な委員の身体にミサゴの姿が重なる。上背も横幅の厚みもこの委員の方がミサゴより確実に大きいが、威圧感という点ではミサゴの方が勝っている気がした。
 部隊の訓練の一つに格闘術の訓練があった。ツグミは性別が同じという、ただそれだけの理由でミサゴと組まされる事が多かった。そこら辺の男たちより格段に強いだろうミサゴと度々相対した。格闘の訓練中、ミサゴは常に活き活きとしていた。何せミサゴにとって格闘術は趣味であり、特技であり、大好物だったから。おまけにミサゴは女が嫌いだったからツグミと対戦する場合にもけっして手を抜くことはなかった。最初のうち、ツグミは定められた訓練時間の終了の合図を聞くことはなかった。たいてい気を失っているか、医務室に行っているかのどちらかだった。
 そんなツグミの姿を見かねて、イカルやノスリが、ミサゴにもう少し手加減するように進言したが、手加減してたら訓練にならないだろ、というミサゴの言い分にそれ以上何も言えなくなった。
 一方、ツグミは訓練によって苦痛も味わうし、ケガも負うしで、散々だったが、ふと格闘術の訓練の後は、イカルがいつもより少しだけ自分のことを気にかけて、ちょっとだけ優しくしてくれるので、つらいだけの訓練も変更を望まず、甘んじて受け入れることにした。
 ミサゴはすぐに、ツグミのあまりの手応えのなさに物足りなさを感じた。格闘なんてものは互いに攻めて、守って、駆け引きをするから面白いのであって、一方的に攻め立ててばかりだとすぐに飽きてしまう。だからミサゴは次第にツグミに格闘術を指導するようになった。
 ツグミは訓練中始終叱責された。足指の向きから手指の力加減から呼吸法にいたるまで微細にわたってミサゴはツグミを矯正していった。
 やがてツグミは訓練時間途中での離脱をすることがなくなり、毎回、終了の合図を聞けるようになった。いまだミサゴとの力の差は歴然としていたが、それでも格闘術における自分の力量が間違いなく上がっていることを素直に喜んだ。ただそれによりイカルが見せていた、ほんの少しの特別な優しさが影を潜めてしまったことは、残念でならなかったが。
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