秘匿の中(8)

文字数 4,864文字

 はあ、つまらない、つまらない、つまらない。B地区に通ずる扉の前、家屋の壁に背をもたせ掛けながらツグミはずっと呟いていた。
 自分がイカルに依存していることは承知している。それが自分の気分的な問題だということも。しかしイカルが近くにいる時にはそこが自分の居場所だとこれ以上ない確信として思えるが、少しでもイカルが側にいなくなると、そこは例え普段から頻繁に立ち寄る場所であっても、自分がいるべき場所とは異質な世界に思えてしょうがなくなる。そんな時は、いくらそれまで何度も会っているような人でも、自分に悪意を持っている気がする。自分を害するために近づいている気がする。仲良さげに近づいてきても、きっと心の中ではあたしのことを笑ってる、バカにしている、そんな気がする。とても不安になる。だからどんな時もイカルが側にいてくれないと困る。他には何もいらない。イカルがいればそれで安心するし、充分満たされる。
 彼女の脇ではコガレたちが喧々諤々議論を戦わせていた。
 普段ならイカルが側にいなければ彼女は脳内の動きを低下させて自然と外部からの感覚的刺激を受け付けないようにしていた。時間の経過をなるべく苦痛なく耐えられるように、意識せず身に着けた心身の対応だった。しかしコガレたちの声は外部よりも脳内に直接聞こえてくる。どんなにシャットアウトしようとしてもすでに中に入っているので無意識にその声を聞かざるを得ない。
「俺たちは別にこいつを助けるとは言ったが、愛だの恋だのっていう面倒までみるとは言っていないぞ」
「そうなの。あなたがそんなデリケートなことに口を出したら、全部ぶち壊しになるの。あなたたちは見てるだけなの。あたしが手伝うの」
「ですから先ほどから言っているように、それはツグミ殿の気持ちの問題であって、あまり外野がとやかく言うことではないかと思いますぞ」
「ツグミちゃんは、きっと人付き合いが苦手な上に、奥手で、取柄もないし、胸だって小さいし、性格も特別良いとは言えないの。あたしがサポートしてあげないといけないの。背中を押してあげないといけないの」
「やめとけ、あの男だって選ぶ権利はある」
 聞いていてツグミは気分が更に落ち込む気がした。だから話を変えようと思った。
「あ、あなた、たちの、なま・・・・えは、何て、言うの?」
 コガレたちは会話をやめ、キョトンとした顔を彼女に向けた。
「俺たちに名前なんてないけど」
「え、そう・・なの?百八・・匹、人?だっけ。そんなに、いたら、名前・・・ないと、区別・・・つかない・・・んじゃ」
「ツグミ殿、無理に声を出さなくてもけっこうですよ。あなたが頭に言葉を思い浮かべれば私たちには通じますので」
 そうなの、と思いつつ、ツグミは試してみた。
「あなたたちは、百八人、匹?もいたら、名前がないと、区別つかないんじゃないの?どうやって、見分けてるの?」
 するとコガレからの思念が直接頭の中に送り込まれてきた。
「百八匹と言っても我々三匹以外は私たちの分身ですから。もちろん名前などありません。私たち自身にも名前などなく、それで不自由もなかったのですが、それぞれ元になった感情がありまして、あえて個々に分けるとしたら、私が“憂い”」
「俺が“怒り”」
「あたしが“妬み”なの」
「となります。もし個別に呼びたければそう呼んでいただくとよろしいかと」
「ウレイ、イカリ、ネタミ、ねえ。なんか、人前で呼びづらいわね。ていうか他のコたちは、分身なの?あんなに?」
「そうです。我々は時間の経過とともに少しずつ大きくなっていきます。そしてある程度の大きさになれば分裂してまた元の大きさに戻るのです」
「ということは、あなたは分裂したばかりなのね」
 ツグミは小さいコガレを見ながら思念を送った。
「あ、ああ、よく分かったな」
 小さなコガレは思わず目を逸らした。
「あら、あなた、この前の分裂は、あたしたちよりけっこう前に終わってたの。忘れたの?」
 小さいコガレがキッと丸いコガレを睨んだ。
「もし私たち本体に何かあって体力が落ちた場合や分身が傷ついた場合などは、その分身が私たち本体に戻り、私たちの活力となります」
「へえ、そうなんだ」
 ツグミはイカルがいないのにも関わらず、少しこの目の前の生き物たちに興味が湧いて、少し楽しくなっていることに気がついた。かなり不思議な感覚だった。
「それより、あなたたちの呼び方なんだけど、そうね・・・」
 ツグミはコガレたちを順に指さしながらそれぞれに言った。
「あなたはマルちゃん」
「あなたはノッポさん」
「あなたはワルオでどう?」
 三匹はみな固まった。あ、え?あの、とどう反応していいか迷っていた。しかし突然小さなコガレがけっこうな剣幕で言った。
「なんで俺がワルオなんだよ。ワルオってなんだよ、そんな名前付ける奴、お前くらいだぞ」
 丸いコガレも言いにくそうに声を出した。
「あの、せっかく名前付けてもらって悪いと思うの。でも言うの。マルちゃんってただの見た目かなって思うの。あんまり、嬉しく・・・ないの」
 細いケガレも続いた。
「私もただのノッポって、見た目そのままではないですか。そんな名前で呼ばれるなど・・・本当に嘆かわしい」
 分かったわよ、ちょっと待ってよ、そう思念を送りながらツグミは考え込んだ。ほんの軽い気持ちで名前を付けようと思ったけれど、けっこうこのコたち口うるさいわ、ムスッとした表情をしたまま考えた。そして唐突に彼らに視線を向けた。
 ツグミはまず丸いコガレに向けて思念を送った。
「あなたは“ねたみ”だからネタミン」
 ネタミンは笑顔になって頷いた。続いて背の高いコガレに目を向けた。
「あなたは“うれい”だからウレイン」
 ウレインもちょっと複雑な表情をしていたが頷いた。更に小さなコガレに視線を移した。
「あなたは・・・“いかり”だけど、イカルと、かぶっちゃうから、オコリンで、どう?」
 小さいコガレは思わず、ちょっと待て、とその言葉尻を掴んだ。まるで俺がいつも怒っているみたいじゃないか。
「あたしネタミンなの、かわいいの。お気に入りなの」
 そんな小さいコガレの抵抗は意に介さず、ネタミンはそう言いながら小踊りをはじめた。
「単なる思いつきの域を出ませんね。でもいい名前です。気に入りました」
 ウレインは落ち着いた様子だったが、嬉しそうな笑顔を保持していた。小さいコガレだけはふんとそっぽを向いていた。もう自分が何を言ってもくつがえりそうにない雰囲気が辺りに流れている気がした。ちょっと不快に思っていた。
「名前が、気に入らないの?」
 ツグミの問いに、気に入る訳ないだろ、と小さいコガレは思った。ますます不機嫌になってきた。
「オコリンが、気に入らないなら、オを取って、コリンっていうのはどうかしら?」
 小さいコガレはいきなりまともな名前を提示されて不快な思いが一気に霧散した。でも喜んでいる姿を見られるのも気恥ずかしかったので、そっぽを向いたままで頷いた。
「それなら、あたしもネをとってタミンがいいの」
 ネタミンが二人の間に割って入った。
「そうね、タミンの方が可愛いわね」
 ツグミの言葉に、ネタミン改めタミンはまた小躍りして喜んだ。
「では、私はイをとってウレンにしていただけるとありがたい」
 そんな彼らのもとにコリンの分身のコガレがどこかからか走って帰ってきた。コリンはその分身の頭の上に手を置いて少しの間じっとしていた。そして手を引いてからツグミたちに顔を向けた。
「扉の向こうに十人余りの白い人間がいるようだ。まだだいぶ離れてはいるが、一か所ずつ家の中や路地や物陰を確認しながら少しずつこちらに、この扉に向かって集まっているようだ」
「どういうこと?あなたの分身は、周囲の状況を偵察に行ってたの?」
「ああ、ここでいつ来るか分からない敵を待つより、はっきりと状況を把握して対応した方がいいだろ。それに俺たちは元から小さいし、お前たちより素早いし、煙状にもなれるから偵察にはうってつけだろ」
 そんなことが出来るんなら早く言ってよね。知ってたらイカルが偵察に行かなくても済んだじゃない。こうして離れなくてもよかったじゃない。ツグミは、コガレたちに聞かせるつもりもなくそう思った。
「いや、気づいてなかったのかよ。本当にお前はあの男と一緒にいると全部任せっきりで何にも考えないな。離れていても何にも考えていないけど」
「またひどいこと言っているの。それなら今からでも交代するの」
 タミンの言葉にツグミはそそられた。イカルはきっと今、委員たちの警戒する中に侵入して様子を窺っていることだろう。もちろん細心の注意を払っているだろうから、心配する必要もないのかもしれないが、危険と隣り合わせであることは否定出来ない。ほんの少しの予想違い、ちょっとした誤謬で窮地に立たされる可能性がない訳ではない。そう思ってしまうと、とたんにツグミは心配でしょうがなくなってきた。
「ねえ、コリン。今から、イカルの所に行ってくれる?」
「はあ?俺や分身が行ったところであの男と意思の疎通が出来ないんだから意味ないだろう」
「じゃ、あたしも一緒に行くわ。それで、いい?」
「それがいいの。あたしも行くの。みんなで行くの」
 タミンは嬉しそうだった。コリンは呆れたように思念を送った。
「いいのか、ここを見張ってろって言われたんだろ。それにしばらくしたら白い奴らがここにやってくるぞ。それまでに戻ってこられないかもしれないぞ」
 ツグミはつまらないという感想を抱いた。でもコリンの言うことももっともだった。昨日から本当にイカルの帰りを待ってばかりだ。つまらない。そんなツグミの表情をウレンは見て少し微笑んだ。
「それでは、ここに向かっている白い人間たちを逆にこちらから襲い掛かって殲滅してしまってはいかがでしょう。それなら安心してイカル殿を捜すことが出来るのではないですかな?コリン君、白い人間たちの隊列や装備はどうなっている?」
 コガレたちが集団で動く場合、作戦はたいていウレンが立てていた。ウレンは瞬時にその場に最適な策を立てる能力に長けていた。そういう面ではコリンもタミンも全幅の信頼を寄せていたが、今回だけはちょっと不安な思いがコリンの胸中によぎっていた。
「白い人間たちはこいつと同じ武器を持ち、二人一組になって扉に通ずる通路と付随する横道や周辺の家屋の中をしらみつぶしに確認しながらこっちに向かっている。組ごとの間は視認は出来るが、声を張り上げても言葉の内容が届くかどうかの距離だ。でも、なあ、お前。あの男の言ったこと守らなくていいのかよ。それで嫌われても、俺、知らねえぞ」
「愛する二人は一緒にいるのがいいの。心配いらないの。それからツグミちゃんに向かって、お前、お前、言わないの。失礼なの」
「そうですな。こっちに向かう敵を殲滅すれば、後の憂いはなくなるのだから、心配する必要はなかろうかと思われる。それと私もツグミ殿にお前というのは適した呼び方とは思えませんな」
「なんだよ二人して。じゃこいつを何て呼べばいいんだよ」
「ツグミちゃんなの」
「ツグミ殿でよろしいかと」
「とりあえず、行かない?あたしの呼び方なんて、なんでもいいから」
「そういたしましょう。まずは近くにいる白い人間を各個撃破していきます。こちらの方が数が多いので、連絡されて警戒される前に一気に殲滅しようと思います。扉から出たらコリンとその分身は左側、タミンは右側、私とツグミ殿は正面を行きましょう。各隊、前面に斥候を放って敵を確実に把握した後、各個撃破するように。総員、全速前進!」
 コガレたちとその分身たちは一斉に駆けだした。扉に飛びつき、力ずくで横に開いていく。そして音もなく一気にB地区に雪崩れ込んでいった。
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