感応の中(1)

文字数 3,260文字

 この地下に存在していた人々は、ほぼ全員、B地区かC地区かD地区の南側区画に避難していた。無人の街路を救急車両は何の抵抗もなく順調に進んでいった。このペースならすぐに塔の下までたどり着くことができる。兵士たちはそのことを外の場景から察して、ふさぎ込みそうな気持を持て余していた。決戦に臨む高揚感はなかった。そこにはただ短い人生を閉じることになる予感と、もはや逃げることはできない状況からくる悲愴な決意しかなかった。
 ノスリは指揮官としてこの状況をどうにかしたかった。兵士たちの士気を高めてケガレとの決戦に臨ませてやりたかった。しかしそんな彼が誰よりも死の予感にさいなまれていた。このほんの短期間のうちに多くの人の死を見せつけられてきた彼にとっては、死が他の誰よりも身近に感じられていた。
「なに、みんな暗いわよ。大丈夫、タカシ様をお方様の所に連れて行けば、お方様がケガレを全部退治してくれるわ、それだけよ。簡単なことよ。それであたしたちはこの世界を救うことができるのよ。この世界を救って、みんなから英雄だって褒めてもらえるのよ。もうちょっとよ、頑張ろう!」
 突然、車両中に響いたツグミの声にノスリは苦笑した。英雄うんぬんは別としても立場的に自分が言うべきことを普段、あんなに寡黙だったツグミが代弁してくれている。ノスリは背筋を伸ばした。そして救急車両に付帯している通信器に向けて声を発した。
「我が隊の兵士に告ぐ。これから作戦を遂行する。全員、塔に到着後、選ばれし方様を中心に魚鱗の陣形に展開して塔の入り口に向かう。塔内部に進入後、速やかにお方様のもとまで進行する。けっして選ばれし方様にケガレを近づけるな。これは我ら全員の命に優先する。最後の一兵になるまで守り抜け。お前たちの流す血の一滴、痛みの一つ一つがこの世界とこの都市の人たちの矛となる。選ばれし方様をお守りすることが、この最悪の状況からこの世界とこの都市の人たちを守る盾となる。命の限りに戦え。全員戦闘準備!」
 車窓から見える塔の姿が次第に近づいていた。ノスリの額に光るものがあった。
 タカシは周囲から向けられる期待のあまりの大きさに胸が押しつぶされそうだった。しかしそんなことに屈しないように、片方の拳を固く握りしめて強く胸に押し当てた。
「選ばれし方様、俺たちって死んだらどうなるんですか?」
 そのエナガの言葉に車中の人たちは一瞬、心臓を握りしめられたかのように固まった。そして、すぐに苦笑した。死の予感はしていても、みな口に出すことをはばかっていたのに、それをあっさりと訊くなんて、エナガらしい、と誰もが思った。
「詳しくは知らないけど、たとえば俺やリサは死んだら新しい命に生まれ変わるんだそうだ」
「それは他の人に生まれ変わるってことですか?」
「いや人には限らないと思う。人かもしれないし、動物かもしれないし、虫に生まれ変わるかもしれない」
「え、そうなんですか?それじゃ人に生まれ変わるにはどうすればいいんですか?」
「うーん、ナミに訊けば詳しく分かると思うんだけど・・・恐らく、個人的な推測なんだけど、生前の行いで決まるんじゃないかな。人や世の中のためにどれだけ貢献したか、とか」
 死後のことは車中の全員にとって今、とても身近で関心の高い話だった。だからみんな耳を傾けて聴いていた。するとイスカの声が割って入ってきた。
「それならエナガ、お前、いいとこ大ミミズくらいに生まれ変わるんじゃないか」
「え、なんでだよ、大ミミズは嫌だぞ。本当に嫌だ」
 兵士たちの顔に笑いが浮かんだ。
 やがて車両はA地区の中心、白い塔を囲む塀の横に達した。乗車していた兵士が全員降車したのを確認すると、そのままノスリは、救急隊員を巻き込まないために、救急車両をB1区画に後退させた。その様子を見ながら兵士たちは、改めて自分たちには、もうすでに逃げる場所も逃げる手段もないことを自覚した。
 白い塔は黒い層に包まれていた。そのため本来なら辺りは闇に閉ざされている状態だったが、どうやら工作輸送分隊の活動によって照明が設置され、特に塔には周囲から幾筋もサーチライトの灯りが伸び、強く照らされていた。
 ほぼ地面にまで達するほどに黒い層は塔を侵食していた。その周囲に数えきれないほどの円盤が浮遊し、次々に塔内部入り口付近で応戦している兵士たちに向けて降下していた。
 兵士たちはタカシを後方の中心に置き、左右と前方に展開した陣形で進んだ。ノスリとツグミはタカシの両脇に、トビがその前面に控えていた。
 タカシもHKIー500を携行していた。極力自分の身を守ることだけに使用するよう、無駄な弾を撃たないようにノスリから言い聞かせられていた。その指示通りにあまり使用する機会がなければいいが、と思いながらエネルギーを充填させた。
 兵士たちは塀を少しを巡り、塔正面に向かう塀の門に達すると、その場の惨状に目を見張った。そこには兵士の死体が無数に転がっていた。どの顔も苦悶の表情を顔面に貼りつけていた。いくら地獄絵図と言われるものでも、その残酷さ、悲惨さを克明に伝えきっているわけではないことをこの惨状がありありと示していた。その奥で、残り少なくなったモズ指揮下の兵士たちが必死の形相で抵抗をくり広げていた。
 倒れている兵士たちの周囲を無数の黒犬たちがうごめいていた。倒れている兵士たち一人ひとりのもとまで分け隔てなく足を運び、その死を確認していった。
 残っているモズ指揮下の兵士たちも体力は尽き、弾ももう尽きようとしているのは明白だった。どの兵士も今、存命しているのが不思議なほどに、かろうじて立っている状況に見受けられた。
「イスカ、先行して塔内部への入り口を確保しろ。エナガ班、イスカ班を援護しろ」
 ノスリが前方に陣取っているイスカとエナガの班に声を掛けた。
 今、班員がすべて揃っているのはイスカの班だけだった。黒犬たちがどういう動きをするか不明だったし、選ばれし方を擁護しているため全員で一気に向かうこともためらわれた。陣形は細長くなるが、とりあえず人数をある程度向けて突破を試みてみよう、という判断だった。
「了解」
 イスカの返答と時を同じくして、イスカ班は死体と黒犬の群れの中に突撃していった。エナガ班がそれに続いて進行した。
 イスカは話すよりも思考に集中する傾向があった。いつも何か疑問点や問題があると人に訊く前に自問自答した。そして、いつもたいてい自分で一定の答えを導き出していた。だから周囲の人たちからは寡黙な存在だと思われていたし、実際、それほど饒舌な方ではなかった。そんな班長の気質に影響されてかイスカの班はいつも静かに動いた。そして他の班に比べて、行動をはじめるまでに時間を要したので、その動きは比較的遅く感じられた。ただ、慎重によく考えてから動くため、どんな状況でも失敗や失策は他に比べて少なかった。
 直線的に突き進んでモズ隊長たちと合流してケガレと対峙しつつ、塔内部入り口に進む、そう結論を導き出したイスカは、ふとモズ隊長の方へ視線を向けた。そこにいるモズはじめ兵士たちが何か叫んでいた。しかし自らの班の兵士たちが放つエネルギー弾の破裂音にかき消されてその内容は分からなかった。
 班員たちは着実に黒犬を粉砕しながら進んでいった。周囲で次々に閃光が灯り、破裂音が弾けていた。その合間のほんの一瞬、モズの声がイスカの耳に届いた。
「総員撤退!逃げろ」
 イスカはモズ隊長やその周りの兵士たちの姿を凝視した。
 その足元が黒く染まっていた。ヒザ辺りまで黒い固まりに埋まっていた。“捕らわれている”とっさにイスカは悟った。ワナに、掛けられた・・・。
 イスカは身体を反転させて、自分の班員と左腕の通信器に向けて今までの人生の中でもこれ以上はないというほどの大声を発しながら全速力で来た道のりを駆け出した。
「退却、逃げろ、退却!」
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