混迷の中(2)

文字数 3,399文字

 彼らは、塔の境内に足を踏み入れた。
 その広大な敷地は、この地下都市の北側に位置している。その中央には、白く光る塔がそびえ立っていた。境内のどこからでもその姿を見ることができる。いやでも目に入る塔だった。
 背後で扉が音もなく閉まり、またすりガラスに姿を戻していた。
 このガラスは、耐火・耐圧・耐震性能を持つ特殊な強化ガラスだった。このガラスが開発され、この塔の敷地と外界を隔てる扉に採用を検討された際、この特殊ガラスの開発者は、強固さではどんな物質にも勝る、と豪語した。そもそも塔境内の入り口に無粋な鉄扉を設置するつもりなのか、と検討委員会で説き、結果として導入が決まった。
 このガラス扉はセキュリティの観点から開扉する際、一時透明化する。特に塔境内側から扉に近づき、中に不審な人物の存在や不穏な状況が発生していると認めた場合、即座に扉の横にあるカバーを上げて手をかざせば、瞬時に閉鎖出来る構造になっている。そのため透明化して十秒間、開扉するまで時間をおくことになっていた。
 そういった塔の境内とその周辺にある機器や構造物の不具合や損壊がないか確かめるのも塔境内警備の大切な業務だった。
 彼らは扉前の木立を抜けて開けた場所に出た。キレイに刈り込まれた芝生の間を伸びる石畳の上を歩いていく。所々、芝生の上にこれもキレイに刈り込まれた樹木がそよ風に吹かれながら気持ち良さそうに枝葉を揺らしていた。
 彼らの足元の石畳は塔の周囲を回るためのもので、段差の欠片もないようにきっちりと敷かれている。逆に塔付近の石畳は、なるべく天然の岩石をそのまま使用しており、多少の凹凸があった。石畳だけではなく塔に近ければ近いほど天然素材を活かす作りが施されていた。
 お方様、イカルは胸の内でそうつぶやきながら、燦燦と白く輝く塔に向かって軽く頭を下げた。
 イカルは、この場所にくるたびに、全身に力が湧いてくる感覚に包まれる。他のどの場所にいる時よりも背筋が伸びる。どれだけ姿勢を良くしていても疲れを感じない。湧き水をたたえた泉のように頭の中が澄みわたり、冴えわたってくる。憤怒や悔恨や憂慮や苦悩などが、自分の人生にとってまったく無意味な感情であるように思われる。ごく穏やかで平らな感情や思考が、脳裏に染み出して、溜まっていき、あふれそうにまでなる。彼は、毎朝、その崇め敬うべき存在に対してただ、静かに感謝の念を抱く。
 石畳の上をしばらく行くと、また木立が道の脇に現れた。その中に、周囲の景観に沿うように気を配られたことが明白な外観を有する、石造りの三階建て建造物があった。
 治安本部だった。
 建物の入り口に兵士が二人、身動き一つせずに立っている。三人は歩きながら敬礼をする。扉横の認証パネルに手をかざし、そのまま表面だけ木製の扉の前に立つ。すぐに扉が自動で開き、三人は中に入っていった。
 建物の内部は、外見とはまったく趣を別にしていた。壁面に数多くのモニターが並び、いたる所に電子機器が置かれている。建物中に、通信に対しての受け答えをする声や上官に報告する声、部下に命令を下す声が、鳴り響いていた。
 どうも異常だった。普段よりかなり多数の兵士が建物内で右往左往していた。塔境内の中ということもあり、この都市全体の治安警備を担う中枢施設でもあり、常時緊張感ただよう場所ではあったが、普段なら控え目に、軽く冗談を言い合うくらいの雰囲気ではあった。しかし今、室内に笑顔は皆無で、真剣そのものの顔つきを、みんなしていた。
 彼らが屋内に歩を進めると、すぐに数人の集団が小走りに近寄ってきた。イカルとトビの班の班員たちだった。イカルはサッと見渡して班員全員が揃っていることを確認した。隣で班員と話しているトビの言葉からトビの班はまだ二、三人到着していないようだった。イカルは自分の班員たちの優秀さに少しほおが弛んだ。
「隊長が・・いた」ツグミはそう言うと軽く一方を指さした。イカルは他の班員に、ちょっと待っててくれ、と言いつつツグミが指さした方へ向かった。ツグミとトビも後を追った。
 イカルが向かう先には一つのモニターに見入る数人の兵士の姿があった。その中に初老に見える赤毛の兵士がいた。三人はその兵士の元に着くと、かかとを鳴らしながら敬礼した。
「モズ隊長。遅くなり申し訳ありません。イカル班イカル、ツグミ二名ただいま到着いたしました」
「トビ班トビただいま到着いたしました」
 モズはこの治安部隊を統べる部隊長だった。治安部隊はモズの下に十二人の幹部がおり、その下に四つの分隊が存在した。モズはその中でも塔とその境内敷地、通常A地区と呼ばれるこの地域を警備する分隊の長も兼務していた。その分隊にイカルもツグミもトビも所属していた。
 他の分隊には、ウトウを分隊長とする、あらゆる点で、実質的なこの世界の中心と言えるB地区を警備する分隊、レアを分隊長とするC、D、Eの三地区を警備する分隊、それから全体の作戦遂行に対する後方支援部隊としてアイサを分隊長とする工作輸送部隊があった。各分隊はそれぞれ五班か六班に分かれており、イカルとトビはそれぞれモズ分隊の班長だった。
「ふむ、ご苦労。状況は分かっておるか?」
「いえ何も」三人を代表してイカルが言った。
「ふむ。それを見てみろ」モズが今まで自分が見つめていたモニターを指し示した。
 画面には十人の兵士が銃を構えて何かを取り囲んでいる姿が映っていた。
「B3区画の地上連絡通路入り口ホールに侵入者があったのだ。今、ウトウ分隊のノスリ班が身柄を確保している」
 イカルとトビは一様に驚いた表情をした。あり得ないと思っていた。
「隊長、地上連絡通路は完全に閉鎖されたと聞いています。それにホールまで行くには幾重にもセンサーやセキュリティーが張り巡らされていて、侵入するのはまず不可能だということも聞いてます。その侵入者はどうやって侵入したのでしょうか」とトビは訊いた。
「それが分からないから我々はあわてているのだよ」とモズはあくまで落ち着いた姿勢を崩さずに答えた。「君たちはどう思う。どうやってその侵入者はあそこにまで入り込むことができたと思う?」
 イカルとトビは一様に考え込む表情をした。ツグミはただ無表情だった。
「私の宿舎の連絡網もそうですが、最近いたる所で故障が発生しております。この地下都市全体がメンテナンスを必要とする時期に達して、機器の故障が頻発しているのではないでしょうか。今回はたまたま侵入者が来た時にセンサーが稼働せず、通過させてしまったのではないでしょうか」
 イカルとしては、その可能性は薄いことは分かっていたが試しに言ってみた。
「ふむ。しかし連絡通路のセキュリティーはバックアップ機能が備わっているはずだ。まったく同じ機能の機器が別電源と別通信経路で交互に機能している。もし片方が故障すればもう片方がすぐに代わって機能するはずだ。だから機器の故障の線は考えにくいな」
「それならその侵入者が別に穴を掘り進めたんじゃないでしょうか。E地区やC3区画から迂回すればセキュリティーのある場所を避けて、あの場所に到達することができるのでは」
 トビが言った。
「ふむ。考えられないこともない。しかしそれだけの工事を我々に察知されずに出来るとは考え難いな」
 そのモズの言葉が終わらぬうちに、ツグミがぼそりと声を発した。
「それなら、その人は、地上から、来たんじゃない」
 ツグミとしては、あくまでイカルに向けてつぶやいたつもりだったが、周囲の兵士たちの耳にも届いていた。その場にいる全員が動きを止めた。
 兵士たちが映っているモニター画面の端から、急にパラパラと他の兵士が現れた。みな銃を手に構えて臨戦態勢を保持している。一人の兵士が進み出て、先に来ていた兵士と並び立った。何か話をしているようだった。
 その現場にすぐにでも行きたい、そうイカルは思った。地上から来たかもしれないその人物の姿を見てみたいと無性に思った。
 そう思いながら画面を見つめている時、急にごおおぉ、という地響きが鳴った。そして周囲のすべてが上に突き上げられた。人も電子機器も机も何もかもが宙に一瞬浮いた。次に大きく右に左に眼前のすべてのものが揺すぶられた。
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