超克の中(10)

文字数 6,208文字

“・  ・  ・ ・・ツグミ・・・・・・・ツグミ・・・・・・・起きろ、ツグミ・・・”
 かなり遠くからイカルの声が聞こえてきている気がする。何もない世界にイカルの声だけ・・・、そう認識した瞬間、止まっていた呼吸が復活した。大きく一息吸った。そして目を開いた。コンクリートむき出しの天井が目に入った。
 危ないわ、死んだかと思ったわ、そうつぶやきながらツグミは上体を起こした。あれ、なんか身体が光っている。彼女の全身がさきほど見た流れのようにキラキラと輝いていた。
 遠いところから自分を呼ぶイカルの声が、つづけ様に聞こえていた。
“イカル、大丈夫よ。あたしは死んでない。ちょっと身体が光っているだけ”
 イカルの声がやんだ。
 もう、イカルは心配性なんだから。そう思いつつも、自分の周りにはいつも心配を掛けるようなことばかりが起こるから、イカルが心配性になるのも仕方がないわよね、とも思った。
 とりあえずツグミは立ち上がった。何か全身の痛みが和らいだ気がする。全身から力が湧いてくる気がする。さっきあたしの身体に流れたのは電流というより発光石から抽出したエネルギーだったんじゃないかしら。だからあたしの身体に流れてもあたしは死ななかった。ツグミはそう一人で結論づけた。
 とにかく今は上の階に行かないと。ツグミは足元の賢人を見た。もしかしたらエレベーターはこの賢人に反応してくれるかも。死んではいてもその身体に反応する可能性があるかもしれない。そう思って、ツグミはその賢人の白衣のえり首を片手でガツッとつかみ上げた、と同時にバチッという音がしてその賢人の身体中に、ツグミの手から電流が流れて駆け巡った。
 あっ、ごめんなさい、大丈夫?と言い掛けて、そういえばこの人、死んでたんだった、と思い直し、えり首をつかんだままエレベーターに向けて引きずっていった。
 力の抜けた人の身体は思ったより重かった。その賢人の身体が接地している床面がぬかるんで粘り気でもあるように、引っ張る力に抵抗していた。HKIー500をぶら下げている肩紐が食い込んで重く感じられる。ちょっと休憩、と立ち止まりたがる自分の思いを必死に抑えつけながら、やっとのことでエレベーターまで賢人の身体を移動させた。
 ツグミは賢人の身体の背後に回って、脇を抱えてなるべく高く掲げた。なるべく自分の身体が隠れるように、賢人の身体を自分の身体よりも高く持ち上げた。その際、賢人の首がわずかに傾き、その口から、ああ、とかすかにうめき声がもれたことにツグミは気づかなかった。
“認識番号〇一〇〇八一、認識しました”
 ツグミはホッとしながら抱えた賢人を床に下ろし、パネルを操作して上階への移動を促した。エレベーターは音もなく、身体への負荷もほとんどない動作で移動をはじめた。
 ツグミはあわててHKIー500のエネルギー充填をはじめた。自分の身体にまとっている電流が、手に持つ銃のエネルギーに影響を与えないか不安だったが、特に支障なく動作しているようだった。
 エレベーターの移動は早かった。エネルギーの充填が完了する前に、目の前に上階の景色が出現した。
 あっ、とツグミは思わず声を発した。エレベーターを動かすことに集中し、蓄積した疲労感に気を取られていたせいもあり、警戒を怠っていた。
 エレベーターが停止するよりも先に、彼女に向かって拘束帯が二つ突き出された。エレベーター乗降口の両側に委員が一人ずつ立っていた。拘束帯には長い柄が取り付けられていた。片方の拘束帯は首に、もう片方は胸部下に向かって伸びてきた。
 避けられない、ツグミは思った。こんな所で捕まるなんて、彼女の身体に拘束帯が当たる、衝撃で身体が揺れる、そのとたん、拘束帯とその柄に彼女の身体から電流が走った。
 パシーン!という音とともに委員たちが後ろに弾き飛ばされ、そのまま仰向けに床に横たわって動かなくなった。
 見るからに精密機械が中に入っていそうな大きな黒い箱が等間隔に立ち並ぶ。その列の間に伸びている通路に、委員たちは横たわっていた。
 ツグミはあわてて二人の委員のもとに走り寄った。自分が意図したことではないにせよ、これでこの委員たちが帰らぬ人になってしまうのははなはだ不本意でしかなかった。
「ねえ、ちょっと、大丈夫?」
 ツグミは一人の委員のかたわらに片膝ついて問い掛けてみた。手を掛けて身体を揺すってみようかとも思ったが、更に感電させてしまって事態を悪化させる可能性も考えて自重した。
 反応はなかった。更にツグミは声を掛けてみた。するとかすかに、ううん、といううめき声が聞こえた。ツグミはとりあえずホッとした。もう一人も同じように声を掛けるとかすかに動いた。どうやら二人とも命だけは助かったようであった。
 ツグミは落ちていた拘束帯を手に取り、慎重にその刺又部分で委員の身体を動かして帯を発して拘束するべくボタンを押した。感電して動くかどうか不安だったが、二人分無事に可動して委員たちを拘束することができた。
 とりあえずこれで安心、と思って、ツグミは再びエレベーターに戻り、床に転がっている賢人の身体をまた引きずりながら通路を進みはじめた。これからもまだ何か認識してもらわなければならない場面があるかもしれない。そのためにこの賢人の身体は必要に思われた。いくら重くても連れて行かなくては。
 ブラックボックスの列の先に白く輝く場所があった。恐らくそこが上階に続く通路入り口なのだろう。そう思いつつツグミは一直線にただ進んだ。
 下の階よりも更に寒さを感じた。冷気の強い場所では水分が一瞬で凍り付いてしまいそうなほどだった。
 この地下世界にはあまり寒暖差はない。人為的な面もあるが、おおむねは自然の作用で、ほぼ一年を通して同じ気温、同じ湿度に保たれていた。だからこの都市に住む誰もが寒暑に慣れていなかった。ツグミも身体の動きに伴う体温の上昇よりも、周囲の冷気の方を強く意識せざるを得なかった。
 ただブラックボックスから大量の暖気が排出されていた。彼女はなるべくブラックボックスの近くを通って、かろうじて寒さをやりすごしていた。
 むき出しコンクリートの床や天井、下の階と同じように周囲に発光石はない。ただ通路の先が白く光り輝いている。そこに発光石があるように思われた。彼女は白い息を濃く吐きながら、ただその方向に進んだ。
 通路の先、眼前は透明なガラスで床から天井まで一面おおわれていた。どこにも扉らしきものはなかった。操作パネルのようなものもなく、どうやったら中に入れるのか、そのヒントらしきものもなかった。
 ツグミは再度、賢人の身体を自分の身体の前に起こしてみた。賢人の身体を認識すれば扉が開くかと思ったが、何の反応もない。他に入り口があるのかしら、そう思ったが、周囲にそれらしき場所もない。仕方がないので賢人の身体をその場に置いて、ツグミは入り口を捜し歩いた。
 壁伝いに部屋中を捜した。寒気が身体に染み込んでくる。身体中の傷という傷に冷気が入り込み、身体の動きに合わせて激しくうずき、うめき声を上げる。歯を食いしばりながらそれを耐える。しかし入り口らしき場所はどこにも見つからなかった。
 エレベーターにも更に上の階の表示はなかったし、この階のどこかに入り口はあるはずなんだけど、ツグミはそう思いながら透明ガラスの壁の前にまで戻ってきた。かたわらに横たわる賢人の身体をちらりと見た。賢人の身体でも反応してくれないとするとお手上げだわ。彼女は途方に暮れた思いでガラスの壁に手を着いた。
 そのとたん、ガラス壁一面に電流が走った。壁全体がバリバリと音を立てながら激しく揺れた。そしてちょっとの間を空けて、彼女が立っている場所のすぐ横のガラスが一部分すっと動いて、円形の入り口が現れた。
 実際には、このガラス壁は人が近づくと自動で入り口が開くことになっていた。しかし現在はブレーンコンピューターの指令によって封鎖されていたのだった。とはいえ、そんなことを知る由もないツグミは、賢人の身体を再び引きずりながら、ガラス壁の中に入っていった。
 塔の入り口と同じように、そこは全面発光石でおおわれていた。影の欠片も生じない世界だった。そこから先はゆるやかに床が上昇していた。らせん状に上の階に続く通路が伸びていた。
 ツグミは自分の身体の輝きがなくなっていることに気がついた。身にまとっていた電流を先ほどの放出ですべて使い切ってしまったのだろう。そのためか疲労感が奔流のように彼女の脳髄に押し寄せてきていた。引きずる賢人の身体どころか自分の身体でさえ、ひときわ重く感じられた。
 背後でガラス壁の扉が閉まった。もう前進するしかない。こんな所で立ち止まっていてもしょうがない。
 ツグミは気を紛らわせるために、自分を鼓舞するために、一連の問題が解決して、イカルが目を覚まして、そして自分と再会する時のことを思い浮かべた。
 どこで再会することになるのかしら、やっぱり病院?イカルはあたしに会えて嬉しくって泣いちゃうかしら?でも、あたしは泣かないのよ。毅然としたカッコイイ姿を見てもらうわ。そしてイカルはあたしのことを惚れ直すの。イカルはきっと、あたしを褒めてくれるわ。あたしのお蔭で生き返ることができたって褒めてくれる。ありがとうって言ってくれるわ。そしたらあたしは、言ったでしょ、あたしがあなたを守るって、って凛とした姿で言うの。これからもあたしがあなたを守るから安心して、って微笑みながら言ってあげるの。イカルは感動して、そして、もしかしたらまた抱きしめてくれるかも・・・。
 ツグミの頬が上気した。ガラス壁の中に入ってからは寒気はなくなっていた。いつもの気温、いつもの湿度だったが、冷気に満たされた場所から来たせいかかなり暑く感じられた。
 ツグミは自分の想像に照れていた。その反面、やる気が身体の中心からふつふつと沸き起こってきていた。イカルのことを思い出しながら足元を見つめながら反抗したがる身体を無理矢理進めていた。
「止まれ!」
 突然、前方から声が聞こえた。ツグミはとっさに視線を上げた。そこには一人の賢人と一人の委員の姿があった。らせん状の通路が間もなく途絶えて、平面の直線通路が奥に伸びている。その直線部分の入り口に二人は立っていた。
 服装からその二人が賢人と委員であることはすぐに分かった。特に賢人の顔をツグミは覚えていた。忘れようにも忘れられない、審判の場でイカルをバカにした賢人。その賢人は四の賢人であり、そのかたわらに立つ委員は近衛委員長だった。
 ツグミは、イカルのことを想像している姿を見られた恥ずかしさと、イカルとのあるかもしれない楽しい未来の想起を邪魔されたことで、思わずキッと二人を睨んだ。
「武器を捨てて、両手を頭の上に上げて、ヒザを着け!」
 委員長の声がシンとした通路内に鳴り響いた。その手にはHKIー500が構えられている。銃口はもちろん彼女の方に向いている。
 ツグミは引きずってきた賢人の身体を離し、肩からぶら下げているHKIー500から手を離し、右手は顔の横に手の平が見えるように上げ、左手で通路の壁に触れた。
「あなたたちに用はないわ。あたしが用があるのはお方様だけ。あなたたちを傷つけるつもりはないわ。だからあたしの邪魔をしないで」
「お方様に会ってどうするつもりだ」
 四の賢人が冷たい視線とともに問いを投げ掛けた。
「この塔から出てもらうわ。本来のお方様の力を使ってみんなを助けてもらうのよ」
 四の賢人の双眸が、見る見るうちに怒りの色に染まっていった。
「バカな。この都市はブレーンコンピューターで成り立っているのだぞ。お方様は自らの力を制御できない。お方様を解放してしまったら、それこそこの世界はおしまいだぞ。我々はブレーンの指示を仰ぐ。お前たちは我々の指示に従っていればそれでいいのだ」
 頭ごなしに言われてツグミの目にも怒りの色がにじみ出てきた。
「そういう訳にもいかないの。あなたたちの考えも、この世界のしくみも、難しいことは、あたしには分からない。でも、あたしがしなければいけないことは分かっている。お方様に会って、お方様を説得する、それだけ。あたしは絶対にお方様に会う。邪魔をするのなら覚悟した方がいいわよ」
 ツグミの目の色にははっきりとその意志が反映されていた。四の賢人は仕方ないと思いつつかたわらの委員長に小声で言った。
「殺れ」
 引き金に掛けていた近衛委員長の指が動いた。エネルギー弾が一直線にツグミに向かって発せられた。ツグミは発光石に触れていた左手を、自分の身体の前に向けて大きく振った。引き伸ばされた発光石とエネルギー弾が接触して、破裂音が辺りに響き渡った。
 引き伸ばされた発光石は爆発とともに消滅した。その向こう側にツグミが凛とした姿で立っていた。委員長は目を驚きのあまり丸くして彼女の姿を凝視した。壁を、発光石を動かして身を守った?
 ツグミは右手に銃を構え直し、左手で壁に触れたまま数歩前に進んだ。委員長は驚くべき光景を見せられてただ固まっていた。この娘はいったい何者なんだ?そもそもこの娘は人間なのか?
「待て、待ってくれ。この先に行っても君はどうすることもできない。お方様に会うことはできない」
 四の賢人も一瞬驚きのあまり固まっていたが、ふと我に返ってとっさに声を発した。
「いったいどういうこと?その部屋に行けばお方様と連絡が取れるんじゃないの?」
「今、ブレーンに制限が掛かっている。お方様との連絡は取れない。その制限を解除するためには過半数の賢人、五人の賢人を同時に認識して操作する必要がある」
 訳が分からない。せっかくここまで来たのに、あと四人の賢人をここに連れてこないといけないの?途方に暮れる思いが気持ちを暗く、重くさせていく。すると突然、委員長の叫び声が聞こえた。
「あああああー、はし、はし、ハシマギ博士・・・・」
 委員長は目と口を大きく開き、片手を前方に伸ばし、ツグミの後方を指さしていた。ツグミは背後から声を聞いた。
「指令の解除には私の認識があれば事が足りる。君たちには悪いがあらゆる事態を想定して、私と二の賢人だけは、一人でも指令の解除ができるように初期の段階で設定してあったのだよ」
 四の賢人も委員長と同じように驚愕の表情で固まっていたが、かろうじて口を開いた。
「そんなバカな、そんな設定がしてあったとは。それよりあなたは死んだはずだ。なぜ生きている・・・」
 ツグミは恐る恐るゆっくりと振り返った。そこには白衣に身を包んだ賢人が立っていた。細身でひょろりと背が高く、ツグミのすぐ背後に立っていたので、見上げる格好になっていた。
「キャー!」
 ツグミもその賢人が死んでいると思っていた。だから驚いた。そして思わず振り返り様にそのヒジで、賢人のみぞおちを殴りつけた。
 うっ、とうめき声を上げて崩れ落ちるように倒れていく賢人の姿に、ツグミは自分がマズイことをしたと瞬時に察した。
「あ、あ、悪魔だ」
 委員長のつぶやきが聞こえてきた。
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