秘匿の中(11)

文字数 4,736文字

 ウレンの脳裏に、次々に分身たちの報告が入ってきた。
 コガレたちはある程度離れていても、思念を送って連絡を取り合うことが可能だった。もちろん、それは話し言葉だけで、視覚情報やにおいや触感などの感覚の記憶は触れ合うことで共有することができた。
「これで六組、計十二人の存在を確認しました。おそらくこれで全員だと思われます。攻撃を開始しようと思いますが、よろしいですか?」
 ウレンとツグミは通路の物陰に隠れていた。ツグミはウレンを眺めながらうなずいた。
「あ、でも、殺さないように注意してね。相手の攻撃能力を奪えば、それでいいから。殺してはダメよ」
 了解しました、とウレンは答えてから改めて指令を発した。
「各自攻撃態勢に移れ。これより白い人間たちの殲滅作戦を開始する。ただし人間たちを殺してはならん。人間たちの攻撃能力を奪うことに専念すること。逃走する者を追う必要はない」
「厄介な指令だな。手っ取り早く殺しちまった方が簡単だろ。あんまり無理言うなよ」
 コリンの声がツグミの頭の中にも聞こえた。
「それは首を噛んじゃダメってことなの?一気に殺せないなら抵抗されて、こっちもケガ人が出そうなの」タミンの声も。
「敵一人もしくは二人に各隊全員で襲撃すれば即座に攻撃能力を奪うことは不可能ではないはずだ。大丈夫、君たちならできる。そう信じている」
「勝手に信じてろ。失敗してもしらねえからな」
「分かったの。タミンはできるコなの。がんばるの」
「では、みんな準備はいいか。攻撃開始!」
 ウレンの声が脳裏に突き刺すようにこだました。

 情報委員長のもとに、他の場所を捜索していた部下たちが次々に戻ってきた。やがてB5区画を捜索している委員以外、三十名ほどが集まった。
 このB地区には他の委員会の委員たちもいたが、それらは各通路や要所に配置して、精鋭部隊とも言える情報委員を集結してE地区に向かうつもりだった。すでにB5区画を捜索している委員たちもその勤めの大半を終え、もう間もなくE地区に達するはずだった。よい頃合いだと思った。委員長は集まっている部下たちに進発の号令を発しようとした。その時、横にいる副委員長の通信器に着信が入った。
「B5区画捜索隊、正体不明の生き物に襲撃されています!死傷者不明!ものすごい数の生き物に襲われています。救援を・・・」
 通信が切れた。委員長の切れ長の細い目が大きく見開かれた。
 情報委員は不穏な集団の調査をするために、隠密行動にも長けていた。今回も気づかれて逃走されないように、極力隠密に行動しているはずだった。そんな彼らに気づかれずに近づき、しかも襲撃するとは。
「急ぎ、治安部隊本部に連絡を取り、B5区画の監視カメラの映像をすべてこちらの端末につなげろ。B5区画にいる他の委員たちと連絡をとり状況を報告させよ。待機の者たちに銃のエネルギーを充填させて、すぐに進発できるように指示しておけ」
 委員長は、周囲にいる委員たちに矢継ぎ早に指示を出した。少しして副委員長がタブレットを委員長の前に差し出した。その画面に流れている映像を委員長は凝視した。次々に指で映像を変えながら、微かな異変も見逃さないように見つめ続けた。
 動くものは何も見出せない。ただ住宅の黙然と立ち並ぶ場景が映っているばかりだった。
 しばらく、しきりに画面を切り替えた後、委員長の指が止まった。そこに映っている画像を停止させて急ぎ巻き戻した。その視線の先の、画像の端に小さく人の姿とごく小さな黒いかたまりが見えた。画面を拡大してみる。確かに治安部隊の隊服が見える。その足元に黒いかたまりも。そのかたまりが何なのかは、いくら拡大しても判別できそうになかった。委員長は急ぎ治安本部のデータベースにアクセスしてその隊服の主を特定させた。画面上に、ツグミの情報が顔写真付きで映し出された。

 イカルは家屋の陰に隠れて手首の通信器に耳をつけ、流れる音声を聴いていた。委員たちから少し離れていたので、かなりの雑音が混じっていたが、通信の内容は聞き取ることができた。
「これからB5区画へ向かう。B5区画には反逆者を幇助する兵士がいる。画像を流すので確認しておくように。発見次第、射殺して構わない。敵の人数は不明。各隊ごとに偵察を放ちつつ当該地点に向かい。制圧の後、E地区に向かう。現在、当該地点にいる仲間が反逆者たちに襲撃されているため、急ぎ救援に向かう。準備のできた隊より出立するように」
 イカルは通信器の小さな画面を確認した。荒れた画像が浮かんでいたが、その映っている女性兵士がツグミであることは、はっきりと認識できた。
 なぜだ、なぜツグミがB5区画にいる?入り口を見張っているように言っておいたのに。委員たちを襲撃した?どういうことだ。あの小さなケガレたちがしたことなのだろうか?どちらにしても情報委員の本隊がE地区に向かう。早く戻って選ばれし方様たちを逃がさないと。でもツグミを放っておけない。ここからB5区画に行く間には情報委員の本隊がいる。迂回するか?でも時間がない。迂回する間に本隊はツグミのいるところに達してしまうだろう。やはり、本隊をこちらに引き付けておくしかないか。
 イカルは長く息を吐いた。疲労感が身体の芯から全身ににじみ出てきた。それを振り払い自分を鼓舞する。自分がなぜこの世に生まれてきたかなんて、そんなことは分からない。でも自分が守りたいと思うものを、守らなければならないものを守れないなら生まれてきた意味がないじゃないか、そう自分に言い聞かせてから移動をはじめた。

 ウレンの分身が二匹、E地区入り口の扉に警備のために残されていた。
 二匹の分身は仲間たちが次々に敵を倒していることを感知し、自分たちに大した仕事は回ってきそうにないことを察した。だから、すっかり弛緩していた。どうせなら仲間たちと一緒に戦闘に加わりたかったが、今更言ってもしょうがなかった。今となっては仲間が凱旋してくる時を待つしかなかった。
 そんな二匹が扉の脇に座り込んでいると、急に視界が暗くなった。二匹ともに視線を上げた。そこには血だらけになったむき出しの足、そしてその上に染みだらけの隊服を着た人の形をした何かが立っていた。
 それは見た目、確かに人間だった。
 しかし思考もなく、善悪もなく、ためらいもなく、ただ襲うために襲うことができる生き物から発せられる、全身の毛という毛が直立するほどの恐ろしさを全身にただよわせていた。そんな雰囲気を醸し出せる人間などいない。それに、彼らの動物的感覚の鋭さに感知されずにここまで近づいてくることなど、到底人間には無理な技だった。
 コガレたちは重心を低く構え、牙をむいて警戒心をあらわにした。兵士の姿をした何かも同じように歯をむいて襲撃する構えをみせた。そしてその口が瞬間的に大きく開いて、その中からどろどろに溶解したケガレが細長く飛び出した。その先端はコガレたちと同じように牙をむいており、一瞬にしてコガレたちを噛み砕いた。
 再びケガレを体内に収納したキビタキだったものは、扉の前に立ち、力ずくで扉を開こうとした。

 ウレンは急にはっと顔を上げた。そして強い思念をコガレ全員に向けて発した。
「全員退却!E地区に戻る。全員撤退!」
 ツグミはその時、家屋の陰で、攻撃能力を失い痛みにうめき声をあげている委員を、拘束帯を使って捕縛していた。その頭の中にもたたきつけるように、その声は聞こえた。
「どうしたの?何をそんなにあわてているの?」
「E地区入り口の扉に残してきた私の分身が、何ものかによって襲撃され、消滅しました。おそらくその襲撃者はE地区に向かったものと思われます」
 一瞬にしてツグミはあわてた。扉を見張っておくように言われたのに、その言いつけを無視して打って出て、敵の侵入を許すなんて、自分の落ち度でしかない。一刻も早く戻らないと。
「あたし、すぐに戻るわ。あなたちもすぐE地区に戻って」
 そう告げてツグミは走り出そうとした。その脳裏にコリンの声が聞こえた。
「西側から白い人間の集団が接近!その数三十。速い!もうすぐ前衛が接触する。俺たちがここでなんとか喰い止める。合流できる奴はすぐにきてくれ!」
「あたしたちも西側に向かうの。あと一人でこっちの敵は掃討できるの。そしたらすぐ行くの。だからそれまで持ちこたえるの」
 タミンのいつものおっとりとした声とはまったく違う、緊迫感ただよう声だった。
「あてにせず待ってるぞ。ツグミ、敵が多い。致命傷を与えず進行を防ぐのは無理だ。大多数の敵を殺害する、いいな」
 コリンのその言葉にツグミは迷った。彼らは身体が小さい分、相手に即座に致命傷を与えられなければ反撃を喰らう可能性は、かなり高い。
 これを許可しなければ味方の、コガレたちの被害が甚大になってしまうだろう。それは分かっている。分かっているが、脳裏の奥、普段はまったく意識もしないし、視認もできないような真っ暗な奥底から、彼女の決断を止めようとする声が湧き出していた。
「ダメよ。みんなで逃げるの。すぐに退却して」
 とっさにツグミの頭の中から思念が飛び出した。
「バカな。目の前に敵がいるのに、そんなに簡単に逃げられるかよ。それにここで足止めしとかないと、こいつらE地区になだれ込んでくるぞ。そしたらお前たちの大切な選ばれし方様だって逃げられないかもしれないぞ」
「ツグミ殿、私もコリンと同意見です。お気持ちは分かりますが、ここで引くのは得策ではございません」
 ツグミも、彼らが最善だと思う策を言っている、この状況ではその方が正しいのだということは分かっていた。しかし彼女の深層がそれを許さない。それは彼女がこれまでの人生の中でつちかってきた倫理感とも違っていた。もっと根源的な奥深く、自分の生命の源に植えつけられた原理原則に思えた。どうしてもコリンの言うことにうなずいてはいけない気がしていた。
「遅い。早く決断しろ。もう敵がくる!」
 コリンの悲痛な声が脳裏を駆けめぐる。とっさにツグミは決断した。
「撤退よ!撤退して、今すぐ!」
 コリンの舌打ちが聞こえたような気がした。
「俺がしんがりを受け持つ。他の奴らはすぐに逃げろ」
 らしくない元気のない声だった。ツグミの胸中に、瞬時にコリンに対して申し訳ない気持ちがあふれ出た。自分の決断が間違っていたとは思わないが、はたしてそれが最善だったと言い切れるのかどうか。
「了解なの。こっちもすぐ撤退するの。扉の所で待ってるの。コリンたちもすぐにくるの。すぐなの」
 タミンの声とともにコリンの隊以外は撤退をはじめた。
 コリンとその分身は合わせて三十体あまり。敵とほぼ同数だった。集団同士の対峙では不利になる。コリンは敵が分散して襲来することを期待した。しかし報告では少数の偵察の人員以外、集団で敵は向かってきていた。
 さて、どう対応しようか。他の仲間が逃げ切るまで、少し時間稼ぎしないといけないか。とにかく、少し攻撃して、足止めして、後退して、また攻撃して、足止めして、また後退、そのくり返しをするしか思いつかなかった。扉にたどり着くまで何体残っているのだろうか、そう考えながら指令を発しようとしたその刹那、偵察に出ていた分身からの思念が脳裏に響いた。
「敵部隊が進行を停止。どうやら後方からの攻撃を受けた模様」
 なんだって?いったい誰が?コリンはいぶかしんだ。ただ自分たちの撤退の好機が訪れた、それだけははっきりと分かった。
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