思惑の中(12)

文字数 4,047文字

 イカルとツグミは治安部隊本部、隊長執務室にいた。
 窓際の、黒い革張りの厚みのある椅子に腰掛けたモズが、木製の机を挟んだ部屋の中心部分に立つ、イカルとツグミに声を掛けた。
「状況はだいたい分かった。選ばれし方様に関することは、そうなるかもしれないと予想はしていたが、首脳部もかなり強行にことを進めたな。おそらくブレーンの指示だろうが、抹殺せずに幽閉するに留めたことは、彼らにしてみれば、かなり譲歩したと言えるだろう」
「まったく予想出来ませんでした。私の考えが至らず、このような事態となり、申し訳もございません」
「いや無理もない。首脳部の者たちは、自分たちの地位が揺らぐのを何より嫌う。その可能性がある事柄や人物を、どのような手を使ってでも排除しようとするだろう。君がどのような手を打ったところで、早晩こうなることは決まっていたのだ。気に病むことはない」
「しかし、選ばれし方様を奪われてしまうだけではなく、不要な騒ぎまで起こしてしまいました」
「ふむ。兵士らしからぬ言動だったようだな。それに関してはそれ相応の処罰をくださねばならぬ」
「はっ、心得ております」
 ツグミは不満そうな顔つきで二人の話を聞いていた。なんであたしたちが処罰されないといけないの?あたしはただイカルを助けようとしただけ。武器であろうと、素手であろうと、言葉であろうと、イカルに攻撃を加えようとする相手からイカルを守る。それが、それだけが彼女の行動指針であり正義だった。だからそうしようとして結果的に責められ、処罰されたとしても、頭では理解出来ても、内心では納得出来はしなかった。
「さて、もう少し話をしたいのだが、立ち話もなんだし、のども乾いた。ツグミ隊員、悪いがお茶の用意を頼んできてくれないか。下の階の事務の者に言えばすぐに用意してくれるだろう」
 ツグミは咄嗟に、えっ?と答えていた。何であたしが?通信機で言えば済むことだと思った。またイカルから離れるの?
「早く行ってこい」イカルが小声で言った。ツグミは渋々その声に従った。
 ツグミは、退出際に、失礼しますと言って、そのまま部屋を出ていった。ドアが閉められたのを確認してからモズが言った。
「どうやらアントの連中が、選ばれし方様の奪還を画策しているようだ」
「それは・・・あまりにも・・・」
 情報が漏れるのが早い、と思った。もしかしたら、と思ってモズを見て、その先を言い淀んだ。
「彼らは至る所に潜伏している。委員たちの中にももちろん入り込んでいる。今日の審判の場にもあるいは、一人か二人は入り込んでいたかもしれない」
 イカルは険しい顔つきをして、モズの話を聴いていた。
 彼らはれっきとした反社会組織として、この地下世界から認定されてしまっている。この都市の治安を守るべき治安部隊の一員としての自分はアントとは敵対する立場でしかない。
 しかし、現時点でブレーンコンピューター至上でこの都市を運営している首脳部より、お方様の意志を至上とし、その延長線上の目標として、地上への移住を目論んでいるアントの方に、思想的には親近感を覚えている自分がいる。
 アトリは知り得た知識を、出来得る限り、イカルに伝えていた。だから彼にも現在のこの都市の在り方が、おぼろげながらにも概観出来ていた。それ以外の選択肢がなかったとはいえ、アトリは、彼が治安部隊に入隊することを快く思っていなかった。せっかくお方様からいただいた能力がありながら、首脳部の手足となって使われる治安部隊に入らなければならないとは、と直接的には言わなかったが、言外に分かりやすく示していた。
 イカルは、アトリに比べて自分は慎重だと思う。アトリはもちろん知識に裏付けされた情報をもとに行動していたから、イカルたちよりも大胆に動けたのかもしれない。でも、彼はそんなアトリに危うさを感じていた。予想と現状にずれが生じた場合のことを考え、行動を躊躇うことをあまりしない。その恐れよりも好奇心が勝ることの方が多いような印象があった。
 しかしそれでも彼は、アトリのことを誰よりも信用していた。誰よりも信頼していた。誰よりも正しい判断をくだせるヤツだと思っていた。
 そんなアトリが、彼の一番の親友が、命を懸けて見つけ出し、この地下世界に導いた、選ばれし方様を、このまま幽閉させてしまってもいいのだろうか、彼の考えはそこに繋がっていった。
 地上はケガレに満たされた世界だ。しかし選ばれし方様がいれば、地上への移住の夢が叶う、そうアトリは信じていた。首脳部の賢人たちが言ったように選ばれし方様は物語の中の存在だった。だから彼はアトリの言葉を真剣に受け止めようとはしなかった。アントへの入会も拒んだ。でも選ばれし方様は実際にいた。この地下世界に来てくださった。
「君たちは知らないだろうが先月、E地区で、委員たちによってアントの掃討作戦が行われた」
 イカルは声こそ出さなかったが、まったく知らなかった話を聞かされて驚いて目を丸くした。
「隠密裏に、情報委員によって行われたようだ。ほとんどの幹部は殺害されるか捕まって連行されたようだ。だから彼らは焦っているのだろう。ここで選ばれし方様を深層牢獄に連行されてしまったら、もう再び奪還する機を逸してしまうし、自分たちの存在意義さえ見失いかねない。そういう状況だからこそ、難しい計画ではあるが、あえて強行するようだ。明朝、深層牢獄へ連行される選ばれし方様を奪還するつもりらしい」
「それは確かな情報なのですか?」
 イカルはE地区に行ったことがない。関心もほとんどない。だから異変が起こってもまったく気づいていなかった。
 彼は息苦しさを感じていた。モズがアントと通じていることは薄々気づいていた。クマゲラが陰ながらアントに肩入れしていることも知っている。自分の能力を、彼らが重要視していることも知っている。恐らく将来的に、地上に出る時に必要になると思っているのだろう。
 隊長は俺に、アントと同行するように仕向けている。俺の能力目当てで同行させて、選ばれし方様を奪還の後は、お方様の力を得て、地上への道筋を確立させるつもりなのだろう。
 これからどうするか、彼は悩んだ。自分の残りの人生も、自分の命の価値も、今から下す判断で、まったく違うものになりそうな予感がしていた。
「確かな筋からの情報だ」モズの声が耳穴の中で揺れる。
 冷静に、慎重に判断しなければならない。そう頭では考える。しかし心はすでに片方に傾いていた。アトリが、モズが、クマゲラが期待している。この世界のためにもその期待に乗った方が良い気がする。そして何より自分がそうしたいのではないのか。
「私も選ばれし方様を、このまま深層牢獄に送ってはいけないと思っています。どうにかしたいと思っています」
 二人とも互いの目の中に映る心の置き方を探るように、瞬きもせずジッと視線を送り続けた。モズが微笑んで言った。
「アントの残党たちは、人目を避けて、明朝五時にB3区画南側高台広場に集まるらしい。これは確認が取れていない情報なので、首脳部はもちろん委員たちにはまだ話していないし、もう話すこともないだろう」
 イカルは視線をモズの目に注ぎながら、黙ったまま聴いていた。
「そういえば君とツグミ君は、その能力もあってアントの連中の中ではちょっとした有名人らしいな。みんな君たちのことを知っているらしいぞ。どこで会ってもきっと正体はすぐにばれてしまうだろう」
「そうですか。私の正体がばれるのは仕方ありませんが、ツグミはなるべく反社会勢力とは関わり合わないように、注意を促しておきます」
 そう言い終わった時に、扉の外に人の気配を感じた。
「失礼、します」
 ツグミの声だった。すぐに扉が開いて入室してきた。
「すぐに、お茶の、用意をして、持ってきて、くれる、そうです」
 ツグミは入室してすぐさま、イカルの横に移動した。
「そうか、ご苦労だった」
 モズは立ち上がりながら言った。
「二人とも今日の審判の場での騒動については明日、処分をくだす。首脳部からの特段の横やりがなければ、二、三日程度の謹慎で済まそうと思っておる。とにかく明朝七時に再度この部屋に来なさい。いいかそれまで不要不急の外出は避けるように。明朝七時にここにくる以外はどこにも外出しないように」
 了解しました、二人は姿勢を正して揃って言った。
「では、班員が待っておりますので、これで失礼いたします」
 イカルが敬礼しながらそう言うと、きびすを返して退室しようとした。
 ツグミは慌てた。ちょっと、待ってよ、イカル。今からお茶の時間じゃないの?さっき給湯室をちらっと覗いたら、お菓子の箱があったわ、あれはきっとケーキよ。あたし、ケーキなんていつ食べたか思い出せないくらい久しぶりなのよ。ねえ、本当に食べないの?あたしにケーキを諦めろって言うの?彼女は声を出さずにイカルの背中に心の叫びを思念として送りながら、その後を追って行った。
 選ばれし方様をこのまま幽閉させる訳にはいかない。治安本部の廊下を歩きながら、そんな思いが沸々と、イカルの胸中に湧き上がってきていた。
 もちろんこの世界の決まり事や自分の立場や部下の班員たち、そしてツグミのことを考えると、命じられてもいないことをするべきではない。自分の目を、耳を、口を閉じ、ただ淡々と毎日を生きていく、それが最善なのだろう。しかし今はけっしてそれが素直に正しいと言える状況ではない。この時、この場面で成すべきと自らが一心に思うことを成す、それを躊躇い、チャンスを掴むタイミングを失えば、一生後悔するだろう、そう思われてしょうがなかった。
 選ばれし方様を救い出せ、自分の最も根源的な部分から太く強い声が聞こえてくる。それに抗うことは、イカルという自らの個の喪失を意味する気がした。
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