深層の中(1)

文字数 5,257文字

 ノスリ、トビ、エナガ、イスカ、古くから知っている顔があった。
 アビをはじめ自分が所属した班の班員たちの顔もあった。
 ツグミはそれぞれにとりあえず訊きたいことがあったが、たちまち一番近くにいるトビに声を掛けた。
「トビ、戦況はどう?コガレたちは?」
 トビもツグミの姿を認めると、すぐに声を掛けた。
「ツグミ、よく戻ってきた。レンカクはどこにいる?」
 二人の間に沈黙の間があった。それぞれ居住まいを正して返答した。
「レンカクはこの国を、この国の人たちを守るため、お方様を救うために勇戦奮闘して息絶えたわ。あなたへの最期の伝言を預かってきたわ。模擬戦であたしたちの班を負かすための策よ」
「俺の班は半数が戦死した。半数が残ったのはお前のコガレたちのおかげだ。彼らは確かに勇敢で強靭かつ優秀な戦士だった。必ず俺たちがケガレに対するより先に対応して、その多くを撃退してくれた。そしてその代償として、彼らの多くも犠牲となってしまった。・・・ただただ心から感謝している」
 二人の間に重苦しい空気がただよった。
「ツグミちゃん、お帰りなさいなの」弱々しい思念が脳裏に流れ込んできた。
 ツグミは周囲を見渡してタミンの姿を捜した。するとトビの足元からヒョコヒョコと片足を引きずりながら、タミンが姿を現した。その顔は微笑んでいるように思えたが、片腕がなく、憔悴しきっているようだった。
「タミン」ツグミはあわてて駆け寄り、腰をかがめて、両手で抱え上げた。「大丈夫なの?ひどいケガよ」
「そんなに心配しないの。大丈夫なの」
 心なしか、全身の黒色も両目の赤色も薄くなっているように見える。無理をさせてしまった。きっと、こんなに小さな身体なのに、誰よりも勇敢に戦ったのだろう。もしかしたら、もうこの場所にいなくなっていても不思議ではない状況だったのだろう。本当によく生き残ってくれた。ツグミはタミンの身体に顔を近づけて、そっとほおを重ねた。
「ツグミちゃんのほっぺたはあたたかいの。とても安心するの」
 トビが振り返って自分の班員を呼んだ。その兵士は彼らが着ているものと同じ隊服を手に抱えて近づいてきた。
「そのコの他に残ったのは、この三匹、いや三体だけだ」
 ツグミの目の前に進み出た兵士が、手に持った隊服の包みを開いた。中には三匹の分身が横たわっていた。どの分身も手や足や身体のどこかが欠損しており、意識も朦朧としているようだった。
「お前たち、よく戦ったわね。よく頑張ったわね」
 ツグミは片手でタミンを抱え、もう片方で分身たちを優しく撫でてやった。
「ツグミ、現況はみんなが駆けつけてくれたし、さっきから塔の光が強くなったせいかケガレの動きが鈍くなっている。そのおかげで周囲にいた、塔の内部に侵入を試みるケガレは撃退することができた。とりあえず、今のところは襲ってくる気配はない」
 分身たちの反応はほとんどなかった。かすかにうごめくだけだった。ツグミの存在にも気づいていないようだった。
「それから・・・レンカクの策を教えてくれ。後でいいから詳しく教えてくれ」
「分かったわ。後で詳しく伝えるわ」
 そんな二人の間で、タミンは自分の分身たちに思念を送っていた。
「あなたたち、よくがんばったの。ほら、もうあたしに帰ってくるの」
 兵士の抱える隊服の中の、分身たちのうち二匹が、急に煙状になったかと思うとタミンの方に向かって筋を描いて移動した。たちまちのうちにタミンの身体を取り巻き、同化し、吸収された。それと同時にタミンの全身の色が濃く変化し、失ったはずの腕が復活した。
 タミンはツグミの腕の中で上体を起こし、すくっと立ち上がった。どうやら足のケガも癒えているようだった。そしてツグミの顔を見上げて、ジッと見つめた。
「ツグミちゃん、そのコに近づいてよく見てほしいの」
 ツグミは言われるがままに、残った分身の上に顔を近づけてよく見てみた。
 たった一匹残った分身。その身体は片方足がなく、手の先もなく、下の軍服の生地が透けて見えるほど密度が薄くなっていた。
「こんなにあたしたちを助けてくれたのに、あたしはあなたを救う術を知らない。どう助けたらいいのか分からない。本当にごめんなさい」
 ツグミは目を閉じた。その時、その分身の身体が霧状に姿を変えた。そしてツグミの鼻孔から、呼吸に合わせてスッと体内に入っていった。ツグミは驚いて目を開いた。
“あたしはいったい何をしているの”
“こんな所に立ち止まっている場合じゃない”
“一刻も早くイカルを助けないと”
“イカルを助けたいだけなのに邪魔ばかり入る”
“もううんざり。これ以上、邪魔するならみんな粉々にしてやる”
“イカルに会いたい。これ以上、一人でいたくない”
“悲しく、つらく、苦しい。じっとなんてしていられない”
“いても立ってもいられない”
 様々な感情が胸の中で一瞬にして噴き出した。血流が早まり、呼吸が荒くなり、アドレナリンが脳内にこんこんと湧き出した。タミンの分身が私の力になろうとしている。とっさにツグミは察した。ただ純粋に行動につながる感情を湧き起こして、あたしの背中を押そうとしてくれている。ツグミは分身の最期の思いを無駄にしないように、沸き立つ感情のままに動き出した。
 ツグミは周囲を捜した。少し先にエナガの姿が見えた。これだけは真っ先に確かめておかないといけないことが、脳裏に現れて占有した。ツグミは痛む足を引きずりながらも足早にエナガに近づいた。
「エナガ、イカルは?イカルは大丈夫なの?」
 顔には出さなかったが不安と期待で胸がはちきれそうだった。現状維持だったらまだ御の字だが、もしもの答えを聞かされることになったら、想像するだけでも耐えられそうにない。またもし目覚めた、という答えが返ってきたら、もうすべてを忘れて病院に駆けつけることができる。わずかな希望をタミンとともに胸に抱いていた。
 エナガが一瞬、間を空けたことと言い出した言葉で、ツグミは瞬間的に凍りついたような気がした。
「ああ、ツグミ、ごめん・・・」
 ツグミは口を開いたが言葉が出てこなかった。何がごめんなの?エナガはつづけた。
「それが、俺たちが病院に着いた時には、すでに委員の人たちがいたんだ。その人たちはクマゲラ先生を拘束しに来ていたんだけど、すぐにイカルの正体もバレてしまって、連れていかれちまった。まだ病院内にはいると思うんだけど、イカルも委員たちの監視下に置かれているよ。だからイカルが今、どんな状態かってことは分からないんだ」
 ツグミの目に、憤怒の色が現れた瞬間を、エナガは見逃さなかった。気圧されている感覚をエナガは感じた。今までの行動原則からして、ツグミがすぐに病院に向けて走り出すだろうと思った。しかしすぐにツグミの目からは感情の色が消えた。内心狂い出しそうなほどの感情が渦巻いていたが、必死に抑えつけていた。ツグミは再び周囲を見渡した。
「ノスリ、イスカ、タカシ様を牢獄に連行したのね。タカシ様は無事?」
 ノスリもイスカも近くにいて、大丈夫だ、と答えた。
「アビ」
 続いて側面にいた後輩に声を掛けた。
「副官、お帰りなさい」
 アビのどんな時にもブレない明るい声が響いた。
「至急、救急車両を持ってきて」
 アビはいきなりの指令に面食らった。
「救急車両ですか?突然どうしたんですか?負傷者がいるなら応急処置して私たちで運んだ方が早いですよ」
 そこにいた者がみな、けげんそうな表情をしていた。ツグミは全員の顔を見渡して言った。
「みんな、よく聴いて。これはお方様の望みよ。私たちはタカシ様、選ばれし方様を救い出し、ここまで、お方様の元まで連れてこないといけないの。このままではこの世界は光を失うわ。闇に閉ざされて、常に死を感じて生きる世界になってしまうわ。そうならないために選ばれし方様をここに連れてこないといけないの、いいわね」
 みんなのけげんな表情は更に色を濃くしていった。
「あの野郎を牢獄から出して連れてくるだって?どうして、そんなバカなことがあるか。あいつはケガレを呼び寄せる。あいつを連れてきたらもっとケガレが増えてしまうぞ。そんなバカなことやめるんだ」
 ノスリが早口でまくし立てたが、ツグミはそれには答えずにつづけた。
「アビ、救急車両はどこで手に入りそう?」
「たぶん、B1地区に行けば待機車両があると思います」
 ノスリは更にまくし立てた。
「お方様はたぶんあいつの正体をご存じないんじゃないか。とにかく俺たちにとっては害悪でしかない。わざわざ災いの種を招き寄せるような真似はよせ」
 ツグミは更に無視してつづけた。
「イスカ、牢獄への通路入り口はどこにあるの?」
 イスカはノスリの顔をうかがってから答えた。
「B地区とD地区に一か所ずつだな」
「B地区のどこ?」
「B3区画の南側外壁そばだ」
「アビ、そこに救急車両を移動させておいて。分かった?」
「え?あ、はい」
 ノスリは更に、人差し指をツグミに向けて小刻みに振りながら、まくし立てた。
「おい、ツグミ、本当にやめておけよ。お前に乱暴な真似はしたくないが、これは人の命とこの都市の存亡に関わることだから、力づくでもお前の口を閉じさせないといけなくなる。あんな奴を二度と人目につく場所に出そうと思うな。いいな、今のうちに言うことを聞け」
 強い口調だった。ツグミはその言葉に耐えるように、少しの間、目を閉じた。そして再び目を開いて、腰を屈めて少し離れた地面にタミンを下ろした。それから再び上体を上げた彼女は、拳を固く握りしめていた。そして唐突に、思い切り体重を乗せて、ノスリの顎に自分の拳を勢いよく打ち当てて、そのまま振り切った。
 ノスリの顔が一瞬にして横向きになり、膝ががくんと折れた。何とか耐えてヒザを地に着けることはなかったが、あまりの突然な出来事に少しの間、自分に何が起きたのか分からなかった。そんなノスリの横面に、ツグミの声が投げつけられた。
「いい、これはミサゴの代わりよ。今のあなたみたいに情けない班長をみたらミサゴはきっとこうしたはずよ」
 ノスリは驚いていたが、周囲の人々はもっと驚いていた。あまりの意外な展開に、固唾を呑んで事の成り行きをただ見守った。
「ツグミ、何を・・・」
 ノスリはかろうじて声を出した。その大きな身体にツグミの感情の光を宿した視線が射るように向けられていた。
「何を、ですって?まだ分からないの。タカシ様はこの世界を、お方様を救いに来てくれてるの。それをあなたは仲間を失って自分を責めることに耐え切れずに、その責めをタカシ様になすりつけている。何て情けないの。ちゃんと向き合いなさいよ。仲間の死と向き合いなさいよ。タカシ様を責めても、誰かを責めても仲間は生き返らないし、誰もそんなこと喜ばないわ。ミサゴはあなたにそんなことをしてもらうために死んだの?あなたはタカシ様やみんなと協力して、この世界を、人々を救うために生き残ったんじゃないの?死んだ仲間も、ミサゴもそれを望んでいるんじゃないの?ねえ、いい加減に目を覚ましなさいよ、この、でくの坊!」
 周囲にいた者はみな唖然とした。アビをはじめ後輩たちはただ立ちすくんで事の推移を見守ることしかできなかった。ツグミやノスリの同輩たちは、とりあえず二人の間に割って入らないといけない、とは思ったが、ツグミの心からの、血の出るような叫びを聞いていると止めるに止められず、二の足を踏んでいた。そんな人たちの目の前で、ツグミは両手でノスリの胸倉をつかんで締め上げた。
「あなたが動かないのなら、それでもいい。でも、あたしの邪魔はしないで。邪魔をするなら、あたしはあなたに何をするか分からないわ」
 その言葉より、ツグミのとても深く澄んだ瞳が、遥かに強く彼に訴えかけていた。その瞳に見つめられていると、今まで極力、目を背けていた自分の弱さが、彼の心の中で色濃くその存在を主張しはじめる、次第に声を上げていく。
 ・・・分かっている、本当は分かっている。仕様がないことだった、選ばれし方も悪くない、彼は俺たちを救おうとしてくれた。自分だってみんなを助けたかった、でもけっきょく・・・、ノスリは叫び出したい衝動を抑えつつ、ツグミの目の光に応えるように、吐き出す息に声を乗せた。
「目の前で仲間がたくさん死んだんだ。みんなを助けることができなかった。俺だけ生き残っちまった。みじめだよ。みじめすぎて死んでしまいたい。そんな俺の気持ちがお前に分かるのかよ。分かんのかよ・・・」
 やり場のない怒りが、内から噴き出す怒りの感情が、これ以上ないくらい険しく顔に表れていた。しかしツグミの目にはその表情は見えていない。ただ目の前にある、二つの悲哀に満たされた瞳しか見えていなかった。
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