思惑の中(13)

文字数 5,980文字

 イカルとその班員たちは部隊本部の待機室にいた。テーブルを囲んで立っていた。
 イカルが、一通り今日の出来事を、班員に説明し終わったところだった。班員たちは特に何を言うでもなく、普段通りの顔つきでイカルに視線を向けていた。
「審判の場でのもめ事によって、俺とツグミは数日間、謹慎処分に課せられる見込みだ」
 イカルはちらりと横にいるツグミを見た。ツグミもごく普段通りの様子で立っている。申し訳なさそうな雰囲気、悪びれる様子など微塵もない。他の誰が何を言おうが、どれほど責めようが、彼女にとっては正しいと信じていることを、何の疑問も持たずに行っただけなのだ。悪びれる必要性など、欠片も彼女の中には見出せそうになかった。
「その間、指揮をアビに任せる。頼んだぞ、アビ」
 アビは、えっ、私?という顔をしていたが、イカルを除いた班員の中では、アビが一番しっかり者なのは、誰しもが認めるところだった。体力や戦闘能力の面では大抵の場合、他の者の方が勝っていたが、アビには何より周囲に目を配る能力があった。周囲をよく見ているので、いろんなことによく気がつき、問題が発生しそうな事案があれば、問題になる前に摘み取るように自然に行動する。上に立つ者としては、自分の助けになるし、全体の運営が円滑に進むので一人いれば大変助けになる存在だった。と同時にそれは人の上に立つ場合も役に立つ能力だと、イカルは思っていた。少し、人に気を遣い過ぎるところもあるけれど、人の上に立てばうまく下の者たちをまとめてくれそうな気がしていた。
「明日、〇七〇〇よりモズ隊長の執務室で俺と副官の処分が下される予定となっている。みんな明日は〇六四〇にこの待機室に集合すること、いいな」
 了解、という班員の声に続いて、解散、とイカルが言った。ぱらぱらと出口に向かって班員が移動していった。
「アビ、少し引き継ぎをしたい。残ってくれ」
 イカルはアビの背中に声を掛けた。アビは振り返りイカルの正面に戻ってきた。
「ツグミ、すまない。隊長の執務室に制帽を忘れてきた。取ってきてくれないか」
 ツグミは当然のごとくイカルの横に立っていた。見渡すと確かにイカルの制帽が見当たらない。でもなんであたし一人で行くの?一緒に行けばいいのに。そう思ったが自分の存在を置いて、イカルはアビと打ち合わせをはじめてしまった。
 ツグミは不満な顔つきをしながら待機室を出ていった。とりあえず急いでイカルの制帽を回収して、急いで戻ってこよう、という思いから足早に廊下を進み階段を上っていった。
 それにしても今日はちょくちょくイカルと離れて一人になることばっかりで、本当に嫌な一日だったわ、そう思っているとモズの執務室に着いた。少し躊躇った後、その扉をノックした。
「誰だ」
 部屋の中から声がした。モズの声ではなかった。
「・・・イ・イ・イカル・・班、副官、ツグミ・・です」
 少し間が空いた後、モズの声が聞こえた。
「入りなさい」
 し、し、失礼します、と言いながらツグミは部屋の中に入っていった。
 部屋の中にはモズの他に隊服を着た、見た目、中年の治安本部職員らしき男性がいた。ツグミは覚えていなかったが、この男性は治安部隊の人事担当官で部隊幹部の一人だった。ウトウ隊がほぼ壊滅してしまったので、全部隊の再編をしなければならず、モズとの打ち合わせをしていたところだった。
「何の用かね」
 モズの落ち着いたコクのある声がマイルドに部屋の空気を震わせた。
「あ、は、はい。あの、あの、・・・班長が・・制帽・・・制帽を・・・忘れ・て・しまった・・・ので、あの、その・・受け・取りに・・・きました」
 モズも本部職員らしき人物も、根気強くツグミの言葉が終わるのを待っていた。
「制帽だね。これだ、ほら持っていきなさい」
 モズがかたわらに置いていたイカルの制帽を手に取り、座ったまま差し出した。
「あの、ありがとう・・ございます。し、失礼・・します」
 制帽を受け取ると、ツグミは一礼してそそくさと部屋を出ていった。
 ツグミが部屋を出ていく姿を見ながら、このコは兵士としては難がありすぎるな、とモズは思った。戦場で意思の疎通が難しいだろうし、いろんな面で鈍そうに思える。今のうちに配置替えをしてやった方が部隊のため、本人のためなのではないだろうか。ただ、今は上司である私の前であったので緊張しただけ、という可能性もある。度合いはひどいがそれなら酌量の余地はある、と思い、念のため目の前の人事担当者に訊いた。すると人事担当者はにべもなく言った。
「ああ、彼女は大変評価が低いですね。特に問題を起こす訳ではないのですが、人とのコミュニケーションがうまく取れず、副官にも関わらず自班の班長が不在の場合、部下の班員を顧みず職務を放棄するようなことが度々あったらしいです」
「そうか」と言いつつモズは、自分の見立てが当たっていることを単に確認した思いだった。ただ、彼女には人にない能力がある。その能力を無駄にするのは惜しい気がした。何か活用出来るような場や事はないのだろうか、とも思った。
「それから先月、E地区で委員たちが行った反社会組織壊滅作戦の時にこれを押収したようです」
 言いながら人事担当官は懐から時限装置のついた容器を取り出し、机の上に乗せた。見覚えがあった。かつて地上を捨ててこの地下世界に遷った時に、唯一通じていた連絡通路を跡形もなく破壊した爆弾だ。
「これは地上から移住した後、そのいくつかを委員たちが保管していたのですが、何時の間にか大半が紛失しており、それをなぜかアントの連中が所持しておりました。この地下都市の転覆を目論んで、テロの時に使用しようと思っていたのではないかと予想されます。危険なものなので、治安部隊で保管せよ、とのことですが、武器庫で保管しておいてよろしいでしょうか」
 モズはその爆弾を手に取って委細を確かめた。エネルギーは抜かれていたが、どうやらHKI―500のバッテリーを充填するのと同じ原理で充填出来そうだった。何か緊急事態時に使えるかもしれない。
「分かった。武器庫で保管しておいてくれ」
 その自分の言葉に重なって、脳裏にかつてこの爆弾が使用された時のことが浮かび上がってきた。
 長い通路を走っている時、強烈な爆音が響き、地面が激しくゆれた。通路が遮蔽壁で封鎖されたために、爆風に遭うことはことはなく、彼らは助かった。しかしその瞬間、息子と完全に隔絶されたことを悟った。自分はまだ息子の死体を見ていない。自分はまだ息子が死んだとは認められない。また地上へ行く。どんな手を使っても息子を捜し出す。かつて感じた苦々しい思いが鮮明な記憶として甦ってきていた。いつか、きっと、地上へ・・・

 ツグミが戻った時、アビの姿はもうそこにはなかった。
 イカルは、ツグミの姿を見てただ、帰るぞ、とだけ言った。
 エレベーターの中で、イカルはずっと黙って考え事をしていた。ツグミもその邪魔にならないように黙っていた。
 選ばれし方様を奪還したら、すぐさまA地区に向かう。でもイチかバチかだ。そこで成功しなかったら、しばらく潜伏しないといけなくなる。どちらにしても後輩たちを連れては行けない。あいつらを反逆の徒にするわけにもいかない。ツグミは、ついてくんなって言ってもついてこようとするだろう。黙って行ってしまったら、きっと取り乱して必死に捜そうとするだろうな。アビによくよく言い聞かせたけど、果たしてそれが役に立つのだろうか。そんなことを考えながら、イカルはエレベーターを降り、自分の部屋に帰っていった。
 部屋に入った時には電灯も点き、空調も適温に調整されていた。部屋中の機器という機器が、住人の帰宅を事前に察知して、適度なタイミングで稼働をはじめていた。
 モズ隊長は今回の企てをもちろん支持してくれるだろう。しかしあくまでそれは陰ながらだ。成功した場合、どういう作用がお方様に現れるかによるだろうけど、本部は表立って行動を起こすだろう。しかしもし失敗した場合、首脳部の手前、逆に僕を反逆者として扱わなければならなくなる。そんな思考を頭の周囲に漂わせながら、いつも部屋に帰ると先ずするようにクローゼットの扉を開いて上着を脱いだ。自分のすぐ後ろで、脱いだ上着をごく自然に受け取る人の気配がした。イカルは驚いて振り返った。
「ツグミ、お前、何やってんだ」
「えっ?上着脱ぐのを手伝っていたんだけど」
「いや、そうじゃなくて。何で俺の部屋にいるんだ」
「それは、イカルがすごく悩んでいるみたいだったから、そのうちあたしに何か相談したいことがあるかもしれないなって思って。近くにいる方がいいのかなって思ったから、すぐそばに控えていたら、何かごく自然な流れで入ってきちゃった、エヘッ」
「何がエヘッだ。何がごく自然な流れだ。お前に相談したいことなんてないし、もしあったら通信器で連絡するだろ。出ていけ、すぐに!」
「えーっ、もう入ってきたんだからいいじゃない。あたしたち常日頃からずーっと一緒にいるのに、イカルの部屋に入るの初めてなのよ。興味あるじゃない。もし人に見せたくない本とかあっても、あたし気にしないから。そういうことも含めて興味があるのよ」
 完全にイカルと二人きりになっている、と認めた状況では、ツグミの言葉から吃音が消える。スラスラとつかえることなく滑らかにしゃべる。とても朗らかに、嬉しそうに。
 ツグミは話しながら、クローゼットからハンガーを取り出し、イカルの上着を掛けて、クローゼットの中に掛けた。
「何を言っているんだ。そんな本なんて持ってない。とにかく男の部屋に女の子が一人で入ってきたらまずいだろ」
 狭い部屋だったので、ツグミが振り返ってお互い正対すると、イカルはその距離の近さを感じた。距離が近いためにツグミは、顔を上げないとイカルの顔を視界に入れることが出来なかった。イカルを見上げながらツグミが言った。
「なんで?」
 無邪気な目だった。何の警戒心も、疑念もない。自分を信じ切っている純粋な目、その目を見た途端、イカルの心臓に大波が打ち寄せて砕け散った。
「な、なんでって、そんなことくらい分かるだろ」
 ツグミの視線から目が離せない。空調の故障だろうか、何か暑い。身体の、特に顔周辺の至る所がほてっている。
「うーーん、分かんない」
 嘘言うなよ、そう思いながらこの後どうするべきなのかイカルは迷った。
 力づくでもツグミをこの部屋から追い出すべき、だと思ったが、自分がそうしたいのかと言えばそうも言えない。ではどうしたらいいのか、どうしていたいのか、それがはっきりとしない。
 目の前から、女の子特有の、甘くまろやかな体臭と柔らかな体温が漂ってきて、彼の周囲を優しく包み込んでいく。
 イカルは、ドギマギする自分を持て余した挙句、思わず両手でツグミの肩をがしっと掴んだ。
「いいから出てけって。ほら」
 イカルは肩を掴んだ手で、くるりとツグミを方向転換させた。そして背中を押しながら玄関ドアに向けて移動させようとした。
「ちょっと待ってよ」
 ツグミは再び方向転換をしてイカルと正対し、不満そうな顔をして再び見上げた。
「もーぉ!」
 イカルは、ツグミの押しの強さに圧倒されそうだった。
 ツグミは他の人に対しては、押しが弱いというか、押しがない。ほぼ主張することがない。しかしイカルに対しては、ちゃんと自分の意思を伝えようとする。自分が生きていることを、考えていることを、いろんな感情を抱いていることを、しっかりと主張してくる。イカルはいつもその主張を受け止めて、受け入れ、その上で一緒に考えたり、行動したり、意見を言ったりした。
 今回も気が済むまでいさせてやるしかないのかな、そう思いつつ、イカルは何気なく両手を伸ばした。
 イカル自身は意識していなかったが、ツグミの無邪気な表情を眺めていたら、彼自身がしたかったことを身体が勝手に実行に移していた。
 イカルの両手は前に差し出され、ツグミの肩を通り過ぎ、背中に回された。お互いの身体が引き寄せられ、まるで磁力を発しているかのようにピタリとくっついた。
 こんな風に抱きしめられたことなんて、生まれて初めての経験だった。ツグミは咄嗟に俯いた。頬がほてっている。突然のことに言葉も出ない。胸が早鐘を打っている。思考が右往左往して想念を結ばない。あわわわわ。
 イカルは、自分の高鳴る心臓の音に、我に返った。
 ほんの出来心と言うべきだろうか、魔が差したと言うべきだろうか、彼は頭の中でこの状態にいたった理由を捜し回った。
 ツグミが他の男の部屋に気安く入ることがないように、男の部屋で二人きりになったらどうなるか分からせるため、そんな説明を自分自身に提示した。でも、その一方でそんなことどうでもいい。理由なんてどうでもいいと言う自分がいた。
 今、この状況にただ胸の高鳴りを感じている、それだけで他には何もいらない気がした。そして次第に、その高鳴りだけに満たされていく自分を発見した。
 初めてツグミに会った時から感じていたことだった。でもいつも一緒にいたから、特にそれを頭の中でどういうことか、きちんと考えてこなかった。でも自分たちの明日がどうなるか、誰にも分らない。もしかしたらもう会えない日がくるかもしれない。それが明日かもしれない。何気なくそう思った。
 両腕に力が入った。掛け替えもなく大切なもの、何より愛おしく、守りたいもののあたたかさを、いつまでも感じていたかった。このまま未来永劫手放してはいけない気がした。このまま、この世界の終わりまで、抱きしめていたかった。
 ツグミはイカルの腰に手を回した。イカルの手に負けないように力を込めた。
 イカルの腕から、自分の手から、自分たちが心の底から繋がっている感覚が伝わってくる。
 イカルの胸に、自分の横顔を当てる。紅潮する頬から鼓膜に、イカルの命の鼓動が伝わってくる。あたたかい、とても穏やかな気分になるあたたかさ。このままずっと一緒にいたい。ただそう思う、望む、願う。
 二人は互いに互いのことを思った。それはずっと互いに思っていたことだった。でも互いに言葉にしてこなかった思いだった。でも、今、お互いのぬくもりでその言葉を、相手と自分の胸の内に強く、とても強く伝えていた。
 イカルはツグミのぬくもりを感じながら、ツグミと離れる決心をした。
 そのぬくもりを心の底から愛しいと感じていた。そう感じるがゆえに、より一層、一緒にいてはいけないと思った。
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