秘匿の中(3)

文字数 3,380文字

 E地区最奥部に辿り着いた。
 そこにはテニスコート二面ほどの開けた土地があった。その奥、地区の外壁に接する場所に、トタン屋根に廃材を組み合わせた、ただのあばら家にしか見えない建物が一軒かろうじて建っていた。 
 ここがドクターカラカラの住居、のはずだった。ただその廃墟然とした家屋からは人の気配は感じられなかった。場所を間違えたのか、そうイカルは考えつつも周囲にそれらしい他の家屋もないので、一応声を掛けるだけ掛けてみようと思った。
「すみません。誰かいますか」
 何の答えもない。イカルはタカシたちに、ここで待っていてください、と告げてから銃を構え、充填しつつ、家屋に近づいていった。ツグミもその後をついて行こうとしたが、イカルに目で制されたので、仕方なくその場で待つことにした。
 広い敷地には、所狭しと大きな水槽のように見える、樹脂でできた筒が点在していた。一つ一つの直径は二メートル程度、その高さはツグミの胸辺りまであった。そのどれにも金網が張られている。金網の目は腕が入らない程度、でも指なら入る程度の大きさだった。
 ツグミは何気なしにその中を覗いた。かなり液状化している泥が詰まっているようだった。
 ツグミは今、イカルに自制させられているので面白くない気分だった。今日はもう存分に離れたんだから、ぴったりとすべての場面において一緒に行動したいと思っていた。だから面白くない。不意に丸いコガレが彼女の肩まで登ってきた。
「男は基本的にバカなの。女は苦労するの」
 その声に、ああ、このコとは仲良くなれそうな気がする、ツグミはそう思いつつ何か疲れを感じてすぐ横にある筒に寄り掛かった
 その途端、ツグミが寄り掛かった筒の中の泥が動いた。それとともに生臭く腐臭にも似た強烈な悪臭が鼻を突いた。そして唐突に濃いオレンジ色と濃いピンク色を混ぜ合わせたような色合いの、生々しい肌に包まれた巨大なミミズたちが姿を現わし、その口にある細かい歯を彼女たちに向けて飛び掛かってきた。すぐに金網にぶつかってその歯で金網を音が鳴るほど噛んでいた。そのグロテスクな容姿にツグミは思わず、うえ、と声を上げた。
「キャーーー!」
 ツグミの頭の中で叫び声が響くと同時に、丸いコガレが一目散にどこかに姿を消した。
「何なのよ」とナミがめんどくさそうに近づいて筒の中を覗いた。
 その瞬間、ナミは黙ったままだったが後ろに十メートルは軽く飛んだ。その顔はいつにも増して真剣で、深刻な顔つきだった。
「どうしたんだ。顔が真っ青だぞ」
 ナミに近づきながらタカシが言った。
「ダメ、それはダメ、あたしはそこにはいけない」
 タカシは訳が分からないという顔をするしかなかった。
 イカルも背後が唐突に騒がしくなったので、前進を止めて振り返った。その瞬間、奥の家屋の中から、あからさまな怒鳴り声が聞こえてきた。
「やかましい!騒ぐならよそに行け!」
 あっ、人がいた、そう思ってイカルは奥の家屋に向かってそのまま進んだ。そして扉の前に立った。
「私の名前はイカル。セキレイさんに言われてやってきました」
 少しの間が空いて、建物の中から声が聞こえてきた。
「入れ」
 入り口とおぼしき場所には鉄板が一枚立て掛けてあるだけだった。イカルは両手で抱えてその扉を横にずらした。
 建物の内部は外にも増して薄暗かった。中は案外と広い。部屋の奥にだけ灯りが点いていた。
 天井や壁は所々崩れかかっており、床にはホコリや細かいゴミが積もっている。その中にイカルは足を踏み入れる。奥に行くほど書類や本や何かの機械が混然一体となって山のように積み上げられている。かろうじて最奥部の壁際に机の存在が見て取れた。
「セキレイに言われて来た、ということは彼はもうこの世にいないということだな」
 机の奥から声が聞こえた。横を向いていたが、白髪と白い髭を蓄えた声の主の顔が見える。イスに座った声の主の手は、何か白く太い棒のような物を持っている。それが何か、灯りの下に存在するにも関わらず周囲の雑多な状態のせいか、はっきりと判別出来ない。
「はい。委員たちの襲撃に遭い、命を落としました。彼は私にドクターカラカラに会って協力を仰げ、と言っていました」
 イカルはゆっくりと部屋の奥に向かった。奥にいる男がイカルに視線を向けた。
「お前、兵士か。兵士がなんだってセキレイのことを知っている。わしは兵士に用はない。帰れ」
 男は腕をイカルの方へ向けた。その手の先には白い棒に見えていたものが握られていた。それは人の腕に見えた。ヒジから先、しなやかな指先まで。華奢な感じから女性の腕だろう。イカルは思わず銃を小脇に構えた。
「あなたがドクターカラカラか?その腕はなんだ?誰のものだ?」
 男は手に持った白い腕を机の上に積み重なっている書類や機材の上に、放り投げてから言った。
「いかにも俺がカラカラだ。この腕は俺の作品で、そのうち誰かのものになる」
 カラカラが立ち上がった。小さな身体に首脳部の賢人と同じように白衣を羽織っていた。背が丸まっていて立ち上がってもあまり座っている時と変わらない高さしかなかった。その張りのある声からは高齢な感じはさほど受けなかったが、その全身を見てみると老身そのものに見えた。
「さあ、話は終わりだ。さっさと出ていけ。出ていかんと大ミミズの餌にしてやるぞ」
「ちょっと待ってください」
「俺に用はない。出ていけ」
「そちらに用はなくても、こちらにはあるんです。話を聞いてください」
「それは命令か?お前たち兵士はいつも高圧的で腹が立つ。自分の行いが正しいかどうかなんて微塵も考えず、ただ命令に従って行動する。無知というものはそれだけで厳罰に値する。それがお前たちのような公職につく者なら尚更じゃ」
「命令ではありません。お願いに来たんです」
「お願いに来た者が、お願いする相手に銃口を向けるのか。バカもんが」
 イカルは慌てて銃口を下に向けた。
「すみません。人の腕を持っておられたので、つい」
「これは腕だが、まだ人の腕ではない。早とちりするな」
「まだ?」
「そんなことより、何の用だ。要点を言え」
 イカルはまだ目の前の男を信用している訳ではなかったが、現時点では他に寄る辺もないので、現状打開するためにも事情を話してみることしか考えつかなかった。
「私たちは、首脳部により不当に裁かれ、委員たちに拘束され、連行されておりました選ばれし方様を奪還して、逃亡しているところです。間もなく追手が差し向けられることと思います」
 カラカラが一瞬にして口を大きく開き、魂の抜けたような表情をした。
「選ばれし方様、この地下都市に来られたらしいとは聞いていたが、本当に来られたのか。本物なのか。今、ここに来ておられるのか」
 カラカラがイカルに向かって呟くように言った。
「はい、外でお待ちです」
 カラカラがよたよたと歩を進めた。床に散らばった道具や本や書類を踏みつけながら、イカルの横を通り過ぎて開かれた扉から外に向かって進んで行った。
 外に出て、カラカラは周囲を見渡した。すぐそこで筒の中を覗き込んでいる少女がいた。その周囲を見慣れぬ小さな黒い生き物の集団が取り囲んでいる。その先、ツグミとコガレたちの向こう側にタカシがナミと並んで立っていた。
 タカシの姿を見た途端、カラカラは、ああああ、と声を上げながら再びよたよたと歩きはじめた。急に自分の方に近寄られてツグミは慌てて移動してやり過ごした。コガレたちもツグミの後ろに固まって老人が通り過ぎるのを待った。
「なんだ、徘徊か?」
 小さなコガレの言う言葉を、これ、と背の高いコガレがたしなめた。
 カラカラはツグミやコガレたちには目もくれず、ただタカシの方へ向かって老いた身体を移動させた。やがてタカシとナミもカラカラの存在に気がついた。事情が分からないためにどういった言動を行うか躊躇っているうちにカラカラはすぐ近くに辿り着いて、そしてその場にヒザを着き、タカシを見上げながら口を開いた。
「選ばれし方様、お待ちしておりました。この五年、ずっとお待ちしておりました。よくぞ、よくぞお越しくださった」
 タカシはただ戸惑っていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み