邂逅の中(15)

文字数 5,725文字

 更に次の日の朝、僕は目覚めると、即座に身支度をととのえ、出立するべき時間を待ちました。
 机上の壁に掛かった鏡に、治安部隊の制服に身を包んだ、自分の姿が映っていました。今日から僕たちは支給された大人の服を着ることになります。今まで着ていた子どもの服は、もう二度と着ることはないでしょう。そう思うと少し寂しい気がしましたが、新しいノリの効いた制服にそでを通したことで、自然と背筋が伸び、これから本格的に迎える新しい生活に正対する覚悟がととのった気がしました。
 僕は気を許すと、すぐに芽を出し、茂ろうとする弱気の種を払拭するべく、鏡の中の自分をにらみつけ、深く息を吸ってから、まだ時間に余裕はありましたが、エレベーターに乗り込みました。

 次に目を覚ました時、言い知れぬのどの渇きと息苦しさを感じました。いつまでも寝ぼけているような感覚に包まれていました。意識がどうもはっきりとしませんでした。
 干上がったのどを少しでもうるおそうと、つばを呑み込もうとしました。でも、かえって刺すような痛みが、干からびたのどの中ではじけました。その時、ぼやけた意識の中に枯れかけた花が一輪浮かびました。水を、少しでいいからあげて、そうしたらその花は蘇るのに。少しでいいから・・・。
 いくら息を吸っても、淀んだ空気にあたしの肺は満足しませんでした。本能がさらなる酸素を要求していました。静かに少しずつ苦しくなっていきました。
 あたしはここで、このまま死ぬんだ、そう思いました。でも目頭が熱くなるばかりで、もう涙も出てきません。
「イカル、ごめんね・・・」脳裏に、過ぎ去った日のイカルの様々な姿が、次々に浮かんでは消えていきました。あまり言葉に出してはくれませんでしたが、イカルはいつも、あたしに優しかったんです。いつもあたたかくあたしに接してくれました。なのに、あたしはあんなに冷たい態度で接してしまった。あたしが単にイカルの優しさに甘えていただけなのです。バカなあたしへの、これは当然の報いなのです。

 僕は、セントラルホールに到着して、会場の公会堂に向かいました。
 まだ早かったので、歩く人はまばらでしたが、何となく落ち着かない雰囲気が辺りを包み込んでいました。今日ここで、多くの子どもたちが、人生ただ一度きりの大切な節目、ハレの日を迎える、そのための仕様に周囲の空気さえなっているようでした。
 子どもたちは会場の中で、自分が所属する部署や科ごとに分かれて集合することになっていました。ですので男の子はみんな会場の半分を占有する形で集まっていました。残り半分にミサゴを除いた女の子全員が、色とりどりな制服を着て集まっていました。
 女の子たちが集まる様子を、早めに到着した僕は、ずっと眺めていました。特に被服科の制服を着た女の子たちを。でもツグミはいつまで経っても現れません。やがて、間もなく式典を開始する時間になりましたが、とうとうツグミの姿を見つけることはできませんでした。
 もしかして寝坊でもしているのだろうか?もしかしたらこの式典があること自体忘れているとか・・・ツグミならあり得る話です。こんな大事な式典を忘れるはずがない、と思われるかもしれませんが、彼女は、興味のないことに対しては、極端に行動も思考もにぶくなることがあるのです。そして、人が多く集まって姿勢を正してひとの話を聞かないといけない、この式典のどこにも、彼女が興味を見出せなかった可能性は大いにあります。
 その式典を運営する総務委員によって、集まっている子どもたち百名弱の認識番号と名前が一人ずつ呼ばれました。名前を呼ばれた子どもは大きな声で返事をします。しかし最後まで、ツグミの名前は呼ばれませんでした。
「すいません。一人いません」思わず僕は声を上げていました。
 会場にいたすべての人が僕を見ていたと思います。僕は意を決して前に進み出ました。
「ツグミというコがいません。呼ばれていません」
 委員たちはみな顔を見合せていました。そして各自手首に着けた通信機器の画面やタブレットや他の機器で確認していました。その上で一人の委員が僕に言いました。
「ツグミというコはここに来ることにはなっていないよ。これから開式だ。首脳部の皆様もお越しなんだ。早く列に戻りなさい」
 そうすることが正しいとは思いながらも、胸のざわつきが僕を騒がしく急き立てていました。
「来ることになっていないって、そんなはずはないんです。一昨日まで一緒にいたんです。彼女も確かにここに来るはずなんです。もう一度調べてください」
 僕の目の前にいた委員はあからさまに不快な表情をしました。しかし僕もその時だけはそんなことに気圧されるつもりはありませんでした。なぜツグミがいないのか、その理由が知りたい。ツグミが今どこにいるのか、それが知りたい。理性を軽く振り切って、そう全身が訴えていました。
「後で調べてやる。今は列に戻りなさい」
 目の前にいた委員が断固とした口調で言いました。それ以上、口答えするなら分かっているんだろうな、とでも言わんばかりの雰囲気でした。
 トビとノスリが列を出てきて僕のもとに駆け寄り、やめろバカ、早く列に戻れ、と口々に言いながら僕の腕をとって下がらせようとしました。でも僕はその手を振り払って言いました。
「どうしていないのか、それを知りたいだけです。ここにいるはずの人なんです。なんでいないのか調べてほしいんです。お願いです」
 委員が見る見るうちに激高していくのが分かりました。ノスリとトビが再び僕の腕引こうとしていました。
「まあ、いいではないか」
 奥の壇上から声がしました。会場にいる全員の視線が一気にそちらに向かいました。壇上の横一直線に並ぶ席に、舞台袖から八名の首脳部の方々が移動しているところでした。
「全員、気をつけ、礼」
 あわてて司会を担当する委員の声が響きました。たぶん予想よりも早めのタイミングで首脳部の方々が出てきたのだと思います。首脳部の方々が全員席に着きました。
「詳細は分からぬが、いるはずの者がいないとなると、由々しき問題ではないかね。調べるくらいしてあげなさい」
 この地下都市の立法は、この首脳部の方々が一手に引き受けています。
 首脳部の方々は、お方様の意志に従い、この地下都市を創り、みんなが安心して暮らせるように、都市を機能させ、運営している存在だと言われています。
 その全員で八名いる首脳部の方々を、この都市の人々は敬意を込めて、八賢人と呼びたたえていました。
 賢人たちの中で、一番位が高いと目されていたのは一の賢人です。その一の賢人の言葉に委員たちは色めき立ちました。総務委員たちは僕たちの後ろにひかえていた、僕たちを担当した保育委員たちにあわてて確認に行きましたし、数人掛かりで過去のデータを検索していました。
 その間、会場内はざわついていました。事の顛末を知りたい欲求と早く行事を進めてほしいといういら立ちが、子どもたちみんなをじょじょに弛緩させていきました。 
 間もなく結論が出たようです。委員の代表が首脳部の集まる壇上に向かっていき、その結論を伝えていました。そして一の賢人が再び声を出しました。
「記録によると君の言う通り、ツグミというコは確かに一昨日まで存在していたことになっている。しかし今、その存在が消えてしまっている。理由は分からない。死んだという記録もない。どこかに行ってしまったという記録もない。大変不思議なことである」
 胸の中のざわつきが、どうしようもなく暴れ出して、思わず口から漏れました。
「ツグミはどこかにいるかもしれないんですね。僕、捜して来ます。いいですか?」
 たぶんその時、僕は有無を言わせぬような顔つきをしていたと思います。周囲に緊張感が走り、しわぶき一つ聞こえませんでした。
「君はこれから式典があるだろう。大人たちで捜すから君は残りなさい」
 別の首脳部の一人が言いました。
「ツグミとはずっと一緒にいたんです。彼女のことはよく知っています。僕が捜した方が見つかりやすいと思います」
 感情があふれ出しそうで必死に抑えつけていました。声も身体も震えていました。今にも走り出したい欲求が全身のすみずみにまで達していました。そんな僕の様子を見て、首脳部の方々は、嘆息してささやき合いました。そして一の賢人がまた口を開きました。
「分かった。君にそのコを捜す許可を出そう」
「ありがとうございます」
 僕は言うと同時に、子どもたちが並ぶ列の間を走っていきました。みんなの視線を浴びていたと思いますが、その時はまったく気になりませんでした。

 僕はエレベーターに乗って、すぐに保育棟に向かいました。棟の外にツグミの形跡がないことは昨日、確認済みです。それならまだ棟の中にいるはずです。
 すでに子どもを卒業している身でしたから、いったん棟の中に入れば、その内部は自由に行き来することができました。僕は、委員の方々の手配によって棟の中に入ると、そのまま僕たちが最後に会った場所、三階の大部屋に向かいました。きっとそこにいる、と確信に似た直感が、脳裏にはっきりと存在して、僕の身体を動かしていました。
 棟内の昇降エレベーターが三階に到着して、扉が開きました。
 淀んだ空気が僕の全身に向けて流れてきました。生臭いにおいが鼻につきました。何かが発酵したような酸っぱいにおいもしました。僕の存在を感知して部屋の照明や空調がよみがえりました。
 灯りの下、捜すまでもなく、扉入ってすぐ目の前にツグミがいました。動かない、ただの肉塊としてそこに横たわっているようでした。思わず僕は手を差し出しました。もしかして、そう思うと指先が勝手に、小刻みに震えました。僕が早く気づいてやれなかったから、すぐに迎えにこなかったから、恐る恐る手を彼女に近づけました。
 ほおに触れました。冷たい、と思いました。でも冷え切ってはいない、とも思いました。呼びました、名前を。するとかすかに目が開きました。
「・・・イ・・カ・・ル?」
 ひび割れていた唇から、かすれた声が漏れてきました。
 僕はもう何も考えていませんでした。とっさにツグミを腕に抱えてエレベーターに乗り込みました。僕の腕の中でツグミは息も絶え絶えにつぶやいていました。小さくかすれた声で、とぎれとぎれでしたが、ごめんね、と言っているように聞こえました。僕は応えずにエレベーターが一階に到着して扉が開くと同時に走り出しました。腕の中の身体が思いのほか軽く感じられて、僕を言いようもなく不安にさせていました。ツグミの身体に負担を掛けないように、なるべく静かに振動を抑えるようにしつつも、棟を出て、一番近くのエレベーター乗り場に向かって、可能な限り全速で走りました。始終、胸の中がざわついていました。その耐えがたいほどの騒がしさに否応なしに急かされました。少しでも速度を落とすと、一生後悔しそうな気がしていました。
 そしてエレベーターに乗り込んで、病院へ、と叫びました。急患だ、とも言いました。すぐにエレベーター内でスキャンがはじまりました。 
 僕は激しく呼吸していました。肺が落ち着きを取り戻すまで、何度も何度も大きく息を吸い、吐きました。
 腕の中のツグミを抱き寄せました。壊れそうでした。少し力を入れるとつぶれてしまいそうな頼りなさを感じていました。
「ツグミ、死ぬな。生きろ」静かに言いました。でも応えはありませんでした。思わず唇を噛みしめました。少し口の中に血の味がしました。
 少ししてスキャンが終わりました。どこの病院のどの科に連れていかれるのか分かりません。でも、きっと適切な処置をしてくれる病院の最適な科に連れて行ってくれるだろう、と思っていました。でも扉が開いて目に入ったのは、セントラルホールの一画に建つ中央病院の、病院関係者や患者がたくさん行き交っているロビーの場景でした。
 僕はツグミを抱えたまま、人々の中に駆け込んで叫びました。
「急患です!助けて!早く、助けてください!」
 病院には似つかわしくない叫び声が、ぐわんぐわんと周囲に響きました。
「お願いです。誰でもいい、早くこのコを助けて!」
 その声に引き寄せられるように病院関係者があわてて集まってきました。
 看護師らしき人たちがストレッチャーを持ってきました。辺りは一気に騒々しくなりました。看護師の一人が僕たちのそばに寄ってきて、ツグミをのぞき込みながら、手に持った機械を額あたりにかざしました。
「脳波異常なし、心拍微弱です。意識混濁、重度の脱水症状、低酸素状態です」
 機械から浮かび上がる文字列を看護師が読み上げていました。奥から走り寄ってきた医師だろう白衣を着た男性がそれを聴いてから指示を出しました。
「よし、救急処置室に連れていくぞ。点滴と酸素供給装置をすぐ使えるように。君、そのコをここに乗せて」
 僕は言われるがままにそっとストレッチャーにツグミを乗せました。即座にストレッチャーの両側にいた看護師がツグミを奥の通路に向かって運んでいきました。僕はその集団について行こうと歩を進めましたが、あなたはそこで待っていて、と看護師の一人に制止されてしまいました。
「先生、彼女は、ツグミは助かりますか」
 ストレッチャーとともに移動しようとした医師に向かって、とっさに声を掛けました。
「ああ、大丈夫だ」
 そう言って医師は立ち去りかけましたが、少し振り返って僕の顔を見たとたん、思い直したように立ち止まりました。
「君にはいろいろ状況を訊かないといけないから、しばらくここで待っててくれ」
 顔の下半分をヒゲで埋めたその医師は、言い終わると同時に走り去りました。
 その背中を見つめながら、全身から力が漏れていくような感覚を抱きました。ヒザが急に折れ曲がって、その場に座り込みそうになり、数歩よろめいて近くの長椅子に腰を下ろしました。
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