蠢動の中(4)

文字数 4,651文字

 拘置所の独房で目を覚まして、自分がここまで連行された事実を思い出した。
 タカシは起き上がり、扉についている小窓から外を見てみた。この拘置所全体が、当然のこととして、監視カメラやセンサーで厳重に警備されている。それに加えてより万全を期すためだろう、扉の両側に拘置所の刑務官が立っていた。ここに連行されてきた時とは人は入れ替わっていたが、どの刑務官も職務に忠実なようで、しっかりとそこに弛緩せずに立っている。しかもほとんどの刑務官が彼よりがっしりとした身体つきをしていた。素手で争っても勝てる可能性は小数点以下しか見出せない気がした。
 彼はこれから自分がどうなるのか、自分がどうするべきなのか、考えた。しかし彼がいくら考えてもどうにもならないように警戒に当たる人々は計画するだろうし、手配をするだろう。しかしこんなところで諦める訳にいかない。どうにも出来ないことも、どうにかしないといけない。
 ふと彼は、今、ナミはどこにいるのだろう、と思った。契約したとはいえ一方的に破棄されても文句をつけることさえ出来ない状況ではあった。しかし、他力本願ではいけないとは思いつつも、一縷の望みとして期待してしまう。きっとナミは助けに来てくれる。自分の居場所も追い込まれた状況も知らせる術はないけれど、きっとナミは契約通り助けてくれる、そんな気がしていた。

 ツグミは待った。
 セントラルホールのエレベーター乗降口で待っていた。集合時間より一時間も前だった。しばらく待ってもまだイカルは来ていない。
 ツグミは今朝、早くに目が覚めた。
 昨晩は、イカルに抱きしめられたぬくもりに興奮していたが、逆にとても安心感に満たされていた。だから自分の部屋に帰ると、すぐに眠りについた。なんの不安も猜疑心もなく眠りにつくと、どれだけ深く眠ることが出来るのか、彼女は実感した。
 朝、目覚めた時、いつもは眠り足りない感覚を抱いていたが、今朝はそれが微塵も感じられなかった。とにかくイカルに会える時が楽しみだった。今まで生きてきて、これほど幸せを感じたことはなかった。今なら何時間でも待てる。待つことがとても楽しく、嬉しかった。
 とはいえ、集合時刻の三十分前になってもイカルは姿を現わさなかった。通常ならその位の時間には既にここを通過しているはずだった。いつもより集合時間が早くなったから、時間を間違えているのかしら、そう思いもしたが、逆に時間が変更になった分、慎重を期して早めに、あたしよりも早く本部に向かったのかしら、とも思った。その方が可能性は高そうだった。
 ツグミは慌てて本部に向かおうとした。と、その時、背後から声を掛けられた。
「副官、おはようございます」
 振り返った視線の先には、明るい笑顔を湛えたアビがいた。
「・・・ん、おは、よう」
 アビは笑顔のままでツグミのそばまで駆け寄ってきた。
 本当に屈託のない笑顔。自他ともに認める可愛らしさ。誰からもちやほやされて、のびのび育ったのだろう雰囲気を全身から発していた。そういうところが自分とは相容れない、そう感じられて仕方がない。
 アビは、容姿もそうだが、性格も社会性に富み、人の気持ちを考えて行動出来る性質だった。人から嫌われる要素が見当たらない。もし嫌われるとしたら、いわれのないのない妬みや嫉み。とにかく、ツグミにとっては、自分とは真逆の存在に思える。このコを見ていると、自分たちを生み出したお方様に文句を言いたくなってくる。生み出してもらって言うのもなんですが、かなり不公平な気がするのですが・・・
「先輩、一緒に行きましょう」
 その笑顔は断られることなど想定していない。実際、ツグミ以外の人とっては通常、彼女の申し出を断ることなど思いもよらなかっただろう。
 ツグミは正直言ってアビが苦手だった。イカルからの信用もある。もしかしたらあたし以上に。それに何かとあたしたちが二人でいると絡んでこようとする。このコがいるとなんか緊張する。先輩として、上官として、イカルに甘えている姿を見せる訳にもいかなくなってくる。とりあえず鬱陶しい。出来れば関わり合いたくない。しかし同じ班だからそういう訳にもいかない。
 ツグミは黙ったまま本部に向けて歩きはじめた。二人っきりの時間がなるべく短くなるように速足で。
 二人で黙々と歩き、エスカレーターに乗って、塔の境内入り口の扉をくぐり、本部に向かった。
 その間、アビとしては、せっかく二人で行動しているのだし、何か話さないと、と気まずい思いを抱いていた。しかし、これからツグミに伝えないといけないことを口に出したら、ツグミがどんな反応をするか、予想すると少し気が重くなっていた。だから、あえて黙っていることにした。
 二人はそのまま治安部隊本部に入っていった。待機室に行くと、他の班員が揃っていた。ツグミは、そこに至るまでも、至ってからもイカルの姿を捜していた。しかしどこにもいない。
「イカルは?」
 待機室で待っていた班員たちに訊いた。いえ、まだ、という答えが返ってきた。おかしいわね、ツグミは思った。まだ集合時間には間があるとはいえ、イカルがこんなに遅くなるなんて。もしかしたら、イカルの身に何かあったんじゃないかしら、部屋の中で倒れているとか。そう思うといても立ってもいられなくなる。
「みんな、班長の、所に、行って・・・くるから・・・待って、て」
 そうツグミが言い終わらないうちにアビが口を開いていた。
「班長はもしかしたらこないかも、と言っていました」
 ツグミは黒目勝ちな目を、ピタリとアビのそれに向けていた。ごく厳しい顔つきをして。アビはたまらず目をそむけた。
「どう、いう、こと?」
「なぜかは分かりません。ただ班長がそう言っていたんです。訳は訊くな、詮索をするなとも言われました」
 そこにいる全員の予想通り、ツグミは振り返りドアに手を掛けようとした。何も見ず、誰のことも気にせず、この部屋を出て走り出す。ただどこかにいるイカルに会うために。
「班長から、ツグミ隊員に命令があります」
 ツグミの背中にアビの声が投げつけられた。ツグミは咄嗟に足を止めた。
「二つあります。そのまま言えと言われているので、そのままお伝えいたします。俺の代わりに、班長代理として班員と一緒にいて、ちゃんとその面倒をみろ。それから班員には、お前が俺を捜さないように見張っておけ、って今ここで命令する。抵抗して俺の大事な班員を傷つけるな、以上です」
 班員たちがみんな自分を見ていた。その視線の中でツグミは思った。
“ずるいわよ。そんなこと言われたら、あなたを捜すことが出来ないじゃない・・・”

 アント構成員が、横道から大通りに走り出た。出た所に人の気配がしている。委員たちがある程度の人数を、逃げ道に使われるだろう場所に配置することは当然予想出来た。その人数及び配置を知りたい。しかし現状、その余裕はない。とにかく一か八か大通りに出て逃げるしかない。そういった一心不乱さで、先頭のアント構成員は走った。そんな彼の行く手に、いくつものエネルギー弾が飛んで行った。
 もう一人の構成員は仲間が粉微塵に粉砕された様子を見て観念した。急に立ち止まり、銃を地面に投げ捨てて両手を上げた。
「投降する。抵抗はしない。助けてくれ」
 イカルはその構成員の横を駆け抜けた。同時に、手に持った発光弾のピンを抜いて委員たちの目前に向かって投げつけた。先ほどの発砲で、この通りにいる委員たちのおおよその配置は観測できた。投げるべき位置はだいたい分かっていた。そしてだいたいその位置に発光弾は落下した。
 発光弾は通路の上に落ちて、何度か跳ねて、少し転がって通りの向こう側にある委員たちが潜んでいるだろう人家の並びのすぐ前で止まった。
 イカルは、発光弾がピンを抜いて投げればすぐに光るものと思っていた。しかし地に落ちて動きを止めても、まだ光らない。イカルは慌てて右に向きを変えて走り出した。右側は西方向に道が続いている。そのまま走り続ければD地区に達する。
 静寂の中、ただ自分の走る足音と荒い呼吸の音だけが、全身に響いている。その音に混じってブウンという聞き慣れた、エネルギー弾の発射音が微かに聞こえた。
 イカルは恐怖を感じた。自分が、狙われて射撃されるという恐れに、背筋が凍りつく思いがした。模擬戦とは感覚がまったく違う。これが実戦、命を懸けて戦うという感覚。イカルは振り返る余裕もなく、ただ全速力で走った。今までこんなに速く走れることを自分でも知らなかった、と思うほどに速く走った。その後ろで破裂音がした。更にもう一度。いつ自分に当たってもおかしくはないほど近くに着弾しているようだった。
 自分の走る軌道を掴もうと、数多くの視線が向けられている気がする。彼はどこかに身を隠す必要性を感じた。しかし咄嗟に、そんな場所は見つからない。
 突然、パーッ、と周囲が真っ白になった。影さえも、おぼろげになるほどの強い光が、辺り一面を包み込んだ。その場にいた全員が目を瞑ったり、手をかざしたりして、その光から目を逸らした。
 その瞬間、イカルは目を細めながらも左側に方向転換した。彼にもほぼ何も見えていなかったが、微かに陰が見えた。そこに入れるかもしれない、彼は速度を緩めることなく、その微かな陰に飛び込んでいった。
 光は数秒間、周囲を真っ白い世界に染め続けた。ほんの短時間ではあったが、イカルはその間に横道に走り込み、走り抜け、新たな通りに走り出た。途中、何度か何かに肩を、足を、身体全体をぶつけたがかまわず走り続けた。何度か、うわ、とかイタッとか人の声が上がったが、それが委員のものか住民のものか分からないまま、そのまま走り抜けた。
「逃げたぞー。五番通路に向かった」
 イカルの背後で声が上がった。大きな通りに出ると、そこははっきりと白黒に分断された場景が広がっていた。発光弾の発する白い光とその光によって生み出された濃い影、どちらにしても細かい事物の判別はつきにくい。それでもイカルは速度を落とさずに駆け続けた。委員たちは足元を視認しづらい状況に、追撃の手を一時緩めるしかなかった。
 イカルは更に横道に入っていく。どの道を行くかの選択をする余裕などない。ただそこにある道に駆け込むしかない。今、この逃げられる状況でなるべく遠くまで逃げるしかない。そして突如、光が消えた。
 再び闇が辺りを包み込んだ。イカルはつまずかないように、なるべく飛び跳ねるようにして走った。しかし何度かつまずいて転びかけた。その都度、何とか身体を持ち直してそのまま走り続けた。
「こっちだ、こっちに逃げたぞ」
「そっちに回り込め、早く」
 静寂を、委員たちの駆ける足音と話し声が、かき乱した。音がどんどん近づいている気がする。すぐ近くまで来ている気がする。焦りが募る。どこまで位置を察知されているのか無性に気になる。いったいどこまで逃げれば、状況を掴めるようになるのだろうか。どこまで行けば、思考を巡らす余裕が得られるのだろうか。そんなことを考えているとまた通りに出た。その通りを横切って奥の横道に入ろうとした。その時、彼の上着の襟首が誰かに掴まれた。彼が、あっ、と思うと同時に女性の早口な声が聞こえた。
「息を止めて、目と口を閉じなさい」
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