深層の中(2)

文字数 5,684文字

「分かるのかって?分かるわけないじゃない。あなたが勝手にため込んで、勝手に悩んで苦しんでいることなんて、分かるわけないじゃない。でも、あたしだって苦しい。目の前でイカルが倒れたのよ。あたしはどんな時もイカルを守るつもりだったのに、実際は何の役にも立たなかった。今、イカルは死にかけてる。今度こそ、何があっても、あたしは助けなくちゃならないの。邪魔をするならあなたを倒してでも行くわ」
 その言葉に、ノスリ頭の中の何かが弾けた。
「いつも、いつも、いつも、いつも、イカル、イカル、イカル、イカル、言いやがって。お前はいつも、いつも、イカルのことばっかりだ。みんなだってお前を仲間だって思っているし、心配だってしてるんだ。俺だって・・・」
 ツグミは、思いも掛けない言葉に、さっと周囲を見渡した。みんな彼女を見ていた。そしてノスリに視線を戻した。そこには一抹の寂寥感がただよっていた。何を言っても何をしても、相手に伝わらないいら立ちと虚しさを抱えた男の姿があった。
 どういう意味でノスリがその言葉を発したのか、ツグミにはよく分かっていなかった。みんながあたしを心配してるって?そんなはずはない。みんながあたしの事を気にするのは、みんながイカルの友達で、あたしがいつもイカルの一番近くにいるから。たったそれだけのこと。ノスリだってイカルがいなければ、あたしに対してこんなに構ってくれはしないはず。時々優しい時もあるけど、それもイカルがいるから。イカルがいなければみんな、あたしに見向きもするわけないじゃない。だからあたしにはイカルが必要なの。イカルがいないとあたしの存在は消えてしまうの。だから、だから・・・
「ノスリ、あたしのことは今、どうでもいいの。イカルが、仲間が、命の危険にさらされているの。だから助けてよ」
 いつも通りに、ノスリの思いはツグミには伝わらなかった。思わず長い溜息が漏れ出たが、その末尾に声を乗せた。
「いやだと言ったら?どうしても、あの男を連れてくるのに反対したらどうする?」
「その時は、あなたを殴ってでも邪魔させないわ」
 もう殴られてるし、ノスリは思ったがあえて口には出さなかった。
「でも、でもそんなことはしたくない。あなたには協力してほしい。あなたはここにいる誰よりも指揮官に適任なの。イカルも時々言ってたわ。あなたは勇敢で、仲間思いで、みんなから信頼されている。きっといい現場指揮官になれるって。だからあなたに助けてほしいの。イカルを助けてほしいの。あたしを助けて、お願い」
 ツグミはジッとノスリの目を見ていた。ノスリは耐えきれずに目を逸らした。
「いやだ。ダメだ。俺が指揮を執ると、みんな死ぬ」
「もう、そんなことはどうでもいいの」
「どうでもいいって・・・」
「イカルが、あなたと選ばれし方様を信じるから、あたしも信じるの」
「でも・・・」
「あなたが自分を信じられないならそれでも構わない。でも、あたしはあなたを信じるわ。みんなを助けてくれるって信じてる」
 ノスリは周囲を見渡した。みんなが自分を見ている。さげすむような視線は一つもない。自分を信頼している、自分への期待を込めた視線ばかりだった。
「俺なんかでいいのか?」
「しつこいわね。あなたがいいって言ってるのよ」
 イスカやエナガの柔らかい表情が自分に向けられている。昔から変わらないいつもの視線だった。仲間の顔だった。自分が気負う必要などない、ただの自分でいればいい、そんな安心する表情がそこにあった。自分の心の中にあるモヤモヤとした感情が動きを鈍らせていく。少し落ち着いた気がする。
「みんな面倒だから俺に押しつけようとしてんじゃないか?」
「そうかも知れないわね」
 ツグミの顔からも険しさが抜けてきた。
 ノスリは意識的に真剣な表情をして言った。
「本当にあいつは、選ばれし方は俺たちの助けになるのか。あいつは、お方様の助けになるんだな」
 ツグミはノスリから手を離して、一歩後ろに下がってから言った。
「今まで、あたしが嘘を言ったことがある?」
 嘘を吐くどころか、今までほとんど話さえしてくれたことないじゃないか、そう思いつつノスリは苦笑した。
「それもそうだな」
 そう言ってノスリは、周囲にいる一人ひとりの顔を見渡した。
「みんな、俺がみんなの指揮を執ってもいいのか?」
 誰も不平不満を言うものはいなかった。エナガが、いつものことじゃねえか、と明るく発した言葉で、この集団の指揮権の所在はノスリに確定した。
「ツグミ、どうしたいんだ。言ってみろ」
 ツグミの身体をタミンがするすると上ってきて、肩に座った。ツグミはみんなに聞こえるように声を発した。
「目的は一つよ。選ばれし方様をこの場所まで連れてくること。そのためには深層牢獄に行って選ばれし方様を奪還しないといけない。牢獄にはエレベーターで行くしかないけど、今、ケガレが出現したからエレベーターは動いていない。そうよね」
 ノスリは静かにうなずいた。ツグミは続けた。
「それなら行く方法はただ一つ、救急車両に乗っていくしかない。救急車両は救急隊員の資格を有する者しか運転できないけど、あたしの班のアビは救急隊員の資格を持っている、そして救急車両はB1区画に行けば待機車両がある、そうよね、アビ」
 アビは、はい、と明確に答えた。
「だからアビをB1区画に向かわせる。ただB地区に向かう連絡通路では大量の委員たちが警備している。その委員たちを排除しないかぎりB地区に入れないわ。ノスリ、あたしの班のみんなとイスカ班のみんなを連れてB1区画に向かってほしいの。そこはあなたじゃないと突破できない、そんな気がするから」
「分かった。他の兵士は?」
「トビ班はこのままこの場所の警備を続けて。エナガ班はあたしと一緒に中央病院に向かってほしいの。イカルをそのままにしてはおけない。あたし一人で行くべきかもしれないけど、相手の人数もイカルのいる場所も分からないから助けてほしいの」
 ノスリは再度、みんなの顔を見渡した。
「みんな、それでいいか。何か意見のある者はいるか」
 その問い掛けに、トビが前に進み出た。彼の脳裏にはレンカクの声がこだましていた。事あるごとに意見を述べられてきたので、あらゆる状況でレンカクが言いそうなことを予想することができた。
「ツグミ、病院に行く必要はない。委員たちへの指令は今、モズ隊長たちを拘束して本部を占拠している首脳部や委員幹部から発せられている。そこをこちらが制圧すれば事足りるだろう。それに、今は小康状態になっているが、ここの警備も俺たちだけじゃ、次に襲撃があれば持ちこたえられるかどうか分からない。モズ隊長を救い出し、本部内の兵士も動員して警備に当たるべきだ」
 ノスリはツグミの顔をうかがった。ツグミはうなずいた。
「トビ、本部にいる委員たちの人数はどのくらいだ」
 ノスリの声にトビは答えた。
「はっきりとは分からないが、俺が見た限りでは、おそらく二十人から三十人くらいだろう。エナガ班と俺の班で対処して、内部の兵士たちと呼応できればどうにかなると思う」
「分かった。では、一部を塔の警備に残して、イスカ班と我が班は俺とともにB地区に向かう。トビ班とエナガ班はツグミとともに本部を奪還しに向かう。B地区に向かう隊の指揮は俺が、本部奪還に向かう隊の指揮はツグミが執る。みんな、いいな」
 みんなが了解、と口々に答える中、ツグミだけが異を唱えていた。
「ノスリ、何を言っているの。私が指揮なんて無理よ」
 ノスリは少し楽しそうな顔つきをした。
「この場の任命権は俺にある。俺はお前が適任だと思う。それにこの作戦はお前が言い出したことなんだから、最後まで責任を持て、いいな」
 トビやエナガが、異議なし、と口々に言った。ツグミは黙って承諾するしかなかった。
 そんな頃、彼らのもとにタゲリ班が救援に駆け付けた。
 タゲリ班は、CDE地区を管轄するレア分隊に所属し、トビ班からの救援要請を受けた時にはC地区で、非常事態宣言に対応するべく警備に当たっていた。
 トビ班からの救援要請は、途切れ途切れだったが、鬼気迫るものがあり、切迫した事態が察せられた。そのためすぐに移動をはじめた。途中、C地区とA地区との境界にある連絡通路にも、警備の委員はいたが、小人数でもあったため、タゲリが少し強い態度で接すると、すんなりと通過することができた。
 タゲリの髪は癖毛で、短髪ではあるが、後ろが激しく上に跳ねており、歩くたびにピコピコと揺れた。そんな癖毛を含め、タゲリ班の班員をノスリやツグミたちは歓迎した。
 それから彼らは短く情報交換をして、打ち合わせを行った。
 C地区側の連絡通路の警戒が薄いことを聞いて、そちらから迂回してB1区画に向かう案も出されたが、結局、C地区からB1区画に向かう間も、警戒網が張られていることが予想されたので、予定通り距離的に短いB地区連絡通路に向かうことにした。またタゲリ班は、ここまでの移動の疲れも考慮して、この場に残って塔の警備に当たってもらうことにした。
「では、B地区に向かう組は救急車両を手に入れたら、そのままB3区画南外壁付近にあるエレベーター乗り場に向かう。本部奪還組も本部制圧が完了次第、B3区画に移動すること、いいな」
 それからその場にいた全員が即座に準備を開始し、終了させた。その間、ツグミはノスリにB地区連絡通路付近にいるコガレたちのことを説明した。
「彼らは味方よ。特に指示を与えなくても協力してくれるわ。相手の数は多いけれど彼らと協力して前後から挟み撃ちにすれば、きっと相手を蹴散らすことができるわ」
 ノスリは了解した。
 それからツグミは出発準備を終えたアビのもとに近づいた。ツグミの方から歩み寄ってくることなんてあまりないことなので、気づいたアビは少しとまどいつつも満面の笑みで迎えた。
「アビ、悪いんだけど、このコを一緒に連れていってくれないかしら」
 アビとタミンが同時に驚いた。アビにとってみればタミンは、ケガレと同じ黒色の小さな動く塊でしかない。ツグミと一緒にいればそれほど嫌悪感は湧かなかったが、単体では不気味にしか感じられない。
「ちょっと、勝手に決めないでほしいの。あたしはツグミちゃんと一緒に行くの」
 頭の中に響くタミンの思念を無視しながらツグミは続けた。
「連絡通路付近にこのコの仲間がいるわ。そこまで連れて行ってあげてほしいの。これは他の人には頼めない。あなたにお願いしたいの。やってくれる?」
 そう言われてアビの顔は一瞬にして上気した。初めて先輩にお願いごとをされた。初めて先輩に頼られた。初めて先輩の力になれる。反射的に、了解しました、と答えていた。
「どういうつもりなの?あたしは行かないの」
 そう言うタミンに向かってツグミは優しく思念を向けた。
「タミン、連絡通路には委員たちが集結しているわ。これから向かう仲間たちだけでは人数が足りないの。あなたたちにも協力してもらわないといけないわ。でも今、離れすぎていてウレンやコリンに連絡が取れないわ。だからあなたが一緒に行って、ウレンやコリンと一緒に仲間たちを助けてほしいの。お願い」
 ツグミは首を巡らせて、自分の肩に乗っているタミンの姿を見た。もうすっかり傷も癒え、体調も回復しているようだった。望めばこれまで同様に力になってくれそうだった。しかしもう彼女の分身はいない。何かがあれば消滅する危険性があった。そう思うと仲間のもとに帰すのが最善のような気がしていた。
 ツグミが特にそう思念を送らなくても、タミンには、そんなツグミがうちに留めている思いが手に取るように察せられた。
「・・・嫌なの。一緒にいるの」
「言うことを聞いて、タミン。ウレンやコリンたちも今、がんばってくれているわ。二人ともあなたと合流できれば心強く思うはずよ。だから二人と合流して、待っていてほしいの。本当にあたしが、この世界があなたたちの助けを必要とする時を」
 ジッと真剣なまなざしをタミンに向けた。内心、タミンは不安だった。分身がいない心もとなさを抱いていた。分身のいない自分は、あまりにもちっぽけな存在でしかない。それでもツグミの力になりたいと思っていた。しかし考えれば、自分が途中で消滅して、本当にツグミが助けを必要とする場面にいないのは許せなかった。それならばツグミが言うように、いったんウレンやコリンたちと合流した方がいいのではないか。
「分かったの。でも、助けが必要な時は必ず呼ぶの。約束なの」
 そう言うと、ツグミの身体をするすると降りて、アビの足元に移動した。
「あたしの肩に乗る?」
 アビは精一杯の愛想笑いを浮かべながらタミンに言った。
「けっこうなの。あたし、あなたより足は速いの。おかまいなく、なの」
 タミンがそっぽを向きながら言った。当然その内容はアビには分からなかったが、自分の提案が拒否されたのだけは分かった。
「アビ頼んだわ。タミン、必ずウレンやコリンと一緒にあたしが呼ぶまでおとなしく待っていてね」
 分かったの、そうタミンが答えた。アビも、はい、とだけ答えた。
「さあ、行くぞ」
 ノスリの掛け声を合図に、B地区に向かうノスリ班とイスカ班は出発した。アビはほぼ最後尾を進んだ。その横をタミンが駆けていった。残ったトビ班とエナガ班の兵士たちはツグミの周りに集まった。
「みんな、あたしたちはこれから本部の奪還に向かう。事は一刻を争う。少しのためらいがこの世界の滅亡につながるかもしれない。委員たちが抵抗するならためらわずに粛清する。いいわね」
 了解、とその場にいる全員が声を上げた。誰の顔も引き締まっていた。これから自分たちの世界の存亡を懸けた戦闘がはじまる予感に、否が応でも緊張感が高まっていた。
“出発!”
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