超克の中(1)

文字数 5,399文字

 この都市のたいていの場所は、エスカレーターやエレベーターで行くことが可能だった。だから兵士といえども、そう度々、長い距離を歩く機会はなかった。
 ツグミは部隊から支給されている厚底のブーツ履いていた。サイズもぴったりできつく紐を縛っており、長時間の行軍にも耐えられるはずだった。しかし今日はもうすでに、かなりの距離を歩いている。また凹凸のある道がつづいているせいもあり、ふくらはぎやヒザに違和感を感じていた。
 ツグミはすぐにでもブーツを脱いで休憩したかったが、時間のない焦りをかなりの量抱えていたのであきらめていた。
 ゆるやかに曲がる道を足早に進んでいく。すると道の先に行き止まりが見えた。ただの一本道なので、そこが出口で間違いないはずだった。ツグミの足取りは少し軽くなった。
 まるで境内入り口の扉みたい。ツグミは目の前の、トンネルと同じ高さのすりガラスを見ながら思った。そして、どうやってこの扉を開こうか思案した。
 そのすりガラスを触ってみる。冷たくはあるが、特に何の変化もなく、開く様子もない。辺りを見渡した。横の壁にタッチパネルのようなものがあった。なので近づいて触ってみた。何の変化もない。やっぱり生体認証なのかしら。そもそもここを通る人は普通の人ではない。E地区に潜む、正規には認められていない稼業をしている人か反社会的組織に属している人たちか。あたしが認識されるはずがない。
 ツグミはHKIー500のエネルギー充填をはじめた。境内入り口の扉はエネルギー弾にも破壊されない耐性を有していたが、この扉がそんな防弾使用になっていなければいいけど、と思いつつ。
 そんな彼女の足元で、ウレンとコリンとタミンがキャッキャ、キャッキャと声を出している。特に注意を向けていなかったので、話の内容は聞いていなかったが、はしゃいでいるようでもあり、何か会話をしているようでもあった。
 突然、コリンが走り出し、壁伝いにタッチパネルの元まで登っていった。そして少しの間、パネルやその周辺に触れていたが、ふと片方の腕を霧状にして、パネルの隙間から機械の内部へと差し込んだ。
 コリンはしばらく頭を何度か傾げながら機械の内部を探っているようだった。壁の下からウレンとタミンがキャッキャ、キャッキャと声を掛けた。
「まだなの?待ちくたびれるの。早くするの」
「普段から機械の操作練習をさぼっているから、こういう時に時間が掛かるのですぞ」
「もう少しだ。ちょっと待ってろ」
 パネルにしがみついてコリンがそう返答した途端、その身体に電流が走るのが見えた。コリンはパネルから離れ、地面に落下してそのまましびれていた。ウレンとタミンが走り寄って手を差し出す。そのコガレたちの身体にも電流が走り、三匹固まってしびれ、次第に煙状に変化していった。
「あなたたち何やってんのよ」
 気づいたツグミがコガレたちに走り寄ろうとした時、急に辺りの光量が変化した。ツグミは出口の扉を見た。扉は透明になっており、外の景色が見渡せた。
 目の前には少しの空き地。そこは高台に位置しているようだった。その先の低い位置に、人々の住居が並んでいた。
「あなたたちすごいわ。お手柄よ」
 再び実体化しだした三匹のコガレたちを、手のひらですくうように抱える頃、透明化した扉が開かれた。
 なぜこんな所に塔境内地入り口の扉と同じシステムが使われているのか、少し不思議には思ったが、それを考える余裕もなかったので、ツグミはすぐに言った。
「さぁ、みんな行くわよ」
 ツグミはコガレたちを抱えたまま、分身たちを引き連れて扉を出た。そして空き地ではたと足を止めた。そういえば自分は道をよく知らないということを思い出したのだった。
 彼女は移動する時、常にイカルと行動をともにしていた。仕事の時もそうだし、普段の生活の時もそうだった。イカルと行動をともにできなければ外出自体しなかった。そしていつも移動に関しての一切をイカルに任せていた。自分はただその後についていくだけ。もちろん班で行動する場合、サポート役として、目的地までの道のりを示さないといけない時もあったが、そういった場合には装備品のナビゲーションシステムがあったし、それでも不明な場合は本部に通信して案内してもらった。しかし今はそういった通信機器のすべてがないのである。恐らくエレベーターもエスカレーターも動いていない。自分で行く道を決め、自分の足で進まないといけない。
 今、現在、自分たちはB4区画南外壁付近にいることは分かる。ここから北側に進めば塔のあるA地区に近づくことも知っている。それがどの方向なのか、確信はないが、おおよその見当はつく。ただ、自分の立場上、そして引き連れているケガレたちの姿からして、あまり人のいる場所は行きづらい。なるべく人目を避けたいところだったが、どっちに行けばそんな道をたどれるのかが分からない。ひとつひとつの道を精査しながらではあまりにも時間を浪費しすぎる。
 そう思いながらツグミが二の足を踏んでいると、急に腕に巻きついていた黒蛇の片方が形を変えはじめた。ツグミがいぶかしんでいると、それは鳥の形になり、羽ばたいて頭上高く飛び上がった。
 その黒い鳥は頭上を旋回して、辺りの様子をうかがっているようだった。
 しばらく旋回した後、そのケガレはツグミたちの頭の上に戻ってきてとどまった後、少し左方向へと飛んでいってまた空中で停止した。
「そっちに来いってこと?」
 その鳥型ケガレの下まで道が伸びていた。ツグミたちはその方向へ行ってみることにした。
 鳥型ケガレは、そのまましばらくツグミたちを先導していった。
 ツグミたちは、大岩落下という未曽有の災害があったためか、非常事態宣言が発令されているせいか、道中、ほぼ人影を見ることなく進むことができた。
“でも、白い塔に近づけば近づくほど、警戒されているだろうな。あたし、反逆者だし、見つかったらどうしよう。抵抗したら撃たれるのかしら?”
 歩きながらそんなことを考えていると、残っていたケガレが形を変えはじめた。こちらも鳥の形になって、少し羽ばたいて飛び上がったかと思うと、彼女の肩に降りてきて止まった。
 この地下世界に鳥はいない。ツグミはこの地下世界から出たことがない。当然、鳥を見たことがない。なのでツグミには、この二羽のケガレの姿が、変な形をした、変な動きをする、頭上を飛ぶことができる生き物くらいにしか思えなかった。また、多少でも鳥を知っている人が見れば、今、道案内をしているケガレは目の赤いカラス、肩に乗っているケガレは猛禽類のようだと思ったことだろう。しかし彼女にとっては、多少の大きさの違いくらいしか見出せなかった。
 ともかくツグミたちは、カラス型のケガレの示す方向へと更に進んでいった。
 静かすぎる。人のいないだろう道を選んで進んでいるにしても、人が生活していると自然とにじみ出てくる気配の端くれも感じられない。
 人の視線がなければ、進行に支障が少なくなって助かるのだが、逆に支障がなさすぎると後になって、まとめて大きな災厄が襲い掛かってきそうで、ツグミは少し胸騒ぎを覚えた。
 しばらく進むと、急にカラス型のケガレが旋回して戻ってきた。そして彼女のすぐそばまでやってきて、羽ばたきながら空中で停止した。
 そのケガレはくちばしを開いて小さくガ、ガと鳴いていた。ツグミは、そのケガレが自分に語り掛けている気がした。そのケガレの言葉は、コガレたちのものほどではないにしても、だいたい理解することができた。
 カラス型のケガレは、この道をしばらく進んでいくと二十人ほどの人間の一団と鉢合わせになる。その人間たちは武器を持っている、と言っているようだった。
「迂回する道はあるの?」
 ツグミは訊いた。
 カラス型のケガレは何度か短く鳴いて答えた。
 迂回する道はあるが、右方向に進んでかなり遠回りしてからでないとA地区方向には行けない。それも武器を持っている人間がどんどん増えて、移動をしているので、まったく彼らに遭わずにA地区に行くのは難しいだろう、そう言っているようだった。
 武器を持っている、ってことはきっと兵士の一団なのだろう。知っている人がいるかしら。仲の良い人は数少ないが、知っているくらいの人ならある程度いる、と思う。もし知っている人が指揮をしている一団なら、何とか事情を説明して、通してもらおう。もし説明しても無理なら・・・。とにかく誰が指揮しているのか確かめてみよう。ツグミたちはそのまま前進することにした。
 コガレたちのそれぞれの分身が数匹ずつ先走って偵察をはじめた。ツグミたちは建物の陰に隠れて偵察部隊の帰りを待った。彼らはすぐに戻ってきた。その報告はカラス型ケガレの報告と内容は同じだった。自分たちがいる道の先に白い衣をまとい武器を所持した一団がいる。白?もしかして委員?ツグミたちは物陰に身を隠しながら道を進んだ。
 しばらく行くと、遠目に武器を持った一団の姿を認めた。
 全員が白い制服を着ている。やっぱり。あれは兵士ではない。委員たちだ。
 なぜ委員たちが武器を持ってこんな所にいるの?ツグミは混乱した。しかし情報が少なすぎて、いくら考えてもその理由が分からない。ただ分かるのは、どう考えても今の自分の通行を、すんなり見逃してくれるような一団ではない、ということだった。彼女は彼らにとって明確な反逆者でしかないのだろうから。
 こんな時、イカルだったらどうするかしら?
 目をつむり、物陰に隠れたままでそう考えていると、彼女の脳裏にイカルの声が響きはじめた。
“先ずはあらゆる事象を想定して対策を練り、可能な限り対応の準備をしておく。次に相手の敵対心の有無を確認する。そこで友好の意思が認められなければ、準備していた対応策を発動する”
 そうよね。イカルならどんな状況になっても対応できるようにそうするわよね。ツグミは誰よりもイカルのそばで、イカルが作戦の立案、遂行する様を見てきたのだ。イカルがどんな判断を下すか、どう状況に対応して動くか、誰よりも理解しているつもりだった。
 イカルなら・・・。
 少しの間、ツグミは目をつむったまま思考した。やがて目を開くとケガレやコガレたちに向かって思念を送った。
「あなたたちはここに待機して合図をしたら空を飛んであの人たちの注意を逸らして」ツグミの視線は二匹の鳥型のケガレに向いていた。「コリンとウレンは建物の屋根を伝って、あの人たちの右側に回り込んで。合図をしたら側面から襲い掛かるの。タミンはここに待機して戦闘がはじまったらすぐに、正面からあの人たちに襲い掛かる、という作戦はどうかしら」
 ツグミの問い掛けにウレンが答えた。
「私は、とてもいい作戦だと思います。みんなも同じだと思います」
 ケガレやコガレたちは口々に賛成の声を上げた。
「しっ、気づかれるわよ。それから決して相手を殺してはいけない。相手の戦闘能力を奪う、それだけ。いいわね」
 それからケガレはケガレと、コガレは自分たち同士で小さな声で打ち合わせをしていた。
「さぁ、行くわよ」
 ツグミは言いながら立ち上がった。側面攻撃担当のコガレとその分身たちが建物の壁伝いに屋上に上がって移動をはじめた。
 ツグミはHKIー500を両手に抱えて、道の真ん中を委員の一団がいる方向を目指して歩き出した。すぐに向こうでもツグミの姿を認めたようだった。HKIー500の銃口が自分の方を向いている。今、自分は兵士の日常服を着て、銃を携行している。どう見ても兵士であることは分かるはずなのに銃口を向けてくるとは、状況が彼女の考えているより良くないことが察せされた。この時点で友好的な雰囲気は微塵も感じられない。しかし交渉の余地くらいは与えてあげるつもりだった。
「あたしは治安部隊、モズ隊所属、塔境内警備担当の兵士であります。任務遂行のためA地区に移動中です」
 充分に射程距離内に入った所でツグミは声を上げた。
 委員たちは互いに顔を見合せた。通常、必ず複数人で行動する兵士が単身で移動していることに、委員たちはまず不信感を抱いた。それにこの地域に兵士がいる話も聞いていない。そのまま信用することはできない。そもそも、ここは今から誰も通してはならない。それがたとえ兵士であっても。
 指揮官らしき委員が前に進み出て口を開いた。
「現在、A地区は我々委員が警備の任に当たっている。兵士の皆さんには他の地区を担当してもらっている。これはすでに通知済みである。すぐに部隊に戻り、任務を遂行していただくように要請する」
 どういうこと?委員が警備?何がどうなっているのか分からなかったが、自分の話術では、委員たちを説得してここを通ることが難しいことだけは分かった。それなら仕方ない、作戦を遂行しないといけないわね、そうツグミが思った矢先、委員の一人が指揮官の横に移動して耳打ちした。指揮官はツグミの顔を無遠慮に凝視した。そして突然、
「お前、反逆者の片割れだな。そこを動くな」
 とツグミに叫んで、他の委員たちに、あいつを捕まえろ、と号令した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み