感応の中(3)

文字数 3,934文字

 塔を包むように渦巻く巨大な黒い層の一部が、兵士たちの頭上をおおうように大きく盛り上がり、張り出してきた。その巨大な黒い突起の中ほどが横に裂け、獰猛なケダモノのような咆哮を放ちながら周囲のすべてを呑み込めるほどに大きく開かれた。
 その獰猛なる巨大な口は一気に下を向き、イスカたち目掛けて襲い掛かってきた。
「援護、撃て!」
 後方にいた全員が巨大な暗黒の口に向けてエネルギー弾を放った。大きな爆発が起こった。巨大な口は形状を保てずに大きく縦に、横に広がった。
 ごおおおおおおおー、と辺りに地鳴りのような轟音が鳴り響いた。それは巨大な口だった黒い固まりから発せられていた。まるでその漆黒からの憤怒の叫び声に聞こえた。
 巨大な固まりはいったん数メートル浮上した、と思う間もなく一気に地面に落ちてきた。それは水が重力のままに落下するような姿だった。空中から滝水のような勢いで落ちてきた。
「撃てー!」
 ノスリの掛け声を待つまでもなく、エネルギーの充填が済んだ者から発砲した。しかしその落下を止めることはできない。
 イスカ班の班員たちは、苦悶の表情を浮かべた兵士たちの死体を踏み越え、飛び越えながら走った。襲い来る黒犬の攻撃をさけながらも駆けつづけた。エナガ班の班員はその場に踏みとどまり、必死に援護した。しかしそれは落下をつづけた。イスカは周囲が暗くなっていく様を走りながら見つづけた。どんどん暗くなっていく。どんなに目を見開いても光が自分の周りから急速に減っていく。やがて、すべては漆黒に、包まれた。
 どおおおん、と大地を震動させながら固まりが落ちてきた。
「イスカ!」
 エナガは、そう叫ぶのと同時に、後方にすさまじい勢いで吹き飛ばされた。
 ノスリたちはその場に立っていられなかった。かなりの圧とともに突風が彼らを襲った。そしてその風に付帯する熱を激しく感じた。
 熱い、またケガレが熱を帯びている、タカシは他の兵士たちにかばわれているにも関わらず、驚くほどの熱を感じた。ここでこれだけの熱を感じているなら先行の兵士たちは・・・、苦渋の思いが胸の中に広がっていった。
 巨大な固まりは地に落ち、砕けて弾けて、空中に浮いた部分は千々に分裂して円盤になり、地に残ったものはそのまま黒犬になった。数え切れないほどのケガレたちが一気に彼らに向かって襲い掛かってきた。
 すさまじい勢いで向かってくる。兵士たちはみな思考することを止めた。考えることは絶望することと同義としか思えない状況だった。彼らはただ自分の務めを果たす、それだけに集中するしかなかった。
「ひるむな!確実に一体ずつ倒せ!俺たちはここまで生き残ってきた精鋭部隊だ!俺たちに倒せない敵などいない。ひるむな!ひるむなよ」
 ノスリは叫んだ。自らの寄って立つ世界が滅亡するか否かの瀬戸際の今、事ここにいたっては撤退も意味をなさない。またしても仲間が目の前で死んでいった。しかし、その死を踏み越えて行くしか術はない。もはやこの最終局面で逃げることなど選択肢として考えられなかった。
 ただ、そうはいってもイスカ班、エナガ班が消えた現時点で残っているのは、ツグミやアビを含めたイカル班の八名、トビ班の五名とノスリ、それにタカシの合計十五名だけだった。心もとなく、心細く、周囲を取り巻く巨大なケガレの群れに対抗するにはあまりにも不十分な人数だった。どの兵士の足も無意識に、進行にためらいをにじませていた。ノスリは瞬時にそれを察した。
「ツグミ、後方を頼む」
 そう言うと同時にノスリは駆け出した。ツグミの返事ははなから聞く気はないようだった。ノスリは前方に配置された兵士の脇を抜けて自分が最前列になるように身体を移動させた。その時、まさに黒犬の群れが兵士の群れとぶつかろうとしていた。そして頭上からは円盤の群れが彼らに向けて急降下してくるところだった。
 黒犬が、獰猛な黒い口を大きく開いてノスリたちに今、まさに襲い掛かろうとした、その瞬間だった。その鼻先に空から何かが降ってきた。次々に黒犬たちの進行を妨げるようにボトリボトリと黒い球体が落ちてきた。
 タカシたちは頭上を見上げた。
 そこにはひるがえる革製のロングコート。
 次々に手の平サイズの球体になっていく円盤たち。
 黒犬目掛けて投げつけられる黒い球体。
 そして頭上を飛び回りながら、円盤を球体にして、黒犬に投げつけているナミの姿があった。
「ナミ!」
 その声に気づいて、ナミはちらりとタカシの姿を見た。ニヤリと笑いそうになったが抑えて目をそらした。私のクールなイメージをこんなところで壊すわけにいかない。
「援軍が来たぞ!反撃だ。押し返せ!撃て、まだエネルギー切れになるには早いぞ、撃て!撃て!」
 ノスリは言いつつ、突然の球体の飛来に二の足を踏んだ形になった黒犬たちにエネルギー弾を放ち、充填をしつつその群れに突っ込んで、向かってくる一匹を蹴り上げた。
 他の兵士たちもノスリに引っ張られるようにエネルギー弾を放ちながら徐々に前進をはじめた。
 ナミは高速で空中を飛び回り、円盤を次々に球体にしては、左手にその球体を持って黒犬に投げつけた。
 円盤も素早く飛び回ったがナミはそれを上回る速度で飛ぶことができた。霊力が満ちている現状は、ナミに普段より一層の力と速さを与えていた。いくら数が多いといっても円盤たちに後れを取るようなことは考えられなかった。
 黒犬たちは、前方の兵士たちに意識を集中しているところに頭上から球体を投げつけられるので、その動きにためらいが生じてきた。そのため兵士たちにエネルギーの充填をする余裕が生じた。狙いをつけて発砲する余裕が生じた。
「おーい、誰か」
 兵士たちの耳に微かに呼ぶ声が聞こえた。兵士たちがその声がした前方を見ると片手で銃を持ち、黒犬に発砲しつつ、もう一方の手で黒い何かを引きずりながら近づいてくるエナガの姿があった。かたわらにはエナガ班の兵士が四人、近くにいる黒犬に発砲しつつともに撤退していた。
 黒犬たちは基本的にタカシに襲い掛かることを志向していたので、エナガたちのいる方向は比較的に手薄になっていた。
 ノスリはエナガたちのいる方へ向かって走り出した。その後を他の兵士が続いた。ノスリのかたわらにはトビ班の班員が二名随行していた。
 トビ班はこの部隊の後方に配置されていたが、突然走り出したノスリの姿を見て、状況を察して急遽ノスリとともに行くように、自らの班員にトビが指示していた。彼らはあわてて後を追った。その指令を発したトビは、度々前面に出ようとするタカシを横に立って制していた。
「いけません。あなたをみんなが守ろうとしているんです。みんなの思いを無駄にしないでください」
 例え役に立たなくても、自分を守ろうと命懸けで戦っている兵士たちとともに戦いたい、その思いがタカシの胸中を駆け巡っていたが、そう言われると歯がみしながらも従うしかなかった。
 ノスリは全力で襲い来るケガレに対抗した。何ら抑制する気はなかった。今この瞬間に自分の力のすべてを出し尽くすつもりだった。他の兵士たちへの指示ももう必要ない。最前線で奮闘する自分の後についてきてくれればよかった。全力で戦う自分にならって戦ってくれればそれでよかった。
 ノスリは無意識に意味のない言葉を叫んでいた。感情を抑えることが難しかった。目的を達するために邪魔になるものを排除する、その一念でただ駆けた。憤怒の感情が表出していた。自分にあまりにも悲惨な状況ばかりを見せつけようとするすべての障害を叩き潰す、身体全体でそう周囲に警告を発していた。
 ノスリのその姿を見た黒犬の動きにためらいが生じた。素早い動きがなければ黒犬は狙いやすい獲物だった。その恰好の標的をトビ班やエナガ班の班員は発砲して粉砕した。
 ノスリも何匹かの黒犬を狙い撃ち、蹴り上げ、粉砕した。そしてエナガのもとにたどり着いた。
「エナガ、大丈夫か?お前何を持ってきているんだ?」
 ノスリは銃を構えたままエナガのかたわらで言った。エナガは黒い物体を持ったまま答えた。
「何って、イスカじゃないか。みんな助けたかったけど、なんとかイスカだけ連れてきた。早く手当てをしてやらないと」
 エナガが手に持っている黒い物体は、何なのか判別のつかない物体だった。色は均一的に真っ黒だったし、形状も判別に困るほどあいまいだった。それでも人だと言われれば大きさ的にも全体の輪郭もそうも見えるという程度の代物だった。
 ノスリはじっとその黒い物体を観察して、もしそれが人であったとしたらここが首だろう場所に手を伸ばした。そして指先でそっと触れた。何の反応もなかった。彼は目を閉じ、少しの間を空けて、再び目を開けてから言った。
「エナガ、イスカは死んだ。もうどうしようもないんだ・・・」
 エナガはイスカだった物体を見た。
 少しの間、黙っていた。実感が湧かない。現実を受け入れようにも別れの言葉も言ってない現状では気持ちが追いついていかない。
「イスカよう、黙って行くなよ。自分だけで行くなよ。くそ・・・」
 もう感傷にひたっている暇はなかった。自分たちに向けて次々にケガレが集まっていた。次第にその数が増え、層となり、怒濤のように向かってきた。
「エナガ、イスカは置いていけ。すぐに行くぞ。急げ」
 ノスリのその声に、エナガは反応しなかった。ただ、口をへの字に固く縛り、険しい顔つきをしていた。そんな表情をしないと目からにじみ出ようとするものを抑えるつけることができなかった。
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