第128話 【文芸部は眠らせない特別編】6ペンスのツグミ

文字数 4,792文字

前説

本作品は神話創作文芸部ストーリア4周年記念祭に寄せた短編小説です。
企画は、あみだくじで2つのテーマを割り振られ、それらをもとに作品を書くというもの。
僕に与えられたお題は「鳥」×「年末年始」でした。

執筆要綱はこんな感じだったのです。

①神話もしくは神話的な内容を含むこと
②各人に与えられた2つのお題を含むこと
③分量は散文4000字以内

で、そのお題が「鳥」×「年末年始」だったという。
年末年始に取り残されないように、調子に乗って書きましたので、さっそく本文をお読みください。



     *****

『6ペンスのツグミ』


「6ペンスの唄」

6ペンスの唄を歌おう
ポケットにはライ麦がいっぱい
24羽の黒ツグミ
パイの中で焼き込められた

パイを開けたらそのときに
歌い始めた小鳥たち
なんて見事なこの料理
王様いかがなものでしょう?

王様お倉で
金勘定
女王は広間で
パンにはちみつ

メイドは庭で
洗濯もの干し
黒ツグミが飛んできて
メイドの鼻をついばんだ

***

 6番目の天使がラッパを吹くとき、〈馬に似て金の冠をかぶり、翼と蠍の尾を持つ〉姿でその奈落の王、アバドンは顕現した。
 蝗の群れを率いる天使として。
 人々に死さえ許されない6ヶ月間の苦しみを与えるために。
 アバドンはライ麦色をしたラッパを吹き、そのときから終末は始まった。
 アバドンがラッパ吹きに夢中になっているその隙に、24羽のクロツグミは24文字のラテン・アルファベットを生地にしてパイをつくる。
 焼き込められたパイは活版印刷の英訳聖書と変化した。
 クロツグミたちは、それを「良し」とした。
 

 12月までアバドン王は人々を徹底的に苦しめた。
 その年末、アバドンの妃はアバドンのライ麦色をしたラッパにはちみつを塗って食べ始めた。
 アバドンの妃はそのパイであるラッパを食べるのに24時間かかったらしい。
 24という〈時間〉を司ったクロツグミたちは、アバドンの妃に英訳聖書も食べさせる。
 この英訳聖書もまた、パイであったから。
 24文字のラテン・アルファベットの記事のそのパイをさもおいしそうに食べるアバドンの妃。
 クロツグミたちはにしし、と笑い合う。
 しめしめ、という意味だ。

 妃がパイを食べている頃。
 アバドンの妃専属のメイドが週末の大きな洗濯をしていた。
 アバドンの妃専属のメイドは終末の大きな選択をしていたのだ。

 人々が終末まで取ってきた選択肢は間違いだらけだった。
 それは〈旧約〉にある通りの、間違いの連続だった。
 選択肢はいつも曲がりくねり、通ってきたのは間違いのルート。
 いや、最初から正解なんて用意されていなかったのだ。

 6番目のラッパ。6と6を足すと12になる。
 12と12を足すと24になる。
 6番目のラッパで現れたアバドンは金の王冠を失い、12月の24時の〈年末の終わり〉を待つ。
 年末がすなわち、終末である。
 年末の最後に、終末に、王冠をかぶる者はいるであろうか。
 謎かけのように、アバドンは思う。

 時間を司るクロツグミたちは、伸びきったアバドンのメイドの鼻をついばんだ。
 メイドの鼻は人々の〈嘘〉の象徴であった。
 人々の嘘によってその鼻は伸びきっていて、それもまた嘘つきという〈ラッパ吹き〉だった。
 時間を司る24羽のクロツグミは1時間ずつ、メイドの鼻をついばんではその鼻を小さくさせた。

 6番目の天使が吹いたラッパとは嘘そのものであり、嘘が人々が住むこの世界を覆っていたことを、それは意味した。
 この世界の人々は自分たちがついた嘘で、死をも許されぬ奈落の底を開けてしまったのだ。
 奈落の王、アバドンは虚構と化したこの世界中で、王冠を失っていたままだった。
 なぜなら、王冠をかぶった王というのもまた虚構にされていたからである。
 虚構の世界の王には、アバドンはなれなかったらしい。
 王冠をかぶっているのが本当で、だからこそこの嘘の世界では王冠は失われたのだ。
 謎かけは、だから為された。

 王の妃のメイドの高い鼻は鼻歌を歌えない。
 高くなったその鼻はクロツグミによって折れた。
 メイドは泣き崩れ、王と妃のもとを去った。
 もう、ラッパは吹けないのである。

 さて、ラッパを吹けないのは王も妃も同じであった。
 王は6時にあがる太陽の〈朝〉を指し、妃は6時に上がる月の〈夜〉を指し示す。
 嘘やでたらめは〈時間のクロツグミ〉によって不可能となった。
 このクロツグミは英訳聖書という誠を指すからだ。
 しめしめ、と思った通りだった。
 そしてこの〈時間のクロツグミ〉は、「幸運の6ペンスコイン」と符合した。

 人の人生は〈悪霊〉たちにコントロールされていると昔、人々に信じられていた。
 悪霊は、人生の節目に悪いことをすると信じられていた。
 年末年始もまた、〈節目〉だった。
 悪霊を払いのけるもの、それが英国では6ペンスコインであり、24羽のクロツグミは聖なる書物に連なっていた化身であり、6ペンスコインと英訳聖書を意味するクロツグミは、〈非可逆〉である〈時間〉を司っていた。

 ————この24羽のクロツグミに嘘はない。————

 年末年始という〈節目〉、終末という〈節目〉の〈悪霊〉はアバドンだった。
 だから、24羽のクロツグミはアバドンに金の王冠を返す。
 嘘から出た誠、それが嘘の世界に現れた本物の王冠、という事象だった。
 時間のクロツグミたちは時間を逆流する。
〈非可逆〉であったのがこの世界であるなら、嘘の世界であるなら、時間が〈可逆〉であるのもまた〈誠〉。
 よって、この〈24時間〉をも意味するクロツグミたちの歌う〈6ペンスの唄〉によって〈世界を終わらせない〉その意思が響き渡った。
 そして月が退場し、金の王冠をかぶったアバドンではなく本来の地球の王、つまり黄金の太陽が昇り、〈新年〉が始まったのであった。

 これがマザーグースに収録された〈ナーサリーライム〉である、『6ペンスの唄』の由来である。

「おしまい、と」
 本のページを閉じる萌木部長。
「えぇ……?」
 と、僕。
 その僕の反応に、佐々山さんは、
「山田くんは不満なわけ?」
 と、からかった口調で問う。
「だって、荒唐無稽じゃんか。そう思わないの、佐々山さん?」
「山田くん。部長が語ったこの話、『6ペンスの唄』の由来だって言うけど、クロツグミたちが『6ペンスの唄』を歌うっていう入れ子構造で、〈鏡合わせ〉の残像みたくなってたの、わかったかしら」
「あ。そう言われてみれば」
「だいたい、冒頭のラッパは5番目のラッパよ。6番目じゃないわ」
「え? そうなの?」
「出典は『ヨハネの黙示録』ね」
「どういうこと? 佐々山さん、これ、どういうこと?」
「フィクションってわけ。部長が今語ったこのお話自体が〈虚構〉で、このお話で語られる〈世界〉は〈嘘〉で出来た欺瞞の〈虚構〉だったわけよね?」
「そうだね」
「つまりね、今いるこの世界自体が〈嘘〉なら、このお話もまた〈嘘〉であることが〈真と偽〉で言えば〈真〉となる世界だってわけね」
「えぇ……。それじゃ〈とんち〉じゃん」
「そうよ」
「そうよって……。そりゃないよー。萌木部長、どういうことですかぁ」
 僕はふくれっ面で萌木部長に文句を言う。
「いや、おれたち、よく神話を語ったり神話的なものについて語るじゃないか」
「そうですね。でも、それがどうしたんですか!」
「神話体系、なんて言葉があるくらい脈絡が神話には生じるが、神話など〈伝承〉には必ずと言っていいほど〈ナンセンス〉な部分がある。だから語った」
「だから、ってどういう意味ですかぁ!」
「怒るなよ、山田。この話は〈ナーサリーライム〉だろ」
 あたまにはてなマークが浮かぶ僕。
「ナーサリーライム?」
「1765年にロンドンで『マザーグースのメロディ(Mother Goose's Melody)』が刊行されると、伝承童謡の総称として『マザーグースの歌 (Mother Goose's rhymes)』という語が定着していった。〈ナーサリーライム〉という語は1824年に初出し、伝承に限らない〈童謡〉や〈童歌〉を指す語としてイギリスに定着した。以来、イギリスでは『マザーグース』も〈ナーサリーライム〉であり、『マザーグースの歌』ではなく『ナーサリーライム』と呼ぶことが多い。……と、まあ、そういうことなんだが」
 と、そこに佐々山さん。
「暗示されたものがなにかわからない伝承童謡としてのマザーグース。またはナーサリーライム。マザーグースに出てくるハンプティ・ダンプティがなにかって、諸説あるけどわかったものじゃないじゃない。つまり、そういうことでしょ、萌木部長?」
「そうだ、佐々山。おれが今語ったフィクションは、ナンセンスゆえに物語としての〈強度〉がある。〈不謹慎〉でもあるしな。その〈ナンセンス〉が、ひとつの〈神話〉のように思えてこないか?」
「確かに。これがナーサリーライムのなかにある話のひとつだ、と言われたら納得しちゃうかも」
 と、僕。
「ま、萌木部長のこの〈作品〉は、不出来だと思うけどね」
 と、佐々山さん。
「つまり」
 と、萌木部長。
「これは〈神話系創作〉をしてみた、っていう、その試みさ。おれなりの、ね」
「格好良くキメようとしたんでしょうけど、それもちょっと不出来ね」
 佐々山さんは萌木部長に突っ込みを入れた。
「さて」
 一拍入れてから、佐々山さんは言う。
「この文芸部の年末の会合はこれでひとまず終わりね」
 僕は、肩の力を抜いて言う。
「じゃ、次は年始に会おうよ」
「ああ、生きて再び会おう」
 萌木部長がそんなことを言うものだから佐々山さんは、
「死亡フラグが立ってるわよ、萌木部長?」
 と、クスクス笑う。

 ああ、今年も終わりかぁ。
 僕はしみじみとする。
 24羽のクロツグミ、というこの〈鳥〉たちのように、僕は僕の〈時間〉を制御して生きることが果たして可能なのだろうか。
 年末に会っている僕らはまた年始に、会えるだろうか。

 佐々山さんがいきなり手をあげて、
「じゃ、また来年!」
 って言うものだから、僕も手を振ってみたりなんかして、
「良いお年を、だね!」
 と、年末の挨拶をする。
 そこに萌木部長が、
「部室で挨拶して解散だなんてつまらんだろうに。青島と月天も呼んで忘年会をやろう」
 と、提案する。
 頷く僕と佐々山さん。
 じゃー、我が文芸部の忘年会、始めちゃおうかぁ。
 今夜は焼き鳥をみんなで食べちゃうぞー!!
 学生だからアルコールはダメだけどね。

 文芸部は、今年も、いや、来年も、眠らせない。

〈了〉



      *****

後説

前半の意味のわからん文章、あれはなにかというと、〈マザーグース〉という〈ナーサリーライム〉で鳥が出てくることで有名な『6ペンスの唄』ってのがあって。その『6ペンスの唄』についてのWikiで書いてあった絵解きがあって、それと年末年始ということでアポカリプスと混ぜてみた、という趣向です。
後半にもお題がリフレインされていて、年末年始に焼き鳥を食べる、というかたちで出てきます。
この作品の場合、萌木部長というキャラが創作神話を枠物語として使っている、ということで、文学批評的には構造主義の手法をとっています、わかりやすいかたちで。主題のリフレインもまた、構造主義の文学の特徴のひとつですね。
構造主義というとレヴィ=ストロースが「神話には構造がある」とか、「神話素」なんて言葉を生み出したことで有名ですね。神話素とは、物語類型やモチーフなどが無意識に似通った構造がある、としたものですね。
この文章はストーリアの4周年記念に書いたのですが、部活名が変わってこれからだ、というタイミングでの企画だったので、クリティークの方からのアプローチをしてみました。が、本文だけ読んでもわからないだろう、ということで、改題をつけました。

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