第78話 狢

文字数 2,360文字

 部室のポットでインスタント珈琲をつくった部長は、スティックシュガーとミルクを入れ、スプーンでかき混ぜる。

 それから一口、飲んでから、
「落ち着くな。山田も飲むか?」
 と、僕に尋ねる。

 僕が頷くと、珈琲を淹れたカップを、僕に差し出す。
 萌木部長から手渡された珈琲をすすっていると、部長は窓の外を見ながら、独り言のように、言葉を発する。



「人文主義は国家の歴史や文化を重視する…………マイケル・サンデルがいう意味でのコミュニタリアンだな…………だから、潔癖主義に陥ることもある。一方のリバタリアンは利益の最大化を目指す、一種の快楽主義になる。歴史や伝統へ敬意を払いつつ、潔癖がヘイトにならないように舵取りできるひとになれれば良いのだが、な。そう上手くはいかないのが人生さ」


 自分の机でパソコンを打つ青島くんも、キーボードを叩くのをやめて、萌木部長を見る。


「生徒会ともめてるって聞きましたけど、やっぱりその発言はそれと関係があるんですか」
 僕は不安になって部長に尋ねる。

「リバタリアン……市場原理主義だとしたら、この文芸部は、壊してしかるべきなのだろう。教師連中の一派が生徒会に威圧をかけているのもわかったしな。それに生徒会長の斎藤めあは、ゴタゴタする前に、幕引きをする気だろう」

「……………………」

「人文主義は国家の歴史や文化を重視することによって、それが潔癖主義に陥るのは、よくあることなんだ。歴史的に見ても、な。〈伝統〉が、邪魔になる場合が、ポジションによっては生じることもあるだろうし、潔癖はときにひとを鈍磨させる。文芸部でブンガクを語り続けるのは、夢のような時間だが、それは永遠じゃないのさ」

「……いつかは、終わりが来る」

「その通りだ。意見交換は嬉しいことも多いし、熱くなるのもいいことだが、そればかりはやってられない、ということだろう。確かにこの文芸部は多くのプロを輩出した。でも、それがなんだって言うのだろうか。今となっては、な。過去の栄光だけで成り立っていると見られているってことを、おれも、考えなくちゃいけなかった。……部活の運営ってのも、難しいものだな」

「部長……」



 萌木部長と僕が話し始めていると、青島くんが、こんなことを言う。

「〈創作論は喧嘩の元〉って言うっすよね。禁則事項……例えば、一文字開けて書くとか、ルビを使うとか。それから宣伝大事とか言うのはいいけど、〈~しなきゃダメ〉とか〈~してはならない〉って言う奴が多すぎる。個人の自由でしょ。なんならば自由にレシピ使って書けば済むことじゃんって、思うっすよ」

 そこに萌木部長。
「ああ。それにウェブ媒体だったら、商業ベースの作品や、商業に準じた書き方をしないとならないという法はないしな。好きにやれるからこそのフロンティアだったはずだ、ウェブ小説は。それ故に〈ウェブ小説は小説ではない〉という論調の意見もあるのだが」


「一番気に食わないのは『おれはお前らとは違う』って偉そうにしてる奴っすけどね。書籍化作家だろうが本を出版してなかろうが〈物書きなのは変わらない〉。棒人間の絵しか描けないヘタクソでもイラストサイトで神絵師と言われて超絶上手い絵を描いてても〈絵描きは絵描き〉。腕なんて関係ない。そこに優劣は本来的には、ないぜ。偉そうにすんなって思うっす。いくら努力しようがみんな同じだってんだぜ」



 僕は青島くんに向かって、頷いた。
「僕も、〈いくら努力しようがみんな同じ〉だと思う。本質的には〈同じ〉なんだ。部活始まった頃に、『~と思う』って使うな、と言われたのを覚えてる。言ったの部長ですよ? 覚えてます? その『~と思う』を使わない方が良い理由は〈弱い表現になるから〉。〈~しなきゃダメ〉とか〈~してはならない〉はその逆で、「強い言葉」になって、強制力がある。それを逆手にとって、持論に説得力を持たせる。そりゃ角が立つ。喧嘩になりますよね。部長、どうですか?」


「んん? おれに話題を振るのか。青島はどうだ、その意見」



「努力するのは素晴らしいこと。何かの功績を上げたなら嬉しいし自慢したい。ひとのサガ、承認欲求の話なんだから、仕方ねーすね。けどそれを理由に周りをバカにしていい道理はねーし、偉そうにするために努力するなら努力なんてする資格すらねーよ、って」

 僕は精一杯、背伸びした風に、青島くんのぶつけてくる言葉に応対する。

「目的と手段の関係かな、と思うよ。そういうひとは偉そうにする、つまり、〈周りを見返してやる〉などの〈功績〉が〈目的〉で、その〈手段〉として小説を書いていることも多いかなぁ、って。楽しんで書いているひとは、〈書くこと自体が目的〉なんだと思う。この前の部長の、『執筆を純粋に楽しめ』っていうポリシーの話じゃないけど。でも、僕もそう思うなぁ。そもそも、小説がただの手段で、目的がひとをバカにするためで、執筆をその道具にされたら小説に真摯に向き合っている真剣な人に迷惑ですよね」


 漫画雑誌を読んでいた月天くんが、
「そう思うおれたちゃ〈同じ穴の狢〉なんだろうさ」
 と、ぼそっと呟く。


 僕も、それに納得したし、部長も頷く。
 青島くんはあはは、と嗤った。

「同じ穴の狢、か。良いこと言うぜ、月天」

「たまにはよ、おれだって良いこと言うってとこ、見せたかったのさ、青島」

「承認欲求かぁ?」

「そう思ってくれても良いぜ」


 嗤い合う二人。

「〈嗤い合うバトル・クリティーク〉……か」
 誰にも聞こえないように、僕は言う。

 この一年生コンビの伸びしろは大きいな、と思う僕なのだった。




〈了〉
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