第92話 ぶんぶんがくがく:4(中)
文字数 2,051文字
たらこスパゲッティをずるずると飲み込む月天。
「わかんねぇ。でも、巻き込まれていて、現実と、〈奴らの世界〉を行き来してるのは事実だ。気に病むことじゃねぇ」
「ひとは機械ではない。血を流す動物だ。だが、〈わざと〉血を流させるための教育を施そうとしていているあいつらは、機械のように人間を捉えている。血が流れてからじゃ遅いこともあるんだ。みんながみんな、おれたちみたいな不良になって血液まみれにするのは教育としてはおかしい。それこそ、軍事教練とだって折り合いがつかない思想だ。ひとは〈殺されるために生まれてくる〉わけじゃないんだ」
「そこで繋がるのか、再呪術化に。つまり、機械論的意識から呪術……言い換えれば、ミメーシスによる〈参加する意識〉へ、と。ありもしない客観的現実を想定し、のーみそを分裂させて引き裂くような機械的意識からの解放を、青島は考えているんだな」
スパゲッティをまた口に運ぶ月天。
「まずは、脱呪術化の話をプレイバックしようか、月天」
「ああ。まあ、今日は暇だしよぉ、話には付き合うぜ」
********************
喫茶店。運ばれてきたカレーに、おれは手をつけることにした。
辛い。水を飲む。こだわりのカレーだなぁ、と思っていると月天が、
「青島。カレーのルーが口についてんぜ」
と、おれをからかう。
「言葉を、取りこぼさないように話をしようか」
「カレーのライスを取りこぼさなくても、唇にべっとりルーをつけるのもなしだぜ。あと、そんなに激辛な話はしなくていいぜ」
「ああ。わかってるってるよ」
おれは持ったスプーンで月天を指さし、話を続行させる。
「ウェーバーが言うように、世界はテクノロジーを以てして〈脱呪術化〉された。まずは一般的な呪術の定義からだ。呪術ってのは、近代ヨーロッパの精神が、科学と宗教をよりわけたとき生じさせてしまった〈剰余エネルギー〉と、現代の見地からは見なされるだろう。科学と宗教をよりわけてできた〈近代西洋的な理性〉とは異なったタイプの〈思考法〉をひとまとめにして、呪術、と呼んでいる」
「ふーん」
「ミシェル・フーコー『狂気の歴史』で語られる〈非理性〉に概念的には近いのかもしれない。夜が暗い時代、人々は非理性と隣り合わせだったのは、ブリューゲルやボッシュの絵画を観れば、イメージが湧くだろう。世界は呪術に覆われていた。打ち破るきっかけの人物は、諸説あるだろうが、ヨハネス・グーテンベルク、だろうよ」
「グーテンベルク……。活版印刷技術の発明者、か」
「活版印刷という技術によって、ヨーロッパの大勢のひとびとが、聖書を直接見ることができるようになった。それによって起こされたもののひとつが宗教改革だ。それまでひとは書物を〈書き写し〉か木版印刷でしか読めなかった。印刷は宗教改革で重要な役割を果たした、ってのは、具体的にはマルティン・ルターの『95ヶ条の論題』は印刷されたことで広く普及したし、その後、贖宥状を批判する文書をブランケット判の紙に印刷して配布していて、これが後の新聞の元になったとされていることからもあきらかだ。グーテンベルク聖書ってのもあるぜ」
「ルターやカルヴァンは、その流れから出てくることになったんだったな」
「ルターとカルヴァンは職業観が違っていて、ルターは現状肯定の職業観。一方のカルヴァンは、ご存じ『召命』=『職業』であるという『行動的禁欲』の価値観だ。修道院的な禁欲ではなく、世俗内禁欲を勧める。それはどういうものかと言うと〈職業労働に励むこと、それ自体が修行だ〉というものだ。これにより『内面的孤独化』が起こる」
「予定説っつったか。確か。要するに最初から天国に行くか地獄行きかなんて、決まっている、みたいな」
「そう。あらかじめ〈決められている〉。自分がすでに救われるか決まっているので、教会が干渉する伝統は解体していって、人々の〈精神的自立化〉を促すことになったんだ。『行動的禁欲』から芽生えた『内面的孤独化』は人々を〈呪術的なもの〉から解放し、自らの頭で〈合理的に思考〉して、自分の生活を設計するように促した」
「それが〈脱呪術化〉なんだな」
「諾 」
「その通りなのかよ」
「脱呪術化は近代化の過程と親和性がある信仰のあり方だったんだ。最初から決まっているんだから、思い悩まず、とにかく実践すること。自分のやってることに確信を持つよう、自分自身を仕向ける。それは、神に全面的に委ねると同時に、神の栄光の現れとしての労働を重視する、ということだ」
「で、この話は、かみさまのはなしじゃなくて……」
「マックス・ウェーバーが資本主義の精神が生まれたその過程を分析した結果、出てきた話だ」
「それは今じゃ〈古典〉の話だよな」
「そうなんだ。だから……ここからが、スタートだ」
〈93話へ続く〉
「わかんねぇ。でも、巻き込まれていて、現実と、〈奴らの世界〉を行き来してるのは事実だ。気に病むことじゃねぇ」
「ひとは機械ではない。血を流す動物だ。だが、〈わざと〉血を流させるための教育を施そうとしていているあいつらは、機械のように人間を捉えている。血が流れてからじゃ遅いこともあるんだ。みんながみんな、おれたちみたいな不良になって血液まみれにするのは教育としてはおかしい。それこそ、軍事教練とだって折り合いがつかない思想だ。ひとは〈殺されるために生まれてくる〉わけじゃないんだ」
「そこで繋がるのか、再呪術化に。つまり、機械論的意識から呪術……言い換えれば、ミメーシスによる〈参加する意識〉へ、と。ありもしない客観的現実を想定し、のーみそを分裂させて引き裂くような機械的意識からの解放を、青島は考えているんだな」
スパゲッティをまた口に運ぶ月天。
「まずは、脱呪術化の話をプレイバックしようか、月天」
「ああ。まあ、今日は暇だしよぉ、話には付き合うぜ」
********************
喫茶店。運ばれてきたカレーに、おれは手をつけることにした。
辛い。水を飲む。こだわりのカレーだなぁ、と思っていると月天が、
「青島。カレーのルーが口についてんぜ」
と、おれをからかう。
「言葉を、取りこぼさないように話をしようか」
「カレーのライスを取りこぼさなくても、唇にべっとりルーをつけるのもなしだぜ。あと、そんなに激辛な話はしなくていいぜ」
「ああ。わかってるってるよ」
おれは持ったスプーンで月天を指さし、話を続行させる。
「ウェーバーが言うように、世界はテクノロジーを以てして〈脱呪術化〉された。まずは一般的な呪術の定義からだ。呪術ってのは、近代ヨーロッパの精神が、科学と宗教をよりわけたとき生じさせてしまった〈剰余エネルギー〉と、現代の見地からは見なされるだろう。科学と宗教をよりわけてできた〈近代西洋的な理性〉とは異なったタイプの〈思考法〉をひとまとめにして、呪術、と呼んでいる」
「ふーん」
「ミシェル・フーコー『狂気の歴史』で語られる〈非理性〉に概念的には近いのかもしれない。夜が暗い時代、人々は非理性と隣り合わせだったのは、ブリューゲルやボッシュの絵画を観れば、イメージが湧くだろう。世界は呪術に覆われていた。打ち破るきっかけの人物は、諸説あるだろうが、ヨハネス・グーテンベルク、だろうよ」
「グーテンベルク……。活版印刷技術の発明者、か」
「活版印刷という技術によって、ヨーロッパの大勢のひとびとが、聖書を直接見ることができるようになった。それによって起こされたもののひとつが宗教改革だ。それまでひとは書物を〈書き写し〉か木版印刷でしか読めなかった。印刷は宗教改革で重要な役割を果たした、ってのは、具体的にはマルティン・ルターの『95ヶ条の論題』は印刷されたことで広く普及したし、その後、贖宥状を批判する文書をブランケット判の紙に印刷して配布していて、これが後の新聞の元になったとされていることからもあきらかだ。グーテンベルク聖書ってのもあるぜ」
「ルターやカルヴァンは、その流れから出てくることになったんだったな」
「ルターとカルヴァンは職業観が違っていて、ルターは現状肯定の職業観。一方のカルヴァンは、ご存じ『召命』=『職業』であるという『行動的禁欲』の価値観だ。修道院的な禁欲ではなく、世俗内禁欲を勧める。それはどういうものかと言うと〈職業労働に励むこと、それ自体が修行だ〉というものだ。これにより『内面的孤独化』が起こる」
「予定説っつったか。確か。要するに最初から天国に行くか地獄行きかなんて、決まっている、みたいな」
「そう。あらかじめ〈決められている〉。自分がすでに救われるか決まっているので、教会が干渉する伝統は解体していって、人々の〈精神的自立化〉を促すことになったんだ。『行動的禁欲』から芽生えた『内面的孤独化』は人々を〈呪術的なもの〉から解放し、自らの頭で〈合理的に思考〉して、自分の生活を設計するように促した」
「それが〈脱呪術化〉なんだな」
「
「その通りなのかよ」
「脱呪術化は近代化の過程と親和性がある信仰のあり方だったんだ。最初から決まっているんだから、思い悩まず、とにかく実践すること。自分のやってることに確信を持つよう、自分自身を仕向ける。それは、神に全面的に委ねると同時に、神の栄光の現れとしての労働を重視する、ということだ」
「で、この話は、かみさまのはなしじゃなくて……」
「マックス・ウェーバーが資本主義の精神が生まれたその過程を分析した結果、出てきた話だ」
「それは今じゃ〈古典〉の話だよな」
「そうなんだ。だから……ここからが、スタートだ」
〈93話へ続く〉