第62話 ぶんぶんがくがく:3(上)

文字数 1,987文字

 月天が跳ね起きた。
 体を曲げて、上半身を起こし、汗だくの額を、手のひらで拭う。

 病室。白い部屋。
 六人部屋のベッドで、月天は眠っていた。
 やっと意識が戻る。
 安堵した。
 おれは、サイドテーブルの置き時計を見る。
 夜10時。

「青島! 無事か?」
 起きて即座におれの姿を確認した月天は、素っ頓狂にも思える、そんな言葉を吐いた。

「ぶっ倒れて眠ってたのは月天の方だよ。おはよう」

「ここ、病院……か?」

「救急車で運ばれた。結果は体に異常なし。明日には退院さ」

「青島……〈(かさね)〉は、存在するぞ」

「〈襲〉って、今日の朝に出くわしたあのイカレた野郎か?」

「ああ。あいつの仲間だ。二人組で……そいつらに、おれはやられた。気を失っちまった」

「襲、……か」

「位階第六位だという〈女郎花(おみなえし)(かさね)〉と、その女郎花の襲が操る巨体の、位階第五位〈若楓(わかかえで)(かさね)〉のタッグ。隙を突かれて吹き飛ばされた」

「ああ。運ばれたのも、自販機にぶつかって倒れていたからなんだ。自販機は機械がへし曲がっていたよ。中身の缶をまき散らしながら、な。その缶にまみれて、月天が倒れていたんだ。自販機に激突した、とのことだったが」

「ああ。吹き飛ばされて、自販機に激突した。〈女郎花の襲〉が釘バットを〈無効化〉させて、〈若楓の襲〉が、おれの足首を掴んでぐるぐる振り回したかと思ったら、自販機めがけてシュートだ。参ったぜ」


「とりあえず、生きてて良かった。文芸部のみんなも、ここに見舞いに来てたんだ、夕方頃」

「わりぃこと、しちまったなぁ」

「気にすんな、だってさ。部長も、佐々山先輩も。そう言ってた。山田先輩は、この病室に残るってきかなかったんだぜ? そこを、佐々山先輩が引き剥がして、病室の外まで連れ出した」

「もう遅い時間だろ。青島は、大丈夫なのか?」

「ん? おれか? 大丈夫だよ」

「いつも済まねーな」

「どういたしまして」


 おれはパイプ椅子に座っている。
 その膝には、雑記帳を乗せていて、小説のメモを取っていた。

「そういや、青島はルーズリーフで文章を書いていたんだったな」

「ああ。そうだな。ゲームつくるときのテキストじゃなければ、文芸部に入るまでは鉛筆でルーズリーフに書いてた。ガキの頃からの癖みたいなもんさ。逆にWord使うようになったとき、どうしていいか、わからなかったくらいの、機械音痴だ」

「ゲームつくるのに、機械音痴はないだろう」

「まあ、そうだな」


 病室の廊下の蛍光灯がビリビリ音を立てて、明滅する。



 おれは椅子に座ったまま、明滅するその照明を見ながら、詩を暗唱する。



わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです




 ……………………。
 …………。
 ……。

「どーした、青島。そりゃ、なんのポエムだ?」

「宮沢賢治『春と修羅』の序文さ」

「わたくしという現象は……『因果交流電燈の、ひとつの青い照明』…………か。良いじゃんか」

「だろ? 大正13年に書かれた言葉なんだぜ」


 月天は顔を上げると、ぼーっと天井を眺めた。

「殺されるかと思った」

「死ななくて良かったぜ」

「でも、いつかは、死ぬんだよな」

「ひとは、そりゃ死ぬだろ」

「〈今日生きているように明日も生きると思ってる、ぶっ殺されるだなんて考えたことのない状態〉から〈今日生きたようにぶっ殺されることはないだろう、と思う〉考え方へ、いつかシフトした。けど、やっぱり今日生きたように明日も生きていられることには、〈根拠なんてない〉んだよ」

「死を、意識したってことか」

「ちょっとちげぇなぁ。なんつーか。意識にのぼることすらなかった状態から、意識する状態になったとき、おれが生きてきて明日も生きられる、その根拠がなにもないことに気づく」


「なるほどな。……じゃ、ちょっと待っててくれ。ここの売店、まだやってるんだよな。こんな時間なのに。なにか買ってくるよ。話はその後だ」

「ああ。わりぃな、いつも」

「今日は謝ってばかりだな、月天」

「謝りたくもなるさ」

「そんなもんかね」




〈63話へ続く〉
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