第87話 〈期待の地平〉と〈受容理論〉

文字数 2,280文字

 放課後、部室棟のそばにある自動販売機の前に、おれと月天はいた。
「自動販売機……か」
 月天は声を漏らす。

「ああ。〈県下怨霊八貴族(けんかおんりょうはちきぞく)〉のことを、思い出したのか、月天」

「青島……。おれたちは、なにと戦っているんだろうな。そして、なぜ、〈おれたち〉なんだろう」


 ビュー、っと風が吹く。強風に目を閉じ、風が止んだのでその目を開ける。

 するとそこには、風に揺らぐ粟粒と形容できそうな小柄な女性が、おれたちより若く、しかし屈強そうな体躯の男の肩に乗って現れていた。


「散りはてし桜が枝にさしまぜて盛りとみするわかかえでかな」
 男の肩に乗った女が、男の横顔をなでながら詠った。

 おれは息をのみ、
「藤原定家……か」
 と、相手に向けて言った。

「あら、勉強家ね、〈ブルース・ドライバー〉こと、青島くん。ふふ。『夫木和歌集』からの抜粋よ。あたしのピッピを詠ったもの、とも言えるわね」


「なるほど。おまえが女郎花(おみなえし)(かさね)で、その巨体の彼ピッピが若楓(わかかえで)の襲、だな」
 拳を握るおれ。


 月天もまた、拳を握っている。
「なんの用だよ、県下怨霊!」

 女郎花は若楓の肩の上で、おほほ、と口に手を添えて高らかに笑う。
「よろずの花紅葉にもまさりてめでたきあたしのピッピに、ひれ伏しなさい、〈バトル・クリティーク〉」

 次は『徒然草』からの引用を混ぜたか、この女。

「あたしは自分の花言葉通り、〈約束は守る〉わ。悪いようにはしない。だから、降伏しなさい」



 月天の歯ぎしりが聞こえてくる。
 爆発寸前だ。
「この間、おれをぶん投げただけじゃ飽き足らねーっつーのかよ。クソが」


「ええ。足りないわ。〈襲式目(かさねしきもく)〉として、県下怨霊はあなたたちを歓迎します。仲間になりなさい」

「やなこった!」
 言うが早いか、月天は拳を握ってダッシュする。
 飛び跳ね、肩にいる女郎花を殴ろうと振りかぶった。
 だが、肩が空いている片方の手で、巨体に払いのけられてしまう。

 吹き飛ぶ月天。
「月天ッ!」

 おれも拳を固める。
「許さねぇ」

「オオオオオオン」
 若楓の襲が叫ぶ。


 おれは目を閉じる。
 するとこの場所が〈トポス化〉していくのがわかる。
「モッシュピット!」
 自然と声を出していた。
 物質化したモッシュピットにおれはよじ登る。
「文芸の花火職人の技を見せてやるよ!」

 そこにはダイブする客席空間(すたんでぃんぐせき)で満たされていた。
「ウォール・オブ・デス!」

 モッシュピットから跳ね上がり、できあがっている動く死の壁におれは飛び込んだ。

〈音圧〉と〈文字圧〉が轟音となって、おれを若楓と女郎花の下へ運ぶ。
「枯れろ! このウォールの風で! 〈(こんぷれっさ)〉はおまえらを〈拒絶〉する!」


 空間がオーバードライヴする。
 起こしたのはおれだ。


「〈遅延(でぃれい)〉だ!」
 空間におれの存在がダブって存在し、全方位から襲のいるステージ上へ鎌鼬(かまいたち)を起こす。

「手に取れば袖さへにほふ女郎花この白露に散らまく惜しも! 散れええええええぇぇぇ!」

「くっ! 万葉集・巻十 2115、…………かッッッ」


 閃光!
 反響する轟音と、その〈圧〉。



 醤油の腐敗した匂いがして、この位相空間がはじけ飛んだ。

 トポス化が解除されていく。

 叫んでいたおれ自身にも、なにが起きたのかわからなかった。
 だが、人外になってしまったのだけは、理解できる。



 ……気がつくと、月天とともに自販機の前で倒れていた。
 でも、身体はまだ動く……。


 起き上がると、そこには、うちの学校の生徒会長・斎藤めあが立っていた。
 めあはおれに言う。
「〈受容理論〉ね」


「受容理論?」
 聞き返してしまう。


「あら。知らないのかしら。読者は〈期待の地平〉を持って作品に接して、読みの過程でこれを修正・訂正すると主張し、読書行為の相互作用性を指摘するものよ。また,時代によって異なる〈期待の地平〉と個々の作品の間には、新たな解釈・評価が積み重ねられてゆくの。その、作品と読者の間の〈対話〉という文学史観が、〈受容理論〉よ。わかったかしら、〈バトルクリティーク〉さんたち」


 月天も、起き上がったところだった。
「つまり、〈相互作用〉が起こったってわけか、県下怨霊と、おれらと、そして取り巻く人々の〈期待の地平〉で」


 斎藤めあは嘆息してから、
「簡単に言うと、あなたたちはもう『あっち側の人間』なのよ。県下怨霊八貴族と、なんら変わりない存在。都市伝説上の存在。その人々の〈認識〉が、あなたたちに力を与え、〈嗤い合うバトル・クリティーク〉という化け物を作り出し、その現実化として存在してしまっている〈概念〉が、現在のあなたたちなの」
 と、言った。


 おれは理解しようとしたが、
「おれも月天も、もう〈化け物〉だ、ってことか」
 としか言い返せなかった。
 思った通りでしかなかった。


「じゃあね、バトル・クリティークのお二人さん。わたしが言えるのは、今はここまでよ。悩んで、戦って、活路を見いだすのも死地を探すのも、ご自由に」

 斎藤めあが消えるようにいなくなった。
 まだ、ここは異界なのかもしれない。


 おれと月天はただ、呆然としていることしかできなかった。




〈了〉
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