第74話 政治的なものの本質は敵と味方の選別
文字数 1,805文字
「ひとはカテゴライズして敵味方をつくらないと生きていけない動物なんすかね」
おれは自分が今日の朝言った言葉を思い出していた。
放課後。
清掃の時間のこと。
「うふ。カテゴライズして無害化させようとする。青島くんと不良くんのコンビ名が、二つ名として県下に知れ渡っているように、ね」
おれにそう返した佐々山先輩の声が、自分の思考の中の声と重なり合う。
無害化のために、〈命名する〉……か。
「敵と味方の区別をする、か。そのためのカテゴライズは、必要なんだろうな」
教室の清掃をボイコットして、おれと月天は渡り廊下の自動販売機の前で、紙パック入りの珈琲牛乳を飲んでいた。
月天は面白くなさそうな顔で、
「カール・シュミットか?」
と、おれに聞き返した。
「ああ、そうだ」
おれが頷くと、
「右のシュミットに左のアーレント、ってな」
と、月天が茶化すようにひとこと解説を加えた。
おれもそれに続ける。
「アーレントは、月天も知ってるように、ポリスとオイコスの分離をしていたギリシアの頃の政治観を参照する。ポリスってのはポリティクスの語源になった言葉だぜ。ポリスは国家を指す。国家運営という意味合いだろうな、ここでは。一方のオイコスは家庭や家族を指す。ギリシアの昔、経済は家庭や家族と結びついていて、ポリスとは隔離されていたんだよな」
月天はハリボーグミを囓りながら珈琲牛乳で流し込み、おれに相づちを打ちながら、話を聞いている。
「〈政治的なもの〉の本質は敵と味方の選別だ、ってカール・シュミットは言った。議会制民主主義における政党ってのは、社会的・経済的な利権集団でしかないんだ、と主張した。だから諸政党は国家に対して責任を欠いていて、そいつらは自分たちの利益のために立法を重ねる。そこで取り出したのが、〈例外状態〉という事象だ。立場や利害が絡む人々の間で原則なき妥協を成立させる議会制民主主義には限界があって、だからその前提を踏まえた上で、人々の圧倒的支持を得た指導者による統治が本来の民主主義なんだ、とした。ウェーバー風な流れだと〈指導者〉から〈官僚制〉に行き、〈政党マシーン〉ってのに行くという複雑な関係があるわけだけど、そこに来て初めて、〈人民投票的民主制〉が出てくる。これは、国民の直接投票で広く広範な権力を持った指導者を選び出す制度なんだ」
「でも、シュミットはファシズムに利用されちまったな。理論的支柱を与えてしまった」
「多分にして〈カリスマ的政治指導者〉の話だから、なぁ」
月天は中身のなくなった珈琲牛乳のパックを握りつぶし、ダストボックスにシュートした。ボックスに見事にくしゃくしゃになった紙パックが入る。
おれは続ける。
「戦後、それでも政治〈指導者〉を立てるって方向性の思考は、シュミットのなかでは変わらなかった。理論に穴があったのは認めたが、それまでの自分の理論を否定をしたわけではない」
月天は首を曲げて、手や腕も伸ばし、ストレッチをする。
「青島がなんでこんな話をしているのか、わかったぜ。〈県下怨霊八貴族〉が、おれたちを狙っている、って話に結びつくんだろ」
「そうなんだよ。奴らは、〈指導者〉がバックに必ずいて、フィクサーだってついている。間違いない。話はズレちまうが、な。悪い意味で〈カリスマ指導者〉が待ち構えてる」
「青島。その根拠は?」
「教育を操りたい〈笑止教師協会〉の存在さ。指導者やフィクサーもいるだろう。奴ら〈笑止教師協会〉のスローガンは『教え子を再び戦場へ向けろ』と、『青年よ、何度でも銃を握れ』だからな。未来の〈笑止教師協会〉を担うのが、〈県下怨霊八貴族〉だそうなんだ。生徒会の書記がうちのクラスメイトだからな。聞き出した」
「きなくさくなってきたぜ」
「いや、〈戦争〉はもう、始まってんぜ?」
おれたちの世界が変容していくのを、防ぐ術はもうなくて、あとは戦うことしか選択肢がない、と言えた。
敵に背中を向ける気はさらさらないからな。
おれのそばで月天が、食べ終えたハリボーの袋をダストボックスに捨て、
「そろそろ部活に行くか」
と、提案した。
「くだらねー話をしちまって、ごめんな、月天」
「いや、青島らしいよ。こういう攻めた会話は、な。悪くねぇ」
〈了〉
おれは自分が今日の朝言った言葉を思い出していた。
放課後。
清掃の時間のこと。
「うふ。カテゴライズして無害化させようとする。青島くんと不良くんのコンビ名が、二つ名として県下に知れ渡っているように、ね」
おれにそう返した佐々山先輩の声が、自分の思考の中の声と重なり合う。
無害化のために、〈命名する〉……か。
「敵と味方の区別をする、か。そのためのカテゴライズは、必要なんだろうな」
教室の清掃をボイコットして、おれと月天は渡り廊下の自動販売機の前で、紙パック入りの珈琲牛乳を飲んでいた。
月天は面白くなさそうな顔で、
「カール・シュミットか?」
と、おれに聞き返した。
「ああ、そうだ」
おれが頷くと、
「右のシュミットに左のアーレント、ってな」
と、月天が茶化すようにひとこと解説を加えた。
おれもそれに続ける。
「アーレントは、月天も知ってるように、ポリスとオイコスの分離をしていたギリシアの頃の政治観を参照する。ポリスってのはポリティクスの語源になった言葉だぜ。ポリスは国家を指す。国家運営という意味合いだろうな、ここでは。一方のオイコスは家庭や家族を指す。ギリシアの昔、経済は家庭や家族と結びついていて、ポリスとは隔離されていたんだよな」
月天はハリボーグミを囓りながら珈琲牛乳で流し込み、おれに相づちを打ちながら、話を聞いている。
「〈政治的なもの〉の本質は敵と味方の選別だ、ってカール・シュミットは言った。議会制民主主義における政党ってのは、社会的・経済的な利権集団でしかないんだ、と主張した。だから諸政党は国家に対して責任を欠いていて、そいつらは自分たちの利益のために立法を重ねる。そこで取り出したのが、〈例外状態〉という事象だ。立場や利害が絡む人々の間で原則なき妥協を成立させる議会制民主主義には限界があって、だからその前提を踏まえた上で、人々の圧倒的支持を得た指導者による統治が本来の民主主義なんだ、とした。ウェーバー風な流れだと〈指導者〉から〈官僚制〉に行き、〈政党マシーン〉ってのに行くという複雑な関係があるわけだけど、そこに来て初めて、〈人民投票的民主制〉が出てくる。これは、国民の直接投票で広く広範な権力を持った指導者を選び出す制度なんだ」
「でも、シュミットはファシズムに利用されちまったな。理論的支柱を与えてしまった」
「多分にして〈カリスマ的政治指導者〉の話だから、なぁ」
月天は中身のなくなった珈琲牛乳のパックを握りつぶし、ダストボックスにシュートした。ボックスに見事にくしゃくしゃになった紙パックが入る。
おれは続ける。
「戦後、それでも政治〈指導者〉を立てるって方向性の思考は、シュミットのなかでは変わらなかった。理論に穴があったのは認めたが、それまでの自分の理論を否定をしたわけではない」
月天は首を曲げて、手や腕も伸ばし、ストレッチをする。
「青島がなんでこんな話をしているのか、わかったぜ。〈県下怨霊八貴族〉が、おれたちを狙っている、って話に結びつくんだろ」
「そうなんだよ。奴らは、〈指導者〉がバックに必ずいて、フィクサーだってついている。間違いない。話はズレちまうが、な。悪い意味で〈カリスマ指導者〉が待ち構えてる」
「青島。その根拠は?」
「教育を操りたい〈笑止教師協会〉の存在さ。指導者やフィクサーもいるだろう。奴ら〈笑止教師協会〉のスローガンは『教え子を再び戦場へ向けろ』と、『青年よ、何度でも銃を握れ』だからな。未来の〈笑止教師協会〉を担うのが、〈県下怨霊八貴族〉だそうなんだ。生徒会の書記がうちのクラスメイトだからな。聞き出した」
「きなくさくなってきたぜ」
「いや、〈戦争〉はもう、始まってんぜ?」
おれたちの世界が変容していくのを、防ぐ術はもうなくて、あとは戦うことしか選択肢がない、と言えた。
敵に背中を向ける気はさらさらないからな。
おれのそばで月天が、食べ終えたハリボーの袋をダストボックスに捨て、
「そろそろ部活に行くか」
と、提案した。
「くだらねー話をしちまって、ごめんな、月天」
「いや、青島らしいよ。こういう攻めた会話は、な。悪くねぇ」
〈了〉