第23話 氷山の一角の理論

文字数 1,836文字

「ダメだぁぁあああぁぁ!」

 青島がズッサァァ! と滑り込むようにして机に突っ伏す。

 部室にはもう、西日が射している。

 おれは珈琲を一口すする。

「どうした、青島」

「部長ォォ。おれ、ダメです。書いてる小説が終わらねぇっす」

「終わらない? 書けない人間が多いなか、贅沢な悩みだな」

「それ、山田先輩のことっすか?」

 おれは青島から視線を逸らす。

「うーん。まあ、そうなんだが」


 一年生の青島は、ふぅ、とため息をつく。

「おれ、設定厨なんすよぉ。描写も濃い目だし」

「作家の資質を持っていて、いいじゃないか。なにか、問題でもあるのか」


「ついった小説にしたいなぁ、と思ってるんすけどね。長すぎる」

「いや。某サイバーパンクなスレイヤーも長いぞ。大丈夫だ。心配いらん」

「いや、画像にして流そうと考えてるんすけどね」

「最近、流行ってるな」


 そこで、くすくすと笑う二年の佐々山。今日は彼女も執筆中であり、茶々を入れてくることはない……といいのだが。

 その佐々山は、一言、おれに向けて。
「最近じゃないですよ、萌木部長。かなり歴史あるわ、ついったを使ったあれこれは」


 もっともなことだな、とおれも同意する。

「ふむ。宣伝に使うのにも有効だし、一番読まれているウェブのテキスト文章はついったぁだしな」

 青島も頷く。

「そうっすよぉ、萌木部長。長いの続けると、脱落者が出るから、〈一話は短く〉っすよ。全体が長くてもいいから」


「うふ。ノベルゲームつくってるだけあって、ウェブにその身を置きたいのね」

「なるほど。うちの文芸部は、どちらかというと、紙媒体の部誌をつくるのがメインだから忘れがちだが、そういやこの前みんなでウェブのコンクールに送ったりもしたな」



「こういうときはどうすりゃいいんすかぁ」

「ですって、部長」

「そういうときは、『氷山の一角の理論』を使うといいぞ、青島」

「氷山? 冷凍のマンモスっすか」

「うふふ。冷凍のマンモスを見つけると、とりあえず食べてみるって話は、有名ね」


「茶化さないでいい、佐々山。『氷山の一角の理論』とは、アーネスト・ヘミングウェイの考案した言葉だ」

「『老人と海』のあのひとっすか。ノーベル文学賞作家の」

「そうだ。氷山は、その半分以上が海の中にある。海の外、空気に触れているのはごくごく一部だ、ということなんだな」

「どういうことっすか?」

「ヘミングウェイは、短編の名手だ。彼は、すべては書かない。長い物語になるものの、一部のシーンを切り取って、書いて提示する」

「ん? わかんねっすけど」

「設定を全部作中に出す必要がない。そのシーンに必要な分を、出す。あとは、見えなくていい。書かないでも、伝わるように書けばいい」

「伝えるためには、言葉がたくさん必要なんじゃねーすか」

「設定をチラ見させるだけの豪華さも、贅沢でいいんだぞ。宮崎駿のアニメ観てみろ。なんだか世界情勢全部つくってる気がするだろ」

「確かに。見えない部分が見たくなる映画をつくるなぁ」

「実際はどこまで作りこんで頭の中に入ってるかは不明だが、氷山の『一角』を見せることで、海の中の氷を想像させる。これが『氷山の一角の理論』だ」

「おー。すげぇ。やってみよっと!」



 おれは窓の外を見る。
 そろそろ部活動で〈結果〉を残せないと、頭の固い生徒会から、叱責を喰らう。
 ここはもとは名門の文芸部だったのだ。
 それが今の状況では、部費を減らさせるだけでは済まないだろう。

「名門の部を、名門のまま綺麗に終わらせたい。それが、生徒会長の意向なんだよな……」

 文芸部を消す。
 綺麗なまま、消してしまう。
 それが、生徒会長・斎藤の考えだ。
 おれの〈兄〉の、……義兄の弟子である斎藤は、今の文芸部が気に入らないのだ。


「さて。どうしようか……」

 斎藤の考えのなかで、おれが知るのは、それこそ氷山の一角だ。

 窓の外を、おれは見ながら珈琲をすする。


 グラウンドでは、運動部がトラックを走っている。

 部室の中では、パソコンのキーボードを叩く音が高速で響く。



 これからどうするか。
 憎まれるのは、おれ一人でいい。
 だから、おれが動かなくてはならないのだ。


 わかっている。
 わかってはいるけれども。



〈了〉
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