第67話 『人間は人間に対して狼である』

文字数 1,717文字

「ロックの論敵は、ホッブズだったんだ」

 おれは、病室のベッドで横になっている月天に、言った。

 もう早朝だ。サイドテーブルに広げた駄菓子とジュースは、あまり残っていない。
 どうせ今日、月天は退院なのだし、それでいいだろう。

 月天は、県下怨霊八貴族と名乗る奴らに襲撃を受け、入院していた。とはいえ、検査入院みたいなもので、一日で退院だ。
 まあ、今日くらい、帰宅したら家でゆっくりしていてもらいたいものだが。

「ホッブズは王権を否定しない。リヴァイアサンを『必要悪』だとするからだ。それに対し、ロックは社会契約説でそれに対抗する」

「社会契約ってぇと、ルソーを思い出すが」

「今回はそっちは保留だ。ロックとホッブズの対比で、今回は話したい」

「ふーん」

「と、言うのも、ロックもホッブズも、『自然状態』というものの解消策として、『国家』が必要とされ、形成された、とするんだけど、その『自然状態』で考えられているモデルが全く違うんだ」

「近代国家は……夜警国家から始まったんだっけ? あれは確か」

「そう。ロックが〈国家の役割は国民の生命と財産を守るだけで十分だ〉としたのがベースになっていたはずだ」

「じゃあ、ロックから説明願うぜ。短く、おれにもわかるようにしろよ」

「ロックの自然状態モデルでは、人間はせっせと働き平和に暮らす。だが、トラブルが起こる。仲裁のため、国家をつくることになる。国家の目的は『人民の生命と私有財産を守ること』だ。これが『社会契約』だ。ロックは、『権力は強くなると、かえって人民を無視するようになる』と考えた」

「ああ。だから、歴史の観点からすると、ロックは18世紀あたりの革命思想のルーツなんだよな、17世紀のひとだが」

「そうなんだ。一方、その革命思想を阻むことになるホッブズだが、〈内乱とはビヒーモスだ。ビヒーモスを止めることができるのはリヴァイアサンだ〉って言うわけだよ。必要悪として、国家は内乱を鎮圧することを肯定する」

「まあ、そりゃそうだな。でも、権力は、やっぱり暴走したら止められないよなぁ」

「話はそれるが、抵抗権。そこに至るまでには色々な人々の試行錯誤があった。でも、今は、ホッブズの話だ」

「おう」

「ホッブズの考える自然状態だと、人間は知性以外はほかの動物と変わらない。なので、自分を守ることが最優先で、善悪の判断は二の次だ。知性があるということは、予見能力を持つということだ。だから『今日は飯を食えたが、明日は食えないかもしれない』と考える。心配だから明日の分、明後日の分を手に入れよう、と考え、欲望は無限に膨らんでいく。だが、食物は有限なんだ。そこで、絶え間ない競争が起こる。…………これを、ホッブズは『自然状態』と呼んだ」

「自然状態ってのは、欲望が無限に膨らみ争う状態ってことか」

「それを『万人の万人に対する戦い』や『人間は人間に対して狼である』と、ホッブズは表現しているな」

「説得力があるな」

「その『自然状態』解消には『力』が必要だ。それが、社会だ。社会の成立には社会に参加するメンバーの合意が必要だ。だから、一定のルールを決める。ルール破りには国家権力が刑罰を与える。ゆえに、『国家がリヴァイアサンになるのも、やむを得ない』と、ホッブズは言うわけだ。国家の権力が弱くなると社会はバラバラになって自然状態に戻り、内乱が起こってしまう、とした。そのために、ホッブズは王権を弁護した。………ここが、ロックと真っ向から対立することになった部分だ」


「どちらにしろ『自然権譲渡』やらなにやらがあって、国家が成立するモデルなんだよな。そこで、この前の話に繋がるのか」

「そういうことだ、な」



「お。そろそろ朝食の時間だ。最後に入院食を食ってから、病院を出るとするか」


「あんまり……無理すんなよ、月天」

「おまえもな、青島」




 こうして、おれたちは日常に復帰する。
 それは、戦いに再び身を投じることを意味する。
 困ったね、『人間は人間に対して狼である』のは、事実にしか思えないからさ。




〈了〉
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