第108話 春日狂想(Re:)

文字数 2,049文字

愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業が深くて、
なおもながらうことともなったら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

               『春日狂想』中原中也

          ☆

「〈まことに人生、一瞬の夢、ゴム風船の、美しさかな〉」
「はぁ? なに言ってんだ、月天」
 通ってる高校の近くのコンビニ駐車場の喫煙所でいきなり詩の文句のようなものを不良学生である月天がそらんじるものだから、こっちも思考が追いつかない。
「いや、よぉ、あれだ、青島。人生はゴム風船のような美しさなんだ」
 おれは首をひねって考えて、言葉にする。
「しおれるか、破裂するか、風に飛ばされて空高く飛んでいく、みてーな奴か?」
 月天はおれを指さし、
「そうそう、それ。それが言いたかったんよ」
 と、うそぶく。
「で。誰の詩だよ」
「中原中也」
「ふぅん」
「昨日、葬式があっただろ。なんか、あいつの人生みてぇだなって」
「クラスメイトが亡くなったのは、生まれて初めてだった、おれも。元町真琴。元々身体が弱くて入退院を繰り返してたってことだけど」
「青島は知らねぇだろうけど、小中学生の頃は学区が同じで、ずっと近所の同級生だったんだ」
 幼なじみって奴か……。そんな奴が死んだら、さすがに堪えるかもしれねぇなぁ、とおれは思う。
「あいつは元気なくしてしおれているか、怒ってふくれっ面になって今にも頬が破裂しそうになっていたりで、結局は風に飛ばされて空高くのぼってあの世に逝っちまった。みんなより早く、な」
 おれはコンビニ袋(3円也)の中からグミキャンディを取りだし、もぐもぐ囓る。
「好きだったん? 月天、元町真琴のこと」
「あっは。そんなんじゃねーよ、青島」
 月天は立ち上がり飲み終えた缶コーヒーを屑籠に捨て、それからおれが座ってる喫煙所のところまで戻ってくる。当たり前だが、煙草は吸っていない。ここはいつもひとがいないし座れるスペースがあって良いのだ。
「近所だったからよぉ、たまに病室に見舞いに行ってたってわけ。情が移ったのかもしれねーな」
「情が移るって。言い方ほかにあんだろ。まあ、いいや。オタク特有のクソデカ感情が渦巻いている、って奴だな。親しかったんだな、元町と」
「あいつは中原中也の詩が大好きだったよ」
「ほぉ。〈汚れつちまつた悲しみに、今日も小雪の降りかかる。汚れつちまつた悲しみに、今日も風さへ吹きすぎる〉……ってな」
「青島も好きなんじゃねーか、中也の詩。ちなみに元町が好きだった詩は『サーカス』だ」
「〈ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん〉ってか」
 言いながら思わず吹き出してしまう。
 つられてか、月天も笑う。腹を抱えて。
「そうそう、〈ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん〉っつってあいつも病室のベッドで暴れてたっけな」
 と、月天。
「中原中也も案外、わざと笑えるようなオノマトペを考案したのかもな」
「中也はダダイズムからスタートした詩人だしな」
 おれは一呼吸置いてから、言った。
「〈在りし日の歌〉……みたいだな」
 月天は顔を伏せる。
 地面のアスファルトに大粒の涙が落ちた。
「馬鹿野郎、この青島。……あいつは、詩を書きたかった奴だったんだ。『在りし日の歌』って言えば副題は『亡き児、文也の霊に捧ぐ』だぜ。死んだ自分の子供に捧げていて、そしてその詩集自体も、中也自身が死んだあとに出版された死後出版の詩集だ」
「…………」
「〈死に彩られた詩集〉が、『在りし日の歌』だ。畜生! あいつが、元町の奴が恥ずかしがって躊躇しないで詩さえ書いていれば! おれが死後出版してやったってのに。悔しいだろう、憧れてた詩のひとつも書けないままで、高校生で生涯を閉じちまってよぉ!」
 おれは、『サーカス』の冒頭をうたう。


「〈幾時代かがありまして、茶色い戦争ありました。幾時代かがありまして、冬は疾風、吹きました〉」


 月天は、声を押し殺しながら、落涙している。
「青島、おまえは容赦ねーな。泣くしか選択肢がねーじゃねーか……ッッッ」
 おれは月天を観て思う。〈汚れつちまつた悲しみに、今日も小雪の降りかかる。汚れつちまつた悲しみに、今日も風さへ吹きすぎる〉って詩が、今、一番合うのは、おれの目の前にいる月天だな、と。

「…………汚れつちまつた悲しみに、か」

 月天が泣き止むまで、おれはここに一緒にいることにした。
 おれには月天と元町真琴というクラスメイトの関係性はわからないが、悲しみが心を支配するくらいには、……通じ合った仲だったのだろう。

 おれは、空を見上げる。風船が飛ぶには丁度良い空だ。


         ☆

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしましょう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしましょう。

               『春日狂想』中原中也



〈了〉
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