第125話 ルサンチマン

文字数 2,204文字

 背伸びをして僕は、一息つく。
 文芸部の部活中。
 文芸部で部誌をつくる、となって、作成したプロット片手にパソコンのキーボードをカチカチさせるのにも肩が凝って、一息入れることにしたのだ。

「山田。手が止まっているぞ」
 と、萌木部長が僕に言う。それから付け加えるように、
「青島を見てみろ。高速でタイピングしてて止まらないじゃないか。まさに執筆バーサーカー。月天が設定をつくり、そこから二人でプロットを練って、本文作成を青島がやっているわけだ。こいつら一年生だぞ。なのに二年生の山田はどうだ。おまえは手を動かしているときは『ソリティア』を起動させて遊んでいるときだけだろう。ソリティアが悪いと言っているわけじゃない。インスピレーションが湧くこともあるからな。だが、一年生コンビが頑張っているのに、情けなくないか」
 などと、僕の方を見ないで、生徒会に頼んで新しくなった教室の上の方にあるエアコンを向きながら言う。
 僕は思わず、「いや、執筆バーサーカーと比べちゃダメでしょ!」と、脳内でツッコミを入れる。

 僕が自分で珈琲をつくり、席に戻ると、香りが流れてきたのか、青島くんが我に返ったようにタイピングをピタっと止め、
「おれも珈琲を飲もうっと」
 と、席から立ち上がった。

 僕は思わず青島くんに訊いてしまう。
「どうやったらそんな風に執筆バーサーカーになれるの、青島くん」

 シュガーポットからなみなみ注いだ珈琲のカップにそっと角砂糖を一個入れた青島くんは、
「執筆バーサーカー?」
 と、首をかしげる。
「おれ、バーサーカーにはまだなれねーっす。目指すところではあるけど」
 笑いながら僕にそう返す。
「本人に自覚なし、かぁ」
 パイプ椅子の背もたれに重心を載せて、僕はうなだれる。
 あはは、と笑う青島くん。
「文章を書く快楽。おれは気持ちよくなるためにペンを取るし、タイピングするんスよ。本当は内容は二の次なんスよね。快楽のために小説を書いているんだから。まあ、産みの苦労はあるっスけど」
「僕は産みの苦労で押しつぶされてばかりだよ」
「山田先輩は、そこがナルシズムに直結するタイプの耽美作家系だと思うんで、それはそれで良いと思うっス」
「褒められているのか貶されているのか、判断に迷うなぁ。でも、僕はなんか〈ダメ〉な気がする。小説に対して真摯じゃないのは認めるよ。それで悩んで勝手に哀れな自分に悦に入っていることも」
 青島くんは苦笑を隠さない。
 笑うだけ笑いながら、珈琲を一口飲む。
 で、青島くんが萌木部長を見ると、部長がエアコンから顔を戻し、青島くんを見て、それからその顔は僕の方を向き、僕と目と目が合う。

「山田。……ニーチェは知っているか」
「フリードリヒ・ニーチェ。知ってますとも。それがなんです、萌木部長」
「ニーチェは、価値判断の仕方は二種類ある、とした」
「は? はぁ」
「その二つとは、『貴族的価値評価法』と、『僧侶的価値評価法』の二種類だ」
「知りませんでした。で、それがなにか今の話と関係があるので?」

 萌木部長が手に持っていた万年筆をくるくる回す。
「貴族的価値評価法は、〈よい/わるい〉で判断する。一方の僧侶的価値評価法は、〈善/悪〉で価値評価する」
「よいわるいと、善悪?」
「貴族的価値評価法の〈よい〉とは、〈自分の力が自発的に発揮されると感じる『自己肯定』〉のことを指す。クリエイティヴで〈気持ち良い〉という感覚だ」
「じゃあ、善悪ってのは?」
「これの場合は、自分が基準ではなく、〈神から見て正しいか悪いか〉だ。ニーチェはこの〈僧侶的価値評価法〉は、〈教会〉が作り上げてしまった、としている。そして、これが〈神〉にすがる、言い換えると〈意味〉にすがる思考法で、西洋の弱点だ、という内容のことを言ったんだ」
「弱点、なんですか、それ」
「まあ、読みようによっては、どっちの価値評価法にも、上下はない、ともとれるのだが、な。この〈善/悪〉には、〈ルサンチマン〉が隠されているのが、問題なんだ」
「ルサンチマン……」

「弱者が強者に対して、『憤り・怨恨・憎悪・非難』の感情を持つことを、ルサンチマン、と呼ぶ。この場合の〈善〉には、自分が気持ちよくなる自己肯定ではなく、強い他者を否定することによって自己肯定をするあり方が隠されている、とした。それがこの僧侶的価値評価法の本質なんだ、とな」

「うっ……、それが僕のナルシズムに繋がるわけか」

「ニーチェは、教会が決めた〈固定的〉な善や真理を守って生きるんじゃなくて、クリエイティヴィティを持って自発的に発揮されると感じる〈気持ちよさ〉=〈よい〉へと、その価値判断の仕方を転換させていかねばならない、と考えたんだ」

 そこまでしゃべってから萌木部長は、またエアコンの方へ、顔を上げて、見た。
 エアコンは静かに冷風を僕らに運ぶ。

「山田はルサンチマンの塊だから、な」

「めっちゃキメ顔で言わないでください、部長!」
 僕は今度は声に出してツッコミを入れた。

 青島くんが言う。
「佐々山先輩がこの場にいたら、〈全員揃って中二病ね!〉って言ったと思うっスよ?」

「……違いない」
 僕はため息をついた。
 ストレートな自己肯定。
 僕には足りないものだ。
 ルサンチマンかぁ。
 僕もエアコンに目をむけ、それからまた、ため息をついたのであった。
 僕はニーチェが言うところの超人には逆立ちしたってなれそうにないな、と思いながら。



(了)
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