第88話 空隙
文字数 2,438文字
県下怨霊・女郎花のいたその場所に、人の形をした黒い陽炎がゆらゆら揺らめいている。
陽炎は確かに、ひとのかたちをしていた。
陽炎はうめく。
背中から引き裂かれ、中身の〈欲望〉が、あふれ出す。
欲望は液化し、どろどろ流れ出す。
あたり一面を欲望が満たし、それから液体は引き裂いた陽炎を取り込む。
取り込むと、それはまた人型になる。
「ふぅ。ありがとね、女郎花。あたしは生まれ変わったわ。〈山吹匂 の襲〉が、ね。一度は死んだこの身でも、同じく死んだあんたが生き返らせてくれた。彼ピッピもろとも撃破されたのが癪だったのかしら。わたしという花は絶世の美女の、その美しさをも圧倒する。それがあんたから引き継いだ属性。そしてあたしは……八重咲きの黄金。この輝きで、あの子らをかき消すのが楽しみだわ…………うふふ」
********************
本屋の軒先で漫画雑誌の立ち読みをしていたおれと月天。
漫画のページに夢中になっていると、空間が位相化した。
「トポロジー、……か?」
おれが口に出すのを遮るように、トポスが発動した。
おれの手元の雑誌が山吹色の花びらの塊になって、さらさらとかたちを崩して散っていく。
目の前の本屋も、一瞬、金閣寺のような黄金色に彩られたかと思うと、内部から崩壊した。
月天は、布で包んでいた釘バットを手に持って、戦闘の準備を始めようとする。
おれも握りこぶしになって、敵がその正体を現すのを待った。
待っていると、周囲の建物すべてが崩壊し、山吹色の花びらになって散っていき、地平線が見えた。
建物すべてが消え去ったあと、残った人物はおれと月天と、そして筋肉隆々の女性だった。
「うふ。山吹の果実は堅くて食べられない。覚えているといいわ。小判のような黄金色をしたその姿の奥で残るのは、芯の通ったこのあたしという〈果実〉。美しいでしょう、あたし」
「おまえ誰だ!」
おれが言うと相手は、名乗る。
「あたしの美貌に興味はないのね、坊やたち。あたしは県下怨霊八貴族、位階第二位〈山吹匂の襲〉よ」
月天が言う。
「位階二位。二番目に強いってことか?」
「そう思ってもらってもいいわよ」
「手間が省ける。武将を打ち落としたいときは弓矢は馬に当てるもんだ。二位を倒せば、ラスボスの登場だな。いや、ラスボスが落馬して終わりかもな」
「あら、月天くん。楽しいことを言うわね」
「どういうことだ!」
「こういうことよ」
山吹匂の襲が手を天にかざすと、天がそれに答える。
曰く「山ほど花が咲くのに食える実がないとは情けない」と。
その天空の声が止んだところで、おれから見える色相・彩度・明度が、現実味を失った。
めまいが襲ってくる。
脇の方を見ると、月天も同様だった。
「青島! こいつ、おれらの目に〈干渉〉してきたぞ!」
「あんたたちもあたしと同様。食えない堅い実をつけるだけ。ふふ」
おれは目を瞑って考えた。
そうだ、位相空間を撃破できれば、活路は見いだせる。
おれは足で地面を勢いよく踏んで、〈ブルース・ドライバー〉を発動させる。
使うはこのエフェクト。
「フランジャーァァァァ!」
フランジャーのジェット音が鳴り始めた。
「古歌みたくカエルと読み合わされていろよ、〈襲〉!」
おれは現実味を失った、色相・彩度・明度の世界に、〈空隙〉を見た。
物質化させたフランジャーの〈音の壁〉に反応しない、〈空隙〉を。
「空隙に手を伸ばせッッッ! 月天! その女の黄金めいた〈メッキ〉を剥がすんだ!」
「釘でえぐり取れば、そりゃたやすいぜ!」
山吹匂がいる場所はフェイクだ。実際は、八重になった花吹雪の隙間……その空白、…………〈空隙〉にこいつは存在している。
おれは〈空隙〉に指を指す。
「そこだ、月天」
「あいよー! うおらああああぁぁぁ!」
振りかぶる。すると、なにもない空隙から、血が吹き出た。
「ぴぎゃあああああああぁぁぁ!」
そして、空間はもとに戻る。
********************
ファミレスにて。
ドリンクバーで粘りつつ、おれと月天は打ち上げをすることにした。
「なあ、青島」
「ん?」
「姿がフェイクで、本体は〈空隙〉にいるって、どうやってわかったんだ?」
「生徒会長の言葉を思い出して」
「生徒会長? 斎藤めあ、か?」
「ああ。〈受容理論〉の話をしていただろう。書き記されたテクストに、完成を妨げる欠損分がある。それを受容理論の用語で〈空隙〉と呼ぶ。なめらかにいかない、がちがちになったりしてテクストの連続性を妨げる空隙は、逆に想像力を刺激して、その〈空隙〉自体がテクストと読み手の相互作用を起こす。〈読者の参加〉によってはじめて、その空隙が埋まる」
「どういうこった?」
「つまり、襲のあいつが展開した位相化したテクスト空間に、読者として参加したのさ。そして、参加できる〈位置〉は〈空隙〉しか、ない」
うんうん、と月天は、頷く。
「位相空間化の正体は、そいつの書き出した〈テクスト〉だ、ってことでもあるよな」
「そう。テクスト……つまり文章だ。それが、前回、おれもトポス……位相空間を引き出せたことに、関係しているはずなんだと思う」
さて。自身が都市伝説となってしまったかのようなこの状態で、おれたちはどこまで戦えるのだろう。
「青島。ポテトフライ頼もうぜ」
「ああ。じゃ、おれはジュース持ってくるよ。月天はなに飲む?」
「メロンソーダで」
「おーけー」
時間は待ってはくれないのを感じる。
おれはウェイトレスのスカートからのぞく生足を見ながら、時が過ぎゆくままにしかならないのを、ひしひしと感じたのであった。
〈了〉
陽炎は確かに、ひとのかたちをしていた。
陽炎はうめく。
背中から引き裂かれ、中身の〈欲望〉が、あふれ出す。
欲望は液化し、どろどろ流れ出す。
あたり一面を欲望が満たし、それから液体は引き裂いた陽炎を取り込む。
取り込むと、それはまた人型になる。
「ふぅ。ありがとね、女郎花。あたしは生まれ変わったわ。〈
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本屋の軒先で漫画雑誌の立ち読みをしていたおれと月天。
漫画のページに夢中になっていると、空間が位相化した。
「トポロジー、……か?」
おれが口に出すのを遮るように、トポスが発動した。
おれの手元の雑誌が山吹色の花びらの塊になって、さらさらとかたちを崩して散っていく。
目の前の本屋も、一瞬、金閣寺のような黄金色に彩られたかと思うと、内部から崩壊した。
月天は、布で包んでいた釘バットを手に持って、戦闘の準備を始めようとする。
おれも握りこぶしになって、敵がその正体を現すのを待った。
待っていると、周囲の建物すべてが崩壊し、山吹色の花びらになって散っていき、地平線が見えた。
建物すべてが消え去ったあと、残った人物はおれと月天と、そして筋肉隆々の女性だった。
「うふ。山吹の果実は堅くて食べられない。覚えているといいわ。小判のような黄金色をしたその姿の奥で残るのは、芯の通ったこのあたしという〈果実〉。美しいでしょう、あたし」
「おまえ誰だ!」
おれが言うと相手は、名乗る。
「あたしの美貌に興味はないのね、坊やたち。あたしは県下怨霊八貴族、位階第二位〈山吹匂の襲〉よ」
月天が言う。
「位階二位。二番目に強いってことか?」
「そう思ってもらってもいいわよ」
「手間が省ける。武将を打ち落としたいときは弓矢は馬に当てるもんだ。二位を倒せば、ラスボスの登場だな。いや、ラスボスが落馬して終わりかもな」
「あら、月天くん。楽しいことを言うわね」
「どういうことだ!」
「こういうことよ」
山吹匂の襲が手を天にかざすと、天がそれに答える。
曰く「山ほど花が咲くのに食える実がないとは情けない」と。
その天空の声が止んだところで、おれから見える色相・彩度・明度が、現実味を失った。
めまいが襲ってくる。
脇の方を見ると、月天も同様だった。
「青島! こいつ、おれらの目に〈干渉〉してきたぞ!」
「あんたたちもあたしと同様。食えない堅い実をつけるだけ。ふふ」
おれは目を瞑って考えた。
そうだ、位相空間を撃破できれば、活路は見いだせる。
おれは足で地面を勢いよく踏んで、〈ブルース・ドライバー〉を発動させる。
使うはこのエフェクト。
「フランジャーァァァァ!」
フランジャーのジェット音が鳴り始めた。
「古歌みたくカエルと読み合わされていろよ、〈襲〉!」
おれは現実味を失った、色相・彩度・明度の世界に、〈空隙〉を見た。
物質化させたフランジャーの〈音の壁〉に反応しない、〈空隙〉を。
「空隙に手を伸ばせッッッ! 月天! その女の黄金めいた〈メッキ〉を剥がすんだ!」
「釘でえぐり取れば、そりゃたやすいぜ!」
山吹匂がいる場所はフェイクだ。実際は、八重になった花吹雪の隙間……その空白、…………〈空隙〉にこいつは存在している。
おれは〈空隙〉に指を指す。
「そこだ、月天」
「あいよー! うおらああああぁぁぁ!」
振りかぶる。すると、なにもない空隙から、血が吹き出た。
「ぴぎゃあああああああぁぁぁ!」
そして、空間はもとに戻る。
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ファミレスにて。
ドリンクバーで粘りつつ、おれと月天は打ち上げをすることにした。
「なあ、青島」
「ん?」
「姿がフェイクで、本体は〈空隙〉にいるって、どうやってわかったんだ?」
「生徒会長の言葉を思い出して」
「生徒会長? 斎藤めあ、か?」
「ああ。〈受容理論〉の話をしていただろう。書き記されたテクストに、完成を妨げる欠損分がある。それを受容理論の用語で〈空隙〉と呼ぶ。なめらかにいかない、がちがちになったりしてテクストの連続性を妨げる空隙は、逆に想像力を刺激して、その〈空隙〉自体がテクストと読み手の相互作用を起こす。〈読者の参加〉によってはじめて、その空隙が埋まる」
「どういうこった?」
「つまり、襲のあいつが展開した位相化したテクスト空間に、読者として参加したのさ。そして、参加できる〈位置〉は〈空隙〉しか、ない」
うんうん、と月天は、頷く。
「位相空間化の正体は、そいつの書き出した〈テクスト〉だ、ってことでもあるよな」
「そう。テクスト……つまり文章だ。それが、前回、おれもトポス……位相空間を引き出せたことに、関係しているはずなんだと思う」
さて。自身が都市伝説となってしまったかのようなこの状態で、おれたちはどこまで戦えるのだろう。
「青島。ポテトフライ頼もうぜ」
「ああ。じゃ、おれはジュース持ってくるよ。月天はなに飲む?」
「メロンソーダで」
「おーけー」
時間は待ってはくれないのを感じる。
おれはウェイトレスのスカートからのぞく生足を見ながら、時が過ぎゆくままにしかならないのを、ひしひしと感じたのであった。
〈了〉