第116話 アブジェクシオン【第二話】
文字数 1,089文字
おれは月天に言う。
「クリステヴァはどんな文学がつくられるのを望むのか。……それが今回の話だ」
月天とおれはモップがけを中断し、インスタント珈琲を飲みながらパイプ椅子に座る。
モップがけを終わらすまで、時間はたっぷりあるのだ。
「話はソシュール言語学から始まる」
「おう。青島。どんと来いや」
月天のその反応に、思わず吹き出してしまう。
「そう構える内容でもないぜ?」
「じゃあ、ゆっくりと聴くとするか……」
「ああ、それが良いぜ」
と、前置きしてから、おれは話を始めた。
「ソシュール『言語学講義』以降の言語学の試みとはなんだったのか。それは要するに、『語る主体』について語ったものだ、っていう前提があったと、クリステヴァは結論づけた」
「語る主体?」
「そう、『語る主体』。それは〈意味を意味しうる〉語りをする主体のことだ」
「ちっと、わっかんねぇなぁ」
「自ら扱う言語が体系化・構造化・論理化出来る語りをする主体のことを指す。と、言ってもわかりにくいと思う」
「そうだな」
「つまりは、普通に喋ってる奴の言語ってことだ。それを、ソシュールは自分の言語学の俎上にあげていたわけだ。逆にそれは〈体系化・構造化・論理化〉出来ないものすべてを〈排除〉する試みにほかならない、と考えたんだな」
「ほぅ。排除か」
「ああ。その、ソシュール言語学から〈排除された〉、その〈外部〉を探求したんだな」
「排除されていたその〈外部〉ってのは? 〈体系化・構造化・論理化〉出来ないものってことだよな」
「そうなんだよな」
「具体的には?」
「クリステヴァは二種類あげている。1.幼児の言語活動。2.精神病者の崩壊寸前の言語活動、の二種類だ。他方で、意識的、かつ実験的に既成の言語活動を乗り越える〈文学〉の言語活動もまた、〈詩的言語〉と呼んでいて、それもまた〈外部〉だ、とした」
「なるほどな」
「クリステヴァは前述の二種類とプラスワンに、言語構造の異質な〈外部〉に通じる〈回路〉を見いだしたんだ。この〈回路〉こそが、クリステヴァの用語で〈意味生成性〉と呼ばれるものなんだ。そして、その『意味生成性の言語学』を、クリステヴァは構築していく」
「ソシュール言語学の試みの外部に自身の言語学へと繋がる回路を見いだして、そこに自分の言語学……『意味生成性の言語学』を構築したってわけか」
「そういうことさ」
「飛んだ魔術回路だぜ」
「言葉の魔術……の系譜。と、言っても確かに良いかもな。その魔術回路の話に、話は移っていく」
おれは一瞬目を瞑り、それから目を開けた。
月天は珈琲を飲みながら、興味深そうにおれの目を見ていたのだった。
〈117話へ、続く〉
「クリステヴァはどんな文学がつくられるのを望むのか。……それが今回の話だ」
月天とおれはモップがけを中断し、インスタント珈琲を飲みながらパイプ椅子に座る。
モップがけを終わらすまで、時間はたっぷりあるのだ。
「話はソシュール言語学から始まる」
「おう。青島。どんと来いや」
月天のその反応に、思わず吹き出してしまう。
「そう構える内容でもないぜ?」
「じゃあ、ゆっくりと聴くとするか……」
「ああ、それが良いぜ」
と、前置きしてから、おれは話を始めた。
「ソシュール『言語学講義』以降の言語学の試みとはなんだったのか。それは要するに、『語る主体』について語ったものだ、っていう前提があったと、クリステヴァは結論づけた」
「語る主体?」
「そう、『語る主体』。それは〈意味を意味しうる〉語りをする主体のことだ」
「ちっと、わっかんねぇなぁ」
「自ら扱う言語が体系化・構造化・論理化出来る語りをする主体のことを指す。と、言ってもわかりにくいと思う」
「そうだな」
「つまりは、普通に喋ってる奴の言語ってことだ。それを、ソシュールは自分の言語学の俎上にあげていたわけだ。逆にそれは〈体系化・構造化・論理化〉出来ないものすべてを〈排除〉する試みにほかならない、と考えたんだな」
「ほぅ。排除か」
「ああ。その、ソシュール言語学から〈排除された〉、その〈外部〉を探求したんだな」
「排除されていたその〈外部〉ってのは? 〈体系化・構造化・論理化〉出来ないものってことだよな」
「そうなんだよな」
「具体的には?」
「クリステヴァは二種類あげている。1.幼児の言語活動。2.精神病者の崩壊寸前の言語活動、の二種類だ。他方で、意識的、かつ実験的に既成の言語活動を乗り越える〈文学〉の言語活動もまた、〈詩的言語〉と呼んでいて、それもまた〈外部〉だ、とした」
「なるほどな」
「クリステヴァは前述の二種類とプラスワンに、言語構造の異質な〈外部〉に通じる〈回路〉を見いだしたんだ。この〈回路〉こそが、クリステヴァの用語で〈意味生成性〉と呼ばれるものなんだ。そして、その『意味生成性の言語学』を、クリステヴァは構築していく」
「ソシュール言語学の試みの外部に自身の言語学へと繋がる回路を見いだして、そこに自分の言語学……『意味生成性の言語学』を構築したってわけか」
「そういうことさ」
「飛んだ魔術回路だぜ」
「言葉の魔術……の系譜。と、言っても確かに良いかもな。その魔術回路の話に、話は移っていく」
おれは一瞬目を瞑り、それから目を開けた。
月天は珈琲を飲みながら、興味深そうにおれの目を見ていたのだった。
〈117話へ、続く〉